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2010年1月11日

テロリストの“穏健化”

 前回の本欄で、アメリカで起こった米旅客機爆破未遂事件に触れたとき、私は自爆テロ志願者をどうしたら「航空機に乗せないか」ではなく、どうしたら「生み出さないか」を検討すべきだと書いた。が、その意味は、アメリカがそれを全く考えていないというのではない。当然、テロ問題専門の研究者はそれをしている。が、パレスチナ問題などの中東における政治的対立が膠着状態であることが、個人の問題を超えて、この問題の解決を妨げる大きな要因になっている。そんな中で、かつてのテロリストを悔悛させ、社会に復帰させるという点で、大きな成功を収めている国があるらしい。その国とは意外にも、これまで多くのテロリストを生んでいるサウジアラビアなのだ。
 
 テロリズムの研究者であるハーバード大学講師、ジェシカ・スターン氏(Jessica Stern)がアメリカの外交専門誌『Foreign Affairs』の最新号(今年1月~2月号)で、そのことを書いている。「殉教を超える心(Mind Over Martyr)」という題の論文で、副題は「どうやってイスラーム過激派を穏健化するか(How to Deradicalize Islamist Extremists)」というもの。この中で同氏は、サウジアラビアのテロリストの“再犯率”(recidivism)は10~20%で、他の犯罪者のそれに比べて「非常に成功している」と讃えている。もっと具体的に言うと、2009年11月の時点で、サウジ政府のテロリスト穏健化プログラムを終えた者で、再び手配リストに載っている者の数は「11人」という。
 
 この数字が多いか少ないかは、判断する人の国の事情によるだろう。日本人の私は「11人のテロリスト」は多いと感じる。しかし、再犯率が10~20%であるならば、もともとのリストは「50~100人」という計算になる。つまり、それだけの数のテロリストが同国では普通に“お尋ね者”リストに挙げられているのだ。では、同国の穏健化プログラムはどんなものかというと、スターン氏の論文には詳しいことは書かれていない。サウジ政府が外部の研究者に内容を教えないかららしい。書いてあることは、それがきわめて出費がかさむこと、常に改善が行われていること。そして、内容的には、心理カウンセリング、職業訓練、芸術療法、スポーツ、宗教による再教育などから構成されているらしい。米軍のグァンタナモ収容所にいたテロ容疑者は、このプログラムを終えた後に、住む家と車、就職相談、結婚相手探しや結婚費用まで与えられているという。
 
 このような社会復帰プログラムは、先進国内で認められるのは難しいだろう。潤沢なオイルマネーがあるサウジ政府にして、初めて可能な方法かもしれない。が、このプログラムの背後にある考え方には、興味ある点が含まれている。同氏によると、それは「テロリストは悪者ではなく犠牲者であるから、それぞれに合った支援が必要だ」ということらしい。生い立ちや社会的条件によって、やむを得ずテロリストになったということだろうか。とにかく、“悪の権化”としてテロリストを見ないことが“穏健化”の鍵を握るということなら、「相手に悪を認めない」という態度が社会復帰を促進するという意味になるから、興味深い。
 
 また、スターン氏の研究によれば、イスラーム過激派は宗教的動機から暴力に走るという一般的理解は、必ずしも正しくないという。それよりも、彼らは様々な動機から過激派組織に入るのであり、宗教的理由はそのうちの1つに過ぎないらしい。同氏は、興味深い事実として、「宗教的信念から行動していると言うテロリストは、イスラームについてよく知らないことが多い」と書いている。そして、穏健化プログラムの“恩恵”を受けて社会復帰できた者の大半は、ほとんど正式の教育を受けておらず、イスラームについての理解は限定的だという。また、ヨーロッパに住む“二世”“三世”のイスラーム教徒たちは、親たちが信仰する穏健な教えを“軟弱なイスラーム”と批判し、それに対抗するために、西洋社会の影響を受けていない“純粋な信仰”であるとして、ウェブサイト上などで説かれる自称「イスラーム指導者」の教えを信じる--そういう傾向があるという。こういう場合は、過激化の原因は「宗教的理由」ではなく、どこにでもある若者の叛逆という「心理的理由」だと考えるべきだろう。
 
 そういう場合、サウジアラビアのプログラムでは、「ビンラディンのような個人ではなく、国の正統の支配者だけが聖戦を宣言できる」ことを教えるという。そして、他者の信仰をニセモノだと非難したり、暴力を正当化するために聖典の一部をつまみ食いするような信仰を戒めることで、若者を“穏健化”するのに成功しているようだ。
 
 谷口 雅宣

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