« 多様なる幸福 | トップページ | 映画『人生に乾杯!』 »

2009年6月30日

ウソの看板は降ろそう

「非核3原則」は虚構だった--元外務事務次官の村田良平氏(79)が、そういう意味のことを新聞記者に語った、と今朝の新聞は伝えている。私が確かめたところでは、『朝日』と『日経』がこの記事を載せているが『産経』はなぜか無視した。また、掲載した両紙の見出しは私の表現のように“刺激的”ではなく、「米軍の核兵器持ち込み 元次官“密約文書あった”」(朝日)と「60年日米安保で密約 “有事の国内核配備も対象”」(日経)という表現だ。が、『日経』が載せている村田氏との一問一答を読むと、どうも「非核3原則」そのものが日米の合意でないように解釈できる。だから、私はあえて冒頭のように表現した。

「非核3原則」とは、核兵器を「持たず」「作らず」「持ち込ませず」という日本政府の方針で、1967年12月に当時の佐藤栄作首相が国会で表明して以来、歴代の内閣が“堅持する”と言ってきた。このうち時々問題になるのは3番目の「持ち込ませず」という原則で、この「持ち込む」という言葉の意味があいまいなため、米軍の艦船や航空機が日本の領土内に一時的に「立ち寄る」場合、これを「持ち込む」と解釈するかしないのかで、日米間の大きな理解の差が生まれる。アメリカ側ですでに公開されている資料によれば、1960年の安保改定時には、核兵器を積んだ米軍艦船の寄港などは「持ち込み」に含まれないとの“密約”があったとされている。これに対し、池田勇人内閣は、寄港も持ち込みに当たるとの解釈を打ち出して、それ以来、政府はこの見解を維持している。

 改定安保条約には「事前協議条項」というのがあって、在日米軍に核兵器を含む大きな装備の変更が行われる際には、事前協議をすることが定められた。日本政府は、核の持ち込みがあるならば、アメリカはこの取り決めにしたがって事前に日本に協議を求めてくるはずだが、これまでそういう要請は1度もないから、核の持ち込みはなく、したがって非核3原則は守られている--という論法を繰り返してきた。しかし、この事前協議の対象として、核兵器搭載の航空機や艦船の「領海通過」や「寄港」が含まれないとしたら、米軍の核兵器は何十年もの間、日本の領土に入ったり出たりしていた可能性が強い。ということは、「非核3原則」は実質的には「2原則」に過ぎなかったことになる。
 
 私は、1981年の元駐日アメリカ大使のライシャワー氏の発言や、2000年のアメリカ外交文書の公開によって明らかなように、「非核3原則」とは日本の国内向けの政治標語であり、日米の政府間には「非核2原則」しかなかったと考える。外交に機密事項があることは当り前であり、それを「ない」と言い張るのは、あまりにも見え透いたウソである。それに、「核持ち込み」の問題は、冷戦時代には国家存亡の重要さをもつ抑止力の成立にかかわる。もっと分かりやすく言うと、「日本の国土やその周辺に核兵器があるかないかがよく分からない」ということが、潜在敵国に対して抑止力をもつのである。核兵器は、その所在が分からないことが重要なのだ。これは、国の防衛について少し勉強した人なら誰でも知っている事実である。だから、ウソをつくのはもうやめよう。
 
 政府はもう「実は、非核2原則だった」と発表すべきである。北朝鮮の核開発の問題がこじれている現在、これはアメリカの“核の傘”を強化する効力をもつから、日本の国益にもかなうのである。私は、村田元外務次官の今回の発言は、その目的でなされたのではないかと思う。『日経』の記事によると、外相経験者である自民党の町村信孝氏は、村田発言に対して「公務員の守秘義務は死ぬまであるのではないか。そこをどう考えているのか」と不満を漏らしたそうだが、公務員は国民の意思に対しても忠実でなければならない。国民は真実を知るべき時期に来ている。そして、冷戦後の新しい外交・国防政策を選択すべきときは、今なのである。
 
 谷口 雅宣

|

« 多様なる幸福 | トップページ | 映画『人生に乾杯!』 »

コメント

良い悪いは別にして非核三原則を信じている国民が果たして何%いるでしょうか?私も勿論根拠は皆無ですが二原則だと確信しています、多分他国もそう確信しているのではないか!と思っています、戦争と言うものがこの世に存在しなければ核は全く必要は無いのですが、、、そう言う意味で人類はまだまだ本当に賢くなっていない段階にあるのですね(泣)。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年7月 1日 00:22

総裁先生
ありがとうございます

先生のところは『朝日』と『産経』新聞ですか。
私は『読売』をとっています、(私の父は・・・・・『赤旗』ですが。「日本共産党」永年党員表彰を受けました)父がかなり以前から言っていましたが『読売』も今回、「核」の密約について報道しました。
政府が『日本は世界で最初に核攻撃を受けた被曝国である』という視点になって、『非核三原則』を貫く姿勢は分かりますが、嘘はいけません。まあ広島や長崎の被曝者感情を考慮したとも考えられる事も一理ありますが。
公務員の守秘義務に関してですが国家公務員法や自衛隊法や地方公務員法にこの守秘義務に関して条文化されており、地方公務員法を例えにすれば、第32条に『守秘義務』は明記されており、退職後も拘束されると書いてあります。同じく第23条には『信用失墜の行為の禁止』が盛り込まれています。そういう意味ではまずいですね。日本は『罪罰法定主義』ですから。 拝

投稿: 直井 誠 | 2009年7月 1日 04:25

 当時の為政者が本当のことを言わずウソを言っていたことは、決して推奨されることではありませんが、彼らにしてみれば米国との取極めをそのまま発表すると世論を騒然とさせ混乱を招くという憶測があったのだろうと思います。しかし、
 本当のことを言わないことについては良心の咎めがあったものと推測します。
 本当のことを言わなかったことは良くないことですが、そのことを攻めることもできますが、ゆるすことも必要と思います。
 
 時代の変遷を経て時期が到来し、真実が明らかになりつつあると思います。それは良いことであり進歩だと思います。

 当時のことも現在のことも、多くの国民の心の中の思いに左右されている部分がかなりあると考えます。然るべき人が偶然に発言したようですが、それは、多くの国民の意思を集約したものであるともとらえることができると思います。

投稿: 志村 | 2009年7月 2日 07:51

直井さん、

 お父様がバリバリの日本共産党員である貴方が、どうして『読売新聞』を購読されているのですか? 『赤旗』は読まれないのですか? また、『朝日』や『毎日』の方が貴方の政治的信条に近いのではないのでしょうか?

投稿: 谷口 | 2009年7月 2日 10:39

谷口雅宣先生

 実は非核2原則だったのですか。初めて知りました。横須賀にはたまにアメリカの空母が寄港したりして、核兵器を搭載しているのではとか市民団体が反対集会を開いたりしてましたから、うすうすはそうは思ってましたが。

 ところで北朝鮮が核実験をしたり、ミサイルの発射実験をこの所、繰り返していますが、それを受けて、日本も核兵器を持つべきだとは保守派論壇の人達は殆どがそう考えていると思います。
 でも、私は生長の家の「心の法則と平和への道の神示」にある様にこちらが乱を予想して武備を増して、核兵器の様な最終兵器を持てば、韓国とかその他の近隣諸国も又、警戒して、核兵器を持つようになったりすると思います。谷口清超先生も日本は通常兵器だけで核兵器を持つ必要は無いとどこかで書かれていたと記憶しております。又、雅宣先生も日本は日米安保条約があり、アメリカと同盟関係にあるから、独自で核兵器を持つ事は必要は無いと書かれていたと記憶しています。

 私は現在の日本の法体系では自衛隊はまともな軍隊として機能出来ない部分があるのでそれだけ法整備して、自衛隊をまともな自衛力として機能する様にするだけで良いと思います。

投稿: 堀 浩二 | 2009年7月 2日 10:53

総裁先生
ありがとうございます

さて畏れ多くも総裁先生から質問がありましたのでお答え致します。

父と私は基本的にイデオロギーが違います。
私の小さい頃から熱心な活動家だった父を見て、殊更『天皇陛下』を敵視した行動を見て育ったのですが(皇族は俺達の税金で生活している。などete)この『生長の家』の教えに触れて全然違う事が解りました。しかし『家』ではそれから以降反発しあって生活している状況なのです。
『親に感謝しないといけない』と、わかっているのにそれができない自分が情けないと思いますがイデオロギーの違いてどうしようないと思います。
赤旗には全く興味ありません。
なぜ『読売』なのかといえば、どうも『朝日』は肌に合わないようで『左翼的思想』があちらこちらに蔓延っているからです。まだまだ「中道・中立」の『読売』の方が肌にあっている感じですね。それでも昔は共産党グループに無理矢理参加させられていました。しかし、今でも病院だけは共産党グループの病院に通院しています。私が小さい時から喘息でお世話になったので(産声をあげたのも今、の病院!)
私の回りには「創価学会の病院が一杯」で折伏されるのが怖い。まだ共産党の方がマシ。

投稿: 直井 誠 | 2009年7月 2日 21:12

堀さん、

>>私は現在の日本の法体系では自衛隊はまともな軍隊として機能出来ない部分があるのでそれだけ法整備して、自衛隊をまともな自衛力として機能する様にするだけで良いと思います。<<

 「……だけ」とおっしゃいますが、憲法にあれだけハッキリと軍隊を認めない、国の交戦権は認めないと書いてあるのですから、それと矛盾する法整備は難しいのではないでしょうか?

直井さん、

 そういう事情があったのですか、分かりました。「左翼的思想」とおっしゃいますが、“左翼”の元締めであるソ連が崩壊し、東欧は資本主義になったのですから、「左翼」という言葉はもう時代遅れでは、とも思います。が、一方で、「右翼的思想」はまだまだ健在なので、そのカウンターバランスとして“左翼”はあってもいいのかもしれません。そんなわけで、私は『朝日』と『産経』の双方を購読しています。双方の違いは面白いですよ。

投稿: 谷口 | 2009年7月 2日 22:49

ありがとうございます。

皆様のコメントと先生のコメント読ませていただきました。

ちなみにうちは読売です。

もう左翼という言葉は時代遅れだとよく雅宣先生に教わりました。これは僕の講師体験ですが、青年会誌友会、今年の2月、理想世界2月号の時に参加者の方に「右翼って何?左翼って何?」と質問されました。

皇室の素晴らしさの特集号でした。とっさに自分なりの言葉で右翼と左翼を説明させていただきました。

左翼がなくなったのは嬉しいです。右翼もなくなってほしいです。生長の家は中道ですよね。

投稿: 奥田 健介 | 2009年7月 2日 23:16

 タテマエと本音は違う、そして時の政府は国民の前に本音を吐露することをせず、タテマエだけの論議に終始することを選択する。官公庁の要職にある人は、喉元まで本音を言いたい気持ちがあるけれども、勇気を持ってそれを吐露すると、異端者扱いされ組織からは、つまはじきされてしまう。扶養家族もあり毎日の生活もあるので本当は、本音のことが言いたいのだけれども言った組織ではご臨終であるので、じっとガマンしてひたすら耐えている、こらえている、苦渋の選択をせざるを得なかった人々に対してご苦労様でしたと、言いたいのです。彼らも日本人ですから日本人の血が流れておりますから、本当に日本はこれで良いのか?という疑問はあったと思います。彼らの執った行為は絶対的に善ではなかったと思いますが、相対的には善であったのでは、と思います。
 私は一人の日本国民として、その苦渋の選択をせざるを得なかった人々に対して、ご苦労様でした。という気持ちと申し訳ありませんでしたという気持ちがあります。そのことを自分の中でどのように評価するか判断するか?についての心境は複雑であり、一概にそのことの良し悪しを論ずることはできないと思っております。

 再拝
 

投稿: 志村 | 2009年7月 2日 23:38

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 多様なる幸福 | トップページ | 映画『人生に乾杯!』 »