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2010年1月12日

神はアッラーではないのか?

 日本では長らくイスラームでの信仰の対象に言及するとき、「アラーの神」とか「アッラーの神」という言葉を使ってきた。しかし、この表現だと、神道に出てくるいろいろな呼称の“神”との混同が生じやすい。つまり、日本神話の神々の多くは「○○の神」または「○○の大神」と呼ぶから、「アラーの神」もそれらと同じように、多くの中の一つの神に過ぎないと誤解しやすいのだ。しかし、本欄の読者はきっとご存じのように、イスラームは徹底した唯一神教で、アッラーのほかに神を認めない。だから、「アッラーの神」というような神の呼び方は、かえってイスラームの信仰を裏切ることになるか、少なくとも「イスラーム的」ではないのである。そこで最近は、「○○の神」とは言わずに、単に「アラー」とか「アッラー」と呼ぶ例が、日本では多くなっている。「アッラー」はアラビア語で「神」の意味だから、その方が正確な表現なのだ。エジプトなどには「コプト教」と呼ばれるキリスト教の信者が多くいて、そこで使われるアラビア語の聖書には、神のことをちゃんと「アッラー」と書いてある。
 
 と、こういう話を私はしばしば生長の家講習会でもしてきた。だから、唯一絶対神のことは、どこの国でも「アッラー」と呼んで何も問題はないと思っていた。それは、日本で神のことを「カミ」と呼ぶだけでなく、「ゴッド(God/god)」という英語読みを使っても問題ないのと同じである。ところが、イスラームを国教とするマレーシアで最近、高等裁判所がカトリック系週刊新聞のマレー語版に対して、神を表すのに「アッラー」の語を使ってもよいとの判断を示したところ、イスラーム教徒が猛反発して暴動が起こったというのだ。12日付の『朝日新聞』が伝えている。

 それによると、暴動は現地時間の8日未明から11日にかけて、首都・クアラルンプールやマラッカなどで発生し、計9カ所の教会とカトリック系の学校が火炎瓶などで襲撃された。この高裁判決は、昨年の1月に同じ新聞に対してマレーシア政府が「アッラー」の語の使用を禁じたことを不服として、同国のカトリック大司教が提訴したために出された。判決は、同国憲法に定めた「信教の自由」を根拠に「アッラー」の語の使用をカトリック教徒にも認めたものだが、同国の人口の6割を占めるイスラーム教徒の中には、「アッラー」はイスラームでしか使えない呼称だと信じている人が多いという。『朝日』はこれに対して、「神を意味するアラーという言葉は中東のエジプトやシリアのほか、インドネシアの聖書でも使われており、異教徒の使用に反発する感情や、政府による禁止はイスラム世界で特異なケースだ」と解説している。
 
 この特異性については、11日付の『ヘラルド朝日』紙の記事の方がもっと詳しく書いている。それによると、今回の衝突の背後には“人種問題”があるという。マレーシアの人口(2800万人)の6割はイスラーム教徒だが、その大半はマレー人である。残りの4割を構成するのは中国人とインド人で、それぞれがキリスト教とヒンズー教に大体対応している。そして、キリスト教徒は人口の9%ほどを占める。マレーシアの政治は、戦後の独立以降、政府の優遇策に支えられた多数派のマレー人と、経済力をもった中国人との間の微妙なバランスの上に成り立っており、現在のナジブ政権は昨年4月に発足した。その際、議会の3分の2の安定多数を占めていた与党連合が議席を大きく減らし、5つの州で野党に敗北した。このため、現政権は支持基盤を固めるために、マレー人以外への接近を図っているという。この国では、伝統的に多数派のマレー人に有利な政策を進めてきたが、これをもっと平等な政策に切り替えつつあるらしい。このことは一方で、マレー人の一部に不安感を生み、それを埋めるために“イスラームの優位”を唱える政治的イスラーム運動が力を増しているらしい。

 こういう複雑な事情があるため、イスラーム教徒以外は神を「アッラー」と呼んではいけないという考え方が生まれているらしい。これは、「アッラー」をイスラームの言わば“ブランド”として見ているわけだ。そうしなければ、クリスチャンもアッラーの信仰者ということになり、自分たちと“彼ら”との境界線がウヤムヤになる。そのことが多くのマレー人には容認できないということだろう。しかし、私は、この考えは宗教と人種とを履き違えていると思う。あるいは、人種的な違いを宗教の違いだと誤解しているのだ。生長の家の立場から見れば、クリスチャンの神が「アッラー」であることは何ら問題がない。それどころか、ユダヤ教、キリスト教、イスラームという3つの一神教の歴史的関係を見れば、「いずれの神も同じ」というのが真実である。マレーシアの人たちが、そういう理解とは反対の方向へ進まないことを私は願う。
 
 谷口 雅宣

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コメント

このニュースは新聞で見かけて気になっていて、現地の人々が言うのだから神をアッラーと訳してはいけないのかと疑問に思っていました。
暴動を起こす側の認識の誤りなのですね。イスラームはキリスト教やユダヤ教と同じ神を信仰している、とブログと御著書で学ばせて頂きました。全ての宗教は同じ神を信仰しているという真理を、今まで通りお伝えさせていただこうと思います。

投稿: 加藤裕之 | 2010年1月14日 00:23

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