公衆電話という存在
多くの子どもが携帯電話を持ち歩くようになった今日、公衆電話はほとんど使われない。しかし、何かの緊急の用事で使わなければならない人のために、今は“公衆”が集まる場所にわずかに残されている。その姿は、いつ来るとも知れない利用者を「ただ待つ」という奉仕の精神を体現しているようだ。その一方で、電話を置けば暗がりでは不都合だということで、照明をつけねばならず、子どもの利用も考えて、低い位置に1台は設置しよう、などという配慮が必要になる。
電話は人間の道具である。もっと具体的に言えば、それは我々の“口”と“耳”の延長である。それが、誰にでも利用できる形に開放されているのが公衆電話だった。その公衆電話がなくなっていき、代りに我々は、頭部についている温かいものに加えて、もう1セットの冷たい“口”と“耳”を懐に忍ばせるようになった。ケータイはどんどん進化して、今では我々に“目”も与えてくれるし、“脳”も使わせてくれる。つまり我々は、自分の“分身”を懐やハンドバッグに入れて持ち歩くようになった。ケータイはもはや、“道具”の領域を超えたと言える。
そんな時代に、古く良き道具である公衆電話を街角で見かけると、何かホッとした気分にならないだろうか。“彼ら”は、他人と共用される「道具」としての本質を持ちつづけているために、万人の心に「懐かしい」思いを起こさせてくれるのだろう。しかし、我々の持つケータイは誰とも共用できず、したがって他人の目には“異物”のように映るか、あるいは“悪用”の対象になる。
公衆電話のガッシリとした体躯を見ていると、フワフワとしたケータイの軽さが、現代人の心の拠り所を象徴しているように感じられた。
谷口 雅宣
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コメント
「古き良き道具である公衆電話を街角で見かけると、何かホッとした気分にならないだろうか。」と言われていますが私は少し違った感じがしていて「まだ有るんだ!ほとんど利用されないだろうがまだまだ公益性を考えて採算を考えずに全く無くする事をしないのは良い事だなあ、、」と、私にとってはケータイはあくまで道具の領域を超えません、わざわざ電話をする事は無い様な事をメールや写メールでやり取りします、又良き言葉等はメモ帳に記入していて時々出しては覚えます、悪用の対象にするもしないも主人公である所有者の心掛け次第、要は各人の心と言うソフトに不動の拠り所を持つと言う事が大事なのではないでしょうか?
投稿: 尾窪勝磨 | 2009年4月 4日 20:48
合掌 ありがとうごさいます。4月4日の 公衆電話 という記事を読ませていただきました。もしかして私のことを、比喩的にお書きになっているのではないかと思いました。再拝。
投稿: 岩佐志郎 | 2009年4月 5日 09:17
合掌ありがとうございます。
公衆電話ですかぁ~。今でも残ってますよね、自分はケータイの電源が切れた時なんか使う機会は少ないですけど使いますね。なんか公衆電話も進化してて面白いですよね。
ケータイ電話。「道具の領域を超えた」とおっしゃってますが、本当にそうですかね?自分としてみれば、命を補助する生命維持装置なんて物の方がよっぽど「道具の領域を超えた」ように感じます。
非常に汎用性が高くて本当に結局は犯罪に使おうが使われようが“使う人次第”なんじゃないかなー?って思います。
結局使うんだったら早いうちから良い事、悪い事のノウハウを知っておくのはとてもいい事だと自分は思いますけどね。
再拝
投稿: 齋藤翠 | 2009年4月 5日 18:37
合掌有難うございます
小生、平成14年11月に相愛会を発会させて戴いております。大原相愛会の渡邉と申します。
発会以来、中々活動も進展し難く、申し訳なく存じております。しかし、当初より、何とは無しに組織運動に限界を感じ、七年ほど前よりインターネットに力を入れて参りました。しかし中々鳴かず飛ばずで、愈々今は環境問題が大事と思い、環境問題のメルマガも発行し、一時は週1回から、2回発行し、150号位まで、続きました。しかし、メルマガにも限界を感じて、昨年の1月18日にふと、ブログを初めようと思い立ち、即創り始めました。そうして早1年2ヶ月経ち、現在ブログのアクセス数は、稚拙な内容ながら、18万8000件を越えるに至りました。一番多かった日は一日1032件でした。現在東京では少しづつブログを制作する方が、少しづつ増えています。私は5年後、自分のブログのアクセス数を100万件にしたいと思っています。現在もブログで、聖典類を画像で紹介しています。コメントのやり取りで、少しずつお客さんも増えてきました。中央部の方針で、位置総連10件位のブログを運営管理するよう、または、地区連会長はブログを一件管理運営する事を、正式に指示して下さい。一件のブログで18万件アクセスがあると言う事は、今後の運動に様々な可能性が生まれて来ると言う事でしょう。今迄の活動も勿論大事ですが、時代は確かに変わってしまいました。
《時に感じては…》
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/kankyou118/
投稿: 渡邉憲三 | 2009年4月 5日 23:43
基本的に、携帯は電話とメールの使用にしています。
携帯からネットも出来ますが、「パケット無制限」にはしていませんし、携帯からネットはあまり使いません。
ネットはPCからと決めています。
携帯からネットを使うようにしてしまうと、電車の中で使ってしまいそうです。通勤電車では「本を読む」と決めていますので、それが崩れてしまいそうで・・・
>“道具”の領域を超えたと言える。
自分の生活スタイルを守るために、超えさせたくない部分を機能制限という形で抵抗(?)してるのかもしれないと思いました(笑)
投稿: 里園貴道 | 2009年4月 6日 02:01