恐るべし、ノーシーボ効果
本欄では、医学でいう「プラシーボ効果」について何回か(最近では2009年2月15日や2006年4月3日など)書いたことがある。これは医学的に何の効果もないものを服用しても、それを服用者が「効果がある」と信じた場合に治病的効果が生じることを言う。「服用」と書いたが、必ずしも体内に物質を摂取しなくてもよく、身体に一定の刺激を与えたり、何かの儀式をした場合でも、同様の効果が生じるものもプラシーボ効果と呼ばれることがある。このような健康回復の効果とは逆に、医学的には無害なものでも、それを「有害だ」と信じた場合に、病気になったり、苦しんだり、あるいは死に至るものを「ノーシーボ効果」と呼ぶ。
これら2つの現象は、人間の「信念」や「信仰」と肉体の健不健が密接に関係していることを有力に示しているから、宗教の世界とも関係が深く、その原因やメカニズムについて興味がつきない。ただし、医学が発達した現代においても、これらの詳しいメカニズムはまだ分かっていないようだ。イギリスの科学誌『New Scientist』は、5月16日号の表紙(=写真)に、何カ所にも針を刺された縫いぐるみの人形を描いて、「How beliefs can harm you」(信念はどうやってあなたを傷つけるか)という特集記事を載せている。この絵は、医学的には何の効果もないはずなのに、人形に擬せられた人が苦しみ傷つく……日本では「藁人形に五寸釘を刺す」のと同じイメージだ。
この記事で紹介されていた実例を2つ、以下に掲げる--
①ガールフレンドと別れたデレク・アダムズは、人生に希望を失ったために、手元にあった抗鬱病剤を全部服用したという……が、薬を飲んでしまってから、「しまった!」と後悔した。彼は死にたくなくなって、隣に住む人に頼んで病院へ連れていってもらった。が、病院についたとたんに倒れてしまった。体はガタガタ震え、顔面蒼白となり、意識は朦朧とした。血圧は下がり、息は速くなった。しかし、病院でいくら検査しても異常はなかった。体内から毒物も発見されなかった。入院後4時間にわたって、アダムズは生理食塩水を体内に入れる洗浄を行ったが、体調はほとんど改善しなかった。
そんなところへ、一人の医師がやってきた。アダムズが参加していた抗鬱病剤の臨床試験の担当医だった。アダムズは約1週間前から、この試験のために薬を飲んでいた。飲み始めた当初、彼は気分がウキウキした。が、別れたガールフレンドとの言い争いのために、彼は残っていたその錠剤29個を全部飲んでしまったのだ。臨床試験の担当医の話によると、アダムズは照査実験のグループの中にいた。このグループは、実際の薬の効果を試すグループと比較するために、ダミーの薬を服用させるためのものだ。つまり、彼が飲み過ぎたと思った薬はニセモノで、医学的には無害なものだったのだ。その話を聞いて、アダムズは驚いて涙ながら安心したという。それから15分もたたないうちに、彼の体調はしっかりとし、血圧も心拍数も平常にもどった。
②1998年の11月、アメリカのテネシー州の高校で、ある教師がガソリンのような異臭がするのに気がついた。やがて頭痛を覚え、吐き気がし、息苦しさと目まいを感じるようになった。そこで学校は閉鎖され、その後1週間のうちに100人以上の職員や学生が、最初の教師と同様の症状を訴えて、病院で受診することになった。ところが、いくら検査しても、それらの症状の医学的な原因は分からなかった。その1カ月後、アンケート調査を行って分かったことは、症状を訴えた人はほとんどが女性で、クラスメートが同じ症状を覚えたことを見ていたか、知っていたという。英ハル大学(University of Hull)の心理学者、アーヴィン・カーシ博士によると、「我々が知るかぎり、学校の環境には有害物質は一切なかったのに、人々は苦痛を訴え出した」。だから、これは大規模な「ノーシーボ効果」だという。
カーシ博士の考えでは、クラスメートが症状を訴える様子を見ることで、他の学生の心の中に「病気の予感」が起こり、それが心因性の病気に発展して大規模に広がったのだという。こういう突発的な病気の流行は、世界のどこでも起こる。1998年にはヨルダンでワクチンの集団接種をしたとき、800人が副作用のようなもので苦しみ、そのうち122人は入院治療をした。が、そのワクチンには何も問題がなかったという。
--このような例を知ってみると、人生の明るい面に注目して生きる「日時計主義」が健康にもいいことが了解できるだろう。
谷口 雅宣
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