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2009年6月 9日

臓器移植法改正は不要である

 臓器移植法改正の案づくりが混迷をきわめている。法案の提案順にA案からD案までの4つの案が国会に提出されていること自体が、この問題に対する国民の意見がバラバラであることを有力に示している。にもかかわらず、今の時点で同法を改正しなければならない理由は何か? それは、最初の改正案(A案)が出された経緯を見ればわかる。この法案を推しているのは日本移植学会や臓器提供を求めている人々など、移植手術の件数を増やすことで利益を得る(と考えている)人々だと思われる。6月6日の『朝日新聞』の表現では、「今回の改正論議が、世界保健機関(WHO)が渡航移植の規制に乗り出す見通しに加え、移植経験者の河野洋平衆院議長の勇退が迫っていることでにわかに盛り上がった」のである。渡航移植とは、脳死段階での臓器移植が難しい日本人などが、アメリカや中国などの海外へ行って臓器提供を受けることだ。これが規制されると、移植手術への道が閉ざされるとの危機感がA案提出の背後にある。しかし、このWHOの規制のための決議は、最近の新型インフルエンザへの対応の影響などで延期されたことから、雲行きは怪しくなっている。
 
 A案の骨子は、「脳死は人の死である」と一律に定める改正で、さらに、現行法では臓器提供者の年齢を「15歳以上」に限定しているものを撤廃して「0歳」からの提供を可能とする改正である。つまり、制限を最大限に撤廃して移植手術を増やすという意図が明白だ。これに対して、それはやりすぎだから「12歳以上」に限定しようというのがB案、その逆に、脳死の定義を厳格にしようというのがC案、それらの中間的規制がD案、と言えるだろう。現行法の特徴は、一般的な人の死については心臓死のままにしておき、本人が臓器提供の意思を明確にしている場合に限って「脳死を人の死」と認める点だ。これは論理的には矛盾している。が、この考えは、医学の進歩によって出現した「脳死」という新しいタイプの死を、“本当の死”だと認める合意が日本人の間にできていない中で、臓器提供を表明した人の意志を尊重し、それを待ち望む患者や家族の希望もかなえようとした“苦肉の折衷策”である。
 
 私は、現時点での現行法の改正の必要を認めない。特にA案は、改悪ではないかと思う。心臓が拍動し、体がまだ温かい肉親を前にして、そこから「臓器を摘出して他人に提供する」という気持になる日本人は、まだ少ないに違いない。4歳の子供の場合、急性脳症で脳死になった女の子は、人工呼吸器を着け、見た目は眠っているような状態の中で、身長は伸び、体重も増え、涙を流し、排泄もするから、45歳の母親は「脳死は人の死では絶対ありえない」と『産経新聞』に訴えている。(6月8日付)さらに、A案で明確でないのは、この改正で「脳死は人の死」とした場合、大人を含めて、こういう状態の患者の治療が法改正後も継続されるのかどうかという点だ。継続されないのであれば、これは日本人の死生観に反する法改正と言わざるをえない。臓器を“取られる側”も“得る側”も同じ日本人(が多いの)だから、両者が対立するような法改正は“悪法”と言わざるをえない。
 
 ところで、あらためて書く必要はないかもしれないが、生長の家では「脳死は人の死」とは認めないどころか、「心臓死は人の死」とも認めない。「人間は不死である」というのが生長の家の教えであり、多くの宗教もそのように説いている。つまり、「肉体の死」は「人間の死」を意味しない。ということは、臓器提供の意思がある人は、そのことを明確に示しておけば、移植手術への協力はできるし、そのような愛他精神は称賛に価すると言える。しかし、そうでない場合、後に残される親族の気持を無視して脳死者の肉体を傷つけることは、宗教や信仰以前の問題だと思う。刑法に死体遺棄罪や損壊罪があるのは、死者の遺族のそういう気持を慮っているからではないだろうか。
 
 谷口 雅宣

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コメント

今必要なことを常に私たちに、
わかりやすく問題を取り上げていただき、
実相と現象を判別くださいまして、
正しい現象処理の道をお示しくださいますこと、
心から感謝申し上げます。

投稿: 古谷正 | 2009年6月10日 07:58

私は改正する必要はない!と考えます、提供する側、受ける側の立場に立ったとしてもです、受ける側の「助けてやりたい!生きたい!」と言う切実な気持ちは痛いほど分かり、最善を尽くした成功は「本当に良かった!」と思いますが、、、です、「井戸の水を飲んだ時は、作った人の事を考えなさい」と言う様な言葉がありますがどんな事でも個人の意思が尊重されなければならないと思います、医学的には全くの素人ですが「脳死を一律に死であると断定」すると言う事には疑問を感じえません、そう言う意味でips細胞の推進、早期実現を強く望んでいます。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年6月10日 11:04

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