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2009年5月11日

矢印探偵は行く (4)

 サブローは、今度はタカシに従わなかった。
「ぼくは、もう帰るよ」
 そう言うと、彼はすまなさそうな顔でタカシを見た。そして、
「時間もおそくなってきたし……」
 と付け加えた。
Arrow10  その言葉が、タカシの気に障った。サブローの家は自営業で、両親はたいてい家にいた。それに比べ自分の家は、両親が共働きで留守がちだった。サブローが家に帰れば、温かい夕食の支度ができているのだろうが、自分は鍵を開けて薄暗い家に入り、冷蔵庫の中の料理を暖めてから、一人で食事する。そう思うと、何だかサブローが憎らしくなってきた。
「そんなの、約束破りだ!」
 タカシはこう言ってサブローをにらんだ。
 サブローは、タカシの態度の急変に驚いて、相手を見ていた。
 タカシは、さらに続けた。
「十個さがすって言ったじゃないか。それができないのは弱虫だからだ」
 思わず強い言葉が出たので、タカシは自分でも驚いた。
 サブローは下を向いて、体を左右に揺らして何も言わない。
 それを見ると、タカシは、
「もういい!」と言って、「ボクはひとりで行くからね」という言葉を残して、地下道へ続く階段に向かってズンズン歩き始めた。
 階段を1段、2段……と降りながら、タカシは後ろからサブローに追いつかれるのはいやだと思い、小走りになって階段を駆け降りた。矢印のことは、忘れてしまっていた。階段が終ると、さらに下へ行くエスカレーターが回っていた。それにポンと跳び乗ってから、タカシはふと思った。
(ボクは、何のためにエスカレーターで下へ行くんだろう?)
 それから、矢印のことを思い出した。そして、階段の途中で矢印をさがさなかったことに気がついた。でも、エスカレーターはタカシをどんどん下へ運んでいた。「逆のぼり」は危険だから絶対いけない、と学校では教わっていた。タカシは、斜めに動いていくエスカレーターの天井を見上げていた。そんなところにも矢印が描いてあるか、と思ったのである。すべすべした天井は、しかし金属質の光を放っているだけで、表面には何の印もついてなかった。
 エスカレーターを降りたタカシは、地下鉄日比野線の改札口に向かって歩き始めた。通路の左右に気を配って歩いていく小学生の姿に気づいた何人かの大人は、不思議そうにタカシの方を見た。親の姿を捜して立ち止まる婦人もいた。が、頭を左右に振りながら下を向いて歩いているタカシは、そんなことに一向気がつかず、足は改札口に向かって進んでいた。
 切符売り場の前で立ち止まったタカシは、困った顔で周囲を見回した。そこから先、どこへ行くべきか分からなかったからだ。その時、「7」という数字と「矢印」という言葉が、タカシの頭の中を駆け巡っていた。「7番目の矢印」を見つけたらもう帰ろう、と彼は思った。
 と、改札口を入った先の天井近くに、タカシは地下鉄のホームを示す大きな看板が掛けてあるのに気がついた。それを見た彼の表情が急に明るくなった。その看板には、横書きで「日比野線」と書いた文字と、その路線の頭文字「H」をあしらった銀色の太い円、そして、乗降ホームの方向を示す大きな矢印が描かれていたからだ。
Arrow16  タカシはその看板を見ながら、自分の考えが正しかったと思い、うれしくなった。サブローは、矢印が何のためにあるかを考えてからたどるのがいいと言ったが、自分は、そんなことは矢印をたどっていけばあとで分かると考えた。そして今、サブローは家に帰ってしまったけど、実際に矢印をたどった自分の方が、矢印の意味にたどりついた、と彼は思った。目の前の看板に描かれた立派な矢印は、そんなタカシの考えを「確信」にまで導いてくれる力強さをもっていた。道路上にあった鳥の足跡のような矢印は、みんなこの立派な矢印のためにあったのだ。
(もう、ひょろひょろとしたチョーク書きの矢印に従う必要はない。立派な矢印について行こう)
 とタカシは思った。
(ここで切符を買って改札口を通れば、8番目の矢印も、9番目も10番目もすぐに見つかるに違いない)
 こう考えたタカシは、ポケットから百円玉を2枚出して、日比野線の切符を買った。

(終り)

 谷口 雅宣 

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コメント

合掌ありがとうございます。

 解釈(受け止め方)は、色々あっていいと思います。
 が、最後まで読ませて頂き、神想観をしておりますと、矢印(↑)の意味しているところは『生命の實相』や『聖経』をはじめする、歴代の総裁であられる雅春先生、清超先生、雅宣先生、及び諸先生方のお書きになられる(指し示される「↑」)御聖典や真理のお言葉ではないかと思い至りました。あるいは最初のチョークの矢印(↑)は、それに至る(高級神霊などの)“お導き”みたいなものとも解釈できます。
 そう解釈いたしますと、この推理小説のような物語も色々なことを象徴的にお書きになられているのだなあと、又つくづく奥が深いなあと思いました。
 たとえば、改札で切符を買うのは、「与えよ、さらば与えられん」ということで「門を叩く」、すなわち宗門(宗教)に入るということと受け止められますし、「7」というのも「完成」とも「龍宮には七宝充満す」とも解釈できます。
 最後の電車は、龍宮城へ入る「目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)」に乗ることであり、大乗の船(大きな船)の現代版とも受け止められます。

谷口雅春先生[著] 『神と偕に生きる真理365章』第11篇 われ龍宮城に立ちて想う を参照致しました。

再拝 黒木 康之

投稿: 黒木 康之 | 2009年5月12日 01:10

合掌ありがとうございます。

臨場感のある写真と、引き込まれる内容で大変おもしろく読ませていただきました!

矢印という「縁」にとらわれた「選択」を繰り返すことで、
「慣性の法則」が働き、なかなかその行動から抜け出すことが出来ないタカシくん。

改札を抜けたら、偶然帰ってきたお父さんとバッタリ会ったりしないかなぁ。
お父さんに抱きしめられたら、
本当は不安だったタカシくんは泣いちゃうだろうなぁ、
と勝手に続きを想像してしまいました。

ありがとうございます。

投稿: 古谷伸 | 2009年5月12日 09:15

う~ん、、暖かい家庭のサブロー!鍵っ子のタカシ!行動が先か、思索が先か!「梯子を上れ!」と指示され一気に上る長嶋と一段一段確めて上る王!それそれぞれ人生と言う荒野、旅路における人々の生き方において幸せと安心を得る為には神仏を指差す(矢印)指導者の方向に確信を持って進む事の大切さ、重要性を示唆されているのか?ヒントなくして今一つ読み切れません(泣)。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年5月12日 11:11

初めてブログにコメントを書く事ができました。教えてくれたのは孫です。コメントはともかく今は嬉しくて感激しています。先生のブログはすごいですね!生長の家が身近に感じました。これからが楽しみです。
福井教区生教会会長 吉田芙美子
Thank you very much!!


投稿: 吉田 芙美子 | 2009年5月12日 17:29

吉田さん、

 コメントの登録成功、おめでとうございます!
 その調子で、全国の仲間と会話できますよ。どんどん書き込んでください。

投稿: 谷口 | 2009年5月12日 22:08

この記事へのコメントは終了しました。

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