神は偉大でないか? (5)
『God is Not Great』の第5章は、“病気治し”をめぐる宗教の問題である。ここには、生長の家の信仰者にも無縁でないことが書かれていて、興味深い。簡単に言えば、「信仰で治すか、医学で治すか?」の問題だ。特に、病気の原因が医学的にハッキリしている場合、宗教がそれを否定すると、信仰者に悲惨な結果を招く可能性が大きくなる。だから、宗教(あるいは信仰)は有害である、というのが著者、ヒッチェンズ氏の主張である。
具体的な事例を読むと、世の中にはずいぶん極端な主張をする宗教もあるものだと驚く。もちろん、生長の家では医学を否定しない。が、医学だけでは健康は回復しない、と考える。投薬や手術が健康をもたらすのではなく、人間の内部にある自然治癒力が発揮される必要があり、そのためには「心」の要素が非常に大きい。このことは医学でも認めているから、我々の信仰では「医者を取るか信仰を取るか?」という二者択一の問題は発生しないことが多い。ただし、一度「医者」を選択すると、最近では検査、検査、投薬、投薬……という事態になりかねない状況でもあるから、「できることなら、信仰だけで治したい」という患者の気持も充分理解できるのである。
さて、ヒッチェンズ氏が示す事例をいくつか掲げよう。
インド北東部のベンガル地方で、著者の友人のカメラマンがユニセフの仕事の一環として子供たちのために小児麻痺のワクチン接種を進めていた時のことだ。どこからともなく妙な噂がひろがってきたという。それは、この薬は西洋の諸国の謀略であって、ワクチンを飲めば生殖機能が不能となり、下痢が続くというのである。その噂の出どころが、イスラーム主義者なのだった。小児麻痺のワクチンは同一人に2回接種しなければならないが、この噂のおかげで、心配した多くの親たちが接種をためらうこととなり、その地方からこの病気を排除することができなくなるのだった。この例は「信仰で治せ」というものではないが、「西洋医学を疑う」という点で、その効果は似ている。
ナイジェリアでは、もっとヒドイことがあった。同じ小児麻痺予防のワクチンの接種について、イスラーム法学者の一団がそれを「イスラームに対するアメリカと国連の陰謀である」というファトワ(イスラーム法にもとづく見解)を出したのだ。ワクチンは、真の信仰者の胤を絶やすためのものだというのである。この法的見解のおかげで、小児麻痺が一時消えていた同国に、数カ月後にはこれが復活した。そればかりでなく、旅行者やメッカへの巡礼者が感染したまま外国へ行ったため、この病気がすでに撲滅されていた他の国--アフリカ3国と遠くイェメンまで--へと小児麻痺は広がったのだ。
これと似たことが、コンドームとエイズとの関係で世界各地で起こったという。それをいちいち書くことは控えるが、問題のポイントだけを言えば、エイズウイルスの感染防止のためにコンドームは有効だという医学的見解に、医学不信と避妊禁制を盾に取って、イスラーム法学者のみでなく、カトリック教会までが声をそろえて反対したのである。その反対理由はばかげている--「すべてのコンドームには、密かに目に見えない細かい穴が開けてあるから」というのである。つまり、コンドームはエイズを感染させるために作られた、と信じているようなのである。しかし、コンドームは避妊具の1つであるから、穴が開いていれば欠陥商品であり、場合によっては訴訟の原因にもなる。だから、「すべてのコンドーム」に穴が開いているはずはない。
アフリカなどでのエイズの蔓延は、こうした宗教的見解の愚かさにも原因がある。
だから、ヒッチェンズ氏は「宗教は、公衆衛生に対する緊急な脅威であり続けている」と手厳しい。また、この章では、ユダヤ教の「割礼」の習慣についての批判もあるが、その詳細は本欄で取り上げるのに相応しくないと考えるので、割愛する。
谷口 雅宣
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コメント
I'm reading your blog, on the polio vaccine.
I am using a translator of the "internet"
\jorge Altamirano (Orkut/ Brasil - SP)
投稿: Jorge Altamirano | 2009年8月21日 11:39
合掌 ありがとうございます。
>その反対理由はばかげている--「すべてのコンドームには、密かに目に見えない細かい穴が開けてあるから」というのである。
ヒッチェンズ氏がいうカトリック教会がコンドムを反対する理由は、理由ではなくて、青年の間で素早く不信感を伝える一つの対策にすぎない、かと思います。本当の理由はカトリック教会の御教えにある、体の快楽を否定することにあるのではないでしょうか。
カトリック教会を含むキリスト教の多くは、避妊薬や中絶を反対し、結婚まで純粋なバージンであることと結婚生活の中でも性欲を押さえることがより神の御心に叶うと伝えていますから、エイズ防止のためでありながら、セックスの自由化をもたらす副作用があるコンドムをカトリック教会は反対したのではないかと思います。すくなくとも、ブラジルの教会ではそのような説明を何回か聞きました。
ですが、宗教は公衆衛生に害を与える場合もあるとは認めなればいけません。そうは言っても、その逆も無視はできません。宗教が引き出す人間の善意が社会の秩序に大きな影響を与えていることも忘れてはいけないと思います。
再拝
投稿: erica | 2009年8月21日 13:13
erica さん、
>>宗教が引き出す人間の善意が社会の秩序に大きな影響を与えていることも忘れてはいけないと思います。<<
その通りだと思います。この本は、宗教の“悪い面”ばかりを取り上げている点で、問題があると思います。私の意図は、我々の運動が著者の批判に該当しないかどうかを読者に考えてほしい、というものです。
投稿: 谷口 | 2009年8月21日 23:19
合掌 ありがとうございます。
>私の意図は、我々の運動が著者の批判に該当しないかどうかを読者に考えてほしい、というものです。
そうですね~ 「神は偉大ではないか」のシリーズを読みなら、ずっとその質問を自分にしてきました。
御教えとその普及に必要な運動の方針の面からは引っかかるところは見つかりらず、生長の家の素晴らしさを再確認いたしました。
ですが正直言いますと、・・・まだまだ悟っていない私たちが現象世界で行われる運動ですので・・・程度を小さくてもたまには問題を起こす可能性もなくはないと思います。その様な事を避けるためには、われわれ信徒ができるだけ御教えの高さに心を近づける努力をしなければいけませんね。
再拝
投稿: erica | 2009年8月22日 00:47
医学は「いのち」を忘れてしまっているように思えてなりません。
もっと本来持っている「自然治癒力」や「恒常性の維持機能」をもっと信じ高めていって欲しいものです。
その点、宗教なのに早くから「精神神経免疫学」見地にたったご講話をされていることに感心しています。「宗教だからこそ」なのかも知れませんが。
投稿: hieho | 2009年8月22日 11:38
hiehoさん、
どなたか存じ上げませんが、「精神神経免疫学」なんて難しい言葉をご存じなのですね。医学が専門ですか?
投稿: 谷口 | 2009年8月22日 22:43