長崎で感じたこと
今日は長崎市の長崎ブリックホールにおいて、長崎南部教区での生長の家講習会が行われた。同教区では2年前の前回の講習会では、長崎市だけでなく西海市の生長の家総本山や島原市、福江市にも会場を設けて、4会場に約6,300人の受講者が集まってくださったが、今回はなぜか長崎市だけに会場を設けたことで、受講者数は約5,200人に激減してしまった。誠に残念なことである。現在、生長の家は、全国を挙げて“炭素ゼロ”運動を推進している中で、長崎県のように離島も含めた広範囲に信徒が生活している地域では、1会場にしぼった講習会の開催はあまり理に適わない。また、大都会はともかく、過疎化・高齢化が急速に進んでいる地方に於いては、1会場にしぼっての開催は長距離の旅行を余儀なくさせるから、高齢者にとって誠に不利である。そういう点から考えても、今回の講習会は開催方法に課題を残したと言える。
その反面、よい点も見出せる。それは、長崎市の中心部に近い広い会場が確保できたことで、同市を中心とした生長の家を知らない人々が来場できる機会が増えたことだ。そういう人たちが実際どれだけ参加したかは分からないが、
教区幹部の方々が各地で熱心に推進してくださったことは確かだから、きっと各所に信仰の“新しい種”が撒かれたに違いない。今後の運動の活性化に大いに期待する。講習会当日は「雨」も予想されていたが、幸い時おり日差しもあるよい天気となり、和やかな雰囲気の中で会がもてたことはありがたく、うれしかった。
2年前の前回の講習会では、メイン会場は西海市の生長の家総本山だった。私たちは今回、長崎市に久しぶりに来て、前日には「二十六聖人殉教の地」を見学した。そこの資料館にも行って、初期の日本のクリスチャンがどれほどの苦労と受難のすえに、キリスト教をこの地に定着されたかの一端をかいま見ることができた。「二十六聖人」とは、1597年2月に、豊臣秀吉の命令によって長崎の西坂の丘で十字架に張りつけられて死んだ26人の日本人クリスチャンで、後にカトリック教会から「聖人」の称号を得た人々である。詳しい情報は、日本二十六聖人記念館のサイトにある。当時の日本では、キリスト教が民衆から受け入れられなかったのではなく、受け入れられ過ぎたので為政者が脅威を感じ、弾圧したのである。1549年にフランシスコ・ザビエルによってもたらされたこの教えは、33年後の1582年には信者数が「15万人」にまで拡大したことを示す資料もある。
その資料館を見学しながら私の脳裏にあったのは、その後の日本におけるキリスト教の信者数のことだった。このことは、今夏のブラジルでの生長の家教修会での講話の時にも触れたが、文部科学省に登録された2006年末の信者数で示せば、日本におけるキリスト教系宗教団体の信者数は、宗教団体全体の登録信者数に対してわずか「1.4%」なのである。これに対して、神道系と仏教系の宗教の信者数は全体の「94%」である。この国ではクリスマスが盛大に祝われ、結婚式が教会で普通に行われ、有名大学を初めとしたキリスト教系の教育施設が数多くある。さらに日本の歴史を振り返ってみても、二十六聖人殉教に見られるように、キリスト教に触れた多くの日本人が、厳しい禁教令にもかかわらず、自らの命と引き替えに教えを守り通してきた事実がある。にもかかわらず、現代日本においては、クリスチャンの割合が「100人に2人」に満たないというのは不思議というほかはない。
谷口 雅宣
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
合掌 ありがとうございます
昨年5月より、74歳でパソコンを始めました大阪教区の地方講師・西田淳子でございます。「お役」を降りまして早速`一念発起`致しまた。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
総裁先生のブログを拝読させて戴くことが出来まして、とても楽しく嬉しく思っております。時々コメントを開くのも楽しみの一つであります。
11月22日「自然を愛する」とはどうすることか?を拝読させて戴きました「四無量心」にてお説き下さいまして、正しく「自然を愛する」ことの大切さを痛感致しました。
又、生長の家は、環境運動ではありません 宗教運動であり信仰者の生き方を広める運動ですーとのお言葉に、勇気と力を頂きました。ありがとうございます。 再拝 西田 淳子拝
投稿: 輝也&淳子 | 2009年12月 1日 00:41
どうして日本にキリスト教が拡がらないのか、キリスト教界においてもさまざまな議論がされています。
原因はさまざまあると思いますが、私の見たところ、多数派を占める教会(あえて特定を避けますが・・・)において、どちらかというと、反日的な傾向が強いからでないでしょうか。
日の丸・君が代反対だし、建国記念日には「信教の自由を守れ!」などとデモ行進をしたり、「日本の文化は偶像崇拝が多すぎる」などと言って、日本の文化・伝統を軽視しています。日本という国を愛していないから、日本人から愛されないのです。だから、人口比1%の枠を超えられないのだと思います。
かつて、無教会の内村鑑三は、「2つのJを愛せ。」といって、"Jesus"と"Japan"への愛を高らかに語りました。キリシタン時代の宣教が成功したのも、ルイス・フロイスなどの優れた宣教師によって、日本文化を徹底的に研究した成果です。
戦時中のキリスト教弾圧という不幸な歴史はありましたが、それによって、愛国心を否定してしまったことが、宣教の妨げになっていると思います。もっと柔軟な対応をとった方がいいと、私は考えています。
投稿: てんしちゃん | 2009年12月 1日 01:44
てんしさん、
>>日本という国を愛していないから、日本人から愛されないのです<<
そういう要素はあるかもしれませんが、貴方が書いておられるように「戦時中のキリスト教弾圧という不幸な歴史}があることが、大きな要因ではないでしょうか?
「ニワトリが先か卵が先か」みたいな話かもしれません。でも、“天皇”を絶対視した文化と、“神”を絶対視するキリスト教信仰とは両立するのでしょうか?
投稿: 谷口 | 2009年12月 1日 13:40
専門的なお話の中コメントするのは恐縮ですが、私のおじのお嫁さんは熱心なクリスチャンです。必然的にいとこもクリスチャンです。
そして祖父は神主をしていました。
何かお祝い事がある時は、よく祖父の家に皆て゛集まっていました。しかし、おじさん家族がお墓参りをした所は見た事がありません。神棚にむかい、皆で感謝をこめ、拝む時も何もしないまま動きません。おじ・おばは、とても優しく素敵な人です。いとこの事も大好きですが、何か寂しい気持ちになる瞬間がやはり有ります。
信仰するという事は、素晴らしい事だと思います。究極的には同じ神様だと思い、特に何も言うことはないですが、理解し難いと思う事はあります。
真理を伝える中で、いかに、文化や時代に合わせる事が大切かを痛感します。
私の知るキリスト教の人なので、全ての信者さんが同じか分かりません。一個人の感想でした。
ありがとうございました!
投稿: くーさん | 2009年12月 3日 00:32
くーさん、
コメント、ありがとうございます。
そうですか……。そういうことがあると「キリスト教は排他的な信仰」という、小沢さんの抱いているような印象が広まってしまいますね。
投稿: 谷口 | 2009年12月 3日 13:54