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2009年6月16日

臓器移植の先に見えるもの (2)

 イギリスの科学誌『New Scientist』は6月6日号(vol.202 No.2711)で、体細胞を利用した再生医療技術の現状を特集している。私がそれを読んで驚いたのは、再生医療研究の先端では、すでに臓器移植を不要とする技術が完成に近づいているということだ。もう1つ新たに知ったのは、ここでは動物の臓器と人間の臓器とを“合体”ないし“融合”させることで、新しい臓器の生産に結びつかせる道筋が有望視されているという点だ。つまり、今流行の言葉を使えば“ハイブリッド臓器”の生産が現実化しつつあるということだ。
 
 臓器提供者の不足を補うための1つの方法は、ブタなどの動物の臓器を人間に移植する「異種移植」(xenotransplant)だった。しかし、この方法は、それだけでは移植患者の免疫系が動物の臓器を激しく拒絶する反応が起こるため、移植後は免疫抑制剤を半永久的に使わねばならない問題があった。また、動物の細胞がもつウイルスに感染するリスクがあった。これらの問題を避けて、必要な臓器を作成する方法がほぼ完成に近づいている。その技術の概要は、次のようなものだ--
 
 ①必要な臓器を入手する
 ②臓器を洗浄して細胞を除去し、コラーゲンでできた“枠組”だけを残す
 ③この“枠組”に幹細胞を流し込む
 ④幹細胞が分化を始め、必要な臓器を形成する
 ⑤できた臓器を患者に移植する

 アメリカのミネソタ大学のドリス・タイラー博士(Doris Taylor)らのグループは、2008年1月、ラットの心臓の枠組に、生れたばかりのラットの心臓の幹細胞を流し込むことで、血管や筋肉も備えた拍動する新しい心臓を生み出した。その後、この心臓を別のラットに移植できれば技術の“完成”となるが、できた心臓はまだ筋肉の量が少ないため、体内で役割を果たすところまで行っていないらしい。タイラー博士のチームは、ラットの次には、この方法を使ってブタの心臓と肝臓を作成する研究を行うことを考えているという。そして、この分野の多くの研究者が最終的に目標としているのは、もちろん人間に使える臓器を患者自身の幹細胞から再生産することだ。これは必ずしも夢物語ではなく、気管のような単純な形状の臓器であれば、イギリスのブリストル大学の研究者が、この技術を使ってすでに人間の気管の再生と移植に成功しているという。また、心臓弁などの小型の組織などでは、ブタの組織の“枠組”を使った“ハイブリッド組織”を体内に移植した患者が、欧米ではすでに多数存在するらしい。

 ということで、見えてきた1つの道筋はこういうものだ--上記の①にある「必要な臓器」は、人間のものでもブタのものでも可となる。また、人間の場合、脳死でも心臓死でも大差ないだろうから、後者の人の臓器の利用が増えるだろう。となると、将来の再生医療の行く先は、脳死段階での臓器移植を増やす方向へではなく、病院や専門ラボで患者の幹細胞を使って再形成された新しい臓器の移植である。これによって、脳死段階での臓器移植がもつ様々な問題は回避できるようだが、その代り“ハイブリッド組織”や“ハイブリッド臓器”を体内にもつ人々が増えていくのだろう。これを人間の「幸福の増進」と言えるかどうかは、また別問題と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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コメント

ハイブリッとであろうが無かろうが倫理問題が無く、科学の力で「生きたい!生かしてやりたい!」と言う命の叫びを叶える事が出来ると言う事は様々な考え方はあるに致しましても「人間の幸福の増進」になると言えると思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年6月17日 12:15

尾窪さん、

 少し概念的で、単純すぎるのではないでしょうか? それに、「幸福とは何か?」について私の書いた文章を読んでおられないのですか?

投稿: 谷口 | 2009年6月17日 21:39

谷口雅宣総裁様
私は余り深く考えずに何でも即答してしまいますので単純で幼稚かも知れません(泣、ノー天気)、
総裁の「幸福とは何か?」については読ませて頂きました、、、ライヤー氏は自分の体験、悟り、実践から書かれたのでしょうが私には複雑、別の選択肢もあると思いますし、学者の論文(個人の考え)の様に感じました、そして総裁の「すでに与えられているものを十分に感謝して受けとり、人々と共有する"日時計主義"を生きる為のヒントがここにある」と締めくくられています、そこでハイブリットであろうがなかろうが倫理問題がなく、科学の力で生存が可能であり本人や取り巻く人達の意思が強いのであれは「人間の幸福の増進」になる、「人間に明日がある!と言う事は奇蹟です!そしてそれを知っているだけで幸せに満ち満ちています」と言って無くなった若い女性の言葉もあります様に「すでに与えられているもの」の中に現代社会の医療技術も入るものと考えているのです。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年6月18日 11:26

尾窪さん、

 「よく考えずに即答する」というのでは、人とどんなに話し合っても自分の“枠”から出ることは難しいと思います。それに、自分の言葉に責任をもつことはできません。単純な好き、嫌いの問題ならば、それでいいと思いますが……。

>>「すでに与えられているもの」の中に現代社会の医療技術も入るものと考えているのです。<<

 私があの欄に書いたことは、「すでに与えられていない」研究中の医療技術のことです。科学の力で生存が可能であっても、その人が眠ったままのいわゆる“植物状態”であって、家族は生命維持装置や医師への報酬のために大金を出さねばならなかったり、また、患者本人が苦痛を感じ続けている場合など、いろいろのことが想定できます。それらすべてを概括して「人間の幸福の増進になる」と表現するのは、いかがなものでしょうか?

投稿: 谷口 | 2009年6月18日 14:21

谷口雅宣総裁様
返答頂き有難う御座います、諸行無常、諸法無我、私は自分の納得の範囲内で好き、嫌いを超越し判断、実践して行けることを自らに期待しています、「すでに与えられていない」研究中の医療技術は「すでに与えてられている」医療技術にはなりませんので論外です、又、私は植物状態になってでもと言っているのではありません、あくまでも皆と一緒に生活出来ると言う条件がありますのでこれは別の問題です、植物状態について個々人、又は慈悲ある親族によって異なると思いますが個人の意思が尊重されるべきではないか、私個人としましては、只息をしているだけでは生きている内に入りませんので生命維持装置は外してくれよ!と既に公言しています、ですから個々人が全てこの意思表示をしておくと言うのが理想なのですがどうなのでしょうか?医師の立場は状況は説明出来ても外すことは出来ないでしょうから、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年6月18日 15:23

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