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2009年11月 3日

右脳しびれて

 快晴ながら寒波に包まれた文化の日だったが、私は妻と恒例の生長の家聖歌隊チャリティーコンサートへ行ってきた。今年は27回目で、京王井の頭線の駒場東大前駅の近くにある「こまばエミナース」のホールで午後1時45分から行われた。第1部の前半は、谷口清超先生の曲を中心とした聖歌が合唱され、後半はホームソングメドレー、そして観客も共に立ち上がって「紅葉」を合唱した。休憩をはさんだ第2部では、前半が特別ゲストによるフルート演奏、後半は聖歌隊による「心の四季」の合唱だった。
 
 想像していたよりも立派な会場で、音響効果もよかった。私たちは最近、コンサートへ行く機会などなかったから、じっくりと音楽の中に浸かって過ごす時間は、格別にありがたかった。音楽は、言葉を使わなくても感情や思想を伝えてくれる。そういう意味で、右脳から入る強力な情報だ。聖歌は、それに「歌詞」という言葉が加わって左脳の共鳴を呼ぶという点で、幅広く、また深い感動が味わえる。私は今回の聖歌の中では「無限を称える歌」に特に心を動かされた。この歌は、神に対して歌い手が二人称で語りかける形をとっている点で、祈りに似ている。そして、転調の後に、神が応える言葉が続くから、オペラのような構造でもある。しかし、その神の言葉は、あくまでも短く、重く、圧倒的だ。その言葉に対して、歌い手は感動に震え、神性の自覚を深めていく--そういうストーリーが背後にある。歌詞は1番から3番まであるが、それを読むだけでは出てこない感情的な高まりが、音楽に乗せて歌を唄うと心底から湧き出てくるから不思議だ。
 
 オペラと言えば、ズィーチンスキーの「ウィーンわが町」を聴いたとき、ミュージカルのフィナーレを観ているような気分になった。私はウィーンに行ったことはないが、ヨーロッパの明るい町並みを背景に、人々が大勢集まって「人生には喜びも悲しみもあるけれど、すべてよく、みな素晴らしい」と歌っている--そんな光景が私の瞼の裏側で展開しているようだった。分析的な頭でものを考えるクセがついている私のような人間には、分析とは全く別の方向から感情が怒涛のように押し寄せ、どこかへ連れて行かれるようで、しかもそのことが全く不安でなく、まるで心地よい波乗りをしているような気分だった。
 
 このような“右脳しびれる”体験を与えてくださった聖歌隊員の皆さん、また生長の家の音楽愛好家の皆さん、どうもありがとうございました。ちなみに、この日の入場者数は357人で、平成18年以降ではいちばん多かったそうだ。収益金は、例年のようにフジネットワークチャリティーキャンペーン事務局を通して、日本ユニセフ協会へ寄付され、西アフリカのシェラレオーネの子供たちのために使われる。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣 先生

 先生、11月3日の当生長の家聖歌隊のチャリティコンサートには、純子先生とご一緒にご来場の上、ご鑑賞頂き、誠にありがとうございました。心より御礼、感謝を申し上げます。また、演奏内容を讃嘆していただき、この一年、練習を積み重ねてきました聖歌隊員にとっても、さぞや感激と悦びで一杯のことと思います。
 聖歌隊につきましてうれしいことは、指導者の牧野成史さんらの精力的な指導で、腕を上げて来ていることはもちろんですが、ここ1、2年、新しい若い隊員が増え続けていることです。現在も1、2名の入隊希望者がコンサート後の入隊を心待ちにしているところであります。
 こうした、生長の家の聖歌隊の活動や信徒の音楽活動をさらに盛り上げるために、postingjoyなどを使って全国の演奏家の発表の場や音楽愛好家のコミュニティができないものか、検討している所でもあります。
 今後とも、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

生長の家聖歌隊代表
山岡 睦治 拝

投稿: 山岡睦治 | 2009年11月 5日 10:55

ありがとうございます。先日の日曜日には、兵庫県の御講習会でのご指導ありがとうございました。
 雅宣先生、純子先生の絵手紙のご指導などを通じて新しい芸術活動への意欲が湧いてきました。私は、どちらかというと音楽愛好家ですので、山岡先生のご提案が実現すれば嬉しいと思っています。また、絵手紙の誌友会にも毎月参加して、右脳を鍛えて参ります。どうぞこれからも、楽しい芸術への道をご指導下さいますようよろしくお願い申しあげます。

投稿: 松本 康代 | 2009年11月10日 11:50

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