『産経新聞』は大丈夫か?
私は若い頃、『産経新聞』のお世話になったことは本欄等に書いたと思う。だから、私は同紙に個人的な恨みなどなく、むしろ感謝している。が、最近の同紙の外交に関する報道姿勢には“疑問符”がつきまとってならない。特に、アメリカに民主党のオバマ政権が誕生し、日本でも民主党への政権交代が起ったころから、思いあまって感情に流されるのか、報道記事が評論記事のようである。事実をそのまま伝えればいいものを、エモーショナルな見出しを付けて、読者が記事を読む前から論評してしまうのである。これは、ジャーナリズムとして邪道であり、まるで新聞が“売らんかな”の週刊誌化しつつあるようで、嘆かわしい現象だ。
先の総選挙で、『産経』が自民党政権の維持を訴えたことを私はそれほど問題にしていない。同紙はもともと「産業経済新聞」であり、産業界と経済界とのつながりが太く、それらの業界の意見を無視しえない立場にあることは理解できる。が、同時に、新聞は“公器”として国民の考えを重視しなければならない。そして、今回の総選挙での国民の選択は明瞭だった。自公政権に対して「ノー」と言ったのである。それは、必ずしも「民主党にイエス」ではない。が、まだ試運転を始めた真新しい政権に対して、初めから疑いの眼差しをもって報道する姿勢には、一流の報道機関にふさわしくない“やっかみ”が感じられ、好感がもてない。特に、外交政策の分野でそれをやることは、『産経』がこれまで重視してきたと主張する“国益”にも反することになる、と私は思う。
もっと具体的に言おう。最も近い例では、今日(24日)の第1面で鳩山首相とオバマ米大統領の初めての会談を伝える記事に、「気まずい“信頼構築”」という見出しをつけた。いったい何が「気まずい」のかと思って記事の中身を読んでみたが、日米首脳の間に「気まずい」空気が流れたなどということはどこにも書いていない。それどころか、首相は会談後に「全体として温かい雰囲気があった。大統領と私との間に何らかの信頼関係のきずなができたのではないか」と評価している。では、大統領の方から何か不満が表明されたのかというと、そういう言葉はなく、『産経』は第3面でオバマ氏の「同盟関係が20世紀後半において強かったように、21世紀もさらに強くなるチャンスだと確信している」という言葉を引用し、「新政権との協力に期待感を表明した」と自ら書いているのである。もちろん、それらを100%額面通りに受け取る必要はないが、「気まずい」ことが事実として起こったのでなければ、そんな表現を使うべきではない。
『産経』は結局、ここで記者の「憶測」を見出しに取っているのである。何を憶測しているかといえば、「民主党が在日米軍再編の見直しなどを公約にしたことで米側の不信が蓄積されている」(第1面記事)ことであり、日本側は今回、「信頼構築」を最優先に掲げていて「緊迫した場面こそなかった」(同)が、「それは懸案を事実上先送りさせたためで、“忍耐”のオバマ政権がいつ態度を硬化させるかはわからない」(同)ということである。つまり、『産経』が言いたいのは、こういうことだろう--日米新首脳の初顔合わせは大過なくスムーズに行われたが、それはオバマ大統領が民主党政権に不信感をもっていても忍耐の人であり、本当に言いたいことをガマンして言わなかったからだ。だから、2人にとっては気まずい初顔合わせであったに違いない。私は、こういうことを『産経』が言ってはいけないとは思わない。しかし、言うのであれば、事実報道を装って記事の本文に紛れ込ませて言うのではなく、堂々と「主張」などの論説欄で言うべきである。また、あくまでも事実報道として言いたいのであれば、「米側の不信が蓄積されている」ことや、オバマ氏が特別に「忍耐の人」であること、または「言いたいことをガマンしている」ことなどの証拠をきちんと記事中に示すべきである。それをやらずに断定的に書くことは、読者の知性を侮った“世論操作”に近いと思う。
『産経』は同じ日の第3面でも、第1面と同様のことをしている。それは「“現実統治”迫る米」という見出しの記事である。この記事は、今回の日米首脳会談の解説記事であるが、見出しだけを見ると、今回の首脳会談でオバマ大統領が鳩山首相に対して「もっと現実的な統治をしろ」と迫ったような印象を与える。が、そんな事実は一切ない。「現実的な統治」を迫っているのは、オバマ氏でもなく、国務長官のクリントン氏でもなく、その部下である国務省の日本担当者でもなく、何とこの記事を書いた『産経』の記者なのだ。アメリカ側はそんな注文を一切していないにもかかわらず、『産経』の記者はアメリカに成りかわって、鳩山首相に「現実統治」を迫っているのだ。ということは、この記者は不思議なほどアメリカ大統領に近く、アメリカの外交政策に通暁しており、オバマ氏の心中も知悉していることになる。ところが、記事の最後尾に書いてある次の文章を読めば、そうでないことがわかるのだ--
「今回や11月の訪日の際の首脳会談を通じ、大統領が鳩山首相に“現実の政治”を迫り説得できるかどうか、手腕が問われている」
なんのことはない。この記者は鳩山首相の政治は非現実的だから、それを修正するためには、アメリカの大統領が「現実政治をしろ」と日本の首相に迫ることが必要であり、それができれば大統領の手腕を認めるというのだ。一介の日本人記者が、アメリカ大統領の手腕をそんなことで判断するのは失礼だし、第一それをやりたいのなら、他国の大統領の手など借りずに、自分が新聞記者として言論によって自らの紙面を使ってやるべきだ。また、それができないのなら、「できない」という現実の中に自分の力不足の原因を認めるべきである。
最近の『産経』の見出しの取り方は、このように主観的である。これはほんの一例であり、鳩山首相が日本の温室効果ガス削減の中期目標を国連で発表したときも、同じような手法を使って「一般記事の見出しによる意見表明」を行った。それは23日付の同紙の第1面に載った「高過ぎる公約の呪縛」という見出しだ。「高過ぎる」はすでに意見表明だが、「呪縛」は感情の露出でなくて何であろう? 繰り返しになるが、私はこれは新聞の邪道だと考える。意見表明は論説欄で堂々とやればいい。「それをしたがまだ足りないから、一般記事の見出しで警鐘を鳴らすのだ」では、スポーツ新聞とどこが違うのか。また、戦前・戦中の新聞とも似ている。『産経』が今後もそういう方向へ流れていくのであれば、より客観的な情報を求める多くの読者を失うことになるだろう。
谷口 雅宣
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ありがとうございます。とても勉強になりました。
投稿: 奥田 健介 | 2009年9月25日 09:14
谷口雅宣先生
私もここの所の産経の一面の見出しの言葉には違和感を持っておりました。先生もご指摘の「気まずい“信頼構築”」という言葉と「高過ぎる公約の呪縛」という言葉には私もとても不快感を感じました。
これって始めから批判ありきで、だから、私は近頃の産経は自民党の御用新聞だと思うのです。それから愛国は良いのですが、それが盲目的な智恵のない愛国に感じます。私はずうっと愛国路線の評論家、大学教授、文化人の著書や評論を読んできて、吾が意を得たりという気持ちでいましたが、最近これらの人達の多くが真の愛国者ではなく、割合アメリカ追従型、中国批判一辺倒という歪んだ考えを持っている事に気づいて来ました。最近は日中戦争自体も日本の侵略ではないとか、ひいては日本の核兵器保有も唱える始末、これらは本当に日本を危険な局面に引きずって行くものだと思います。
ところで鳩山首相が国連の会議で「温暖化ガス25%削減」を堂々と表明したのに続き、今朝のニュースでは核兵器廃絶を全世界に訴えた事が報道されていました。しかも英語で。オバマ大統領のプラハでの演説もあり、日米が核兵器廃絶へ向けて、素晴らしいコンビネーションが図られるかも知れない期待に胸がふくらみます。近年、日本の首相が国際舞台でこれだけ好意を持って受け入れられるというのは余り無かったのではないかと思います。
投稿: 堀 浩二 | 2009年9月25日 09:32
谷口 雅宣 先生
就任から10日足らずの9月23日、ニューヨークにて、鳩山首相はオバマ米大統領との記念すべき初めての会談が実現しました。少なくとも私の目には今回の会談にて双方の間に、信頼関係が生まれ、絆が深まったと映りました。
確かに、25分間程の短い会談で、インド洋での給油問題や在日米軍再編などの懸案事項は先送りになったから、あまり稔りのない会談と評価する方もいるかもしれません。
しかし、鳩山首相は就任前からマスコミに反米的とみなされる記事を書き立てられたにもかかわらず、「同盟関係が20世紀後半において強かったように、21世紀もさらに強くなるチャンスだと確信している」とオバマ大統領からメッセージを受けられたのですから、「気まずい“信頼構築”」と心配する必要は果たしてあるのでしょうか? と私は思いました。
オバマ大統領は、昨年11月4日、シカゴの大統領勝利演説のなかで次のように述べられておられます。
「平和と安全を求める人たちにお伝えします。私たちはみなさんを支援します。そしてアメリカと言う希望の灯はかつてのように輝いているのかと、それを疑っていたすべての人たちに告げます。私たちは今夜この夜、再び証明しました。この国の力とは、もてる武器の威力からくるのでもなく、もてる富の巨大さからくるのでもない。この国の力とは、民主主義、自由、平等、博愛、そして私たちが内包している不屈の希望という、その揺るぎない力を源にしているのだ」と。
この力強い大統領勝利演説の前には、「(鳩山政権に対して)“忍耐”のオバマ政権がいつ態度を硬化させるかはわからない」という言葉は一笑に付されてしまうと思うのですがどうでしょうか!!
いまや、武力をもってロシア(旧ソ連)や中国を日米英で封じ込めてゆくという冷戦時代や、また世界の警察・覇権国としての強いアメリカの時代は終わりを告げ、新しい国と国との関係を築き上げていかなければならない時代に突入していると思うのです。
また、去る24日、ニューヨークの国連本部で、一般討論演説が開催されたとき、オバマ大統領は「お互いへの関心と尊重に基づいた新しい時代を喜んで受け入れなければならない」と述べられておられます。
果たして“忍耐”どころか“喜んで”と仰るオバマ大統領によって、海外における軍事基地は大幅に縮小され、軍事予算も大幅にカットされていくという現実路線に政策は転換されてきております。きっと、先送りとなったインド洋での給油問題は農業支援や職業訓練などの代替案でまとめられ、在日米軍再編の問題も両国にとってより良い解決案でまとめられ、世界平和に向けて、日米両国の信頼関係はますます深まっていくのではないかと信じております。
まさしく、来たる11月のオバマ大統領来日の時の首脳会談で、“現実の政治”が展開されるのではないかと期待しております(^_^;) 楠本忠正拝
投稿: 楠本忠正 | 2009年9月27日 17:53