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2009年9月23日

“求道と伝道”で芸術的人生を

 お彼岸の中日に当たる今日は、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで午前10時から「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」がしめやかに執り行われた。私は奏上の詞を朗読し、玉串拝礼をするなど斎主として勤めさせていただいた。以下は、慰霊祭の最後に私が述べた挨拶の概要である。

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 本日は、布教功労物故者を追悼する秋季慰霊祭にお参りくださいまして、誠にありがとうございます。
 このお祀りは、永年にわたり生長の家の幹部活動をしてくださった方々で、地上での使命を終えられて霊界に旅立っていかれた方々をこの場にお迎えして、ご生前のご活躍を偲び、感謝の誠を捧げるためのものです。今回は182柱の御霊さまを新たにお祀りいたしました。
 
 今年の秋は、例年より早く来たように感じられます。「夏が早く過ぎた」と言ってもいいかもしれません。その証拠に、例年、ちょうどこの秋のお彼岸に時を合わせたように、私の家の庭には白と赤の2種類のヒガンバナが咲きますが、その咲き初めが2週間ほど早かったのです。近ごろは天候不順ということがよく言われるので、その影響かもしれません。しかし、つい数日前に講習会で伊勢に行ったときには、ちょうど赤いヒガンバナが田んぼ脇のあちこちに沢山咲いていたので、それほどの“気候変動”ではないのかもしれません。ただ、日本の農業地帯である北海道は、今年は雨が多く、日差しも少なかったようで、この間、函館へ講習会で行った時には、今年の北海道の小麦の収穫量は例年より2割ほど少なく、ダイズに至っては4割も少ないと聞きました。

 さて、生長の家の神示の中に「帰幽の神示」というのがあります。宇治の大祭などで朗読されるので、ご存じの方も多いと思います。そこには人間の一生を音楽に喩えて、人間の生命の永遠性が説かれています。神示の言葉を引用すると「汝の肉体は汝の念弦の弾奏せる曲譜である」と書かれています。これは「肉体」という一見頑丈そうな物質の塊が、実はピアニストやバイオリニストが演奏する音楽のように、心の状態によって変化し、流動する柔軟な存在でもあるという意味であります。だから、演奏のために普段から練習を積んでおかないと、音程を外したり、テンポを間違えたりすることもあるように、我々の肉体も心の調子を整えておかないと時々、調子をくずすわけです。そのことを神示では「念弦の律動にただ調和を欠きたるのみなるを病いという」と説いています。つまり、私たちが病気になるのは、あらかじめ定められた人生音楽の曲をまだ完全にはマスターしていないで、演奏を間違えてしまうのに似ているというわけです。だから、そういう場合には、また練習を重ねて、より完全な演奏ができるように努力すればいいのであります。
 
 このように「帰幽の神示」では、人生を表現芸術に喩えています。このことは、私たちに「人生を表現者として楽しめ」という教えでもあるのです。この間の20日に、三重県の講習会が伊勢でありましたが、そこで沢山の質問が出ました。その中の1つの、50歳の会社員の男性からの質問ですが、こういうのがありました--
 
「生長の家の教えを学ぶに当って、組織に属しながら実践する方が早いと思いますが、(その反面)組織の役につく事によって行事にふり廻されることがあります。谷口雅春大聖師の真理を自由に宇治等に行って学ぶために、組織の行事等に費やす時間を、それに当てたいと思う。一切の役を辞退しようと思いますが、いかがでしょうか?」
 
 この質問は、求道と伝道との関係についての一種“古典的な”問題を指摘していますね。「自分はもっと求道をしたいのだが、組織からは伝道の要請があって充分求道ができないから、伝道の役目はやめてしまいたい」ということだと思います。私はこの質問に答えるのに、「自他一体」ということを話しました。宗教の悟りには、また、宗教運動には、この「自他一体」の要素がなければならない。自分だけが生きているのではなく、すべての人々や環境との間に“愛”で結ばれているのが自分である、そういう自覚が必要です。つまり「すべては一体」の自覚です。これは、言葉で聞いてすぐに分かるものではなく、また頭で分かっても、実際生活の中で実践し、実感するのでなければ本物ではありません。生長の家の「大調和の神示」の中にも、そのことが次のように書かれています--
 
「神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波をよう受けぬ」
 
 他の人々とも一体であるという愛の自覚が生まれたならば、何かの形で「光明化運動をしたい」「組織の仲間とともに伝道をしたい」という気持が起こるはずです。自分だけ求道のための勉強に集中するのがよくて、他の人々へのお世話や伝道などご免こうむるというのでは、自他が対立していますから、「神の救いの念波をよう受けぬ」ということになるでしょう。また、聖経『真理の吟唱』には、「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩である」と書かれていますが、この観世音菩薩の最大の役割は「菩提心を起して己れ未だ度(わた)らざる前に、一切衆生を度(わた)さんと発願修行する」(『聖使命菩薩讃偈』)ことです。「自分さえ早く教えの神髄に到達すればいい」というのは一種のエゴイムズでもあるわけです。その道そのものが悪いわけではありませんが、それだけでは充分ではない。他の人や行事への参加者が真理によって救われるのを目撃することで、喜びは倍加し、本当の意味での自他一体の愛が自覚されるものです。その実感が、本当の悟りに私たちを導いてくれるのです。
 
 このことは仏教においては「上求菩提・下化衆生」という言葉でも説かれていることで、今日、このお彼岸の慰霊祭で招霊し、お祀りした人々はよく心得ておられたことだと思います。なぜなら、これらの御霊さまは皆、講師や組織の幹部として光明化運動に生涯を捧げられた人々だからです。すなわち、自分が教えを受けたい、真理を知りたいと、上へ上へと精進するだけでなく、受けた教えを、まだ完全には理解していなくても一般の人々に伝えて、他を助けたいとの願を起こして一所懸命に運動をされた人々であります。先ほど、人生は表現芸術に喩えられるという話をしましたが、これら御霊さまの人生は「求道と伝道」をともに実践された“芸術的人生”とも言えると思います。私たちも、この御祭を契機として、これら運動の諸先輩の人生から学び、顕幽手を携えて、これからも人類光明化運動を益々盛んに展開していきたいと思います。
 
 本日は、お参りいただきまして誠にありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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コメント

ありがとうございます。何か目的があって、地元の役職をいったん全部やめてでも、例えば宇治とか飛田給の研修生になって修行、求道したい、その目的や願い事をかなえるまで頑張りたい方はいらっしゃると思います。(≧∇≦)

先生のご意見では地元の役職はやめないで事情を話して、宇治などの練成を受けたり、研修生になるのはよろしいと解釈しましたが、これでよろしいでしょうか。

投稿: 奥田 健介 | 2009年9月24日 00:04

 先日は三重の講習会でご指導ありがとうございました.
会場でご講話を興味深く拝聴させて頂きました.

 午前中のご講話より、“実相”と“現象”をしっかり区別し、自覚することが大切なのだと学ばせて頂きました.
ありがとうございます.


 組織活動に関しては、講習会での質疑応答、今回のご文章より、ふと次の事が頭に浮かびました.

私が生長の家に触れる事ができたのも、この素晴らしい御教えを伝えるため諸先輩方が組織活動を通じて、伝道活動に励んでくださったから.

 生長の家の御教えに触れられた事は、喜びと感謝の気持ちで一杯です.
だからこそ“自他一体”の悟りで求道だけでなく、組織活動を通じた伝道も同様に行って参ります.そうすることが、伝えてくださった方に対する敬意を払うこと、感謝することだと思います.

 そのためにも、生長の家の活動を一生続けて参りたいと感じている次第です.


 この小閑雑感を毎回楽しく拝読させて頂いております.
 今後ともご指導よろしくお願い致します.

平野明日香 拝

投稿: 平野明日香 | 2009年9月24日 06:38

奥田さん、

 あなたのおっしゃりたいことは分かります。が、練成道場に研修生として入らなければ、真理の勉強はできないというわけでもありません。人には、それぞれの事情があり、得手不得手もありますが、そういう個人の事情だけを考慮すれば真理にいたる、とも言えません。
 「個人の事情」の背後には、甘えとか、わがままとか、習慣とか……いろいろの自己限定が潜んでいることがあり、組織の役職につくことで、そういう限定が破れて、大いに飛躍する人も多いのです。まあ、これは一般論ですから、あなたが個人的にこの件でお悩みであれば、地元の講師の先生等に相談してください。

投稿: 谷口 | 2009年9月24日 11:03

平野さん、

 よい点に気づかれましたね。私たちは“一人”では何事もできないが、“一人”から始めることで、多くの人々との協力と発展が生れる--そういうことだと思います。がんばってください。

投稿: 谷口 | 2009年9月24日 11:07

谷口 雅宣 先生

 ありがとうございます.“自分が変われば世界が変わる”ということを念頭に、今後も日常生活と生長の家の信仰活動とを調和させて精一杯取り組んで参ります.

投稿: 平野明日香 | 2009年9月25日 07:13

ありがとうございます。ご指導ありがとうございました。平野明日香さんのご投稿もすごく共感しました。

先輩の方々の祈りや伝道活動のおかげで生長の家にこれたと思います。それを考えたら僕も伝道活動これからも頑張って行こうと思いました。(≧∇≦)

投稿: 奥田 健介 | 2009年9月25日 09:13

この記事へのコメントは終了しました。

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