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2009年6月26日

宗教の社会的貢献

 地球温暖化抑制や貧困撲滅という人類的・国際的要請との関係で近年、企業の社会的責任が注目されている。英語ではコーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティー(corporate social responsibility)といい、「CSR」と略称される。企業が国際化し巨大化すると、一国の法律では規制できない数々の“網の目”をかいくぐって、多国籍企業が利潤追求のために“不正”を行える可能性が増えてくる。また、大企業は、工場や事務所の進出や撤退、投資、M&Aなどを通じて、地域社会や一国の経済にも影響を与える可能性をもっている。そういう点に着目して、企業活動に倫理的な判断を要請する考え方である。宗教の世界では、あまりそういうことが言われないが、私は公益法人である宗教こそ、そういう視点に敏感であるべきと思う。
 
 現在、宗教法人を含めた公益法人制度の見直しが行われているが、その背景には、きっと上記のような企業活動に対する社会的要請とのバランスの問題があるのだと思う。つまり、現在、宗教法人は原則的に収益に対して非課税である。その理由は、「宗教活動=公益」という古い、単純な考え方によって、宗教が“公益”を目的とした法人(公益法人)だと見なされていてるからだ。しかし、実際の宗教活動の中には、必ずしも公益とは呼べないようなものも含まれるとともに、「宗教法人」という看板を隠れ蓑にして、公益目的でない(もっとありていに言えば、詐欺的な意図をもった)団体が活動する余地が残されているからだろう。私はもちろん、宗教は公益に貢献していると信じる。しかし、宗教は基本的に「心」を扱うものだから、外からは分かりにくいところがあり、それが「うさん臭さ」や「教団の利益優先」というようなマイナスの印象を生んでいることも事実である。
 
 そこで、そういう誤解を払拭するためにも、社会的貢献の“客観的な指標”があるならば、宗教団体はそれを活用して、わかりやすい形のCSRを行う義務があるのではないか、と私は思う。生長の家が、環境経営の国際指標である「ISO14001」の取得に乗り出したのも、そういう視点があったからである。今日、生長の家は国内にあるすべての事業所で「ISO14001」を取得しただけでなく、海外に於いても取得への取り組みを進めている。が、この取り組みだけで社会的責任が果たせているとは思えない。そこで、現下の喫緊の課題である地球温暖化抑制のために“炭素ゼロ”(二酸化炭素の排出をゼロにする)という高い目標を掲げた運動が開始されたのである。その考え方にのっとり、生長の家は排出権を購入し、信徒の移動で排出されるCO2を金銭的に相殺するカーボン・オフセットを一部で実行し、さらに植林活動などを展開している。
 
 が、この“炭素ゼロ”を目指した運動は、しかし1つの矛盾を抱えている。それは、現在の社会全体が、まだ化石燃料を主要エネルギーとする産業構造と政治制度を温存しているからである。この環境の中では、何かを強力に推進しようとすると、必ず化石燃料を燃やすことにつながる。その逆に、化石燃料を燃やさないようにすると、宗教活動を推進することが困難になりがちである。この矛盾を乗り越えるためには、宗教団体内部の努力だけでは、どうしても限界がある。社会に対して、化石燃料を燃やさない方向へ動くように、何らかの働きかけをする必要が生じてきているように思う。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生
ありがとうございます
さてご下問ですが
具体的に動くのであればかつて『優性保護法』問題のように政治に入って動くしかないと思います。
しかし現在は活動休止中の『生長の家政治連合』を復活させるのは性急しすぎではないかと思います。
同じ宗教団体で宗派の違いを乗り越えて環境問題で結集し協力関係を築きそのうえで問題提起した方が得策ではないかと思います。なんせ『生長の家』は万教帰一を哥っているからです。ありがとうございます
以上 拝 直井誠

投稿: 直井誠 | 2009年6月26日 23:43

直井さん、

「下問」だなんて、古い言葉をご存じですね。でも、私はここで誰かに質問しているわけではないんです。

>>具体的に動くのであればかつて『優性保護法』問題のように政治に入って動くしかないと思います。

 それは「……しかない」という性質のものではなく、選択肢の1つにすぎません。社会は「政治」だけで構成されているわけではありませんから。

投稿: 谷口 | 2009年6月27日 12:51

 国家財政が緊迫しているから宗教法人等の公益法人制度にもご協力願いたい。というのが見直しの本音と思いますが、それは言葉では上手に表現できませんが、ゆとりある社会育成とは意を異にする施策であると思います。
 本当に社会に貢献している宗教法人等に対しては優遇措置が執られてしかるべきと思いますが、しかし、何によってそれを判断するのか?大方の合意が得られる判断基準を作成するのは困難な部分もあると予測され、現行では100%に近く無理であると思います。
 為政者の判断がどのようなものであちても、今地球温暖化防止のためにできることを最大限に実行して行くことの方が重要であると思います。
 たとえそれが世人の喜ばしい評価を受けるものでなくとも、後世の明るい未来を信じて努力を傾注すべきと思います。

投稿: 志村 宗春 | 2009年6月28日 00:25

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