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2009年7月30日

グラフィティー作家のこと

 29日の本欄でご覧に入れたサンパウロ市の大きな“落書き”について、少し補足しよう。

 ツイッターで知り合ったブラジル人によると、この“壁画”の作者は、オタヴィオとグスタヴォ・パンドルフォ(Otavio and Gustavo Pandolfo)という双子のアーティストで、当地では「オス・ゲメオス」(双子)という名で知られているそうだ。サンパウロ生まれの35歳で、1987年ごろからグラフィティーを描くようになり、サンパウロ市を初めとしたブラジル国内だけでなく、オランダやサンフランシスコでの“作品”もあるらしい。
 
「作品」などという言葉を使うと、街での落書きを誉めているような誤解を招くかつかもしれないが、落書きは大抵の町では違法行為だ。が、グラフィティー・アーティストはそんなことは承知の上で、街中の意外なところ--高くて手が届きそうもない場所、危険な場所など--に、自分の名前やイニシャルを図案化した“サイン”を描いたりする。

 オス・ゲメオスの作品は、1980年代末のアメリカのヒップホップ・カルチャーの模倣から始まったが、1993年以降から絵の色調やデザインに“ブラジル色”が反映されてきたという。その特徴の1つは“黄色い顔の人物”で、またサンパウロの社会的、政治的状況を反映した題材、さらにはブラジルの昔話に取材したものなどテーマは多岐にわたる。興味のある人は、彼らの公式サイトを参照されたい。

 谷口 雅宣

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2009年7月28日

ブラジル到着時の様子

 7月27日(現地時間)に私たち一行がブラジル・サンパウロ市の空港に着いたときの模様を、現地の人(Nanaaa31)が撮映し、動画サイト「ユーチューブ」に上げたものを見つけた。本人が知らないうちに映像や音声が世界中に発信される……そういう時代になったのだと、感慨を深くした。

 谷口 雅宣

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ブラジルに着きました

 しばらく御無沙汰していたが、生長の家の国際教修会などのためブラジルのサンパウロ市に来ている。短文やスナップ写真などをミニブログ「ツイッター」に随時掲載しているので、興味のある読者は本欄ではなく、サイドバー上に出るリンクをたどって、そちらを参照されたい。以下は、最新のスナップ写真。 

Sao Paulo, 27 July 2009 (1) on Twitpic サンパウロの町

Sao Paulo, 27 July 2009 (2) on Twitpic

町には落書きが多い、高級住宅地の壁にまで描かれているのは驚くが、この写真のように、なかなか見ごたえのあるものもある。

Sao Paulo, 27 July 2009 (3) on Twitpic

この町には東京並みの人口が住むが、そこに1千カ所以上も“貧民窟”があるらしい。この写真はその一部。

Sao Paulo, 27 July 2009 (4) on Twitpic

町中では大型トレーラーが猛然と走るのが、少しコワイ。日本のダンプカーの倍ほどの長さのものもある。その“横腹”を撮った。

 谷口 雅宣

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2009年7月16日

ブログの休載について

 7月13日以降、私が本欄を休載していることで、心配している読者がいるといけないので、事情を少し書こう。今夏は、ブラジルのサンパウロ市において「世界平和のための国際教修会」が行われる。そのための日本出発が今月下旬に迫っているので、私は現在、その準備等に忙しい。本欄の執筆には結構、時間とエネルギーが必要なので、これを継続することは教修会の準備を疎かにすることにつながる恐れがある。そのための休載である。

 臓器移植法の改正が行われたことは残念だが、これについてはすでに私の考えを発表ずみだ。また、自民党政権の崩壊が予測されていて、日本の政治状況はきわめて流動的だが、総選挙は私の帰国後の予定である。そこで政権交替が行われても、日本が今より悪くなるとは思えない。そんなわけで、私はしばらく目の前の課題に取り組む考えである。その間、「日時計日記ウェブ版」などの生長の家関係のブログを参照していただければ幸いである。妻の「恵味な日々」もお忘れなく。
 
 谷口 雅宣
 

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2009年7月12日

2000年ハスを見る

 今日、鳥取県米子市の米子コンベンションセンターで行われた生長の家講習会では、1,911人の受講者が来場され、終日静かな雰囲気の中で会がもたれた。天候も曇天で、暑すぎないのがよかった。前回より126人(7%)多くの受講者があったが、これは井手本昌久・教化部長をはじめとした鳥取教区の幹部・信徒の皆さんの熱心な推進活動の成果である。この場を借りて、御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 講習会終了後、島根県斐川町にある荒神谷史跡公園というところに寄った。出雲空港からの羽田便で帰るため、途中にある史跡に寄ったのだ。ここは、昭和58年(1983年)に広域農道を建設中に、土器の破片が発見されたことから遺跡として発掘が始まり、翌年には358本の銅剣が一気に発見されて有名になったところだ。しかし、私の関心はそちらではなく、今が見ごろである約5千株のハスの花の方だった。これは「2000年ハス」と呼ばれていて、元の種が2000年前のものと推定されている。
 
 昭和26年(1951年)に千葉県の検見川から丸木舟と一緒に出土したタネを、発見者の大賀一郎氏が育てて開花させたものの“子孫”だという。昭和63年に島根県大田市から譲り受けて、この地に移植された。最近、アメリカの原子力研究所による放射性同位元素の測定から「3千年前のもの」という説も出ているらしい。

Lotuspond  私は時々、生長の家講習会で「植物の命の存否は測定できない」という話をするが、その時にこの「古いハスの種」のことを例に挙げる。2千年もの間、土の中に埋もれていても死んではおらず、条件しだいで発芽し、大いに子孫を殖やす植物もあるのだ。が、実物をまだ見たことがなかったので、ぜひ一度見たいと思っていた。今回見たハスの花々は、厳密な意味では「2千年前の生命」とは呼べないかもしれないが、“生命の不滅”を感じさせてくれるに充分な美しさと、力強さをみなぎらせていた。ハスの花は、本当は開花する早朝に観賞すべきだろうが、今回はそれがかなわない。夕方、もう花を閉じているものや、使命を終えて散りかかっているものをカメラに収めた。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月11日

外交機密の報道姿勢

 6月30日7月3日の本欄に、戦後日本の外交政策の“柱”の1つとされてきた「非核3原則」なるものが、実は「2原則」だったという元外務事務次官の証言について書いた。私の論旨は「施行から30年もたったのだから、いいかげんに本当のことを言おう」というものである。『産経新聞』は、2日の「産経抄」で「外交にウソはつきもので、正直すぎては国が滅びる」という粗雑な議論を展開し、本件を無視しようとしたかに見えた。が、このところ反省もあったのか、“後追い取材”をしてくれている。
 
『産経』は10日付の紙面で、9日に都内で開かれた討論会での自民党の山崎拓氏(外交調査会会長)の発言を、記事にした。同氏は、核搭載の米艦船の日本への寄港について「北朝鮮の核開発を阻止し、朝鮮半島の非核化を実現する上で、米国の核抑止力として、そのような行動は容認されてしかるべきだ」と述べたそうだ。これは、「非核3原則」のうち「持ち込ませず」という(有名無実の)看板をもう降ろそうという意見である。まあ、山崎氏の持論なのだろうが、自民党の外交調査会長としては、むしろ「前からある核持ち込みの密約は、もう大っぴらにされてしかるべきだ」ぐらいの発言をしてほしかった。

 同紙はさらに11日の紙面で、自民党の河野太郎氏(衆院外務委員長)が問題発言をした元外務事務次官(村田良平氏)から聞き取り調査を行ったことを報じている。それによると、河野氏は「村田氏の証言から密約はあったと判断した」という。そして、「外務委員会では今後“密約はない”との答弁の繰り返しは認めない」と、政府の答弁の撤回を求める意向を示したらしい。村田氏の証言の内容は、河野氏が週明けにも詳しく発表するようだが、記事によると、それは『産経』以外の各紙がすでに報道したものと変わらないようだ。この記事を書いたことで、『産経』は本件について事実上、各紙と同一レベルに並んだことになる。『朝日』の“後追い”をするのは、さぞ口惜しかったろう。
 
 一方、本件で先を走る『朝日』は、10日の紙面でさらに衝撃的なことを報じた。それは、問題の核持ち込みの“密約”と関連した文書を、外務省幹部が2001年の情報公開法施行前に廃棄するように指示していた、というのである。この記事の取材源は「複数の元政府高官」と「元外務省幹部」であり、それぞれが匿名を条件に証言したという。ただ、この情報の確度は100%とは言えず、証言のしかたも「……と聞いている」という伝聞の形式であったり、「破棄された可能性が高い」とか「極秘に保管されている可能性は残っていると思う」という表現で証言されている。
 
 さらに『朝日』は11日の社会面と社説でもこの件を取り上げ、これらの外務省幹部の行為は、日本の外交史の検証を不可能にする背信的行為であり、民主主義の基本を無視していると批判している。社説から正確に引用すると--

「国益がからむ外国政府との交渉で密約が必要だったとしても、それは後年、国民に公開し、妥当性について説明するのが政府の責任であるはずだ」
「主権者である国民に対して、政府が重大な事実を隠し、その証拠も処分してしまう。これではとても民主主義とは言えないではないか」

Nonukes  私は、この2点について全く同感である。これらの点で『産経』が政府や外務省に対して何の発言もしないことは、『朝日』に抜かれた口惜しさを考慮しても、ジャーナリズムとしては奇異な態度だと私は思う。
 
 今日は、生長の家の講習会のために鳥取県米子市に来ているが、夕方、宿舎のホテルの近くにある米子市役所付近を散歩した。土曜日だから役所は閉まっており、人影はほとんどなかった。と、静まり返ったその正面広場に高々と立っている看板が目についた。「非核平和宣言都市 米子市」と縦に大きく書いてある。これと似た宣言をしている都市や県が日本にはもっとあるが、今回の“非核2原則の密約”のことを思うと、民主主義は「宣言だけでは守れない」ことを強く感じるのである。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 9日

ジャーマン・カモミール

Kamomile  今日は、休日を利用してスケッチをした。ジャーマン・カモミールというハーブの一種で、ヒマワリとタンポポを合わせたような黄色い花の愛らしさが好きだ。長い茎の先に花が咲いた様子が、何となくおどけた感じでユーモラスに見える。普通のカモミールの花は白い花弁をもつが、ジャーマン・カモミールは黄色だ。この花をお茶にして飲むカモミール・ティーは、香りがよくておいしい。
 
 曲線の多い植物と対照させるために、手元にあった電卓を一緒に描いた。こちらの色は実物はベージュだったが、黄色の反対色である青に変えてみた。カモミールの葉は細長くて見栄えが貧弱ないので、スペアミントの葉を描き込んだ。バックの橙色は、テーブルの色を前面に敷いたもの。

Kamomile2  タブレットPCに直接手描きしたのだが、それを“印象派”風にソフトウエアで加工したものも添える。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 7日

アメリカ伝道本部が太陽光発電を導入

 前回は、生長の家総本山の“炭素ゼロ”達成をお伝えしたが、生長の家の温暖化抑制努力は海外でも展開されている。米カリフォルニア州ガーデナ市にあるアメリカ合衆国伝道本部は、昨年10月から太陽光発電装置の設置を検討してきたが、今年6月末には、同Ushqsolarsys 市による設置審査が行われ、南カリフォルニア・エディソン社によるソーラパネルの設置も終り、あとは発電メーターの取り付けを待つばかりとなった。勅使川原淑子・アメリカ教化総長が同伝道本部の屋根に設置されたシステムの写真を送ってくださったが、発電容量や、同伝道本部の電気使用量との比較などの細かい数字は分からない。設置費用は約8万ドル(770万円)で、これによって同伝道本部の事務局サイドの電気使用量(月約2千kWh)をほぼまかなうことができるそうだ。

 勅使川原総長によると、同本部の近隣には太陽光パネルを設置している会社や民家は見当たらず、生長の家のような非営利団体(宗教を含む)が太陽光パネルを設置することは珍しいこともあって、同市や州からの設置許可を得るのに予想以上の時間がかかったという。また、伝道本部を訪れる信徒はもちろん、信徒以外の人々への環境意識の啓発にもつながっていて、幹部の間に喜びが広がりつつあるという。同教化総長は、「車社会のカリフォルニアですが、伝道本部の建物が2階建てですので、道行く車からも目にもふれやすい位置にパネルが設置されており、日ごとに多くの人々に影響を及ぼすものと期待しています」と言っている。

 カリフォルニア州は“日照州”(sunshine State)という異名もあるくらいだから、日照時間も長く、よく乾燥するので野火や山火事が多いのが心配なほどだ。この太陽光発電導入をきっかけにして、「自然と共に伸びる」という言葉の通りにアメリカでの運動が飛躍的に発展することを期待したい。今回の装置導入を決定した同国の幹部・信徒の方々の熱意と、“炭素ゼロ”運動へのご協力に心から感謝申し上げます。

 谷口 雅宣

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2009年7月 6日

生長の家総本山で“炭素ゼロ”を実現

 本欄の一部の読者にはすでに旧聞に属することかもしれないが、長崎県西海市にある生長の家総本山は、昨年度において“炭素ゼロ”を達成した。“炭素ゼロ”とは「カーボン・ニュートラル」とも言われ、ある事業所におけるすべての活動から、実質的に二酸化炭素が「ゼロ=排出されない」ということである。これが達成されれば、その事業所は地球温暖化に加担しないで業務を継続することができると見なされる。生長の家では、教団全体の活動を“炭素ゼロ”にすることを目標にして運動を進めているが、ひと足先に総本山が単独で、その目標を達成したことになる。
 
 この話は、4月の初めに同本山の菅原孝文総務(当時)からメールで報告を受けていたのだが、各種の事情で本欄で取り上げることができなかった。また、同総務のメールの文面が“遠慮がち”だったことにも原因がある。その事情を説明すれば、今回の同本山の“炭素ゼロ”達成には、当地で行われる団体参拝練成会に参加する全国の幹部・信徒の皆さんが、いわゆる「炭素ゼロ旅行」を率先して実行してくださったことが大きく寄与しているからだ。もちろん、同本山での省エネ努力も継続されているが、それによるCO2排出削減量よりも、「炭素ゼロ旅行」の採用による削減量がはるかに大きかった。そういう意味で、本欄の読者の皆さんの御協力に、この場を借りて篤く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
Souhonzancn5  具体的な数字を示せば、昨年度の同本山のCO2排出総量は111万1,652kgで、うち事業所からの排出分は59万601kg、団参参加者等の移動による排出分は52万1,051kgだった。これに対し、同本山の森林が吸収するCO2の量は117万8,528kgだから、吸収量が排出量を6万6,876kg上回ったことになる。これにより、同本山の活動が、微量ではあるが、大気中のCO2の総量を減らしたことになる。ちなみに、団参参加者等の移動によるCO2排出量は、平成18年度は約120万kgだったが、19年度には約94万kgに減り、昨年度は52万kgになったから、3年間で半分以下に減ったことになる。一方、事業所からの排出分も減少し続けており、平成18年度は約70万kgだったのが、19年度は61万kg、20年度は59万kgだった。同本山では、「今後、森林の適正な育成と事業所からのCO2排出量のさらなる削減、灯油に代わる代替燃料などの活用で、地球温暖化防止に貢献してまいります」と言っている。
 
 総本山の場合は、約80万坪もある森林が温室効果ガスを吸収してくれるため、“炭素ゼロ”が比較的容易に達成できた。しかし、東京の本部会館の事務所となると吸収量はほとんどゼロだから、排出権購入や植林等の別の手段で“炭素ゼロ”を達成しなければならない。各地の教化部でも、事情はあまり変わらないに違いない。
 
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 5日

室蘭にて

 今日は室蘭市文化センターと苫小牧市民会館の2会場を使って、室蘭教区での生長の家講習会が開催された。室蘭地方は朝から霧がかかっていたが、雨は降らず、講習会終了時には青空が輝く好天になっていた。両会場で合計2,289人の人々が受講してくださった。前回より大幅に減少したのは残念だが、一日和やかな雰囲気で講習会が行われたことは誠にありがたかった。熱意をもって推進活動を展開してくださった教区幹部の皆さまには、この場を借りて心から御礼申し上げます。
 
 前日の夕方、妻と2人で室蘭市内を散策した。同じ教区の苫小牧市では人口は増えているそうだが、ここは人口減少なのか、宿舎付近の商店街は相変わらずの“シャッター通り”だった。が、大型ショッピングセンターまで足を延ばすと、結構人々が集まっていて、にぎわいを見せている。そこで少し驚いたのは、センター内にパチンコ店ができていたのはまだいいが、隣接して保育所がある。「なぜ?」と思ったが、妻がすぐに回答を教えてくれた。小さい子供のいる若い奥さんたちが、心おきなくパチンコやスロットマシンを使えるようにという店側の“配慮”だろう、というのだ。

Murobento  が、ここにも良い点はある。それは新鮮な食材が豊富に、しかも安価にあることだ。ものの値段に詳しい妻の言うことには、東京の値段の半分ぐらいだそうだ。例えば弁当では、冷やし中華が150円、とんかつ弁当は280円、ハンバーグ弁当、チキンカツ弁当は398円……など。妻は、地元産の採れたてのホワイト・アスパラが安い(168円)と言って購入した。私はそれを絵封筒に描いて、午後の講話の時間に皆さんにご披露した。
 
Chikyumis2  講習会後には、地球岬に立ち寄った。広大な海が展望できるため「地球が丸いことが分かる」という意味の名前だそうだが、あいにく霧が出ていて海は見えず、その代り、雲の上に浮かんだような幻想的な雰囲気を楽しむことができた。自然の変化を肌で直接感じることができるのは、ありがたいことである。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 3日

7月2日の「産経抄」

 6月30日の本欄で、自民党政府の長年の重要政策とされてきた「非核3原則」なるものが、実は「2原則」に過ぎなかったとの新聞各紙の報道を取り上げ、「ウソをつくのはもうやめよう」と書いたが、2日の『産経新聞』は、国家の機密保護のためにはウソもやむを得ないし、「正義は国を滅ぼす」と「産経抄」で述べている。まさか本欄に向かっての発言ではないだろうが、ジャーナリズムに籍を置いたものとしては看過できないので、ひと言述べさせていただく。
 
 外交に機密事項があるのは当り前、と私は書いた。しかし、そのことと、政府が「機密事項はない」と国民に向かってウソをつき続けることとは、まったく性質が違う。今回の問題は、元外務次官が「核持ち込みの密約があった」と認めたこと自体がニュースなのではなく、(これは私の考えだが)現在の内閣官房長官が「密約はないというのが歴代の政府の立場なので、ないというほか仕方がない」などと、バカなウソをつき続けていることなのだ。しかし、「産経抄」はこう書くのだーー
 
▼密約の存在を否定する政府を、「嘘つき」と非難するのはたやすい。しかし、国家の安全保障に関するやむを得ない機密は、どこの国にも存在する。それを一切認めないという姿勢は、山本(夏彦)の代表的な名言につながる。「正義は国を滅ぼす」▼

 何か支離滅裂な論理のように、私には感じられる。自民党政府は、1967年12月に「非核3原則」を方針として発表し、それを“堅持”するのが日本の外交政策だ、と今日まで言い続けているのだ。冷戦時代においては、日本は国家防衛の基本戦略として「アメリカの核の傘に依存する」との方針を掲げ、国民の大半もそれを支持していた。が、冷戦後の現在は、ソ連の後継国であるロシアや、中国の持つ核兵器よりも、北朝鮮やその他のテロ集団がもつ核兵器の方が日本の安全にとってより大きな脅威なのである。そういう大きな時代の変化、国際情勢の変化の中で、大方の専門家がウソだと分かっている「非核3原則」なるものを堅持し続けることは政治家として「愚か」であると同時に、国民に対して「不誠実」であり、「国益」にも反する、と私は思う。
 
 また、上に「産経抄」から引用したような言葉は、政府の高官の発言ならいい。なぜなら、この文は事実上、「核の持ち込みがあるかどうかは機密事項である」と言っているのだから、「機密事項はある」ことを認めているのだ。しかし、官房長官は今回も「機密(密約)はない」と発言し、ウソを重ねた。この場合、「機密がある」というのが真実であり、「機密はない」というのはウソである。これらのことを全く問題にしないで「取るに足らない出来事」と評価するのは、ジャーナリズムとしての役割を忘却した態度ではないだろうか。歴代の政府が採用してきた外交方針を、単に「外交には機密がある」という理由だけで擁護し続けることがジャーナリズムの使命ではあるまい。

 外交や国際政治には、国民の目から一時的に隠さなければならないことはある。が、30年もの間隠すことがあってはならない。そういう隠蔽体質の権力が長く政権の座にあるときに、「真実を言え」というのがジャーナリストであり、言わないときには自ら危険を冒してでも「真実を報道する」のがジャーナリストである。28年前、私にそれを教えてくれた『産経新聞』が、今日まるで“御用新聞”のようなことを書くのが悲しくてならない。
 
 谷口 雅宣

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2009年7月 1日

映画『人生に乾杯!』

 我々夫婦にとって週末の今日、銀座まで足を延ばしてハンガリー映画『人生に乾杯!』を見た。私としては、特に前評判を聞いていたわけではなく、予告編を見て「老夫婦が銀行強盗をする奇妙な映画」という印象をもっていただけだが、妻がどこかで評判を聞いて所望した。1967年のアメリカ映画に『俺たちに明日はない』というのがあったが、それと似たような内容かとも思ったが、似たようでいて違うし、違うようでいて似ていた。このアメリカ映画は、1930年代に実在したボニーとクライドという若い男女2人組の強盗が、強盗旅行をする話だ。だから、「明日はない」という捨て鉢の言い方がピッタリくる。しかし、ハンガリー映画の主人公2人は老夫婦で、すでに人生の大半を生きたすえでの強盗旅行である。その映画の邦題を「人生に乾杯!」(原題は Konyec=終り)としたのは、私には何か「やりすぎ」と感じた。
 
 が、その大きな理由は、この映画が作られたハンガリーという国の事情をよく知らなかったためだ。知ってみると、「そういう翻訳もあるかもしれない」と半ば納得する。この作品を見る読者は、映画の背景を知っていた方がいいと思うので、少し説明しよう。
 
 1950年代後半が、この映画の出だしのシーンである。東西冷戦のまっただ中のハンガリーは、ソ連圏に編入されている。法政大学の南塚信吾教授がこの作品のプログラムに解説文を書いているが、それによると、社会主義の制度下では、最後の20年間の給料に応じて年金生活者の生活は保証されていた。当時は、平均賃金とほぼ同額の年金がもらえたという。ところが、1989年の東欧革命で資本主義の考え方が導入されると、物価上昇が始まり、年金生活は苦しくなってくる。1996年からは年金制度が市場化されて、若い勤労者は私的年金基金に加入することになるが、老人にはこれが適用されないので、高齢者の年金は年ごとに相対的に減価することになる。例えば、2000年ごろの平均賃金は15万フォリントだったが、高齢の年金生活者が受け取る額は4~5万フォリントしかなかったという。こうなると、高齢者を生活苦が襲い、公営のアパートの家賃も払えなくなる人が続出する。戦後の厳しい時代を懸命に生きてきた彼らは、自分たちの責任でない“制度改革”によって貧困に陥ることになる。これに輪をかけたのが、西欧諸国から流入する先進国資本による東欧経済の支配である。これらは、“無慈悲で野蛮な資本主義”として東欧の人々の目に映るようになる。だから、「反体制のために立ち上がった老夫婦」というイメージが主人公の2人には付されている。
 
 このことを知ってみると、この作品の強盗旅行は反社会的ではなく、反グローバリズム・反西欧資本的な“人間性回復”のための大冒険とも解釈でき、それを敢行した老夫婦に対し、作品中の多くの人々が歓声を送る感情も理解できるのである。ついでに言えば、老夫婦の夫は、かつては共産党の要人付き運転手で、妻の方は元伯爵令嬢という“社会的距離”の大きさを越えて結ばれた。その夫婦が最晩年に再び情熱を燃やして、不合理な社会に反旗を翻すという設定になっている。
 
 ところで、私の妻もこの映画のことにブログで触れ、映画館は「ほぼ満席で、若い人も多く、こんな地味な映画が、好まれるのかと意外に思いました」と書いている。私も同じ感想をもったのだが、もしかしたら、今の世界的経済不況に義憤をもやす若者が「不合理な社会に反旗を翻す老夫婦」に共感するのかもしれない。
 
 谷口 雅宣

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