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2009年6月18日

映画『路上のソリスト』

 休日を利用して、妻と日比谷へ映画を見に行った。イギリス人監督が、ロサンゼルスの路上生活者と新聞記者の心の交流を描いたドキュメンタリー調の映画で、実話にもとづいている。騒々しい路上で一人でバイオリンを弾いている黒人のホームレスの男に注目した新聞記者が、ふと相手に声をかけてみると、その男がニューヨークの名門音楽学校に通っていた、と漏らす。プロの“勘”で「面白い話」が書けると感じた記者は、取材を進めていくうちに、そのバイオリニストはチェロの奏者であり、プロになれなかった事情がしだいに明らかになる。そこで記者は、プロへの復帰の道を開こうとするが……というような筋だ。クラッシク音楽--特にベートーヴェンが好きな人には、お勧めだ。また、ロサンゼルス市の「スキッド・ロウ地区」と呼ばれるスラム街の様子(ただし、実写ではない)がふんだんに出てくるから、社会見学もできる。が、考えさせられたのは、心に病のある人を、社会として、また個人としてどう扱うべきかという点だった。
 
 これは、あくまでも私の個人的見方である。ついでに、もう一つ個人的な観点を言わせてもらえば、私はこの作品を見ながら、記者と取材対象の精神的距離はどうあるべきか、を考えた。これは、私が実際に記者をした経験と比較して感じたことだ。ものを書く人間は、作品中の“主人公”に自分を投影しがちである。フィクションならそれでいい。が、ジャーナリズムでこれをやると、事実が事実でなくなる危険がある。そこで、取材対象と書き手の間には“一定の距離”が必要になるのだが、取材する相手はその“距離”に対して不信感を抱くことがある。その不信感を取り除くために、一線を超えるべきかどうかの判断は難しい。この映画の場合、相手は心に病をもつ社会的弱者だから、なおさらそれが難しいと思う。作品中の記者は、この判断を一度誤って危険な目に遭う。が、その後、お互いの心の交流がとりもどせた様子が描かれるところは、感動的である。
 
 昨今の経済活動の大幅後退で、日本でもアメリカでも多くの人々が仕事を失い、路上生活者の数は増えているだろう。そういう一人一人の背後には、この映画のソリストと似たような人生劇が隠されているに違いない。それに気づくためにも、本欄の読者には本作品をお勧めする。
 
 谷口 雅宣
 
 

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コメント

合掌 有難うございます。いい映画みたいで一度みたいです。バイオリンもすばらしい楽器で、そんなに学歴があったかたが、そんな生活をしているとは、その方を、助けるということは、心を病んでいるのですと、大変ですが、どんな映画なのか、ビデオが出たら見てみたいと思います。有難うございます。再拝

投稿: T.S | 2009年6月19日 15:19

ありがとうございます。

先生は娯楽映画ではなくある程度内容のあるきちんとした映画ご覧になるのですね。

お金を払うのですから当然でしょうか。

先生がよかったという映画は僕も見たいです。

あまりよくないかもしれませんが僕自身は娯楽映画もすきです。

もちろんできれば感動できる映画も好きです。

投稿: 奥田 健介 | 2009年6月19日 16:26

奥田さん、

>>先生は娯楽映画ではなくある程度内容のあるきちんとした映画ご覧になるのですね。<<

 いやぁ~、必ずしもそうばかりではありません。映画の内容は「見てみないと分からない」という側面があるじゃないですか。だから、見てから「ナンダ、この映画は単なるアクション物だ」とか「内容がないなぁ~」と感じるものもずいぶん見ました。ただ、それをこのブログに書かないだけです。時間のムダですから。

投稿: 谷口 | 2009年6月19日 17:52

ご返信ありがとうございます。

先生でも「せっかく見に来たのにはずれだった!」と思われることがあるのですか!

自分でお金出してはずれだったら失望感大きいと思います。

先生は神様に導かれているからそんなことないと思っていました!

先生も一人の人間ということを僕に教えてくださっているのでしょうか、神様!

全ての人は僕に何かを教えてくださる観世音菩薩様です!

投稿: 奥田 健介 | 2009年6月19日 23:50

 私はこの映画を6月1日に観ました。毎月1日は1000円で映画が観れるので、期待して観ました。音楽映画かと思っていましたが、アメリカのホームレスの問題、心の病の問題などを織り交ぜたドキュメンタリータッチの映画でした。
 ホームレスの問題では、18日にテレビ東京で放送された経済ドキュメントタリードラマ「ルビコンの決断」という番組がとてもよかったです。
 私はこの日、地区の栄える会の例会に出席しましたが、ゲストの講師が、倒産でどん底を経験したIさんでした。かつてK県でディスカウントストアーを経営、生長の家の真理を経営に生かし、時代の寵児としてマスコミにも登場したものの、過大投資が裏目に出て民事再生法の適用を受けた。3ヶ月の長期練成を受け、真理を学んで起業したものの、「有頂天になっていました。生長の家を忘れていました」とIさんは語っていました。

投稿: 久保田裕己 | 2009年6月20日 03:51

 私は、映画『路上のソリスト』を見ておりませんが、路上で一人でバイオリンを弾いている黒人のホームレスの男はプロになるほどの技量があるということであり、そのような能力のある方が何故、社会から阻害されたのかが問題であると思います。
 想像ですが、組織体が体裁や対面のみを重んじ旧態依然たる運営の仕方に終始する場合、改革や前進のための斬新な意見を提唱する者は、つまはじきされる(社会から阻害される)傾向にあり、想像ですが、この映画で描かれている男性もその被害者なのではないかと思います。
 多数の意見を尊重することで社会が運営される部分がかなりあります。それは正しい場合もありますが、その多数決の意見(見解)が間違っている場合もあります。
 少数意見を実行することが極めて正しい場合、多くの人々がそれに反対しても、それを実施する方向性を見出すことは今後の課題と思います。しかし、それを実行するには、何をどうすべきかは?の部分もあり至難の技であると思います。
 それは特異なことではありますが、しかし、放置しておいてよいことではないと思います。

投稿: 志村 宗春 | 2009年6月20日 21:33

志村さん、

 すみません。はっきり書かなかったので誤解されたようですね。このソリストは、音楽学校に通っていたときに統合失調症が発病したため、社会生活が正常にできなくなったのです。

投稿: 谷口 | 2009年6月20日 22:52

 谷口 雅宣先生

 失礼しました。

 状況を良く把握せずコメントを書いてしまいましたことを反省致します。

(私は、能力のある人が社会から阻害(隔離)される状況におかれることは残念という考えのもとにコメントを書きました。)
 
 志村 宗春拝

投稿: 志村 宗春 | 2009年6月20日 23:24

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