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2009年12月30日

2009年を振り返って

 今年がもう終ろうとしている。年を経るたびに時間が過ぎるのが速まるとよく言われるが、本当にそう感じる。この年は、特に多くの変化があった。昨年の10月終りごろに前生長の家総裁、谷口清超先生が昇天されたことに始まり、私の身辺で大きな変化があっただけでなく、世界的にも超大国アメリカで共和党から民主党への政権交替があり、それを追うようにして、わが国では自民党の長期政権が倒れた。この変化に併行して、経済危機の打撃から立ち直れない先進国を横目に、中国やインドなどの新興国の台頭がはっきりしてきた。世界情勢は、アメリカの一極支配から多極化の時代へと移行しつつある。その中で歩き始めた日本の民主党政権は、発足時のスタートは好調に見えたが、政権内部の不統一などによって、外交的には最重要の日米関係でつまずいている。そのアメリカも、中東での2つの戦争に手足を縛られ、“テロとの戦争”を終らせたくても終らせられない状態だ。国際政治は、来年はもっと変化するかもしれない。
 
 今世紀最大の課題といわれる地球温暖化への対応は、先日の“コペンハーゲン合意”だけで終ってしまった。しかも、法的義務をともなう合意には至らなかった。日本とEUは温暖化ガス削減の野心的目標を掲げることで、世界の主導権を握ろうとしたが、中国を初めとした途上国側を牽引することに失敗した。アメリカも低い中期目標しか設定できなかった。来年のCOP16に期待をつなぐほかないが、世界の客観条件はさほど変わるとは思えないので、“画期的合意”ではなく“漸進的合意”を予想するのが現実的だろう。こうした結果は、民主主義制度の構造的問題に原因がある。民主主義は、同一世代内での問題解決には有効な結果を多くもたらすが、地球環境や生命倫理問題などのように、次世代が直面する問題を解決しようとする場合、うまく機能しない。なぜなら、「次世代」の代表が発言し、権利を行使することができないからだ。現世代の人間が、次世代のために自らを“犠牲”にしたり、自らの利益を次世代に“譲る”という明確な意識が生まれなければならないのだ。
 
 生長の家は、そういう意識を育てることが宗教運動の1つの重要な役割だと考える。子のために自ら苦労を惜しまない「親の愛」は、もともとそういうものである。それを拡大することで、自分よりも他を先に救う「菩薩」という考え方が生まれた。民主主義には、だから“菩薩の精神”が必要である。物質主義のみでは、気候変動の悪化を防ぐことはできないのである。
 
 生長の家の運動では、3月に私が総裁を襲任させていただいた。多くの幹部・信徒の皆さんが、生長の家講習会の推進を含む様々な形で祝意を表してくださったことが、私にとって絶大な励みとなったことは言うまでもない。感謝しきりである。温暖化ガスの排出削減の観点から、我々の運動も変化しつつある。運動組織の「全国大会」は、文字通り全国から大勢の人々を一カ所に集めて開く方式を変え、「全国幹部研鑽会」として“幹部”のみが集まり、分散して数カ所で行う方式などが採用されている。長崎県西海市にある生長の家総本山では、施設内のCO2排出削減を進めるとともに、団体参拝練成会で全国から集まる幹部・信徒が、自ら“炭素ゼロ旅行”を採用してくださった結果、境内の豊かな森林による吸収分を含めると、年間のCO2排出量はほとんどゼロになった。来年はきっと“炭素ゼロ”が実現するだろう。東京の本部会館や京都府の宇治別格本山などの主要施設から出るCO2は、国連のCDMの認証を得た排出権の購入によって、また、私が行う生長の家講習会でのCO2はグリーン電力の採用によって、すでに“炭素ゼロ”が実現している。
 
 これらに加えて、温暖化ガス削減の努力は「出版物」の分野にも及んでいる。生長の家は長らく、廉価な月刊誌を大量に配布する方式で伝道活動を推進してきた。しかし、これでは森林伐採による温暖化ガスの排出を増進することにもなる。そこで今年は、月刊の機関紙『聖使命』、また普及誌(4種)と機関誌(3種)の編集内容が抜本的に見直され、『聖使命』紙はブランケット版からタブロイド版に版型が縮小され、実質的な減ページを行った。また、来年4月号から普及誌は3種になり、機関誌は1誌に統合されるなど、大幅な用紙削減が決まっている。さらに、これら誌紙が伝える情報量が減る分を補うために、インターネットを使った情報伝達が計画されていて、すでに「ポスティングジョイ」という生長の家のSNSが稼働しはじめただけでなく、そのサイトの内容が普及誌の記事と連動することも決まっている。

 今夏、ブラジルのサンパウロ市で行われた「世界平和のための生長の家国際教修会」も、そのテーマを「自然と人間との共生・共存」として、世界各地の伝統的宗教の自然観を学び、そこから人類が今後、自然と共存するための知恵を得ることに焦点をしぼった。日本文化が自然との一体感を重視することはよく知られているが、ユダヤ=キリスト教やイスラームの教えの中などにも自然を重んじるものが多く含まれていることが、これによって海外の幹部・信徒にも理解されたに違いない。私はこの場において、地球温暖化抑制に向けた宗教間の合意の形成と恊働とを訴えたのだった。
 
 来る年には、生長の家の国際本部が“森の中のオフィス”に移転するための、具体的準備がいよいよ始まる。読者の皆さんにはぜひ、ご理解とご支援をお願い申し上げます。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月28日

古い記録 (13)

 私は大学時代、生長の家の月刊誌『理想世界』に不定期で文を寄稿していただけでなく、「轍の会」という文学サークルを作って同人誌を発行していた。このことは、今年1月19日の本欄で少し触れた。今回は、そこで何を書いていたかを語ろう。簡単に言えば、『理想世界』誌に書くものは生長の家の教えや運動といくらかでも関係していたのに比べ、『轍』に書いた文章は、少なくとも表面的には「まったく無関係」と言っていい。ただし、これは「宗教の教え」というものを狭く解釈した場合のことである。宗教とは、神仏の教えを学んだり実践したり、それを人々に伝えるための営みだと単純に考えれば、芸術や恋愛は宗教とは分けて考えられる。しかし、宗教を人間の心の深奥にある、崇高なるものへの探究だと考えると、芸術や恋愛も含めた人生全般が宗教と関係してくるだろう。そして、当時の私の興味は、前者から離れて後者へと引き寄せられていたのである。それは、20歳前後の若者の心境としては、むしろ自然のことだと思う。
 
 同人誌『轍』の創刊は、1971(昭和46)年の12月である。そこに書かれた“創刊の辞”には、こうある--
 
「日々、時々、瞬々、我々の心を擦過していく思い、感情、思想のごときものは、それを捕獲しなければ忽ち逃げ去ってしまう蝶のようなものである。我々がそれを原稿用紙の上にとらえ、韻文なり散文なりの形に表現したとき、初めてそれは自分のものと意識され、我々はより明確に我々自身を知ることができる。それが見せるに価しないものであろうとも、我々はかまわない。周囲に色目を使っているうちに、気がついてみると、何もしていない自分を見出すことをこそ我々は恐れる。

 青春の日々は短く、淡く、朧である。我々は今すぐ一台の馬車に乗って出発しなければならない。その車輪は、ある時は晴天の大道を行き、或る時はぬかるんだ山道を喘ぎながら登り、あるときは吹雪の平原を悲鳴をあげて進む。人はそれを笑うかもしれない。しかし我々にできるのは精一杯進むことしかない。その車輪のあとに轍が残る。同人誌『轍』は、そのような我々の青春の足跡である。」
 
 前回の本欄で、私は「ものを見る」ときの2つの見方について、この頃の私が気づいていたことを書いた。『轍』創刊号は、それを書いた『理想世界』誌の記事より1年前に出たものだが、私はここに「薔薇」という題の文章を載せ、赤いバラの一輪を見つめることから生じる様々なイメージの連鎖を描いている。ものの見方を「感覚優先」と「意味優先」に分けるとしたら、この文章は、当時の私が前者を実践した実例として読むことができるだろう。また、「薔薇」を使った一種の“ロールシャッハ・テスト”としてこの文章を読めば、若い私の心に隠された様々な情念を感じ取ることもできるかもしれない。
 
 薔薇

 薔薇が開いていく。
 その長い時間の
 連鎖の中で
 薔薇が開いていく。
 
 天鵞絨(ビロード)の繊細な綿毛。
 朝の光輝の浸透に
 はじらいながら
 静かに開く
 その限りない寛容。
 
 十重 二十重の
 柔らな囲いの奥
 未だ大気の触れぬ
 闇の中
 蜜の池
 その甘美。
 
 朝の太陽の光の中で、私は薔薇を見つめていた。一輪の大きな紅い薔薇。
 「薔薇が咲いた」という瞬間を、私は感じていた。しかし、薔薇はまだ咲いてはいなかった。広い花弁の真赤な絨毯の綿毛の下に、もっと赤い毛細血管がほの見える。そのもとをたどれば、花弁一枚一枚を動かしている真赤な生命に行きつくだろう。重なり合った花弁のやさしい囲いの中には、何か大切なものが隠されているに違いない。
 
 ある光り輝く秋の朝、その宝は一度だけ、この世のものと現われる。しかし、それを見たものは少ない。それは現われたとたんに消える。この世の邪悪な大気が、その存在を許さないからだ。
 
 光と陰に限りなく恵まれた一輪の大きな薔薇は、こうしている間にもなお、その花弁を拡げていた。しかし、まだ咲いてはいなかった。甘美な香気は、久しい以前から私に感じられていた。既に赤い蕾の時代から……
 
 薔薇はたしかに動いている。太陽の仮借なきまでの侵蝕を受けて、薔薇は酔いしいれている。もう、一瞬前の薔薇は存在しなかった。私は薔薇を救ってやりたい。花弁の奥の闇が、光によって次第に侵されていく。あの柔らなひだの奥、小さく佇む赤子の合掌のようなつぼみ。薄い黄色の線が、まだ開かぬ花弁の真中を走っている。あれが最後の蕾だろうか。その尖った先は、もう既にゆるみ、その黒い影の中には…… 私は、その時が来ることを感じた。もうすぐ、今すぐに…… その蕾のかよわい血管が、光の中で苦しんでいる。もがいている。戦っている。
 
 動いた。
 
 確かに、その蕾の中で何かが動いた。かそかなその音は、香気に酔って眠気を催していた私を驚かせた。忍耐の限界を越した光の攻撃は、ついに最後の蕾を、内部からこわそうとしている。箍(たが)がはじけたのだ。蕾はもう蕾ではない。中での戦いは終ったのだ。
 
 真赤な光の中に、おしべの先が垣間見えた。蛹から出たばかりの昆虫のハネのような赤いひだ。つややかな、水気さえ感じさせるその肌。薔薇は咲いてしまったのだ。
 
 薔薇が咲いた
 薔薇が咲いた
 薔薇が咲いた。
 
 私は小さな虫になって、その灼熱の夕焼の平原を走る。大地は砂でなく、土でなく、石でもない。繊毛の絨毯が地の果てまで続いている。息づまるまでの香気、熱気、そしてまっかな霧。私は息をきらせ、苦しい行手に、真赤な大いなる塔を見る。その塔は先が天を指し、底は丸く球形に拡がり、赤い地面の上に静かにとどまっている。私は走る。その塔にむかって。塔は私の接近とともに、静かに揺らぎ、膨張をはじめる。私はその危険な震動を止めねばならない。私は走る。息のつづくかぎり……
 
 私は塔を救うことができたと思った。しかし、塔の肌に手を触れようとしたせつな、塔の内部に小さな音を聞いた。不吉な、しかし甘美な囁きだった。私はそのとき、塔の崩壊を知ったのだった。
 
 薔薇は咲いた
 薔薇は咲いた
 薔薇は咲いた。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年12月27日

古い記録 (12)

 本シリーズの前回でも触れたが、私は青山学院大学に在学していた頃、『理想世界』誌に不定期で文章を寄せていた。正確に何回書いたかは定かでないが、現在、私の手元に残っているのは、昭和47(1972)年からの2年間に書いた6本のエッセイである。これらを今読み返してみると、何でこんなに七面倒くさい表現をするのかと辟易した気持になる一方で、私の現在の考えと共通するもの、あるいは現在の考えの“芽生え”のようなものが見出されて興味深い。人間の思想にはある程度一貫性があるのだから、これは当り前のことかもしれない。が、“芽生え”はあっても、当時の私は何か“壁”に突き当たっていたようで、生長の家の“教え”とピッタリとつながっていない印象もある。自分で努力して考えているのは分かるが、考えている方向に迷いがあるのか、あるいは五里霧中なのか、35年以上たった今の自分としては、「もっとこう考えればいいのに……」と助言したくなるのである。
 
 それらのエッセイの中に、「闘争の観点」というのがある。これは前掲誌の1972年12月号に掲載されているもので、人間の心に「争い」や「不信」が起こる原因について考え、それは客観的な条件によるよりは、互いの「ものの見方」によるとし、人間社会に闘争状態が起こらないためには、どのようなものの見方が必要であるかについて結論を出そうとしている。文章の最後で、『生命の實相』倫理篇から引用しているが、それがいかにも取って付けたような印象を与えている。だから、自分でしっかり納得した引用とは思えないのである。また、文章の中には「ホッブス」とか「自然法」とか「実定法上の権利概念」などという言葉が出てくるから、当時、大学で学んでいた政治学や法学のテーマと、生長の家の教えとの接点を見つけ出そうとしていたことが窺える。これは、必ずしもうまくいっていない。短いエッセーだから、仕方がないかもしれない。
 
 このエッセイの中に見出される“現在の考えの芽生え”とは、人間の「ものの見方」には、対象の意味をとらえる見方と、見たままをとらえる仕方があるという点だ。私が『日時計主義とは何か?』などで述べている「意味優先」対「感覚優先」のものの見方の“萌芽”がそこにある。ただし、このような二分法で対照させるには至っておらず、また、それを言うのに評論家の小林秀雄氏の言葉に頼っているきらいがある。とすると、現在の私の考え方には、小林氏の影響があるということかもしれない。以下に引用する文章から、読者にはそれが分かると思う。
 
「我々をとり囲む世界を見てみると、このような人間的意味(人間にとって手段に供しうる)で埋め尽されている。朝起きて眺める鏡も、水道の蛇口も、石鹸も、背広、靴、自動車、吊革、歩道、ビル、階段……これらすべては自然から造り出された人間の道具ないしは道具の延長である。

 我々は自分の肉体以外は無一物の状態でこの世に生まれる。そして乳児が母親の乳房を独占して喜ぶように、我々は着々と自分の外部からものを得て成長する。と言うよりは成長するにあたってものを獲得するのである。それらのものは自己の手段、道具であるから、用途に供しえなくなったもの、役に立たなくなったものは捨てられる。
 
 つまり我々はものを道具として、自己の手段として見ているわけである。(中略)我々のこうしたものを見る態度は、恐らく日常生活の必要から生まれたものであろうが、それは何か味気のない、乾いた感じがする。自己の道具、手段としてものを見るということは、裏を返せば用途に供しえないもの、自己の利益にならないものは無視するという態度に外ならない。環境を構成する一つ一つのものと契約関係を結び、自分の与えた分だけは必ず相手から取り戻そう、相手と関係を結ぶのは自己にとって利益となる場合に限るという態度。之は何も道具として人間が造り出したもののみにあてはまる事ではない。
 
 小林秀雄は「美を求める心」の中で菫の花を例にとって、我々のものの見方に疑問を投げかける--
 
「例へば、諸君が野原を歩いてゐて一輪の美しい花の咲いてゐるのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、とおもつた瞬間に諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでせう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花といふ言葉が諸君の心のうちに這入つて来れば、諸君は、もう眼を閉ぢるのです」

 これは恐ろしいことだ。我々は自然物に対してすら、名前によってしかそれを見ず、そのものの本質的なものを見ようとしないのだ。これはある種の不遜な態度であり、毎年春になると桜の木の下に空瓶や芥が山をなし、夏には海山が空カンや紙屑や西瓜の皮で溢れる現象と無関係ではあるまい。つまり我々は、愛すべき自然さえ自己の享楽の手段として汚して顧みないのだ。だから公害問題を企業の悪意ある怠慢として攻撃しても何にもならない。公害は我々がガムや煙草を道端に捨てるように、少々傷んだ衣服を捨てるように、最新型の自動車に飛びつくように、毎日何とはなしにやっている事を組織化し機械化した結果なのだ。
 
 問題の核心はどうも我々一人一人の“ものの見方”にあるように思える。それは自己の外側にあるもの全てを自己の利害打算の眼鏡を通して見、それに叶ったものを自己の手段として利用できるだけ利用する、という態度の由来するものであろう。」(引用終り)

 谷口 雅宣

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2009年12月26日

ブラジルからの便り

 今夏、生長の家の講演会のために行ったブラジルのベレンから、クリスマスと新年を祝う便りが届いた。当地の教化支部長をしている清水柾壱氏と幸子夫人からのもので、写真が数枚同封されている。読んでみると、夏に私が植樹したイッペーの木が現地の信徒さんらの愛念によって、予想外の成長を示しているというのだ。ここに写真の1枚を掲示し、さらにお手紙から引用させていただこう--
 
Ippeberemm 「今日は総裁先生がアマゾニア練成道場にイッペーの木を記念植樹してくださった日から、4カ月と5日が過ぎた2009年の12月8日です。アマゾンは7月から12月の間は乾燥期で雨はほとんど降りません。それなのにイッペーの木は、同封致しました写真のように、2米(メートル)以上ものびました。普通でしたら20センチものびれば良い方でしょう。所が総裁先生が植えて下さった木という事で、多くの信徒の皆さんの愛念がこの木にそそがれ、肥料を与えて下さったり水を又祈りまでささげて下さったりで、木は奇跡的な成長をとげております。この成長ぶりを見て、愛の力の偉大さをつくづく痛感致し、この木から多くを学ばせていただいた一日でした。このイッペーの木の成長ぶりがパラ州の光明化運動の発展は愛の力でと教えてくれ、祝福してくれている気がして感謝、感激致して居ります」。

Angel004  写真の白い木枠に囲まれた木が、私が8月3日に植えた幼木であるというのである。その植樹の時の写真も掲げるので、見比べてほしい。アマゾンの木の成長の速さに驚かされる。もちろん、清水さんの手紙にあるように、ベレンの信徒の皆さんが“愛念”を込めてくださったおかげである。イッペーの木は通常、8年ぐらいで花を咲かせるらしいが、清水さんによると、この成長ぶりだと5~6年で開花するかもしれないという。私はこの手紙を読んでいる時、植樹をしながら全身に感じていたアマゾンの太陽の威力を、思い出した。植樹する私を眺めている人々は傘を差しているが、これは雨が降っているからではなく、太陽光線がキツイからだ。写真には写っていないが、私も頭の上方にビーチパラソルのような大型の傘を差しかけてもらっているが、それでも太陽からの熱は全身でヒリヒリと感じられた。

 私は、11月15日の本欄で森の大切さについて書いたとき、「現在、森林伐採によって排出されるCO2の量は、世界の全交通機関と運搬手段から排出される量よりも多い」と述べた。そして、北海道、四国、九州を足した広さ(約13万2000平方km)に近い森林が毎年、地球上から失われていることも指摘した。だから、地球温暖化抑制の具体的手段として、植林をしたり、森林を育てることはとても効果的なのだ。そこで生長の家では、日本でも有志が植林活動を各地で展開し始めている。これはまだ大きな動きになっていないが、来年度からは、ブラジルの地に植林をするための募金活動などが検討されている。つまり、生長の家の信徒が最も多いブラジルと日本が協力して、日本国内の生長の家の活動で排出されるCO2を、ブラジルの植林によって吸収するような直接的な“炭素ゼロ”化である。これによって、両国の運動がさらに緊密に連携し、人類のみならず、地球生命の繁栄にも貢献しうるような道筋が切り拓ければいい。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月24日

QRコードで送ります

Twit_001  読者は、「QRコード」というのをご存じだろうか。本欄のサイドバーの最下段にも入っているが、正方形の枠の中に入った白黒の模様である。これを「2次元バーコード」というらしい。それを携帯電話に付属するカメラで写し込むと、例えば、私のサイトのURL「http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/」というような文字情報が、自動的に読み込める。文字の1つ1つを親指を使って入力しなくてもすむから、大変便利なのだ。このQRコードを使えば、アルファベットだけでなく、日本語の短文も同じ方法で携帯電話に入力できるという。私はケータイを持っていないので、実際にやったことがないのが残念だが、持っている人に聞くとそういうことらしい。
Twit_002  
 生長の家が運営しているSNSサイト「ポスティングジョイ」やメールなどを通して、多くの方が私の誕生日を祝ってくれた。この場を借りて、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。ここに、私の感謝の気持を4つのQRコードに埋め込めてお送りします。お持ちのケータイで私のメッセージがTwit_003読み取れた方は、コメント欄にその内容を書き込んでいただけるとありがたい。こんな画像で本当にメッセージが送れるのかどうか、 私は不思議で仕方がないのである。
 
 谷口 雅宣

Twit_004

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2009年12月22日

古い記録 (11)

 前回、この題で書いたとき、当時19歳になっていた私が“二重の生き方”をしていることを認め、それを問題にしている発言を紹介した。その頃の私の表現では、「生長の家の生活・運動と僕自身の生活と二刀流で生きている」と、少し文学的かつ抽象的だが、平たく言ってしまえば「教えの通りには生きていない」ということだろう。この発言は一見、日本の青年会員に対して向けているようであるが、よく読むと自分自身のことなのである。それに比べて、初めての海外旅行で見聞したブラジルの青年会員に対しては「見事に一本になっている」と称賛している。

 この評価は、しかし当時の私の正直な感想であったとしても、事実に即していたかどうかは大いに疑問がある。第一、私のブラジル旅行は「2カ月」にすぎない。この短期間に、現地の青年が信仰と生活とを「見事に一本にしている」かどうかというような心の深部の動きを知ることは、18歳の青年には無理だろう。私は滞伯中に、個人的に親しい関係になったブラジル人が特にいたわけではないのである。だから、まるでブラジルの生長の家の青年全員が、信仰と生活とを矛盾なく共存させていたと断じるのは、いかにも過大な評価であり、ナイーブだと言わねばならない。しかし、この理想化がなぜ起こるのかを考えてみることで、当時の私の心境を推し量ることはできるかもしれない。
 
 その推測のカギとなるのが、鼎談の中で「見事に一本になっている」という称賛をした後に、私が発する言葉である。私はそこで「そういうところから、(運動への)本当の情熱が湧いて来ている」と言っているのだ。つまり、「信仰と生活の一体化」(A)が行われると、「本当の情熱」(B)が出てくるという因果関係(A→B)を考えたのである。しかし、当時の私の思考過程は、その逆の「B→A」であったと私は考える。つまり、ブラジルの青年に「本当の情熱」(B)を感じ感動した私は、その原因を考えたすえに、「信仰と生活が一体化しているからだ」(A)という結論を出したのではないか。私はこの結論がまったく間違っているとは思わないが、別の原因もあると考える。それは「文化の違い」である。ブラジルに行ったことがある人はご存じだが、ブラジル人の陽気さと情熱的な表現は、日本人にはマネができない天賦のものである。海外へ出ることが始めてだった私は、そういう人々が1万人も集まった大会に出席し、あるいは熱烈な歓迎を受けたり、巻舌の力強いポルトガル語で体験談を聞いたりした際にカルチャーショックを受けなかったと言えば、きっとウソになる。当時の私は、これこそが「本当の情熱」だと思い、それが出てくる原因の一端が「文化や民族性」によるとは思わず、何か別の信仰上の違い--例えば、信仰の純粋さの違い--だと考えたのではないか。

 私は今、「信仰と生活の一体化は重要でない」と言おうとしているのではない。そうではなく、ブラジルについてほとんど無知だった私が、自分の経験したカルチャーショックを説明するために、なぜ「信仰と生活の一体化」などという考えを出してきたかに注目しているのである。「信仰と生活の一致」は、宗教を信じる者にとって大変重要な問題である。が、この問題の解決は人間が一生をかけて行うものであり、20歳前後の青年が簡単に“解”を見出せるようなものではない。にもかかわらず、若い私は、ブラジル人青年の多くがこれを解決しているかのごとく考えている。この不自然さの背後には、当時の私の心の問題が投影されていると考えるのである。つまり、私自身が「信仰と生活の一体化」について考えをめぐらせていたからである。そして、生長の家の運動をしていても「本当の情熱が湧いて来ない」と悩んでいた。その悩みを言わば“裏返し”にして、ブラジルの青年を称賛しているのである。
 
 ここで取り上げた鼎談が『理想世界』誌の昭和46(1971)年5月号に載っていることは、すでに述べた。その1年後の同誌5月号から、私は2年間に6本のエッセイを同誌に寄せている。そのほか学内に同人誌グループを作り、そこで文章を発表していたことも、すでに書いた。それらの文章を読むと、大学在学中の私の“悩み”の内容が透けて見えてくるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月21日

“核テロリズム”の危険

 今日の『産経新聞』は、アメリカの核戦略の主目的がテロリストへの核拡散阻止になる、と伝えた。19日付の『ニューヨーク・タイムズ』の報道として、同紙のワシントン特派員が送ってきた記事のようだ。もしこれが事実であれば、冷戦開始後、永く続いてきた同国の核戦略が一変することになる。ロシアや中国という大国の核兵器に備えた核戦略から、国家ではない、テロリスト集団から国を守る戦略への転換である、と私は思った。しかし、他紙がこれを伝えていないようなので、念のため『ニューヨーク・タイムズ』の元の記事をサイトで読んだ。すると、多少、ニュアンスが違った。簡単に言えば、アメリカの“核テロリスト”への備えは、今後はロシアや中国に対する核戦略に「取って代わる」のではなく、それらに「加えて重要になる」ということらしい。

 『タイムズ』の記事によると、この戦略変更は、来年初めにまとめられるホワイトハウスの非公開文書「核体制の見直し」(Nuclear Posture Review)に盛り込まれる予定で、連邦政府の全部門に対して、“核テロリスト”(nuclear-armed terrorists)への対策に焦点を当てることを命じるものという。この“核テロリスト”とは、初歩的な核爆弾、あるいは盗んだ核弾頭、また他国から流された核物質のいずれかをもつものを指し、アメリカはこれらに対する備えを、従来の核保有国に対する戦略的抑止と同等に重視することになるらしい。具体的には、この戦略変更により、核兵器の運搬手段である爆撃機やミサイル、原子力潜水艦の近代化の問題と、テロ対策に使われる偵察機や偵察衛星、諜報員の教育や活動の問題が同等に扱われることになる、と同紙は解説している。
 
 アメリカのこの動きについては、本欄はすでに2年前から「核の自爆攻撃をどう防ぐか?」の問題で扱い、今年の9月には「米の東欧へのMD配備中止」の問題と関連させて書いてきた。これらの“水面下”の動きが、まもなくアメリカの正式戦略として認知されることになるのだろう。ただし、この非公開文書の最終版はまだできておらず、したがって大統領の承認を得ていないという。
 
 こういう変化の背景にあるのは、9・11以降、明らかになってきた核兵器や核物質、核技術の移転の危険性の増大である。今回の方針が伝統的な核戦略と大きく違うのは、核抑止の相手が国家ではなく、数人のテロリストであったり、国家をまたいだテロ集団であったりする点だ。その場合、「核攻撃に対しては、圧倒的な報復核攻撃がある」と脅すことで、相手の核攻撃を抑止する従来の方法は、うまく機能しない。なぜなら、宗教的信念をもったテロリストは死や破壊を恐れず、また、彼らに対しては“一人の死”も“圧倒的な死”もあまり変わらないからだ。また、国際テロ集団に対しても、“圧倒的な報復”を行うことは(責任がない国家を攻撃することになるから)事実上不可能だ。つまり、核による抑止は“核テロリスト”には機能しない。その代りの対策としては、核拡散を防ぐことでテロリストが核物質や核爆弾を入手できる機会を減らし、核を使う可能性のあるテロ・ネットワークを特定して事前に攻撃する一方、友好国と協力して安全管理を万全にすることが必要だ。このためには、世界中で軍事施設のみならず、原子力発電所などの民間の核関連施設で核物質の管理を強化し、諜報活動を緻密化しなければならない。
 
 ブッシュ政権下でも、核テロリストの問題は検討されていた。が、当時は、核兵器だけでなく生物化学兵器などの大量破壊兵器をイラクやイラン、北朝鮮、シリア、リビアなどがもった場合、それを地下格納庫ごと破壊するための新型の核兵器が検討されていた。今回のオバマ政権下の「見直し」では、上述の“核テロリズム”の危険を重視するだけでなく、同盟国を守るための“拡大抑止”(extended deterrance)の強化を図る一方で、中・長期的には核兵器の数量を減らしていくという難しい方策を遂行していく考えのようだ。

 このようなアメリカの戦略変更は、日本に対しては一見、影響が少ないように見える。が、私は必ずしもそう思わない。例えば現在、タイ政府がバンコクの空港で拘束している北朝鮮から来た貨物機は、北朝鮮製と見られる携行ミサイル、地対空ミサイルの部品などを積んでいた。21日付の『日本経済新聞』夕刊によると、この貨物機の最終目的地はイランのテヘランだったという。イランは現在、核開発の問題で国際社会と対立しており、また、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラーム原理主義組織・ハマスとの関係も近い。北朝鮮による武器輸出は、6月の国連安保理の決議違反だ。仮にこの貨物機が日本の空港に来ていた場合、日本と北朝鮮の関係は悪化するだろう。そのとき、万が一の確率だろうが、日本の安全を保障してくれるのがアメリカの“拡大抑止”である。北朝鮮は国家であるから“自爆攻撃”はしないだろうが、ミサイルを飛ばしたり核実験を再開したり、拉致問題を反故にするくらいのことはするかもしれない。また、日本国内に中東からテロリストが潜伏して核物質の奪取を計画していた場合、「事前に攻撃する」というアメリカの戦略に、同盟国の日本がどれだけ協力するかしないかで、日米関係に大きな変化が起るかもしれない。
 
 “核テロリズム”というのは、起ってはならないことだ。今回のアメリカの戦略変更は、しかし軍事や安全保障面にだけ焦点を当てている。私は、“対話”を重視しているオバマ政権なのだから、テロリストを作ったあとで行動を抑止するのではなく、テロリストを生み出さない環境を実現する方向へ、早く踏み出してほしいのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月20日

古い記録 (10)

 本シリーズはすでに9回にわたって書き継いできたが、補足したいことが出てきたので、いったん私の18歳当時にもどって検証させてほしい。およそ1年前の第6回目では、私が18歳で両親のブラジル講演旅行についていったことに触れた。その際、自分のブラジル行きの動機については不明であると、次のように書いた--
 
「一大学生であった私には、生長の家の公式の役職は何もない。なぜついて行ったか私は憶えていないが、そのとき51歳だった父の方からアクションがなければ、私の同行はあり得なかったに違いない」。

 この父の「アクション」の目的を示すと思われる資料に最近、付き当った。それは当時、父が青年向けの雑誌『理想世界』に連載していた「窓」というコラムの記事で、昭和45(1970)年8月号に載ったものだ。私たちのブラジルへの出発が同じ年の7月20日であるから、原稿はその数カ月前に青年に向けて書いているはずだ。父の息子への思いが投影されていると見ることができるだろう。それは、次のようなものだ--
 
「数多くの動物心理学者の研究によると、全ての動物は、その幼少期に巣や箱や柵の中に閉じこめられていると、成長してからの能力に重大な欠陥が生じて来るのである。幼少期に数多くの体験をつみ、自由に飛びまわることの出来た動物は、非常に力がつき、能力があらわれる。その故、動物は幼少期の『教育』が如何に大切かということが分る訳である。これは人間についても勿論当てはまるのであって、幼少年期に“間違った教育”をされ、『型』にはめられてしまうと、折角の才能が圧殺され、使いものにならなくなってしまうのである。それ故青年諸君は、自分で自分を限定して、自分を小さな『心の柵』の中に閉じ込めるような愚かなことをしてはならない。我々は『自由』の天地で、のびのびと才能をのばそう。それは人間を『神の子・無限力』と認めることであり、思い切って新しい行動に踏み出すことである」。(同誌、p.76)

 人間の18歳が動物の“幼少期”に対応するかどうかは定かでないが、父の気持としては「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という格言にあるように、受験の苦労を知らず、生活にも何の不足も感じずに18歳になった息子に対して、まったく新しい世界を見せ、新しい体験をさせることが必要だとの確信があったに違いない。そういう父の思いを、18歳の私がどのように受け止めたのか……残念ながら今の私には記憶がない。が、ブラジルから帰国して約半年後、同じ『理想世界』誌が行った鼎談で、私がそれに触れている部分がある--
 
谷口 最初行く時は、初めての海外旅行でもあり、写真でも撮ってこようか……と思っていたのです。そういうつもりでいって、いわば一種の利己主義的な気持で行ってみて、向うで誌友の方々と接触しているうちに、それではいかんのじゃないか--と思いました。非常に国全体に活気があって、これからまだまだ発展する可能性が感じられました。それからやっぱり一番大きい感想は、国土が広いということです」。(同誌、p.62)

 最初は、海外旅行気分でブラジルへ行ったが、現地での生長の家の発展ぶりと、ブラジル信徒の真剣さに直接触れて、自分のナマクラな心構えを反省したということだろう。具体的にどんな点に感動したかについては、日伯の青年大会の比較をこう話している--
 
谷口--日本の場合は僕は受講者として受けた訳ですが、ブラジルでは壇上に上がった訳で、全然比較出来ない訳ですが、ブラジルでは会場に入りきれない人達が、窓の外から一所懸命覗き込んでいるんです。父が、『あの人達は何をしているんだ』と聞いたら、日本語が分からない人達が来ていて、会場に入り切れないんだけれども、分からない日本語の講演を一所懸命聴いている……日本では、毎年全国大会があって谷口雅春先生の御話を聴く事が出来るし、遠いといってもブラジルの人達に比べたら知れているわけですね。あちらでは、青年大会に出席する為に、アマゾンの人達など、一週間、車を飛ばし続けて来られているわけですね」。(同誌、p.63)

 それほどの真剣さで、生長の家の教えを学ぼうとしているブラジル人が大勢いることに感動したのである。では、帰国してから、当時の青年会の運動に何を感じたかについて、私は次のようにコメントしている--
 
谷口 僕は、生長の家の青年会員について考えてみた時、青年会というのは誰のことかと言えば、僕のことなんですね。(笑いと頷き)言い辛いことなのですが、その僕自身をじっと振返ってみた時に、生長の家の生活・運動というものと僕自身の生活と二刀流で生きているのですね。僕の知っている方の中にも生長の家の教えを把握しておられて、生長の家の組織のことは全然なさらないで、芸術家としての活動に没頭してられる方もあります。(…中略…)自分が生長の家の信徒である、誌友であるということを胸を張って言える人が、いかに少ないか、という事を痛感します。生長の家の運動と自分の生活とを二つに分けていて、自分の生活に都合の良い時にのみそれを表明し、悪かったらかくしておく--そういうのではいかんのじゃないかと思うのです。そういう点でブラジルの青年会員の人達は見事に一本になっている。そういうところから、本当の情熱が湧いて来ているのだと思いましたね」。(同誌、p.65)

 この発言は、意味が分かりにくい。が、たぶん「信仰と生活が分離している」ということを言いたいのだろう。信仰者であると言いながら、実際の生活は信仰的でない。当時は生長の家でも学生運動が盛んだったから、そういう政治的な言動に信仰者としての疑問を感じるということだろうか。また、生長の家の名前を隠して政治運動をしているグループもあったから、そういう動きを暗に批判しているのかもしれない。また、組織運動が政治に巻き込まれているということを指摘しているのだろうか……とにかく、そういう“二重の生き方”が自分にもある、と認めている点は注目に値する。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月19日

難産だった「コペンハーゲン合意」

 11月15日の本欄で「森の大切さ」について書いた時、今回のコペンハーゲンでの第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)は難航するだろうと予測した。これは“大方の予測”がそうだったからだが、これほどの“難産”とは思わなかった。幸いなことに、18日になって行われた各国首脳クラスの直接協議で、「合意なし」という最悪の事態は避けられた。そして、ここで大筋が了承された「コペンハーゲン合意」が、総会でも「留意する」ことが合意されたらしい。こうして、法的義務がない“政治合意”に達したが、2020年までの各国の温暖化ガス削減目標の決定など、具体的な諸方策は先送りされた。

 上掲の本欄でも触れたが、その原因は、いわゆる“先進国”と“途上国”との利害の対立である。温暖化の責任は先進諸国の経済活動だから、それによって生じる温暖化ガスをまず先進国が劇的に減らすべきだ、というのが途上国の考えである。これに対して先進国は、温暖化ガスの削減はもちろん自ら行うが、今後は中国やインドなどの新興国の経済発展が急速に進むのだから、それらの国も排出削減の義務を負わなければならない、と主張する。ところが、それらの新興国は、自分たちの経済発展を妨げるような排出削減の義務は、不公平であるから負えないとして、法的な拘束力をもつ削減目標を拒否している。

 この基本的な立場の違いを埋めるために、2つの方策が提案された。1つは、先進国から途上国への技術支援であり、もう1つは経済支援である。この場合の技術支援とは、エネルギー効率を高めたり、非化石エネルギーを利用する技術を、先進国から途上国へ移転するためのもので、経済支援とは、それらに必要な資金や、気候変動によって生じる災害を防いだり、被害を救援するための資金だ。日本を含む先進諸国は、この2つを実施する代わりに、途上国に排出削減の義務を負わせようとした。が、この試みは不成功に終った。

 今日(19日付)の『朝日新聞』によると、18日の首脳クラスの非公式協議でたどりついた“政治合意”の主な内容は、①気温上昇は2℃以内に抑える、②各国は来年1月末までに、2020年の削減計画をリスト化し目標とする、③途上国は隔年で削減の取組み状況を国連に報告、④途上国支援は、2012年までは年100億円、2020年時点では官民合計で年1千億ドル、というもの。

 2020年までの温暖化ガスの中期削減目標の決定が来年に延ばされたことにより、「2020年までに1990年比で25%削減」という日本の中期目標は、宙に浮いた形になった。というのは、この目標は、「米中など主要排出国も含めた削減合意が達成されるならば」という条件付きだったからだ。そのため、日本経団連や自民党などは、今後きっと「日本だけ突出するな」と言って、この高い目標を下ろすように鳩山政権に強力に迫るだろう。が、私は、今は「突出すること」に意味があると思う。これは、「高い削減目標を掲げ続ける国が先進国の中にもある」ということを、中国やインドなどの新興国や、すでに温暖化の被害を被っている最貧国に示すためだ。そうすれば、新興国は削減への圧力を感じ続けるし、最貧国は日本の“誠意”を読み取ってくれるだろう。そして、日本経済を化石燃料を使わない“地上資源型”へと急速に転換していってほしいのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月17日

クロスワードできました

 最近、生長の家が運営しているSNS「ポスティングジョイ」で“逆クロスワード”と称して、複数のメンバーでクロスワード・パズルを作る企画が行われた。何日もかかったすえ、このほど次のようなパズルが完成した。本欄の読者に提供し、頭の体操をしていただこうと思う。なお、解答は同じサイトの「ジョイ」の欄にあるが、できるだけそれを見ないで解いてほしい。
 
[横のカギ]
Gcword04 (イ)生長の家の教義の根幹にある考え方。神示の名前でもある。
(ヘ)神仏等を信じ、よりすがること。
(ト)小我のこと。
(チ)墨だけの線画。
(ヌ)生滅流転する現象のこと。
(ル)イエスの母の名。
(ワ)人の心の奥底にある。
(カ)人の○○○は不滅である。
(ヨ)谷口清超先生がお好きだったゲーム。

[縦のカギ]
(チ)生長の家の最高位の役職。
(ロ)生きている実感。幸福感。
(ハ)神の属性の一つ。
(ワ)完成を表す数字。
(リ)「○○○しているのでは和解は成立せぬ」と説かれている。
(ニ)生長の家の練成道場がある場所。
(ヲ)人間に備わる神性の一つ。
(ホ)生長の家信徒の生き方を示す熟語。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月15日

日米間の“疑念”を払拭せよ

 最近、沖縄の米軍普天間基地の移設問題をめぐる日米の“不協和音”が、妙な方向へ迷走していかないか気になっている。今日の新聞記事では、政府は移設先の決定を来年に延ばす決定をした一方で、すでに日米で合意ずみの移設関連費用を、来年度予算に計上することを決めた。つまり、「移転はするぞ」という意気込みは見せるが、「移転先は分からない」と言っているのだ。これに対して、米国務省の報道官は、合意済みのキャンプ・シュワブ沿岸部への移設が「最善だ」と、従来からの見解を繰り返しただけだ。

 私は、外交政策と国内政策とは基本的に分けて考える必要があると思う。しかし、今の民主党政権は、「国内政策の反映として外交を考える」という立場のように見える。「見える」と書いたのは、「本当のところはよく分からないが……」というニュアンスを表現したいからだ。正直言って、鳩山首相の外交方針は非常にわかりにくい。「よく分からない」と言ってしまった方がいいかもしれない。

 私はかつて9月2日の本欄などで、鳩山氏の英文の論文が本人に無断でダイジェスト版となって米国に流れ、「新首相は反米ではないか?」との不安が広がったことを取り上げた。そして、ダイジェスト版でない本文を読んで反米ではないと考えた。また、その後の日米首脳会談では、「日米同盟は日本外交の基盤」だと言い、オバマ大統領に「私を信頼してほしい」(Trust me.)と言った首相を評価していた。しかし、最近の首相周辺の動きを見ていると、中国への大量の政治家の“集団巡礼”など、アメリカ大統領の信頼を裏切るような言動が散見されるのである。また、首相の言うことが、その通りにならないことが繰り返されている。つまり、言行の不一致が目立ってきた。

“駆け出し内閣”であるうえ、閣内に“非武装中立”の社民党を抱えていたり、民主党内に“左”も“右”もいる現状から考えて、ある程度の言動の揺れは予想できるし、理解もできる。しかし、自らが「外交の基盤」と言った日米関係について、明確な方針表明がない中で右往左往しているように見え、まことに心もとないのである。特に最近は、“中国カード”を使ってアメリカから譲歩を引き出そうとしているように見えるのは、もし日米同盟が外交の基盤だと本当に考えているのなら、あってはならないことである。外交では「○○のように見える」ということは大変重要なことで、仮に「本当はそうでなく、□□である」という隠れた事情があったとしても、世界は外見上の「○○」にしたがって動いていくことが多いのだ。

 今日付の『日本経済新聞』は「揺れる日米安保」という企画記事の「上」として、鳩山氏が「常時駐留なき日米安保を考えている」という意味のことを書いている。また、同じ日の『産経新聞』は、民主党の山岡賢次・国対委員長が日米関係の最近のゴタゴタに関連して「そのためにもまず、日中関係を強固にし、正三角形が築けるよう米国の問題を解決していくのが現実的プロセスだ」と言ったと伝えている。この“正三角形論”は意味がよく分からない。この記事によると、それは小沢一郎氏の持論だそうで、同氏は2006年に民放テレビで「日米中は正三角形になって、頂点、扇の要に日本がいる関係でないといけない」と言ったという。もしこの意味が、日米中はそれぞれが等距離で外交をすべきという意味ならば、「日本外交の基盤は日米安保」などと言ってはいけないはずだ。

 とにかく、今、日米間には“疑念”の雲が盛り上がりつつある。これを吹き飛ばすことができなければ、鳩山外交はきっと失敗するだろう。もし「正三角形論」を首相が支持しているならば、その内容を詳しく国民とアメリカに説明すべきである。もし支持していないなら、「私は正三角形論に反対だ」とハッキリ言い、小沢氏などの同論支持者とは袂を分かつべきだ。外交は国家の存立に関わる重要事で、一人の政治家が選挙に落ちたり、政権交替があるのとはわけが違う。国民全体の運命がかかっていることを、隠したり、ゴマカシたりする人物を国民は支持しないだろう。“核持ち込み密約”を解明しようとしている人間には、それがよく分かっているはずだ。

 谷口 雅宣

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2009年12月13日

奈良県に“神風”?

 奈良教区での生長の家講習会は受講者が539人(7.3%)と大幅に増えた。会終了後の同教区の幹部との懇談会では、講習会推進のための活動が成果に結びついたことを「大成功」と評価する声が多く、「神風が吹いた」とまで言う人もいた。が「神風」は少し意味が違うと思う。なぜなら、元寇の時に吹いたとされる神風は、「戦いの一方に、勝ち目がないことが分かっているのに、自然現象が有利に働いて一気に形勢が逆転した」という意味合いで使われると思うからだ。奈良教区の講習会推進運動には、もともと勝ち目がなかったと私は思わない。

 同教区では、以前から「橿原公苑体育館」をメイン会場とし、奈良市内の「なら100年会館」を第二会場とする態勢で講習会を開催してきた。ところが今回は「100年会館」が予約できず、やむをえずに奈良市内では収容人数が少ない「ならまちセンター」を使い、これに加えて「王寺町地域交流センター」を押さえて、合計3会場で開催した。私はこのことで、各会場近くの信徒の方々の運動によい影響があったのではないかと考える。また、交通の便を考えると、王寺町は、近鉄に加えてJRの関西本線の駅があるうえ、人口が多い大阪市に近接している。そういう「集まりやすい」要素が今回は働いたのではないだろうか。
 
 もちろん、葛原敏雄・教化部長をはじめとした同教区幹部の方々が、これまで以上に熱心な推進活動を展開してくださったことが、大きな原因であることは言うまでもない。同教区からの報告によると、ここでは地域の活性化と小規模単層伝達を進める目的で、昨年度から地区総連単位での勉強会や、ミニ講演会を行い、今年の10月以降は、白鳩会の22総連へ葛原教化部長と橋本久美子・教区連合会長が共に出向いていって、祝福訪問を実践したという。これらを含め、相愛会、青年会等の多くの幹部・信徒の方々の愛念が結実した。奈良教区の皆さんには、今年開催の講習会の最後を飾る、すばらしい結果を出していただいたことに心から感謝申し上げます。

 ところで奈良県では、来年が「平城遷都1300年」に当たるというので、記念イベントをいろいろ考えているらしい。講習会前日の夕方、橿原地方は雨になったので、私たちは付近の散策を取りやめた。その代りに、宿舎となったホテルのロビーを散策して気づいたのは、見慣れないマスコット人形がいろいろの所に据えられていたことだ。これが、この記念イベント用に考案されたキャラクターで、「せんとくん」と「なーむくん」(=写真)の2つだった。あとで調べてみると、これに加えて「まんとくん」というもう1つのキャラクターもあるそうだが、これらの選定に関しては、地元ではひと悶着あったらしい。詳しくは、ウィキペディアの「平城遷都1300年記念事業」の項に解説がある。が、私はそういうゴタゴタをまったく関知せずに、ひと目見て「せんとくん」よりも「なーむくん」がいいと思った。そこで、写真を撮った後に絵封筒に描いたのである。

Chinadoll  私は、「なーむくん」はてっきり女の子だと思った。が、そうではなく、名前は「南無」に由来し、聖徳太子の少年時代の姿をモチーフとして描いたという。「なーむくん」の魅力は、くったくのない笑顔だが、その眉と目は十七条憲法にちなむ漢数字の「一七」で表現されているのだそうだ。ところが、これまたウィキペディアによると、聖徳太子が活躍した時代は平城遷都より100年も前で、太子が拠点とした場所も、平城京が置かれた現在の奈良市近辺の地域との関連も深くないという。まあ、そんなことにいちいち目くじらを立てなくてもいいのかもしれないが、1つの大きなイベントを実行するには、多くの人の意見を集約しなければならない。その難しさが、ここにも表れている。横浜の開港記念150周年記念行事でも、事前の読みと実際の評判との差が明らかだった。「平城遷都1300年」のイベントは、自民党政権時代に決定し、実行委員会の主要メンバーも同党に関係の深い人が多く、支援団体も日本経団連などの自民党寄りの団体が目立つ。今後どうなるか、やや不安が残る。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月11日

絵封筒とグラフィティ

 この2つの間に何か関係があるだろうか? 絵封筒とは、もちろん封筒の表面に大きな絵を描いて出す手紙のことだ。グラフィティとは、工事中の壁や街の塀などに描くメッセージや絵のことだ。前回の本欄に実物を何点か掲載した。普通、この2つは何の関係もない。一方は、手紙の受取り人を驚かせてやろうという茶目っ気と、少しの絵心があれば誰にもできる。

 が、もう一方は、街に出て、人目を気にしながら、別の用途に造られた平面に、勝手に自分のメッセージを描く。結果的に、他人や公共の財産を汚すことが多く、この場合は不法行為である。が、“グラフィティ作家”があえてそれをする理由は、それがどこに描かれるかということも、彼らの表現の重要な一部だからだろう。ある街の風景の“調和した一部”として、自分の痕跡を残すのはまだいい。が、思いがけない隠れた場所に……息を呑む高所に……自分が反対する企業の建物の壁に、軍事基地の塀にグラフィティが描かれる場合、そのこと自体がメッセージである。そして、メッセージの発信の仕方は“ゲリラ的”だ。

 考えてみれば、絵封筒にも“ゲリラ性”がある。まず第一に、郵便局が定めた「封筒の書き方」をほとんど無視している。郵便番号を書かない。差出人を省略する。宛先人の住所や名前を、決まりどおりの位置には書かない。切手の位置もめちゃくちゃである……等々。もちろん、郵便局の定めどおりに書くべきものを書いた絵封筒もありえる。が、私の経験から言わせてもらえば、そういう絵封筒は自由度が少ないから、堅苦しくて、デザイン上限定され、したがって受取人への訴求力が小さい。「封筒」という狭い空間に、自分のメッセージを思い切って描こうとすると、いろいろの「決まり」や「規格」は障害になるのだ。だから、そういうものを破って表現される点で、ゲリラ的である。

 グラフィティは“ゲリラ芸術”と呼ばれるものに含まれているが、イラストレターのケリー・スミス氏(Keri Smith)は、その概念を通常より少しひろげて、こう定義している--「創造的、または刺激的な方法で世界に影響を与えるため、公共の空間に導入され、演じられ、あるいは付加された無名の作品」。この定義は、絵封筒には大げさすぎる。しかし、よく考えると、結構あてはまる部分が多い。なぜなら、絵封筒は、創造的、または刺激的な方法で宛先人に影響を与えるため、郵便配達システムという“公共の空間”を利用した(一見)無名の作品であるからだ。

 もう一つ、“ゲリラ芸術”についてスミス氏が指摘するのは、それが「無常」である点だ。こんなところに仏教の概念が出てくると奇異に感じるかもしれないが、英語では「impermanence」という語が使ってある。つまり、“ゲリラ芸術”の作品はすぐに消えてしまうのである。グラフィティは、「落書き」としてすぐに消される運命にある。路上パーフォーマンスも、終わってしまえば何も残らない。それらが消えてしまわないように、写真やビデオなどの記録に残そうとする人がいるかもしれないが、そうではなく「なくなっていい」「変わっていい」と考えて制作する。そこから、制作の「結果」よりも「過程」に注目した新しい展開が始まる。作品そのものに執着しないから、常に新しい発想で次なる作品を創出する可能性が生まれる。

 絵封筒や絵手紙には「手元に残らない」という性質がある。相手に届いても、もしかしたら捨てられるかもしれない。だから、制作の過程に価値を置くようになる。そんな点も“ゲリラ芸術”に近いことがわかる。そんなエキサイティングな制作の“旅”に、読者も参加してはいかが? (PostingJoy.com の「絵手紙・絵封筒グループ」より)

谷口 雅宣

【参考文献】
○Keri Smith,The Guerilla Art Kit: Everything You Need to Put Your Message Out Into The World,(New York: Princeton Architechtural Press, 2007)

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2009年12月10日

グラフィティのこと

Graffiti_bra2  私は今夏、ブラジルのサンパウロ市に行ったとき、その街の真ん中に、道路脇の塀やビルの壁などに、巨大なグラフィティがいくつも描かれているのを見て、驚いた。それを写真に撮って本欄(7月28日)で紹介したこともある。グラフィティが珍しかったからではなく、何か“懐かしい”思いがしたのであり、そんなものを地球の反対側で今ごろ見るなど、予想もしていなかったからだ。私が学生の頃の1970年代には、東京にも、ニューヨークにもグラフィティは多く描かれていた。特に、ニューヨークの地下鉄の車体のグラフィティは、若い私に強烈な印象を与えた。

Nyc0923  私は当時、マンハッタンの西120丁目あたりの学生寮に住んでいて、116丁目にあるコロンビア大学に通っていた。ダウンタウンから地下鉄に乗ってこの寮へ帰るためには、西125丁目の駅で降りるのが一番近いのだが、この駅は地下にはなく、高架橋の上にあった。つまり、地下の路線をアップタウンに向かって北上する地下鉄は、この駅の手前で地下から姿を現し、道路の高さを超えて、さらに地上数メートルの高さにある125丁目の駅ホームに入るのである。この過程で、坂を上ることが得意でない地下鉄は、急にスピードを落とし、キイキイ、ガタガタと苦しげに車体を軋ませながら、ゆっくりと駅に入る。その時、グラフィティが塗りたくられた車体を白日の下に晒すのだった。

 その西125丁目の駅が、ハーレムの入口に当たっていた。そこから東に延びる黒人街は、今はだいぶ安全になったようだが、当時は「あまり行くな」と言われていた。実際、在学中、私は必要がない限り、その駅から東側へ行くことを避けていた。そういう“不気味”な印象と、“秩序への反抗”を思わせる地下鉄のグラフィティのイメージが、青年時代の私の中では重なっていた。手っとり早く言えば、グラフィティは一種の“禁断の芸術”であり、“近づくな!”という警告の印。さらには、“不可解なアメリカ”の象徴のようにも感じられたのである。

Nyc0919  それが今夏、ブラジルへ行って30年ぶりに“再会”を果たし、その帰途にニューヨークに寄った際にも、また出会った。そのときの印象は、若い当時のものとは少し違っていた。それは“禁断の芸術”なんかではなく、何か懐かしい、当たり前のポップアートだと感じた。もちろん、このアートが反社会性を含むときは好ましいとは言えないが、許された場所で、他人の財産を無断で汚したりしない場合は、面白い表現手段だと感じたのである。その時に撮影したグラフィティの写真を何枚か、ここに掲げてある。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 8日

絵手紙・絵封筒、どうもありがとう

 ここ数カ月、生長の家の講習会で各地へ行くと、新しいタイプの誌友会(Bタイプの誌友会)を楽しく開いているという報告を多くもらうようになった。また、講習会では、私が絵封筒を描いていることを実例を示して紹介するためか、私宛に絵手紙や絵封筒をいただくこともある。私も“お返し”をしたいのだが、なかなかお返事を書く(描く)余裕がなく、申し訳ないと思っている。そこで本欄を借りて、送ってくださった方々の力作を紹介するとともに、感謝の気持を表明させていただきたい。
 
Ohtashinji0709  最初のものは、7月に愛知県岡崎市からいきなり舞い込んだ絵封筒。79歳の地方講師の男性で、ロウケツ染めの風情があるヒマワリの絵が、夏らしい雰囲気をよく出している。制作過程はよく分からないが、想像するところ、水彩で描いたものを別の紙にカラーコピーし、その紙で定型封筒を作ったようだ。
 
 2番目は、8月に東京・小金井市から届いた残暑見舞いの絵手紙。相愛Mizukhi0809 会の幹部の方からのものだ。生き生きとした夏の植物の勢いがよく出ている。テーブルに置いたクリは、細かいところまでよく描けている。

 3番目は、上のものと同時に届いた絵封筒。上の方の奥様が都立野川公園を描いたものだそうだ。私がこの絵をパソコンで読み取った際に、川と空の水色が飛んでしまったのが残念だが、原画にはちゃんと描いてある。切手の絵柄である鳥が、Mizukj0809 川で泳いでいる風情の配置である。御夫婦で絵を描くところは、私たちと似ている。
 
 最後のものは、広島県の大幹部の方からごく最近いただいた絵手紙。葉書の表面には「安芸津特産の赤ジャガイモを送りました」とある。実物が届くのが待ち遠しくなるような絵柄だ。省略のきいた色使Oshita1209 いと筆運びに、なかなか味がある。
 
 絵を描くことに興味のある読者は、絵手紙や絵封筒をやってみるのは如何だろうか。「絵は苦手」と思っている人は案外多いのだが、自分で勝手にそう思っているだけの人も多い。実際に描いてみると、結構味のあるいい絵であることも多いのだ。「他人に送るのはどうも…」と思う人は、離れて住む両親や子供に送ってみては? 電話やメールではマネのできないインパクトを与えることは確かである。また、生長の家で新しく立ち上げた投稿サイト「ポスティングジョイ」には、絵手紙と絵封筒のグループがあり、描き方を親切に教えてくれる。私もメンバーの一人で、時々投稿する。人の作品を見るだけでも勉強になるから、ぜひご参加あれ!
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 7日

宜野湾市へ行く

 5日から6日にかけて、生長の家の講習会のため沖縄県へ行った。同教区の講習会は今回、初めて複数会場の同時中継となった。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターをメイン会場とし、与論町中央公民館、石垣市商工会館研修室がサブ会場となった。2年前の前回は、宜野湾市の会場に1,736人の受講者が参集したが、今回は3会場合計で2,026人となり、290人、16.7%の増加となったことは、誠に喜ばしい。これは単に増設した会場分だけ参加者が増えたのではなく、メイン会場への参加者数もわずかだが増加した点で、教区の幹部・信徒の方々の推進への熱意がひしひしと感じられる。さらにこの日、恒例の那覇マラソンが行われたことを考慮すると、スポーツ行事ではなく宗教の講話を選んでくださった方々に、頭が下がる思いがする。
 
 講習会後に、今、政治の焦点となっている米軍の普天間飛行場を見たいと思った。が、聞くところによると、基地内の見学は大臣クラスでも難しいというので、嘉数高台という丘の上から眺めることにした。この高台は、大東亜戦争末期の激戦地で、ゴツゴツとした岩が続く天然の要塞の上に、部厚いコンクリートのトーチカを築き上げ、約2,500人の精鋭部隊が、米軍の攻撃からこの地を死守しようとしたところだ。戦闘は16日間も続き、両軍に多大な死傷者が出た。その時の変形したトーチカが今もそこにある。そういう丘の上から、目と鼻の先に広がる飛行場を見ると、それは“占領軍の陣地”に見えてしまうのである。もちろん、これは錯覚だ。普天間飛行場は現在、主として米軍のヘリコプターと輸送機の発着場で、米軍の駐留の目的は日本とその周辺の安全保障である。
 
 すでに多方面から指摘されているが、この飛行場の問題は市街地のど真ん中にあるということだ。これは、街の真ん中に基地が造られたのではなく、沖縄戦でこの地を占領した米軍が、日本本土決戦に備えて飛行場を建設したのである。街はその後、基地の周辺Ginowancity に建設され、経済成長とともに発展していった。私がここを訪れた時は、飛行場には動くものは何も見えず、音もなく静まりかえっていた。が、普段はヘリコプターの発着などで、周辺の住民は騒音に悩まされているという。「タッチ・アンド・ゴー」の練習もするそうだ。そして、墜落事故も実際にあった。(地図の右側にある「沖縄国際大学」の構内にヘリが墜落した)
 
 さらに地図を見れば分かるが、そういう場所のすぐ近くで生長の家の講習会があったのである。(地図の左端に、赤い文字で「沖縄コンベンションセンター」と表示されている)
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 4日

デンマークの電気自動車

 7日からコペンハーゲンで地球温暖化抑制のための気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が開かれるが、その開催国・デンマークは、温暖化対策に熱心なEUの中でも、先進的な努力をしている国である。昨年12月8日の本欄では、同国に電気自動車を本格導入するための実験が行われていることを伝えたが、3日の『ヘラルド朝日』紙は、COP15を前に、その現状について同国も「苦戦している」という内容の報告をしている。

 デンマークは、米カリフォルニアのベンチャー企業「ベタープレイス」(Better Place)と組んで、電気自動車の普及に必要な充電設備等のインフラ整備を進めている。現在の蓄電技術では、車載用のリチウムイオン電池による1回の充電で「160km」までしか走れない。しかし、ベタープレイスは、この距離制限を克服するために、充電スタンドでの電池交換方式を進めている。つまり、車載の電池とフル充電した電池とをこのスタンドで交換することで、電気自動車の走行距離を短時間で、事実上無限大にまで伸ばそうというわけだ。この試みが困難に面しているというのだ。

 上記の記事によると、デンマーク政府はこのプロジェクトのために、電気自動車にかかる税金を、1台4万ドルまで無税にする措置をとっている。また、コペンハーゲンの中心街では、電気自動車の駐車料金はゼロにしているという。こういう優遇措置があっても、市民の間には懐疑的な意見が多いらしい。というのは、充電スタンドの有無によって、自分の行動が制約されるという心理的不安がまだ大きいからだという。

 デンマークのエネルギーは、すでに2割が風力によって供給されているが、同国政府は、全国に充電スタンドを設置するだけでなく、それらのスタンドに必要な電気を風力で供給することを考えている。これによって、車の使用が少ない夜間に風力で充電するという“炭素ゼロ”の理想的なパターンができ上がる。が、そのスタンドの設置が思うように進んでいない。

 昨年の1月、ベタープレイスのCEO、シャイ・アガシー氏(Shai Agassi)は、2010年には充電スタンドを10万カ所にし、電気自動車は6~7千台になると予測していたが、現時点では同社製の車は1台も走っておらず、スタンドの数は55カ所に止まっているという。主な原因は、スタンドの建設コストらしい。1カ所の建設費は100万ドルに近く、さらに車種ごとに異なる電池を用意しなければならないからだ。つまり、車載用充電地の規格がまだ不統一なのだ。同社の方式に沿った電気自動車を製造するとしているのは、今のところルノー=ニッサン社だけらしい。そして、同国で登録済みの電気自動車の数は、まだ500台に満たないという。

 こういう話を聞いていると、かつてのカセット式ビデオテープの規格不統一を思い出す。ベータ方式とVHS方式をめぐって日本のメーカーが突っ張り合いをしたため、世界中が2つの規格併存となり、やがてVHSが勝利した。ビデオテープならば単なる企業間のシェア争いですむが、地球全体の緊急要請である温暖化抑制のための新技術が、企業間競走によって普及が妨げられることは、決して好ましいことではない。世界の自動車メーカーは何とか努力して、早期に充電池の規格統一をなしとげてほしい。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 3日

2つの出来事

 12月3日の新聞の第1面には、オバマ大統領によるアフガニスタンへの米軍増派発表のニュースと、日本画家、平山郁夫氏(79)の死亡記事が並んで掲載された。両者は互いに無関係の事象のようにも思えるが、私は「戦争と平和」というキーワードで結ばれていると感じる。大統領が発表した「米兵3万人の増派」は、混乱を極めるアフガンの治安を外国軍によって確保することにより、2011年7月に米軍が撤退を始めるまでに、同国で不足している治安維持機関の育成を急ぎ、権限委譲を達成するためのものだ。日本との関係では、政府は先月、同国の治安確保に5年間で50億ドル(約4500億円)規模の支援を主として民生面で行うことを発表しているから、それを軍事面から保障する役割を米軍が担うことになる。これに対して、平山画伯は、アフガニスタンを含む東西交流のルートである“シルクロード”の文物を好んで描いてきた人だ。世界の文化財保護に貢献し、同国のバーミアン遺跡の大仏2体がタリバーンによって破壊された際は、その修復に努力した。
 
 私が、アフガニスタンのことを知ったのは、平山画伯の絵によるところが大きい。もちろん、画伯を知る前からそういう名前の国があることは知っていたが、その地理的な詳しい位置と雄大な風景、東西交流に果たした役割、そこにある遺跡の様子、生活する人々の表情……などは、同画伯の絵から多くを学んだ。また、私の絵画そのものに対する強い関心も、画伯の絵によって引き出されたのである。
 
 3日付の『産経新聞』では、平山画伯のシルクロードの旅に同行したことがある記者が、画伯の人間性を示す話を紹介している。その一部を引用すると--
 
「旅の間、わずか2、3分の空白ができると、すぐに消えてしまう。心配して捜すと、何のことはない。現地の人をつかまえ、せっせとスケッチブックに筆を走らせているのである。
 それほど語学が得意なわけでもないのに不思議だったので聞いてみると、“何となく通じるものです”とあっけらかん。根っから砂漠のあるシルクロードが好きだった。
 現地では観光客用の立派なレストランより、地元の人が行く飾り気ない食堂を好んだ。食べたことのない料理を注文し、皿に取ったものはすべて平らげた。同行の若者が腹の具合が悪くなっても、いつも健康だった」
 
 こういう行動ができるのは、「人間」というものを心から信頼している人だけである。また、どんな国の文化に対しても、自国のそれと同等の尊敬をもっている人である。そういう人間である平山郁夫は、実は被爆者である。中学3年のとき、広島で勤労動員の作業中に被爆し、地獄のような惨状を体験した。「そのとき私は生かされたんだ、生かされた人生だからなんとかお返しをしなければ、と思ったのです」と、画伯は後に語っている。戦争での悲惨な体験は、普通は“人間不信”や“人間憎悪”に結びつきやすい。しかし、画伯の場合、それを見事に超越している。私は、画伯の心に確とした宗教心が--それも特定の宗教に縛られない宗教心があったような気がしてならない。
 
 その画伯が亡くなった時に、米軍のアフガン増派が発表された。オバマ氏は、自らをカトリック信者と宣言するが、「フセイン」というイスラームのミドルネームを持ち、子供のころはインドネシアで貧しい人々と生活をともにしている。父親はアフリカのケニア人。高校はハワイの名門を出て、コロンビア大学、ハーバード大学大学院で教育を受けた。アフガンでの戦争は、ブッシュ大統領時代からの“負の遺産”である。その背後には、もちろんあの「9・11」がある。つまり、イスラーム原理主義者のアメリカに対する憎悪と宗教的信念の爆発がこの戦争の引き金となり、9年目になっても収まる気配がない。国家や集団のレベルで一度燃え上がった憎悪は、宗教が絡んでいるほど、宗教自体による収拾が難しいことが分かるのである。

 今日、NHK衛星第一(BS-7)で放映されたイギリスのBBCニュースでは、報道記者が今、アフガンで勢力を盛り立てつつあるタリバーンの上級司令官と会見する様子が映し出された。この司令官は、頭から顔、そして胸のあたりまで白い布を巻きつけて覆い、体全体は茶色の毛布のようなもので包み隠して画面に登場した。目には黒い眼鏡をかけていたから、私はあの昔の日本のヒーロー“月光仮面”を思い出したほどだ。その司令官は、こんなことを言った--
 
Talibanchiefm 「今年は、我々にとって成功続きの年だった。アフガンに米軍が増派されるということは、より多くのアメリカ人が死ぬことだ。我々は、わずかな資源でさらに多くの負傷と死をもたらすことができる」

 記者が、タリバーンの攻撃によって米軍だけでなく、一般市民も数多く犠牲になっていることを指摘すると、司令官はこう言った--
 
「一般市民など殺してない。それをしているのはアメリカ人だ。この国の市民は我々を支持してくれている。彼らの支持がなければ、我々イスラーム運動は拡大しえなかった。私は、外国兵士たちの母親に言いたい。もし子供たちを愛しているならば、自分たちの国の中で国のために尽くさせろ。しかし、我々を侵略して罪のない市民を殺した。その証拠はいくつでも挙げられる」

 記者が、どうしたら戦争はやめられるかと訊くと、司令官はこう言った--
 
「カルザイ(アフガン大統領)は外国兵に出て行ってもらわねばならない。そうすれば、彼と話し合おう。外国兵が国内にいるうちは、話し合うことはできない」

 アメリカは「治安維持」の観点から戦争を考えているのに対し、タリバーンは「反侵略・外国軍排除」の立場である。両者の間には信頼関係がまったくない。重要なのは、アフガンの一般市民の大多数がどちらの立場を選ぶかだが、前者を選ぶためには、現在のカルザイ政権を信じる必要がある。が、その政権が大統領選挙で不正を行い、腐敗が蔓延しているというのだから、前途多難である。日本が民生面で何か協力できるとしたら、それは、カルザイ政権が国民の信頼に足りるようになるための支援ぐらいか。それには時間がかかるし、簡単ではない。金を出せばいいというものでは、もちろんないだろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年12月 1日

小中高生の“問題行動”

 今日の新聞各紙は、文部科学省が各地の教育委員会を通じて毎年行っている「児童生徒の問題行動調査」の昨年度の結果を大きく取り扱っている。『朝日新聞』の見出しは「小中高生の暴力6万件、08年度3年間で7割増」で、『産経新聞』のそれは「暴走中学生」「暴力行為激増、小学生も最多」であり、これだけを見れば“大事件”のように感じる。

 リード文も、見出しに負けずにセンセーショナルだ。『朝日』は「児童生徒の暴力行為は5万9618件と、前年度比で13%増、7千件増えて過去最多を更新した」と書き、さらに「学校別では小学校で24%増、中学校で16%と著しい。報告件数はこの3年間で1.75倍になった」としている。『産経』のリード文は、「平成20年度は5万9618件で前年度より11.5%増え、小学校、中学校ともに過去最多だった」とし、続けて「特に中学生は初めて4万件を超えるなど増加が目立った」と書いている。

 これだけ読めば、両紙の読者はきっと「ああわかった。全国の小中学校で暴力事件が急増しているのだ」と思うだろう。ところが、記事の隅まで読んでみると、それほど明確な数字ではないことがわかる。『朝日』の解説記事によると、06年度の調査は、05年度とはやり方が違うというのである。それを同紙はこう書いているーー「いじめできめ細かな報告を求めたのにあわせ、文科省が暴力についても行為の軽重を問わず報告を求めたことが背景にある」。これで06年度の数値が前年比で一気に32%も増えた。だから、「3年間で7割増」とか「1.75倍」というのはゲタを履かせた表現なのだ。

 ところで、暴力行為の件数が1年間で「約6万件」というのは、とんでもない数のように聞こえないだろうか? 私も第一印象としては「ずいぶん多い」と感じた。しかし、今回の調査対象となったのが全小中高校「約3万9千校」であると知れば、1校当たり年間に「1.5件」の割合である。もちろん、学校で暴力行為などないに越したことはない。が、私が子供の頃を振り返ってみると、乱暴な生徒はいたし、ケンカもあった。暴力行為とはどこまでを言うかにもよるが、1校年間「1.5件」がとんでもない数字かどうかは、議論の余地があるように思う。 

 では、暴力ではなく、イジメの統計はどうなっているかというと、「8万4648件で、前回から約1万6千件、16%の減」(『朝日』)なのだ。これは、大きな改善と言えないだろうか? 『産経』はこれに加えて、「いじめ件数は減少する一方で、いじめを認知した学校数も同6.9ポイント減って40%」と書いている。つまり、全体の6割の学校ではイジメはなかったということだ。うれしい話ではないだろうか。

 ほかにも“明るいニュース”はある。それは、高校で暴力行為が減ったことだ。これは、前年度比で3%減であり、実数では356件減だ。また、自殺も減った。児童生徒の自殺は、前年度から23人減の136人だった。これは割合にすると14.5%だから「大幅の減少」と言っていいだろう。

 私はここで、「新聞はウソを伝えている」と言いたいのではない。また、「学校教育の現場に問題はない」と言っているのでもない。ただ、「改善している点は、そう伝え」「統計上に比較できない点があれば、そう伝える」のが正しいジャーナリズムの姿勢ではないか、と言いたいのだ。また、学校からは生徒の暴力やイジメをできるだけ減らすべきだ、ともちろん思う。さらに本当に言いたいのは、「よい点を認めて強調することで社会はよい方向へ進む」ということだが、これは恐らく日時計主義を理解する人にしか分からないだろうから、今のマスメディアにはあまり期待していない。

 谷口 雅宣

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