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2009年10月26日

終末論の宗教 (4)

 この題で本欄を書くきっかけとなった高校生の質問に対して、私の答えをひと言で表現すれば、「終末論の宗教は本物ではない」ということだった。なぜそう言えるかということは、「唯神実相」と「唯心所現」という生長の家の教義から本欄ですでに説明した。生長の家創始者、谷口雅春先生は、ありがたいことに心霊学的立場からもこれを明快に説明されているので、今回はそれを紹介しよう。

「終末論」は「預言」や「予言」と密接に関係している。キリスト教の教典で終末論を扱った代表的なものは、『ヨハネの黙示録』である。この書は英語では「The Revelation of St. John the Divine」とか「The Revelation to John」などと表記され、略称は「Revelation」である。「revelation」は動詞の「reveal」(啓示する)の名詞形で、日本語の「啓示」の意味だ。「黙示」という日本語は、「黙ったままで相手に意思を表明する」という意味だが、宗教的な文脈では「啓示」と同じである。神は人間に対して、普通は誰にでも聞こえるような声によって“お告げ”をしないから、黙示すると考えられるのだ。

 この『ヨハネの黙示録』には、英語では「The Apocalypse」という別称がある。この語は、ギリシャ語の「apokalupsis」から来ていて、「~から離れる」という意味の接頭語「apo-」と「包み」の意味の「kluptein」からなっている。つまり、「包みから離れる」→「包み隠されていたものが現れる」という意味から、「秘密を暴露する」とか宗教的な「啓示」の意味に使われてきた。特にキリスト教の文脈では、再臨のキリストによる“最後の審判”と、“御国の到来”を説く秘密の書の内容が開示されることが「Apocalypse」であった。この「秘密の書」とは『ヨハネの黙示録』や『ダニエル書』などのことだ。

 このように、“最後の審判”によって世界や歴史の終末が来ることを預言者が語り、また予言が行われることで、ユダヤ=キリスト教信者の間で終末論が時間をかけて形成されてきた。この過程で、何人もの預言者が“世界の終り”についての啓示を受け、それを発表し、ユダヤ民族や世界に対して警鐘を鳴らしてきた。だから、ここで扱う「啓示」には2つの意味があるのである。1つは、代々の預言者が受ける啓示であり、もう1つは、すでに記された“秘密の書”の意味内容の啓示(開示)である。谷口雅春先生は、このうちの前者について、ユダヤ=キリストの文脈を超えた一般論として、私たちがどう判断すべきかを『新版 生活と人間の再建』(2007年)の中に明記されている。(pp.301-302)
 
 先生はここで預言者の質を問題にされている。なぜなら、宗教の開祖らの中には、「我は神の自己実現なり」という高度な霊的自覚に達していないにもかかわらず、憑依霊が「お前は神の子だ」とか「お前は○○神だ」と囁く声を聞いてその気になり、予言や預言をして人々を迷わす者があるからだ。このような質のよくない預言者は、次の4点から判別できるという:
 
 ①「世の終り」を宣言して人心を恐怖に陥れる者は、おおむね憑依による。
 ②動物霊など人間以外の自然霊が憑依した預言者は、人間らしくない奇行を伴う。
 ③憑依現象による預言は、論理的な一貫性がなく、猥雑な語句が交錯する。
 ④憑依による預言は偏執的で、他者に対して強圧的である。

 この4項目の最初に、「終末の預言はおおむね危険である」と示されていることに私たちは注意しなければならない。また、一部の宗教指導者の中に奇行癖があったり、性的な異常行動があったり、他者への旺盛な支配欲があったりする理由が、これによって分かるのである。

 谷口 雅宣

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