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2009年5月16日

信濃川の夜景

 新潟北越教区での生長の家講習会のために、新潟市に入った。信濃川を目の前にしたホテルを宿にしているが、あいにくの小雨模様のため、いつもの散策は中止した。が、その代り、暮れてゆく新潟の町を部屋の窓からゆっくり眺める時間がもてた。

Shinanoriver  眼下に万代橋が見える。そこを上下方向に行き来する車や、バイク、そして人……。その流れとは対照的に、左右方向に白波を引きながら時々、船が通る。この川は、人間の動きを邪魔したり、助けたりしながら、はるか昔の時代から同じ方向に流れ続けてきたのだ。その悠久の流れの中で、人間が川に対してできることはそう多くない。が、川から得る恩恵は、きわめて大きく多種多様だ--飲料水、灌漑水、漁場、交通手段、洗濯用水、工業用水、水の循環、栄養素循環、風景美、レジャー、文化の交流……。

 江戸川、淀川、ハドソン川、ナイル河、黄河、チグリス=ユーフラテス河……。古来、人間は川辺に集落を形成し、文化や文明を築いてきた。それは、川から得られる恩恵の大きさを知っていたからだ。物質的に見れば、川とは、水が高いところから低いところへ流れている場所にすぎない。が、その「流れる」という一見単純な事象の中から、無限の恩恵と可能性が現れてくる。妻とそんなことを語り合いながら、信濃川を臨む窓辺で夕食をした。その際、撮った写真をここに掲げる。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌有難うございます。信濃川の大きくゆったりと流れている様が うかがえる素敵な写真 有難うございます。灯影が川面にゆらゆらと映ってて い~い感じなので拡大して見ると その色彩の美しさに うわあお~って圧倒されました、、、、、。       横浜のバラ園の写真はまばゆいばかりに 燦サンと降り注ぐ太陽をあびて ばらさんたちの歓びの声がひびいてくるようでした。おひさまの匂いがするような、恵美子先生の笑顔が浮かぶような 幸せをいっぱい頂きました。有難うございました。再拝桝谷 

投稿: 桝谷栄子 | 2009年5月17日 01:58

 谷口 雅宣先生

 合掌ありがとうございます。
 「川」という言葉をみました、私は、江戸時代に実施された利根川の治水工事事業のことを直ぐにイメージし、早速そのことをネットと歴史の教科書で調べてみました。
 それによりますと、天明年間の老中田沼意次と天保年間の老中水野忠邦のときに莫大な費用を投じて利根川の治水工事が実施されたようですが、工事は難航し失敗におわった(完成には至らなかった)ということです。
 私は何故このことに興味があるのか自分では全くわかりませんが、この問題には何となく親近感があるように感じ人ごととは思えないのです。
 また、天明年間の老中田沼意次と天保年間の老中水野忠邦のときの工事は未完成であったということですが、
私は良く調べておりませんが、部分的には成功したところもあったのだと思います。
 完成はしなかったけれどもこころざしを抱いて夢(治水によって多くの民の生活の安定に寄与しようとしたこと)の実現のために行動したことはすばらしいことと思います。

 志村 宗春拝

 

投稿: 志村 宗春 | 2009年5月17日 19:32

 合掌ありがとうございます。本日は講習会でのご指導ありがとうございました。私にとっては、とても楽しい・嬉しい・感動的な講習会でした。懇親会でも感想を述べさせていただきましたが、今回は、私の苦手としているインターネットを利用した推進を会員に対して行わせていただきました。自分の想いや、講習会の意義などを送信していたのですが、誤解を与えたり無責任なことは言えないと思い、内容はよく考えて送信しました。この推進は私にとって、自分の信仰を振り返り、生長の家の真理を学びなおす良いきっかけとなりました。週に1~2回の送信でしたが、私にとっては時間がかかり、大変な作業でした。自分を表現し、また自分の想いを多くの人にさらけ出すのは勇気のいる事でした。雅宣先生がほぼ毎日のようにブログを更新されてることの本当のすごさを実感しました。
 今回のご講和の内容で、ひとつの物事を真象とも偽象とも両方で解釈できることがあるが、そうした場合、真象として受け取ったほうが幸せである(少し言葉が足りないかもしれませんが・・)という内容がありました。私は以前の雅宣先生の「とんでも科学にご用心」というブログを読んで少しショックを受けていました。単純な私は、水の結晶の写真を見て素直に感動し、すごいと思って何冊か水の結晶の本を読んでいました。確かに本に載っている結晶の写真は筆者の主観が入って選ばれたものであり、結晶の撮影方法もはっきりしたものでありません。でも、生長の家に触れていない時期に私はあの水の結晶の本を読んで、目に見えない世界を見れた気がして、感動し、その後生長の家に触れ聖典を読んだり真理を学ぶようになった時に、すんなりと生長の家に感動できたのでした。なので、水の結晶に関して雅宣先生のブログの内容は、私にとってはちょっと悲しいものでした。
 でも今日のご講和で、私にとっては水の結晶を真象と受け取ることは幸せなことなので、これでいいのかなと思ってお話を聞いていました。
 長くなってしまって申し訳ありません。せっかく会食や懇親会でお話しする貴重な機会があったのに緊張してたいしてお話しできなかったことが、今になってもったいないことをしてしまったと思いまして・・
 本当に今日は楽しい講習会でした。こんな気持ちで講習会を迎え、講習会を終えることができ、自分でも驚いています。今日からまたスタートです。三正行・日時計主義、がんばります。
感謝・合掌 新潟北越教区青年会委員長 村川鮎美

投稿: 村川 鮎美 | 2009年5月17日 22:37

合掌ありがとうございます。
 昨日は、宇治別格本山への行き帰り(練成会日帰り参加のため)に宇治川のほとりを歩き、せせらぎに心が洗われました。今まではあまり意識してなかったのですが、京阪電車(関西私鉄で唯一大阪が頭文字でない、京都が頭文字のの私鉄です)は、淀川に寄り添うよう(宇治線は宇治川です)に走っているのに気付きました。
 又今日は、JR大和路線で天王寺と奈良を電車で行き来しましたが、車中から見ますと本当に大和川と電車が寄り添うように、電車が川に、川が電車にか分かりませんが縫うように走っているのに感動した次第です。

 そして、淀川下流の住人はつくづく幸せだなあと思っています。何故なら宇治別格本山の宝蔵神社は、勿論宇治川を向いていますが、グーグルの航空写真で僕は初めて知ったのですが、更には向かいの大吉山(仏徳山)を超えてその奥の琵琶湖をも向いているからです。
 それは即ち宝蔵神社では御先祖さまにいつも聖経を読誦されているだけではなく、川を流れる水、さらには琵琶湖にも聖経の響きを伝えていると思いますので、その水は大変清められていると思うからです。
 宇治別格本山には、そういった神(深)慮もあり、あの風光明媚なところに建てられたのだなあと、ただ感嘆している次第です。
 
  再拝 黒木 康之 

投稿: 黒木 康之 | 2009年5月17日 23:08

合掌ありがとうございます。

 前回のコメントで、「川を流れる水、さらには琵琶湖にも聖経の響きを伝えていると思います」と書かせて頂いたのですが、
 正に観世音菩薩様が琵琶湖と云う水甕に『甘露の法雨』を常に注がれ続けられている。という表現が思い浮かび、再投稿させて頂きました。(一地方の話でスイマセン・・・)
 また川は龍のようだとも思いました。

    再々拝 黒木 康之

投稿: 黒木 康之 | 2009年5月18日 03:06

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