大自然から神のアイディアを受けて
今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で谷口雅春大聖師二十四年祭が厳かに執り行われた。前日に続いて、長崎地方は朝から好天で、暑いほどの日差しの中、同本山の谷口家奥津城前の広場には、谷口雅春先生の教恩に感謝し、御徳を偲ぶ大勢の信徒・幹部が集まった。この御祭の後、私は概略次のような挨拶を参列者の皆さんに申し上げた--
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本日は、谷口雅春大聖師の二十四年祭に大勢お集まりくださいまして、誠にありがとうございます。谷口雅春先生が、この長崎の地に移転されたのは昭和50年で、それから10年間この地で生活され、昭和60年6月に昇天されました。それから24年たったわけですが、この総本山の地は練成会での献労や本山職員の方々のご努力によって、もともと豊かだった自然が、さらに豊かになりつつあります。かつてのバブル期には、ここに隣接するオランダ村が繁栄していましたから、周辺は週末や休日などにはずいぶんにぎわったようであります。しかし、そういう一時的な“開発”の時期もすぎて、今は人間の節度ある営みと自然との調和が実現していると思います。そのことは、皆さん自身が本山へ来られるたびに感じておられることと思います。今はちょうどハナショウブが終ろうとする中、アジサイが美しい季節であります。こういう心温まる自然と人間の関係を、これからもずっと守っていきたいと感じます。
生長の家は今、ご存じのように、地球温暖化を抑制するために“炭素ゼロ”を目指した運動を推進しつつあります。その中で、この総本山は生長の家では初めて、大規模な太陽光発電装置が設置されたのを初め、ISO14001にもとづく業務の改善、境内地の森林の間伐やシイタケ栽培などを通して、自然と共に生きるノウハウを蓄積してきています。時には、イノシシとの難しい関係もあるかもしれませんが、そういう経験も含めて、総本山は今後の生長の家の“自然と共に伸びる運動”にとって重要な役割をはたしていくと思います。
先ほども述べましたが、谷口雅春先生は昭和60年に亡くなられましたが、その1年前に出版されたご本に『続 真理の吟唱』というのがあります。これは、その年より前に、ときどき月刊誌に発表されていたお祈りの言葉70篇を集めて単行本にしたものです。皆さんは、『真理の吟唱』というご本の方はよくご存じと思います。こちらはその14年前の昭和45年(1970年)に出たものですから、先生が本山に居を移される以前に書いた祈りの言葉です。が、この『続 真理の吟唱』には、雅春先生が総本山に移られてから書いたお祈りの言葉が収録されているのではないか、と私は思います。ただし、詳しく調べたわけではないので、そうでないものも含まれているかもしれません。このご本の中に「正しき神徠(インスピレーション)を感受する祈り」というのがありますので、今日はこの祈りの言葉を紹介して、先生の自然についての教えを学びたいと思います。
この祈りの中で、先生は「葉脈」を例にとって、その流れの美しさと、同じ木の葉であっても葉脈が同じものは1つもないことを指摘しておられます。木が根から吸収する水分や栄養素を葉の先端まで送る“血管”のような役割をしています。これは大抵、1本の中心線が通っていて、そこから葉の隅々までに細い脈が左右対称に分かれて通っています。デザイン的にも「中心帰一」がはっきり分かるものです。そのことを念頭におきながら、祈りの言葉を聞いてください--
(「正しき神徠を感受する祈り」の一部を朗読)
このように、「自然界には、魂の進歩発達に必要なアイディアが無数にある」と先生は説かれています。それは現に我々の前にあるのに、もし受け取れないのならば、それは自然界を創造された神様の愛と我々の心の波長が合わないからだと教えてくださっています。私たちは今、経済的には世界的に困難な状態にあると言われています。また、日本の場合、政治的にも混乱した状態にあります。文明的にも化石燃料を多用する文明から、そうでない文明へと移行していく時期にあるのです。そして、ご存じのように、我々の運動も転換しています。これらすべては、一見“困難の時期”に見えるかもしれませんが、同時にそれは“新しい時代の幕開け”の時なのです。神の無限のアイディアを受信して、現象界に現す絶好の機会だと言えます。先ほどの祈りの言葉にもありましたが、神のアイディアは無限に多様であり、しかも神は愛でありますから、その実現は人類のみならず、生類すべてが喜ぶ結果になるに違いないのです。そのアイディアは私たちの目の前にある。それを得るためには、太陽のように明るき心と三正行が必要だと教えられました。
今日、ここに集まられた皆さんは、雅春先生が愛された総本山の自然をしっかりと感受され、それぞれの生活の場に帰られましても、自然界の無限の恵みに感謝し、そこに充満する神からのアイディアを常に受けながら、自然と人間の生活を調和させる新しい生き方を創造し、お仕事や生活にそれを実践し、またそういう新しい光明化運動を築き上げていく原動力となっていただきたいと、心から念願する次第です。
谷口雅春大聖師の二十四年祭に当たって、所感を述べさせていただきました。ありがとうございます。
谷口 雅宣
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コメント
雅春先生が天に召されて、もうそんなに経つのですね。
私はその頃まだ子供で、母の御腹の中に居る時からよく雅春先生の御講話を一緒に聴きに連れて行ったと母に聞かされていますが、残念ながら実際にお目にかかったという記憶は私にはありません。
でも本を読んだりする事で、私の今までの人生の中で最も大きな影響を与えられ、私の人生観を決定ずけられたお方だと思っています。
今なお、迷い多き人生を歩む私故、おかげさまでこんなに立派に大人になりましたと胸を張って報告出来ないのが恥ずかしいですが、感謝の言葉を述べさせて頂きたいと思います。
有難うございました、雅春先生。
雅春先生と輝子先生がにっこり微笑み合いながら談笑されている姿が、お二人を思い起こす時いつもイメージされて、ふと穏やかであたたかな気分になります。
投稿: 岡本 淳子 | 2009年6月19日 11:25