2つの出来事
12月3日の新聞の第1面には、オバマ大統領によるアフガニスタンへの米軍増派発表のニュースと、日本画家、平山郁夫氏(79)の死亡記事が並んで掲載された。両者は互いに無関係の事象のようにも思えるが、私は「戦争と平和」というキーワードで結ばれていると感じる。大統領が発表した「米兵3万人の増派」は、混乱を極めるアフガンの治安を外国軍によって確保することにより、2011年7月に米軍が撤退を始めるまでに、同国で不足している治安維持機関の育成を急ぎ、権限委譲を達成するためのものだ。日本との関係では、政府は先月、同国の治安確保に5年間で50億ドル(約4500億円)規模の支援を主として民生面で行うことを発表しているから、それを軍事面から保障する役割を米軍が担うことになる。これに対して、平山画伯は、アフガニスタンを含む東西交流のルートである“シルクロード”の文物を好んで描いてきた人だ。世界の文化財保護に貢献し、同国のバーミアン遺跡の大仏2体がタリバーンによって破壊された際は、その修復に努力した。
私が、アフガニスタンのことを知ったのは、平山画伯の絵によるところが大きい。もちろん、画伯を知る前からそういう名前の国があることは知っていたが、その地理的な詳しい位置と雄大な風景、東西交流に果たした役割、そこにある遺跡の様子、生活する人々の表情……などは、同画伯の絵から多くを学んだ。また、私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである。
3日付の『産経新聞』では、平山画伯のシルクロードの旅に同行したことがある記者が、画伯の人間性を示す話を紹介している。その一部を引用すると--
「旅の間、わずか2、3分の空白ができると、すぐに消えてしまう。心配して捜すと、何のことはない。現地の人をつかまえ、せっせとスケッチブックに筆を走らせているのである。
それほど語学が得意なわけでもないのに不思議だったので聞いてみると、“何となく通じるものです”とあっけらかん。根っから砂漠のあるシルクロードが好きだった。
現地では観光客用の立派なレストランより、地元の人が行く飾り気ない食堂を好んだ。食べたことのない料理を注文し、皿に取ったものはすべて平らげた。同行の若者が腹の具合が悪くなっても、いつも健康だった」
こういう行動ができるのは、「人間」というものを心から信頼している人だけである。また、どんな国の文化に対しても、自国のそれと同等の尊敬をもっている人である。そういう人間である平山郁夫は、実は被爆者である。中学3年のとき、広島で勤労動員の作業中に被爆し、地獄のような惨状を体験した。「そのとき私は生かされたんだ、生かされた人生だからなんとかお返しをしなければ、と思ったのです」と、画伯は後に語っている。戦争での悲惨な体験は、普通は“人間不信”や“人間憎悪”に結びつきやすい。しかし、画伯の場合、それを見事に超越している。私は、画伯の心に確とした宗教心が--それも特定の宗教に縛られない宗教心があったような気がしてならない。
その画伯が亡くなった時に、米軍のアフガン増派が発表された。オバマ氏は、自らをカトリック信者と宣言するが、「フセイン」というイスラームのミドルネームを持ち、子供のころはインドネシアで貧しい人々と生活をともにしている。父親はアフリカのケニア人。高校はハワイの名門を出て、コロンビア大学、ハーバード大学大学院で教育を受けた。アフガンでの戦争は、ブッシュ大統領時代からの“負の遺産”である。その背後には、もちろんあの「9・11」がある。つまり、イスラーム原理主義者のアメリカに対する憎悪と宗教的信念の爆発がこの戦争の引き金となり、9年目になっても収まる気配がない。国家や集団のレベルで一度燃え上がった憎悪は、宗教が絡んでいるほど、宗教自体による収拾が難しいことが分かるのである。
今日、NHK衛星第一(BS-7)で放映されたイギリスのBBCニュースでは、報道記者が今、アフガンで勢力を盛り立てつつあるタリバーンの上級司令官と会見する様子が映し出された。この司令官は、頭から顔、そして胸のあたりまで白い布を巻きつけて覆い、体全体は茶色の毛布のようなもので包み隠して画面に登場した。目には黒い眼鏡をかけていたから、私はあの昔の日本のヒーロー“月光仮面”を思い出したほどだ。その司令官は、こんなことを言った--
「今年は、我々にとって成功続きの年だった。アフガンに米軍が増派されるということは、より多くのアメリカ人が死ぬことだ。我々は、わずかな資源でさらに多くの負傷と死をもたらすことができる」
記者が、タリバーンの攻撃によって米軍だけでなく、一般市民も数多く犠牲になっていることを指摘すると、司令官はこう言った--
「一般市民など殺してない。それをしているのはアメリカ人だ。この国の市民は我々を支持してくれている。彼らの支持がなければ、我々イスラーム運動は拡大しえなかった。私は、外国兵士たちの母親に言いたい。もし子供たちを愛しているならば、自分たちの国の中で国のために尽くさせろ。しかし、我々を侵略して罪のない市民を殺した。その証拠はいくつでも挙げられる」
記者が、どうしたら戦争はやめられるかと訊くと、司令官はこう言った--
「カルザイ(アフガン大統領)は外国兵に出て行ってもらわねばならない。そうすれば、彼と話し合おう。外国兵が国内にいるうちは、話し合うことはできない」
アメリカは「治安維持」の観点から戦争を考えているのに対し、タリバーンは「反侵略・外国軍排除」の立場である。両者の間には信頼関係がまったくない。重要なのは、アフガンの一般市民の大多数がどちらの立場を選ぶかだが、前者を選ぶためには、現在のカルザイ政権を信じる必要がある。が、その政権が大統領選挙で不正を行い、腐敗が蔓延しているというのだから、前途多難である。日本が民生面で何か協力できるとしたら、それは、カルザイ政権が国民の信頼に足りるようになるための支援ぐらいか。それには時間がかかるし、簡単ではない。金を出せばいいというものでは、もちろんないだろう。
谷口 雅宣
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コメント
谷口雅宣先生
私はこのタリバーンの上級司令官と同感です。アメリカはアフガニスタンで一瞬にして一つの村落が消滅するような無差別殺戮をしたと聞いています。マスコミにはそれが浮き上がって来ていないだけだと思います。
9.11が例えオサマ・ビン・ラディンの仕業だとしても、どうして、アフガニスタンという国がアメリカに侵略を受け、その多くの無辜の民が殺されなくてはならなかったのでしょうか?その後のイラク戦争など言語道断ですね。アフガンでもイラクでもあんな所にアメリカが軍隊を展開させている事がそもそも間違いだと思います。
投稿: 堀 浩二 | 2009年12月 3日 23:59
谷口 雅宣 先生
私は、あまり絵画に興味がなかったのですが、雅宣先生の
「(アフガニスタンの)地理的な詳しい位置と雄大な風景、東西交流に果たした役割、そこにある遺跡の様子、生活する人々の表情……などは、同画伯の絵から多くを学んだ。また、私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである」とのお言葉から、絵画に対するイメージが変わりました。
どんな国の文化に対しても自国のそれと同等の尊敬をもって、人種を越えて心から人を信頼している平山画伯のメッセージが絵画をとおして語られる、その深さを知ったからです。また、現在の政治的・宗教的要因で起きた様々な出来事からだけでアフガニスタンを理解するのでなく、長い歴史の流れのなかのアフガニスタンの姿を知る必要性に駆られました。
きっと、長い歴史の流れのなかでのアフガニスタンを知っている平山画伯には、そこに暮らしている人々を無条件に信頼できるのだと思います。それはもちろん、特定の宗教に縛られない宗教心があってこその話だとは思いますが・・・
11月11日、同ブログの「フォートフッドが教えるもの」で、次のようにコメントさせていただきました。
「今後は、アフガニスタンへの軍人の増派によるテロ掃討という手段でなく、また、侵攻してくる対西欧との“聖戦”という手段でもなく、つまり暴力や戦争を正当化するのではなく、“悪はない”という宗教の神髄を踏まえ、世界平和実現のために欧米とイスラム教徒の歩み寄りが大切だと思うのです。世界平和を誓願しているオバマ大統領とって、決断の時は今なのでは!!」と。
その願いは届かず、オバマ大統領は「米兵3万人の増派」を発表されました。オバマ大統領に関する先生の紹介から推察させていただくと、特定の宗教に縛られない多様な民族の文化を理解できる資質が培われていると思えるのですが、アメリカ大統領という立場はその資質をも無碍に失墜させてしまうものなのでしょうか!!
平和を希望していた平山画伯の死と時を同じくして、オバマ大統領による米軍のアフガン増派の発表とは、私には偶然と思えませんでした。 楠本忠正拝
投稿: 楠本忠正 | 2009年12月 5日 18:37
楠本さん、
コメント、ありがとうございます。
>>「……私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである」とのお言葉から、絵画に対するイメージが変わりました。<<
あなたもぜひ、平山画伯の絵を一度、ご覧になってください。小品もいいのですが、あなたの場合、大きな作品がいいかもしれません。
堀さん、
アメリカがイラクやアフガンに軍を派兵している理由は、大統領自身が何回も述べています。あなたはそれが不合理だというお考えですか?
投稿: 谷口 | 2009年12月 7日 11:49
谷口 雅宣 先生
はい!!
今年中に追悼展が執り行われると思いますので、是非、平山画伯の大きな作品をゆっくりと味わって、鑑賞させていただきます。ありがとうございますm(_ _)m 楠本忠正拝
投稿: 楠本忠正 | 2009年12月 7日 18:51
谷口雅宣先生
タリバンがオサマ・ビン・ラディンをかくまっているからという理由で多くの一般国民の犠牲も伴ったであろうアフガニスタンという国全体への攻撃という事が正当化出来るとは思えません。それでタリバンを倒して親米政権を勝手に樹立して、その維持の為に軍隊を派兵していることは矛盾だと思います。
イラクに関しては戦争を起こした時はブッシュ大統領はこれを悪の枢軸と呼び、核兵器製造の疑惑でもって、一方的に攻撃をしかけ、フセインを倒し、こちらも親米政権を樹立しました。でも、核兵器製造の事実は無かった事で事実無根の嫌疑をかけられて多くのイラク人が死んだ訳で、これまたその後の親米政権下の元の治安維持に軍隊を派兵している訳ですが、そもそも戦争自体が間違っていたのですから、その後の治安維持などという事自体も矛盾だと思います。
投稿: 堀 浩二 | 2009年12月 8日 16:26
堀さんに疑問です。
堀さんは自らの正義を論評されていますがタリバン(仏像爆破)やフセインが正しくてアメリカ他連合軍が悪だ!とお考えでしょうか?もし、正しいフセイン、タリバンの一員でしたら堀さんは同じ様に抵抗、自爆テロをされますか?それとも別の方法をとられますか?
投稿: 尾窪勝磨 | 2009年12月 9日 10:52
堀さん、
「9・11があったから、アフガン攻撃、イラク攻撃があった」という事実は否定できないと思います。その際、敵が「アルカイダ」という、国でも民族でもない、アラブ系原理主義的混成部隊であると分かったとき、戦争の歴史は新たな段階へ入ったと思います。その場合、そういう“緩い団体”を国家が取り締まるのがこれまでのケースですが、あの地域は、言わば無法地帯で、パキスタンもアフガンも取り締まれない所でした。加えて、アフガンは反米政権でしたから、誇り高い米国としてはプライドに任せて、力づくで侵攻し、政府を倒して“悪者”を捕縛すればいい、と考えたのでしょう。
その判断が甘かった。しかし、一度軍を送ってしまえば、撤退は敗北を意味すると考えているのかもしれません。アメリカのような大国になれば、大国であるという誇りが、正しい判断を妨げることもあると思います。
投稿: 谷口 | 2009年12月 9日 14:27
谷口雅宣先生
ご教示有り難うございました。
投稿: 堀 浩二 | 2009年12月 9日 16:12
尾窪様
フセイン氏が善だなんて考えていません。クルド族などに対する仕打ち等、聞き及んでいますから。タリバンの余りの偏狭な信仰(偶像崇拝の徹底排除)による歴史的文化財(バーミヤンの石仏)の破壊等もひどい事だと思っています。
自爆テロなんてするわけないです。私は生長の家信徒ですよ。
私がアメリカのやり方を批判したからと言って、それ即ちフセイン氏やタリバンの擁護者でも無いです。私は間違った事は間違った事であると思うだけです。
投稿: 堀 浩二 | 2009年12月 9日 16:18
堀さん、ご返答有難う御座いました、タリバンもフセインも生長の家は全く知らないでしょうから判断の基準にはならないと思います、2001・9・11から2003・3・19日のイラク戦争までにはかなりの時間があります、アメリカは特定の国家によらない核の同時テロに震え上がりアメリカ本土に対する脅威を実感として感じたでしょうし、国民をアメリカを守る為にあらゆる手段を必死に模索したと思います、鬼畜米連合と言うタリバン、フセインに間違いは無かったのでしょうか?タリバン、フセインに国民を守るべき戦争を回避する方法は無かったのでしょうか?
投稿: 尾窪勝磨 | 2009年12月10日 12:13