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2009年12月13日

奈良県に“神風”?

 奈良教区での生長の家講習会は受講者が539人(7.3%)と大幅に増えた。会終了後の同教区の幹部との懇談会では、講習会推進のための活動が成果に結びついたことを「大成功」と評価する声が多く、「神風が吹いた」とまで言う人もいた。が「神風」は少し意味が違うと思う。なぜなら、元寇の時に吹いたとされる神風は、「戦いの一方に、勝ち目がないことが分かっているのに、自然現象が有利に働いて一気に形勢が逆転した」という意味合いで使われると思うからだ。奈良教区の講習会推進運動には、もともと勝ち目がなかったと私は思わない。

 同教区では、以前から「橿原公苑体育館」をメイン会場とし、奈良市内の「なら100年会館」を第二会場とする態勢で講習会を開催してきた。ところが今回は「100年会館」が予約できず、やむをえずに奈良市内では収容人数が少ない「ならまちセンター」を使い、これに加えて「王寺町地域交流センター」を押さえて、合計3会場で開催した。私はこのことで、各会場近くの信徒の方々の運動によい影響があったのではないかと考える。また、交通の便を考えると、王寺町は、近鉄に加えてJRの関西本線の駅があるうえ、人口が多い大阪市に近接している。そういう「集まりやすい」要素が今回は働いたのではないだろうか。
 
 もちろん、葛原敏雄・教化部長をはじめとした同教区幹部の方々が、これまで以上に熱心な推進活動を展開してくださったことが、大きな原因であることは言うまでもない。同教区からの報告によると、ここでは地域の活性化と小規模単層伝達を進める目的で、昨年度から地区総連単位での勉強会や、ミニ講演会を行い、今年の10月以降は、白鳩会の22総連へ葛原教化部長と橋本久美子・教区連合会長が共に出向いていって、祝福訪問を実践したという。これらを含め、相愛会、青年会等の多くの幹部・信徒の方々の愛念が結実した。奈良教区の皆さんには、今年開催の講習会の最後を飾る、すばらしい結果を出していただいたことに心から感謝申し上げます。

 ところで奈良県では、来年が「平城遷都1300年」に当たるというので、記念イベントをいろいろ考えているらしい。講習会前日の夕方、橿原地方は雨になったので、私たちは付近の散策を取りやめた。その代りに、宿舎となったホテルのロビーを散策して気づいたのは、見慣れないマスコット人形がいろいろの所に据えられていたことだ。これが、この記念イベント用に考案されたキャラクターで、「せんとくん」と「なーむくん」(=写真)の2つだった。あとで調べてみると、これに加えて「まんとくん」というもう1つのキャラクターもあるそうだが、これらの選定に関しては、地元ではひと悶着あったらしい。詳しくは、ウィキペディアの「平城遷都1300年記念事業」の項に解説がある。が、私はそういうゴタゴタをまったく関知せずに、ひと目見て「せんとくん」よりも「なーむくん」がいいと思った。そこで、写真を撮った後に絵封筒に描いたのである。

Chinadoll  私は、「なーむくん」はてっきり女の子だと思った。が、そうではなく、名前は「南無」に由来し、聖徳太子の少年時代の姿をモチーフとして描いたという。「なーむくん」の魅力は、くったくのない笑顔だが、その眉と目は十七条憲法にちなむ漢数字の「一七」で表現されているのだそうだ。ところが、これまたウィキペディアによると、聖徳太子が活躍した時代は平城遷都より100年も前で、太子が拠点とした場所も、平城京が置かれた現在の奈良市近辺の地域との関連も深くないという。まあ、そんなことにいちいち目くじらを立てなくてもいいのかもしれないが、1つの大きなイベントを実行するには、多くの人の意見を集約しなければならない。その難しさが、ここにも表れている。横浜の開港記念150周年記念行事でも、事前の読みと実際の評判との差が明らかだった。「平城遷都1300年」のイベントは、自民党政権時代に決定し、実行委員会の主要メンバーも同党に関係の深い人が多く、支援団体も日本経団連などの自民党寄りの団体が目立つ。今後どうなるか、やや不安が残る。
 
 谷口 雅宣

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