キノコの神さま (3)
泰二が山荘裏の林の中にキノコの神さまを立てたのには、もう1つ理由があった。それは近年、キノコに出会う機会がめっきり少なくなってしまったので、“神頼み”をしたくなったのだ。東京での生活が忙しくなった。だから、以前のようには頻繁に山荘へ来れなくなったことが大きな原因かもしれない。が、それだけでなく、山全体から水気が減ってしまったような気がするのである。山の降水量が減ったかどうかは、詳しく調べていない。これは、地元の気象台に問い合わせても分からないだろう。なぜなら、気象台で記録している降水量は、山荘よりもっと低地の--たぶん甲府か韮崎あたりの町の降水量だからだ。それらの町と山荘との標高差は500メートルほどもあるのだ。
7年前に山荘ができた当初、付近ではいろいろのキノコが面白いほど採れた。いちばん多く採れたのはハナイグチで、これは別名「ジゴボー」とも「リゴボー」とも言って、カラマツ林によく出るキノコだ。北海道あたりでは「カラマツタケ」と呼ぶらしい。これは、林の奥深くではなく、日が差し込む明るい林中や南向きの斜面で、つややかな赤褐色の頭をもたげた。傘の裏側がスポンジ状で、鮮やかな黄色をしているので分かりやすい。また、匂いにも独特の野趣があるので間違う恐れはない。これを味噌汁に入れると、ナメコのようなヌメリが出て、なかなか美味しいのである。ハナイグチは、イグチ科のキノコの代表格だが、同じ科のものではシロヌメリイグチやアミタケも付近ではよく見られた。そこからさらに北方向に山を上って天女山まで行けば、キノボリイグチやベニハナイグチを見つけることもできた。これらは、しかし食用としてはハナイグチに劣った。
イグチ科以外の食用キノコでは、タマゴタケとチャナメツムタケが入手できた。前者は秋ではなく、夏に出るキノコだが、その名の通り、ニワトリの卵のような形の白い袋の中から出現する。そこから色鮮やかな朱色か紅色の幼菌が頭を伸ばし、黄色の軸が20~30センチの高さになったところで見事な赤い傘を円形に広げる。この極彩色の傘を緑の林の中に見つけたときの感激は、経験しなければ分からない。バターで炒めて、洋食の付け合わせにするのがいい。これに比べて後者は、秋の終りに出る茶色の地味なキノコだが、香りがよく、ナメコより美味しい、と泰二は思っていた。用途は、ナメコと同様、酢の物、味噌汁、佃煮など、和食によく合うのだった。このほか、稀少種の食用キノコでは、ハナビラタケやマスタケ、クリタケも採ったことがある。
もちろん、食べられないキノコや毒キノコもある。しかし、それらの中にも、見ていて愛らしく、美しいものがあるし、不気味な形のキノコも、出会った時にはそれなりに嬉しいものだ。日本人の多くは“農耕民族”とされているようだが、自分だけは“狩猟民族”の血を引いていると思いたくなるほどだ。こういうキノコ類はすべて、“芽”が出るためにはある程度の期間、土の表面に水分が保たれることが必要だ。雨だけでなく、霧や雲がその役割をはたすのが普通だが、そういう長期にわたる湿り気が、山から失われつつあるように思われた。その代り、夕立ちや豪雨のような激しい雨が降る。これは林地に自然に形成された腐葉土とともに表土を流してしまうから、キノコの菌糸を破壊する。そして、その後に来る、紫外線の強い日照で林地は乾燥し、“消毒”されてしまう。そんなことが原因で、キノコに会えなくなった--と泰二は考えているのだった。
もしそれが原因でキノコの数が減ったのなら、岩を積み上げてキノコの石像を造ることでキノコがよく出るはずはないのである。そんなことは、泰二の中の“科学者”は充分に心得ていた。が、その一方で、神頼みをしたい迷信家の泰二がいて、「造らないよりは、造るほうがいいゾ」と彼に囁きかけるのだった。
谷口 雅宣
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