“核テロリズム”の危険
今日の『産経新聞』は、アメリカの核戦略の主目的がテロリストへの核拡散阻止になる、と伝えた。19日付の『ニューヨーク・タイムズ』の報道として、同紙のワシントン特派員が送ってきた記事のようだ。もしこれが事実であれば、冷戦開始後、永く続いてきた同国の核戦略が一変することになる。ロシアや中国という大国の核兵器に備えた核戦略から、国家ではない、テロリスト集団から国を守る戦略への転換である、と私は思った。しかし、他紙がこれを伝えていないようなので、念のため『ニューヨーク・タイムズ』の元の記事をサイトで読んだ。すると、多少、ニュアンスが違った。簡単に言えば、アメリカの“核テロリスト”への備えは、今後はロシアや中国に対する核戦略に「取って代わる」のではなく、それらに「加えて重要になる」ということらしい。
『タイムズ』の記事によると、この戦略変更は、来年初めにまとめられるホワイトハウスの非公開文書「核体制の見直し」(Nuclear Posture Review)に盛り込まれる予定で、連邦政府の全部門に対して、“核テロリスト”(nuclear-armed terrorists)への対策に焦点を当てることを命じるものという。この“核テロリスト”とは、初歩的な核爆弾、あるいは盗んだ核弾頭、また他国から流された核物質のいずれかをもつものを指し、アメリカはこれらに対する備えを、従来の核保有国に対する戦略的抑止と同等に重視することになるらしい。具体的には、この戦略変更により、核兵器の運搬手段である爆撃機やミサイル、原子力潜水艦の近代化の問題と、テロ対策に使われる偵察機や偵察衛星、諜報員の教育や活動の問題が同等に扱われることになる、と同紙は解説している。
アメリカのこの動きについては、本欄はすでに2年前から「核の自爆攻撃をどう防ぐか?」の問題で扱い、今年の9月には「米の東欧へのMD配備中止」の問題と関連させて書いてきた。これらの“水面下”の動きが、まもなくアメリカの正式戦略として認知されることになるのだろう。ただし、この非公開文書の最終版はまだできておらず、したがって大統領の承認を得ていないという。
こういう変化の背景にあるのは、9・11以降、明らかになってきた核兵器や核物質、核技術の移転の危険性の増大である。今回の方針が伝統的な核戦略と大きく違うのは、核抑止の相手が国家ではなく、数人のテロリストであったり、国家をまたいだテロ集団であったりする点だ。その場合、「核攻撃に対しては、圧倒的な報復核攻撃がある」と脅すことで、相手の核攻撃を抑止する従来の方法は、うまく機能しない。なぜなら、宗教的信念をもったテロリストは死や破壊を恐れず、また、彼らに対しては“一人の死”も“圧倒的な死”もあまり変わらないからだ。また、国際テロ集団に対しても、“圧倒的な報復”を行うことは(責任がない国家を攻撃することになるから)事実上不可能だ。つまり、核による抑止は“核テロリスト”には機能しない。その代りの対策としては、核拡散を防ぐことでテロリストが核物質や核爆弾を入手できる機会を減らし、核を使う可能性のあるテロ・ネットワークを特定して事前に攻撃する一方、友好国と協力して安全管理を万全にすることが必要だ。このためには、世界中で軍事施設のみならず、原子力発電所などの民間の核関連施設で核物質の管理を強化し、諜報活動を緻密化しなければならない。
ブッシュ政権下でも、核テロリストの問題は検討されていた。が、当時は、核兵器だけでなく生物化学兵器などの大量破壊兵器をイラクやイラン、北朝鮮、シリア、リビアなどがもった場合、それを地下格納庫ごと破壊するための新型の核兵器が検討されていた。今回のオバマ政権下の「見直し」では、上述の“核テロリズム”の危険を重視するだけでなく、同盟国を守るための“拡大抑止”(extended deterrance)の強化を図る一方で、中・長期的には核兵器の数量を減らしていくという難しい方策を遂行していく考えのようだ。
このようなアメリカの戦略変更は、日本に対しては一見、影響が少ないように見える。が、私は必ずしもそう思わない。例えば現在、タイ政府がバンコクの空港で拘束している北朝鮮から来た貨物機は、北朝鮮製と見られる携行ミサイル、地対空ミサイルの部品などを積んでいた。21日付の『日本経済新聞』夕刊によると、この貨物機の最終目的地はイランのテヘランだったという。イランは現在、核開発の問題で国際社会と対立しており、また、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラーム原理主義組織・ハマスとの関係も近い。北朝鮮による武器輸出は、6月の国連安保理の決議違反だ。仮にこの貨物機が日本の空港に来ていた場合、日本と北朝鮮の関係は悪化するだろう。そのとき、万が一の確率だろうが、日本の安全を保障してくれるのがアメリカの“拡大抑止”である。北朝鮮は国家であるから“自爆攻撃”はしないだろうが、ミサイルを飛ばしたり核実験を再開したり、拉致問題を反故にするくらいのことはするかもしれない。また、日本国内に中東からテロリストが潜伏して核物質の奪取を計画していた場合、「事前に攻撃する」というアメリカの戦略に、同盟国の日本がどれだけ協力するかしないかで、日米関係に大きな変化が起るかもしれない。
“核テロリズム”というのは、起ってはならないことだ。今回のアメリカの戦略変更は、しかし軍事や安全保障面にだけ焦点を当てている。私は、“対話”を重視しているオバマ政権なのだから、テロリストを作ったあとで行動を抑止するのではなく、テロリストを生み出さない環境を実現する方向へ、早く踏み出してほしいのである。
谷口 雅宣
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