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2010年1月14日

自爆テロは何のためか?

 現代のイスラーム系テロリストの“共通項”について、イタリアのフィレンツェにあるヨーロッパ大学研究所(European University Institute)のオリビエ・ロイ教授(Olivier Roy)が11日付の『ヘラルド朝日』紙の論説欄に興味ある分析を書いている。それをひと言でいえば、今日のテロリズムの温床は、どこか一定の国や地域ではなく、グローバル化したインターネットによるバーチャルな空間だというのだ。だから、今のアメリカのように、アフガニスタンやパキスタンなどのイスラーム国の辺境地域に潜む“テロリスト”を攻撃するだけでは、“テロとの戦争”は終結しない--はっきりそう書いてはいないが、そういうことを暗示する内容である。同教授の論理を追ってみよう。
 
 ロイ教授はまず、2009年にアメリカ領内を攻撃しようとしたテロリストに共通しているものは何か、と問いかける。彼らの名前を挙げるとともに、簡単な経歴等を添えてみる。また、本欄で既報のものは、その日付を添えた--
 
○旅客機爆破未遂事件を起こしたウマル・ファルーク・アブダルムタラブ容疑者(Umar Farouk Abdulmutallab、1月9日本欄)。

○イエメン人の両親をもつアメリカ人で、コロラド州立大学を卒業した後、宗教指導者となったアンワー・アラウラキ師(Anwar al-Awlaki、昨年11月11日本欄)。

○パレスチナ人の親をもつアメリカ陸軍所属のニダール・マリク・ハサーン医師(Nidal MalikHasan、昨年11月11日本欄)。テキサス州フォートフッドのアメリカ最大の基地内で銃乱射事件を起こした。

○ダニエル・パトリック・ボイド氏(Daniel Patrick Boyd)。白人のアメリカ市民で、ノースカロライナ州で聖戦を宣言したグループの指導者。
 、
○ヒスパニック系アメリカ人で、ニューヨークのロングアイランド出身のブライアント・ニール・ヴィナス氏(Bryant Neal Vinas)は昨年、アルカイダを支援するなどのテロ活動の容疑を自ら認めた。

 これらの人々は皆、中東出身のイスラーム教徒などではなく、戦争で破壊された原理主義の地、アラブの出身者でもない。彼らに共通するものは、自分たちが信奉するイスラーム指導者を想像の中に、あるいはネットの中に見出していること。そして、彼らの人生は3つの国に関わっている--第1の国で生まれ、西洋の先進国に自ら移住したか、あるいは家族が移住した後にそこで生まれた。彼らはこの“西洋社会”で過激化して、彼らなりの“聖戦”を遂行するために第3の国へ入る--こういうパターンがあるという。

 彼らの心が過激化する原因となった社会は、パキスタンでも、イエメンでも、アフガニスタンでもない。それは西洋の先進国か、西洋的な環境にいた時である、そういう場所で過激思想に染まり、その後に紛争のある中東地域に行ってトレーニングを受けるのである。彼らは、リアルの人間が関わる具体的な政治問題によってではなく、孤独な環境で体験するインターネットのバーチャルな世界において過激化したのである。また、バーチャルな宗教指導者に帰依したのである。

 ナイジェリア人のアブダルムタラブは、フランス語圏のトーゴで、英語で授業するインターナショナル・スクールで学んだ後に、イギリスへ渡った。ディーレン・バロット(Dhiren Barot)は、ヒンズー教を信じるアフリカ系家族の一員として、イギリスで勉強をしていた時にイスラームに入信した。英語が、雇用とコミュニケーションのための媒体だった。これらの過激派青年は、どんな国とも永続的な関係をもたない。彼らは過激な活動をしながら住む国を転々と変え、地元の実際の政治には関与しなかった。彼らの怒りは、現実の社会へ向けられたのではなく、バーチャルな社会に向けられたものである。

 アブダルムタラブの行動から分かるように、彼らのほとんどは家族との関係が断絶していたか、希薄化していた。彼らの信仰は、過去から伝えられている教義解釈から来るのではなく、自分の中で再構成されたもの(reconstructed)である。だから彼らは、自分たちの行動を正当化する際、伝統的に認められた宗教指導者の名前を挙げることがない。彼らは基本的には単独で行動し、どんなコミュニティーにもなじめない。彼らは、一定期間の“正常な”生活の後、突然に暴力的になる。彼らは、心理学的には敗北者である。自分の生の拠り所を失い、バーチャルな世界の仮想共同体で“英雄”として認められるために死ぬ--こういう分析にもとづいて、ロイ教授が出す結論は、少し刺激的だ。同教授は、「自爆テロは何かを実現するための手段ではなく、目的そのものだ」というのである。
 
 私は、この分析に“半分くらい”同意する。なぜなら、1人の人間が「まだこれから」という自分の若い人生を全面的に否定し、かつ平穏な環境に生きる大勢の普通の人間を犠牲にする決意をするためには、深い「絶望」と「孤独」、激しい「怨念」がなければできないと思うからである。しかし、この“3条件”の揃った人がすべて自爆テロリストになるわけではない。例えば、東京・秋葉原で無差別殺人を犯した男は、私の知る限りでは「宗教」や「信仰」について何も語っていない。また、どこかへ「トレーニング」を受けに行ったという話も聞いていない。「宗教」や「訓練」を語るためには、それらを提供するコミュニティーがどこかに存在しなければならない。それは想像上でも、バーチャルでもリアルでもいい。このコミュニティーに「帰属する」という意識が、社会からの疎外感を補って余りある程度に達すると、社会を否定する行動を正当化できると感ずるのではないか。そのためには、自分たちの“仲間”が世界のどこかで同じ目的で戦っているという、リアル世界での証拠が必要だろう。
 
 アメリカは、その証拠を消し去ろうとして戦っているように見える。生長の家は「悪はない」という信仰の立場であるから、彼らにとって憎むべき「西洋化した社会」(日本も一部含まれる)にも、本当は真・善・美を反映する真象が満ち溢れているのであり、人々は互いに助け合い、生かし合っているという事実を数多く示して、彼らの心の中の「孤独」と「絶望」を消し去る努力をすべきだと思う。そういう意味で、日時計主義を世界に発信し、実践する運動は、テロ勃発の防止につながると考えるのである。
 
 谷口 雅宣

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