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2009年4月24日

“誠意ある表現”の大切さ

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の谷口家奥津城の前で、「谷口輝子聖姉二十一年祭」がしめやかに行われた。お祭には、この日、最終日を迎える長寿ホーム練成会の参加者を初め、近隣教区の信徒等約320人が参集して、生前の輝子先生の御徳を偲びながら焼香、聖経『甘露の法雨』読誦を行った。私は、お祭の最後に概略、次のような挨拶をした:

 ------------------------------------------
 皆さん、本日は谷口輝子先生の二十一年祭にお集まりくださいまして、ありがとうございます。輝子先生は92~93歳で亡くなられ、それからもう20年たったということですから、時がたつのは速いものです。私はこの間、3月1日に生長の家総裁を襲任させていただきましたが、その関係で輝子先生に久しぶりにお会いしたような気分を経験しました。というのは、東京の生長の家本部会館内で、前総裁の谷口清超先生が使っておられた部屋へ私が移ることになり、執務室を引っ越したのです。正確に言うと、まだ書籍等の移動がすべて終っていないので、まだ引っ越しの途中にあります。谷口清超先生の使っておられた総裁室には本がいっぱい残っていて、その中に輝子先生が書かれた『愛の相談室』というのもありました。
 
 この本は昭和59(1984)年の3月7日--つまり、輝子先生のお誕生日--に世界聖典普及協会から発行されたものです。もう25年も前の本です。この本は、実は私が作った本と言ってもいい。当時、私は世界聖典普及協会で出版担当の部長をしていて、部下と一緒に本や講話のカセットテープづくりをしていたのであります。そのことを思い出しました。今日は、その本から引用しながら輝子先生の御徳をお偲び申し上げたいと思うのです。
 
『愛の相談室』の本には、輝子先生のところに来た人生相談や信仰相談の手紙に対して、先生がお答えするという形式の文章がたくさん載っています。その中に「手紙は誠心で」という題のものがあります。この「まごころ」や「誠意」というものを輝子先生は大変重視された方でした。例えば、この相談の少し前のところで、厚化粧をする人について、こんなことを書いておられます--

「こういう人は、その厚化粧を剥した時に、ちょうどお面を取ったように、全く違う人が現われてくると思います。そういうお面を被ったようなお化粧をして、お見合いをしたりしましたならば、その方の結婚生活では死ぬまでお面を被っているわけにはまいりませんから、やがて子供の一人もできた時には、お面どころか薄化粧もしないで、襟垢だらけで汚い汚い女房になってしまいます。その時に、“お面”を見て美しいと思って結婚した男は、その婦人から心が離れてしまうのでございます。
 私は、何事もありのまま正味の姿で、生地そのままの姿でありたいと思います。お見合いの時でさえも、素顔であって欲しいと思うぐらいであります」(p.54)
 
 これは、「人と接するときはウソや見かけ倒しではいけない。誠意をもって接しなければ、いずれウソがバレて、人間関係が破綻する」--そういうことを仰っているのであります。この「厚化粧ではだめだ」というお考えは、手紙については、「真心をもって書けば、多少下手な字でも大丈夫」というお考えにも通じます。この本の94ページに、相談が書かれています--
 
 (相談の箇所を朗読)
 
 これに対して、輝子先生はこう答えておられます--
 
 (pp. 95-96 を朗読)
 
「虚栄心から字をうまく見せようとせずに、少々下手と思っても、誠意をもってていねいに書けば、それは相手に通じる」--そういうご指導です。輝子先生は、そういう生き方をされて来た人でありました。

 この「字をていねいに書く」ということは、最近のようにパソコンやケータイが頻繁に使われるようになってくると、あまり重要でなく感じられるかもしれませんが、そうではないと私は思います。というのは、私のところに手紙をくださる人の中にもいろいろおられて、直筆で書いてくる人が多いのですが、たまにパソコンのプリンターから打ち出した文字だけで、手紙をくださる人もいます。そういう手紙は非常に読みやすいという点ではありがたいのですが、「一体、誰が書いたのか?」と疑問を感じます。つまり、誰が書いてもプリンターで打ち出せば同じだからです。本当にご本人が書いたのならば、自筆のものの方がプリンターで打ち出したものよりも、受け取った相手は「誠意」を感じます。それが多少、下手な字であっても、ていねいにさえ書いてあれば「誠意」を感じます。
 
 それから、最近ではメールを多く使うようになってきました。皆さんの中にも、たいていのことはメールですませてしまう人もおられると思います。私も毎日、メールを使って人と連絡をしています。しかし、自分の「誠意」を示そうと思うときには、メールのような、手っ取り早く機械で作った文字では不十分ですね。また、誠意だけでなく、「好意」「感謝」「尊敬」「ユーモア」などを表現するときも、メールやパソコンよりも、自分の手を使い、下手でもいいから心を込めて書いたものが数段優れています。そういう意味からも、私は講習会の際には「絵封筒」というのをよく描きます。封筒に大きな絵を描いた中に、手紙を入れて出すのです。これは、絵手紙と同じように、ちょっと練習すれば誰にもできるものです。これをするには、メールを打つよりもはるかに多くの時間がかかりますが、その代り、相手に伝える内容は、大変豊かなものとなります。
 
 受け取った相手は、きっと驚くし、喜んでもらえます。これも「まごころ」や「誠意」の表現であります。誠意というのは必ずしも真面目なだけではなく、楽しいものも、ユーモアにあふれたものもあります。ですから、皆さんも光明化運動の中で、あるいはご自分の人間関係の中でも、表面を飾るのではなく、心の中にあるものを素直に表現しながら、誠意をもった生活をしていただきたい。それが、谷口輝子先生が教えてくださった生き方だと思います。
 
 谷口輝子先生の二十一年祭にあたって、所感を述べさせていただきました。ありがとうございます。

谷口 雅宣

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2009年4月22日

日本を“資源大国”と呼ぶべきか?

 アメリカの経済誌『Forbes』の日本版が、6月号で「“資源大国ニッポン”のポテンシャル」という題の特集記事を組んでいる。私はすでに昨年の8月20日9月5日の本欄で、21世紀の今は、日本を「資源小国」と呼ぶ古い発想を切り替えるべしと提言し、地熱発電に加え、「太陽エネルギーや風力、潮力などの“地上資源”に注目すれば、まったく違う可能性が展開してくる」と述べた。この特集記事は、それと全く同じアイディアを述べているのではないが、“言葉の力”を使って人々の発想の転換を図るという意味では、大いに好感がもてる。

 しかし、特集の内容を細かく読むと、日本周辺の海底資源には大きな可能性があるから、その開発に注力せよという主旨だ。特に、メタンハイドレートとレアメタル、レアアースの開発を進めろという内容だから、地球温暖化の問題を真剣に考えているとは思えない。メタンハイドレートとは、メタンと水が低温高圧下で結晶化したもので、東海・近畿の南方にある「東部南海トラフ」と呼ばれる海域などで鉱床が確認されている。これを堀り出してメタンガスを抽出し、エネルギー源にしようという構想である。これが混じる砂層は、水深1千メートルほどの海底からさらに300~400メートル下にあるらしい。そういう「深層」に多くあることが分かっているのに加え、海底や湖底の「表層」にもあるらしい。これまでの調査によると、日本で1年間で消費する天然ガスの量に換算して、100年分のメタンハイドレートが日本周辺の海域には存在しているという。
 
 読者はすでにお気づきと思うが、これは一種の化石燃料である。だから、石油や天然ガスをエネルギー源として使うのと同じ問題--温室効果ガスの排出--がある。その点にこの特集記事は何も言及していない。また、ここでは自民党の中川秀直・衆議院議員がインタビューに答えて、こんな発言もしている--
 
「南海トラフに相当量あると予測されるメタンハイドレートと、銅・鉛・亜鉛・金・銀の重金属やゲルマニウム、ガリウムなどのレアメタルを含む海底熱水鉱床が期待されるのは当然ですが、今まであまり期待感のなかった石油・天然ガスについても、探査・開発が海洋政策の柱の一つに位置づけられた点に注目しています」

 この言い方だと、海洋資源の開発と利用の仕組みが整ってきたから、日本は周辺海域の資源をどんどん開発し、エネルギー源やハイテク機器の材料として利用するのがいい、と言っているように聞こえる。中川氏だけでなく、この特集全体が、なぜ地球温暖化の問題に触れないのか、私は不思議に思うのである。中川氏は、自民党の政調会長だったときから海洋基本法の制定に尽力してきた人だが、今後の展望を次のように評価する--
 
「昨年3月に閣議決定された海洋基本計画では、当面の探査・開発の対象として、石油・天然ガス、メタンハイドレート、海底熱水鉱床が挙げられています。そのうち、メタンハイドレートと海底熱水鉱床については、今後10年間で商業化を実現する目標が立てられています」

 私は、日本としては地球温暖化の原因となる化石燃料のようなエネルギー資源の開発はやめて、今後は風力、潮力、波力等の再生可能エネルギーの開発に全力投球すべきと考えるのだが、同氏によると「波や潮流による自然再生エネルギーも可能性の高いところですが、今いちばん注目されているのがエネルギー・鉱物資源です」ということになるらしい。だから、ここでいう「資源大国」という言葉の背後には、あまり新しい発想はないようである。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月21日

本欄が書籍に (8)

 このブログを単行本化した「小閑雑感」シリーズの第13巻、『小閑雑感 Part 13』(=写Part13_gm)が、生長の家の3大運動組織の全国幹部研鑽会と全国大会を期して、5月1日付で世界聖典普及協会から発売される。本欄の昨年3月から6月までのブログ79篇を集めたもので、同協会にはすでに入庫しているので入手可能と思う。カラーのスケッチ画や写真が23点入り、268ページ、定価は1,400円(税込)である。今からちょうど1年前の記述を含むので、特に経済の動向などで今の状況との違いが顕著にわかる。例えば、現在のアメリカや日本などの先進国の経済は“戦後最悪”の局面だと言われているが、1年前の3月22日のブログには「食糧危機が近づいている?」と題して、次のようにある:

「このところ食品の値上がりが続いている。これは日本だけのことではなく、世界的な現象だ。原因もわかっているが、効果的な対策が講じられているとは思えない。原因は、①中進国の経済発展に伴う動物食の増加、②気候変動による農業生産の不安定化、③石油の高騰、④バイオエタノール・ブーム、などだ」(p.59)

 ところが今は、外食の需要が減り、石油の値段は下がり、バイオエタノールはだぶついている。“経済危機”の到来で大量の失業者が出ているから、外食をする人も、自動車に乗る人も減っているのである。これは“悪い”方向への変化とも言えるが、“よい”方向への変化もある。昨年の5月14日に私は「“放置国家”から脱出しよう」と題して、日本政府の環境対策がEU諸国に比べて遅れていることを、次のように苛立っている:
 
「これ(“福田ビジョン”)はかけ声としては相当“意欲的”に聞こえるが、すでにEUが掲げている目標と変わらない。では、EUが実施している温暖化対策に近いものを日本が今、行っているだろうか? 答えは“ノー”である。環境税も排出権取引も、自然エネルギー支援のための優遇策も、ほとんど内容のあるものは実施されていない」(p.147)

 しかし、今年は“経済危機”の中で総選挙をにらんだ政府・自民党が、「グリーン・ニューディール」と称して新たな環境対策を打ち出している。例えば、自動車関連の経済刺激策では、一定の排ガス・燃費基準を満たした車の自動車重量税などを軽減したり、新車購入後13年以上の車を廃棄して環境対応車の新車を購入する場合、普通車で25万円、軽自動車で12.5万円を補助。それ以外に一定の排ガス・燃費基準を満たした新車の場合には、普通車で10万円、軽自動車で5万円を助成するなど、実質的な対策が講じられるようになった。この点は評価されていいが、これらは一時的な優遇策の域を出ていない。これに対し、環境税や排出権取引は、長期的視点に立った税制改正と新制度の導入だ。今の政府は、そこまでの改革には及び腰ということだろう。
 
 このように、現象世界は変転きわまりないということが、1年を経過してみるとよくわかる。しかし、変化せずに続いている“流れ”や“傾向”もあるし、季節の変化のような“繰り返し”もあることは事実である。特に、経済の変化は、1~2年の短期では激しく感じられても、“揺れもどし”が来るのが原則だから、中・長期的には同一パターンの繰り返しになることが多いのは、よく知られている事実である。短期的な変化に目を奪われていると、中・長期的な流れを見失う危険がある。地球温暖化問題の解決には長期的視点が必要だ。その視点から見れば、私はこの1年で“流れ”や“傾向”が変わったとは思わない。

 谷口 雅宣

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2009年4月20日

ウサギとカメ (5)

 ウサギは、カメには“言葉の力”を理解することができないと思い、岩を見つめて首をかしげているカメに向かって言いました。
「人間の世界には“岩の上にも3年”って言葉あるんだ。おまえさんは日向ぼっこをしている間、その意味でも考えたらいいよ。ぼくはもう行くからね」
 カメはそれを聞いて、
「ああ、その意味はすぐわかる」
 と言いました。
「ホントか?」
 と、ウサギは疑わしそうに言いました。
「ほんとさ」とカメは言うと、「岩は3年では割れないってことさ」と続けました。
「ちがう、ちがう」
 とウサギは言いました。そして、
「おまえさんには、5年たってもその意味はわからないさ!」
 と言うと、くるりと背中を向けて行ってしまいました。
 ウサギがいなくなると、カメはまた空に顔を向けて日向ぼっこのポーズをとりました。そして、目を細めると、
「ああ、太陽の光は暖かくて、気持いいなぁ~」
 と言って口をパクパクさせました。
 カメはそのままじっと動かないでいると、ブゥーンという音をさせながら1匹のハエが飛んできて、カメの背中の上に留まりました。
「ああ、この音、この音……」
 と、カメは目を閉じたまま思いました。何とも心地のいい音でした。カメはよくわかっていました。この音は、“ごちそう”の音なのでした。でも、背中にいるハエを食べることはできません。だから、そのハエが目の前に飛んでくるか、それとも背中をつたって頭まで上ってくれば、電光石火の早業でつかまえてしまおうと思っていました。
 そのうちに、プゥーンという音をさせて、今度はカが飛んできました。1匹のあとにもう1匹が遅れて来る音も、耳のいいカメには聞こえました。遠くでは、池に注ぎ込む水の音も聞こえています。時々、池から跳ね上がる魚が、水飛沫をたてる音がするのもわかりました。カラスが頭上高く、鳴きながら飛んでいきます。周囲の梢では、スズメたちがにぎやかに囀っています。カメは、幸せな気分になっていました。
「ああ、この世界は、ゆかいな音で満ちている……」
 と、カメは思いました。
「ウサギはなぜ、岩を割るなんてことを考えるんだ……」
 と、眠気の中でカメは思いました。
 暖かい日光があり、のんびりと泳げる池があり、頑丈な岩があり、探し回らなくても向こうから飛んでくるエサがあり、美しい音が満ちている。その世界をこわすのが“言葉の力”だったら、そんなものはいらない、とカメは思いました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月18日

ウサギとカメ (4)

 ウサギに比べると少し頭の回転が遅いカメには、「言葉が人間の最大の武器」ということが、よく分からないのでした。カメを煙に巻いたウサギは、そこで大得意になって自論の説明を始めました--
「あのねカメさん、言葉というものには、物を音に置き換える役割があるのさ。例えば、目の前にある小石だが、これを拾うのは簡単でも、おまえさんが乗っている岩は重くて動かすこともできない。でも、“こいし”や“いわ”という言葉は、簡単に動かせるだろう?」
 カメは目をパチパチさせて、自分のいる岩を見つめています。
「こんな説明じゃ、わからないか……。それなら“言葉を動かす”のではなく、“言葉を付け加える”と言えばいい。おまえさんが上に乗っている岩は、実際は重くて動かせなくても、“オレは岩を持ち上げた”と言葉で言うことは簡単だろう?」
「ああ、それならわかる。簡単だ」
 と、カメは頭を上下に揺らしてうなずきました。
 ウサギは、つづけました--
「つまり、言葉をつかえば、本当にはできないこともできたように思える。それができるのは、実際には重くて頑丈で動かしたり割ったりできない岩を、“いわ”という音に置き換えてしまうからだ。そして、“岩が真っ二つに割れた”と言えば、本当にそうなったと思える。ここまでは、わかるね?」
「よくわかる」
 と、カメはうれしそうに言いました。
「こうして、物を音に置き換えることで、人間は頭の中で自分の好きな世界を簡単につくってしまうんだ」
 とウサギは言って、カメの顔を覗き込みました。
 カメは、自分の足元を見ながら、
「でも、岩はほんとは割れてない……」
 と言いました。
「そのとおり」とウサギは言って、さらに続けました--
「でも言葉の威力は、そこから始まるんだ。人間は“岩”“二つに”“割る”という3つの言葉を使って、それを仲間に伝えることで、大勢が同じ目的で動くようになる。つまり、“岩を二つに割りたい”というアイディアが社会に広まり、そのための機械や方法を大勢の人間が工夫するようになり、やがて、本当にそれができてしまうんだ」
 カメは、不満そうな顔でウサギを見ています。
「なんだよ、そんな目でオレを見て……」
 と、ウサギは言いました。
 するとカメは、
「ボクらの仲間だって、大勢が岩に上ることはある。でも、岩はちっとも割れないぞ!」
 と言いました。
「ああ、これだからカメはダメなんだ!」
 と、ウサギは空を仰いで溜息をつきました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月17日

ウサギとカメ (3)

 ウサギとカメは、しばらくにらみ合っていましたが、やがてカメがウサギから目を逸らして、
「ああ、アホらしい」
 と言いました。そして、「このみどりの風のおいしさを認めないなんて、動物のくせに情けない……」と続けると、また日向ぼっこの姿勢にもどりました。
 するとウサギは、
「“バカメ”という言葉は名言だね」
 と言いました。そして、「カメのおまえさんには、その名前がピッタリだ」と言って、相手の様子をうかがいました。
 カメは聞こえないふりをしていたので、ウサギはさらに続けました。
「“動物のくせに”なんて言うのは、動物であることを誇りに思っている証拠だ。そんなんだから、いつまでたっても人間が支配者でありつづけるんだ。人間を超えるためには、人間のもっている最大の武器を自分のものにしなけりゃ……」
 カメはその言葉に興味をもった様子で、
「人間の最大の武器ってなんだ?」
 と、ウサギに聞きました。
 ウサギはニヤッと笑って、
「何だと思う?」
 と言って、カメをじらせました。
「ミサイルのことか? それとも、毒ガス?」
「ぜんぜん違う」と、ウサギは得意顔。
「それじゃ、バイオテクノロジー?」
 ウサギは首を横に振るばかり。
「えぇい、それなら無人攻撃機!」
「ハ、ハ、ハ、ハハハ……」
 と、ウサギは愉快そうに笑ってから、言いました。
「おまえさんは、見ている方向が違うんだよ。“武器”と言ったって、別に戦争するための道具とはかぎらない。高価なものともかぎらない。もしかしたら、人間だったら誰でももっているものかもしれない」
「クイズはもうやめた。早く教えてくれ!」
 カメはそう言うと、ウサギをうらめしそうに見ました。
「それじゃ、答えを言おうか……」とウサギはもったいをつけてから、
「それは、言葉だ!」
 と言いました。
 カメはしばらく目を丸くしていましたが、やがて、
「そんなものが……武器になる?」
 と言いました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月16日

フロリダの誌友会を地方紙が報道

 アメリカのフロリダ州に住む生長の家の信徒、シザー・モッタさん(Cesar Mota)らがこのほど行った英語誌友会の様子が、14日付の地元紙『サウスフロリダ・サン・センティネル』(South Florida Sun-Sentinel,)で紹介された。記事はインターネット上の電子版にも掲載されているので、日本からも読める。この電子版では、誌友会の参加者が「笑いの練習」をする様子が動画で見れるほか、生長の家の簡単な説明もある。それによると、フロリダに生長の家の教えが伝わったのは10年以上前で、ブラジル人のグループがフォート・ローダーデイル市(Fort Lauderdale)の美容院で誌友会を開くようになったからという。その後、生長の家の運動はブラジル人コミュニティーを中心に順調に広まり、現在はマルゲイト市(Margate)に集会所をもつ300人規模のグループに発展しているという。今回の誌友会は、このマルゲイト市のセンターで行われたもの。

 この記事で取り上げられているのは、「笑いの練習」だけでなく、ポルトガル語を話すブラジル人が英語で誌友会を開いたこと、また、参加者の中にはプロテスタントの福音派教徒やカトリック教徒、それにユダヤ教徒もいることなど。また、生長の家の説明には、次のようにある--
 
「生長の家は1930年代に日本で発達し、70から80年代にかけては、大勢の日系移民が移住したブラジルで勢力を拡大した。現在は約180万人の信徒を擁する。“生長の家”とは“無限の成長の家”という意味で、仏教、神道、キリスト教の要素を取り入れた教義をもつ。その中心的な教義の1つは、“すべての宗教は同じ普遍的真理--神は完全であり、善のみを創造された--を基礎としている”ということ」

 --新聞記事としては結構、まともに伝えてくれているのでありがたい。また、アメリカでの生長の家については、次のように説明している--

「アメリカでは、1954年に日系移民がハワイで最初に生長の家のセンターを開設し、現在は7つの州に約6千人の会員がいる。アメリカ国内の会員のほとんどは日系人だが、フロリダだけは例外だと、カリフォルニア州にあるアメリカ合衆国伝道本部の川上真理雄・副教化総長は語った」

 インターネット時代には、このような事実がすぐに伝わり、報道記事もいながらにして読める。間違った報道ではダメージも大きいが、正しく伝わることのメリットは大いに評価できる。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月15日

ウサギとカメ (2)

 カメをバカにして笑っていたウサギは、しかし、顔がだんだん歪んできました。かと思うと、口が大きく開いて大アクビの顔になりました。ウサギは両腕を思いっきり空に突き出して、
「フューワァーアー……たいくつだぁ……」と言ったのです。
 そして、伸びがおわると、
「この島では、やることが何もない……」
 と、低い声でボソボソと付け足しました。
 それを聞いたカメは、ウサギに言いました。
「やることが何もないなんて、おかしなことを……」
 ウサギは、上目づかいでカメを見て、
「オカシもカカシもないよ。何もないんだからしかたがない」
 と言いました。それから息を胸いっぱい吸って、ウサギはアメリカの大統領のように、顔を半分空に向けて演説をはじめました--
「ノロマのおまえさんには分からないと思うけど、ぼくはこの島のすみずみまで、もう行ってしまったんだ。どこにも知らないところはない。この速い足と、よく聞こえる長い耳で、ぼくはこの島のすべてを知ってしまった。何も新しいことはない。何も不思議なことはない。何も驚くことはないんだ。ぼくはこの島のすべてのものに名前をつけて、分類して、頭の中にきれいに整理してしまった。その結果、世界の中のすべてのものは、たった3つの種類に分けられるという偉大な真理を発見したんだ。まぁ、こんなことを言っても、頭の回転の遅いおまえさんにはわからないだろうけどね……」
 ここまで一気に言うと、ウサギはカメの方を横目で見て、相手の反応をたしかめました。
 カメもその時、空を見上げていて、口を開けると、細い舌をペロリと出して、すぐに引っ込めました。そして、
「おいしいぞ」と言いました。
 ウサギはそれを聞きのがさず、
「何をひとりで言ってるの?」とカメに言いました。そして、「空気はおいしくなんかない」と続けました。ウサギは自分が見つけた偉大な真理を、今こそカメに伝えるべきだと感じました。
「おまえさんは、何もわかっちゃいないね。世の中のすべてのものには結局、3つの意味しかないんだ。“おいしい”とか“まずい”とかいうのは、その3つがわかる前の、とちゅうの感じだ。中途半端な結論、と言ってもいい。もし空気に味があるとしたら、“おいしい”のは“よい空気”で、“まずい”のは“悪い空気”だ。それ以外の味は、どんなに複雑で微妙な味でも気にすることはない。よくも悪くもないものは結局、おまえさんにとって何の意味もないからだ。それは、おまえさんにとって“関係ない空気”だから、無視するのがいちばんいい」
 カメはそれを聞いて、
「そんな考えはツマラナイ!」と言いました。
 すると、ウサギはムキになって、
「ツマルもツマルも大ツマリだ。おまえさんは、人生の先輩の言うことを聞くべきだ!」
 と主張しました。
 カメもゆずりません。
「おいしいものを“おいしい”と言うのが、ぜったい正しい」
 と言うと、目をむいてウサギをにらみました。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月14日

ウサギとカメ

 ある島に、ウサギとカメが住んでいました。ウサギはすばしこくて、走るのが得意で、いつも競争相手をさがしていました。カメはゆっくり動くのが好きで走るのは遅かったですが、自分のまわりのものによく気がついて、ていねいで、根気が強いのでした。
 
 ウサギは島にすむイヌやネコと競走しても、足の速さでは負けません。だから時々たいくつすると、イヌやネコをからかって自分を追いかけさせ、一緒に走りながら運動不足を解消するのでした。
「ぼくは、島いちばんのランナーさ!」
 と、ウサギは大得意でした。
 
 カメはウサギがそんな競走に熱中しているのを見ても、いつも知らん顔をしていました。そして、天気がいい日には天に向かって首を伸ばして、じっと日光浴をしていました。時々、イヌやネコがカメに近づいてきて、ちょっかいを出そうとすると、カメは素早く首や手足を殻の中に引っ込めて、“石”になったマネをするのでした。ウサギみたいに走って逃げなくても、首や足を引っ込めるだけでいいのです。カメの堅い甲羅には、イヌもネコも歯がたたないのでした。だからカメは、
「あたしは、島いちばんのカタブツさ!」
 と、大得意でした。

 ある日、日光浴をしているカメのところへウサギが来て、言いました。
「おーい、カメさんよ。こんなところで空を見上げて、何かおもしろいものが見えるかね?」
 カメは、目をしばたたいて、ちょっとウサギのほうを見ました。
 ウサギは、そんなカメに向かって、
「空には何も見えないだろう。見えたとしても、鳥が飛んでるぐらいだ。ノロマのおまえさんには関係ないけどね……」
 と言って、ニッと白い歯を見せました。よい考えが浮かんだからです。ウサギは、たいくつしのぎにカメをからかってやろうと思いました。
 カメは、自分が鳥と関係ないなどと言われたのが気に入らなかったので、口をあんぐりと開けてウサギをにらみました。
「おや、カメさん。小さいお口をパクパクさせて、何かご不満かね。ぼくは、鳥と競走しても勝てるほど速い。でもお前さんは、アリと競走しても負けるほど遅い。だから、怒ってもムダなんだよ」
 と、ウサギは憎まれ口をたたきました。すると、カメはゴツゴツとした声で言いました。
「カメはウサギに勝ったぞぉ!」
 ウサギは、カメの予想外の言葉に驚いて半歩下がりました。しかし、すぐに反論しました。
「あぁ、それは昔のことですねぇ~。おまえさんの先祖があんまり遅いんで、ぼくの先祖が途中で昼寝してしまったって話ね。それは昔のことでね、ぼくは先祖みたいにウカツじゃないから、レースの途中で昼寝なんかしない。だから絶対負けないんだよ。いや、昼寝はするかもしれないけど、それはゴールに入ってからさ。おまえさんが来るまでには、きっと日が暮れてしまうからね」
 ウサギはこう言うと、カメを指差してカラカラと笑いました。

 谷口 雅宣

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2009年4月12日

家族で夕食会

 日曜日の今日は、久しぶりに家族5人が集まって夕食会をした。たいていの場合、日曜日は日本のどこかで生長の家の講習会があるから、妻と私は東京にいないことが多い。一方、3人の子供たちは、普通に月曜から金曜までが仕事の生活をしている。家族が集合するのは、だから今日のような“普通でない”日曜日になってしまう。特に何かの記念日というわけではないが、新年度も始まった好天の日に集まって楽しいひと時をすごした。
 
 夕食会は「母さんの手料理」を望んだ長男の要望にこたえて、わが家でやった。彼は仕事上、人との付き合いが多いので、外食主体の食生活だから、たまにはということだろう。私は「母さん」だけでは“男の名折れ”とばかりに、にわか“寿司職人”を名乗り出た。本欄では何年も前に私の寿司をご披露したことがあるが、最近は台所に立つ機会がめっきり減ったので、あれから特に進歩しているわけではない。ただ親の気持を表現したかったのである。
 
Sushi0409  もう1つ、したいことがあった。それは、旬のタケノコとシイタケを使った“野菜寿司”なるものに挑戦したかったのである。これは、妻が持っている弁当作りの本の中に写真入りで載っていたものだ。料理研究家の中村成子さんの本で、中村さんの母親が「田舎の姑から教わった」という野菜ばかりの祭り寿司がいかにも美味しそうだった。中村さんによると、当時はシイタケ、ニンジン、レンコン、サトイモ、ゴボウなどの煮しめを作った“残り物”を使ったという。しかし私の場合、“残り物”をまず作るというわけにもいかないので、庭で掘ったタケノコと妻の父が原木栽培で作ったシイタケを使おうと思ったのである。妻は、その他の具として、タイ、ハマチ、カツオ、ホタルイカ、ウニを用意してくれた。

Sushi04092  ところで“野菜寿司”の出来栄えだが、正直「成功」とは言いがたかった。煮しめと酢飯の合わさった味はおいしいのだが、ご飯と具とがくっつかずに分離してしまう。それでもシイタケの場合、肉詰め式にキノコの傘でご飯を包めばうまくいく。が、タケノコはご飯の上に載せたまま、落ちないように注意して食べるほかなかった。しかし、これらは“愛嬌”ということで、誰も文句を言わないで食べてくれるところは、家族のありがたさである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○中村成子著『お弁当絵日記1000日』(文化出版局、1987年)
 

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2009年4月11日

タケノコを掘る

 サクラが散るころはタケノコの収穫期--わが家の春の言い伝えにしたがって、今朝はタケノコを掘った。今年は全国的に桜の満開が例年より1~2週間遅れたとテレビなどで言っていたから、本当にタケノコが出るのも遅れたと思った。にもかかわらず、結構太いのがあったので安心した。実は、6日にも“初物”を3~4本掘ったが、この時はそれほど太いものではなかったのだ。妻は、私の所望に応えて、さっそく「孟宗汁」を作ってくれていた。
 
 読者のご記憶にまだあると思うが、「孟宗汁」は昨年の本欄で映像によって作り方を紹介した。もし見逃した方は動画サイトにある「原宿のタケノコ」をご覧あれ。ところで、このムービーの登録の日付は、今から約1週間後の「4月18日」になっている。ということは、昨年のその頃の様子がそこに映っているのである。それを見て今日の様子と比べてみると、今年のタケノコの出が特に遅いわけでもなさそうだ。人間の記憶は、あまり頼りにならないものである。
 
Bambooshoots  写真を見るとお分かりと思うが、今日採ったタケノコは全部で6本。ミニが1つあるが、その他は直径が10~15センチある。わが家の竹林は、竹が結構密に生えているので、地中に這う地下茎も高密度になってきた。するとタケノコは、張り廻らされた地下茎の間から無理に出ようとするので、形がいびつに曲がったり、茎が扁平になったりする場合もある。また、私の場合、中型のスコップを使って掘り出すから、周囲に太い地下茎があると歯が立たない。そういう“障害物”がない方向からタケノコの根元にスコップを入れ、できるだけ深いところから掘る。この作業に没頭していると、体は熱くなり、時間を忘れてしまう。
 
 採ったタケノコは、夫婦2人に6本は多いので、隣家に何本か寄贈した。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月10日

天皇皇后両陛下のご結婚50年をお祝いして

 昭和34年に天皇皇后両陛下がご結婚されてから、今日でちょうど50年目になるというので、朝からメディアにはお祝いの言葉と映像が続いていた。大東亜戦争後の厳しい時代から高度経済成長時代、公害の深刻化、沖縄の本土復帰、冷戦の終了など、変化多い半世紀を、数々のご苦労やご努力を表に出されずに、我々国民のために明るく公務を全うされてきた両陛下に心から感謝申し上げ、お二人の固い絆をお祝い申し上げます。天皇皇后両陛下、ご結婚50年誠におめでとうございます。

 今日の新聞各紙は、この日のために8日に行われた記者会見で両陛下が述べられたお言葉を伝えているが、その中で私の心に強く響いたポイントが2つある。1つは、天皇陛下が日本国憲法で規定された「象徴天皇制」を高く評価されている点だ。『朝日新聞』によると、陛下のご発言は次の通りである--
 
「(前略)私は即位以来、昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたび思いを致し、また、日本国憲法にある、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという規定に心を致しつつ、国民の期待に応えられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています」

 このあとに陛下が話されたことは、私にとって驚きだった--
 
「なお大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います」

 このお言葉の背景には、明治の開国から大東亜戦争の敗戦に至る時代は、日本にとっては言わば“危機の時代”であったから、天皇のあり方も一種の“危機対応型”にならざるを得なかったとのお考えがあるのだろうか……私としては、そう推測させていただくのである。明治憲法下では、天皇は国家元首であるだけでなく、軍隊を直接掌握する権限が与えられていた。国政に関しても、現憲法では許されない権限をもっていた。それよりも、今の象徴天皇制の方が、日本の長い歴史の伝統により近い、とのご認識なのである。
 
 また、私の印象に残った2番目は、この「伝統」についての両陛下のお言葉だった。天皇陛下は、皇室の伝統を次世代にどう引き継いでいくかという質問に対して、こう述べられた--
 
「先ほど、天皇のあり方として、その望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは、次世代の考えに譲りたいと考えます」

 このお言葉は、「伝統を墨守する」というのとは大きく異なる。伝統的行事をすべて守っていくとはおっしゃらずに、「天皇の望ましいあり方」に沿うのであれば、個々の行事の改廃については次世代の判断に任せるとのお考えである。この点について、もっと明確な意思を表明されたのが皇后陛下である。
 
 皇后陛下は、天皇陛下が皇室の伝統的行事や祭祀について「昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました」と述べられ、「伝統があるために、国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに気づかされる」と述べられた後に、伝統のマイナスの側面についても、次のように明言された--
 
「一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」

『産経新聞』は今日の「主張」欄で皇室典範の改正について触れ、女性天皇や女系の天皇の可能性について「男系による皇位継承の伝統を破るもの」とし、「伝統を守りつつ、弥栄をはかるには旧皇族の復帰など皇室の拡充を真剣に考えるべきだ」と述べている。が、天皇皇后両陛下ご自身は「伝統墨守」のお考えではないことを、我々はしっかり理解しておこう。

 谷口 雅宣

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2009年4月 8日

夜桜を見る

 水曜日は私にとって“週末”……ということで、夕方、妻と2人で明治神宮外苑にあるレストランへ行き、ゆっくりと夕食をいただいた。数カ月前にオープンした店で、新聞にも紹介が出ていたので、席が空いているか心配した。が、客の数は意外に少ない。そうなのだ。昨今の厳しい経済事情のおかげで、このごろ街のレストランは空いているし、道路を走る自動車の数も減った。人々は生活防衛に必死なのだ。
 
 食後、青山通りを六本木方向へ渡り、さらに路地に入ってゆっくりと散歩した。このあたりは飲食店が多いのだが、どの店も客はまばらである。そのうちに、目の前がボォーッと明るくなったのは、満開のサクラ並木のせいだった。都内の“サクラの名所”の1つである青山墓地まで来ていた。と、この付近はなぜか人通りが多いのである。我々は、街灯の光を受けて夜空に白く光るサクラを愛でながら墓地内を進んだ。
 
Cherrynight  夜、墓場を歩くことはあまりない。が、満開のサクラが頭上を覆い、足元に続く白い花びらの絨毯を踏みしめて歩いていると、そこが「墓場だ」という気があまりしないのである。それでも、照明の当たらない側道は暗く、不気味な感じがするので、我々は街灯のある道を行くことにした。と、道の両側で人の声がするのである。それも、1人や2人ではなく、大勢が談笑している風情である。また、沿道の所々に、二人連れなどがしゃがみ込んで何かを食べている。夜桜見物の人々だった。

 好奇心に惹かれた私は、ためらう妻の腕を引いて側道へ入った。すると、暗がりのあちこちに10人、20人と円陣を構えて人々が座っているのである。「こんな暗いところに…」と私が言うと、妻は「目が慣れてきたら、そうでもないのかも…」と言う。私は彼らの写真撮影を試みたが、ストロボを発光させなかったためか、暗さに強いデジカメにも、ほとんど何も写らなかった。
 
 側道を引き返しながら、ふと「もし迷った霊が付近にいたら…」などと思う。また、「10人のグループで来たはずなのに、よく数えてみたら11人いたとか…」などと想像する。いや、今見た人々は皆、地べたに座っていたから、ひょっとして地縛霊…?

 夜桜には、妄想を起こさせる力があるのかもしれない。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月 7日

北朝鮮の“飛翔体”

 北朝鮮が5日午前に「テポドン2」なる“飛翔体”を遠く太平洋まで飛ばしたことで、日本中は大騒ぎだった。そのほとぼりが一応収まりつつあるところで頭を冷やして考えてみると、何かがそれほど大きく変化したわけではない、と私は思う。私は「北朝鮮の核実験」という題でこれまで本欄に3回にわたって書いた。最初が2005年5月10日、2回目は2006年10月8日、そして3回目はその翌日である。その中で間違っていた予測が1つある。それは、北朝鮮が核実験をしたら「その影響はきわめて大きい。韓国や日本の安全保障とも深く関わってくる……」などと書いた4年前の判断は、どうやら外れたようだ。4年間で、ほとんど何も変わらなかった。韓米安保も日米安保も同じ状態で、変ったことと言えば韓国が北朝鮮に対して“厳しく”当るようになり、その逆にアメリカには“悪の枢軸”をやめて“対話”を掲げるオバマ政権が誕生したこと。あとは、かの国の“金さん”が一度脳卒中になり最近、げっそり痩せた姿の写真を発表したことぐらいだろうか?

 この件での私の認識は、上記の3回目の文章とあまり変わっていない。簡単に言うと、日米安保体制が健全に機能し、日米関係が良好であるかぎり、アメリカの核の抑止力が働いているから、北朝鮮の“核の脅威”が深刻化したとは思わない。理由は、その時の文章に詳しく書いた。その中にこういう記述がある--
 
「まず第一に、核兵器を持ったということと、それが軍事的な脅威になることとは、必ずしも同義ではない。核兵器は、ある国の内部にあるだけでは軍事的脅威ではない。それを仮想敵国の内部まで一定の信頼性をもって運搬する手段が必要である」

Tepodon  2006年7月に北朝鮮が行ったミサイル発射実験では、「テポドン2」はうまく飛ばなかったが、今回はだいたい予告したコースを飛んで、太平洋にまで達したから、この「運搬手段」の信頼性はやや増した。そういう意味で、北朝鮮の“核の脅威”は確かに「増大した」と言える。が、その増大の程度は日本にとって「深刻」とはまだ言えない段階である。その最大の理由は、良好な日米関係に加えて、今回の実験も「失敗」と呼んでいいからだ。

 「実験失敗」という評価は、実験直後からアメリカ側から暗示されていた。アメリカの本土防衛を担当する北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)は、現地時間5日未明に声明を出して「(衛星の)軌道上に乗った物体はない」と確認した(6日『日経』)。7日付の『日経』によると、河村健夫官房長官は6日の記者会見で「衛星が軌道を周回しているという認識は持っていない」と述べ、防衛省の増田好平事務次官も「米国からも“軌道に乗ったものはない”と説明を受けている」と語った。また、インタファクス通信は、ロシアの軍参謀本部高官も6日に「我々の情報では軌道上に衛星はない」と認めたと伝えた。『朝日新聞』も7日付で米ロ日韓4カ国が「“打ち上げ失敗”で一致」したと報じた。同紙は7日の夕刊ではさらに詳しく、防衛省が「データを総合した結果、人工衛星を軌道に乗せるために必要な秒速約8キロには速度が達していなかったと確認した」と報じている。

 アメリカのメディアの評価は、もっと厳しい。7日付の『ヘラルド・トリビューン』紙は、「失敗は“恐るべき国”を目指す北朝鮮に痛手」(Failure hurts Pyongyang's quest to be a feared entity)という見出しの記事を載せ、「追尾データを詳しく見ると、ミサイルは搭載物ともども海中に落下した」という専門家の分析を紹介している。それによると、この実験を“密かな成功”と見るのは間違いで、これは同国の過去の一連のヘマの続きであり、同国の品質管理には問題があるとの見解だ。特に、ハーバード大学の天文学者で衛星とロケット打ち上げを監視しているジョナサン・マクドゥウェル氏(Jonathan McDowell)は、今回の実験は“後退”であるとし、「(北朝鮮の)ミサイルは、短期的には何ら脅威とならない」と述べている。また、別の専門家は、北朝鮮から技術提供を受けたはずのイランが、今年2月にすでに小さな衛星を地球の軌道上に乗せるのに成功していることを指摘し、北朝鮮の抱える問題を示唆している。
 
 これらのことから判断すると、今回の北朝鮮の実験により、同国が大陸間弾道弾(ICBM)の能力を得たとは言えないし、近い将来に得る可能性も少ない。したがって、同国がアメリカ本土に脅威を与える可能性は、少なくとも短期的には存在しない。よって、わが国にはアメリカの核の抑止力が引き続いて有効に働くと見るべきだろう。
 
 谷口 雅宣

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2009年4月 4日

公衆電話という存在

Telephones  多くの子どもが携帯電話を持ち歩くようになった今日、公衆電話はほとんど使われない。しかし、何かの緊急の用事で使わなければならない人のために、今は“公衆”が集まる場所にわずかに残されている。その姿は、いつ来るとも知れない利用者を「ただ待つ」という奉仕の精神を体現しているようだ。その一方で、電話を置けば暗がりでは不都合だということで、照明をつけねばならず、子どもの利用も考えて、低い位置に1台は設置しよう、などという配慮が必要になる。
 
 電話は人間の道具である。もっと具体的に言えば、それは我々の“口”と“耳”の延長である。それが、誰にでも利用できる形に開放されているのが公衆電話だった。その公衆電話がなくなっていき、代りに我々は、頭部についている温かいものに加えて、もう1セットの冷たい“口”と“耳”を懐に忍ばせるようになった。ケータイはどんどん進化して、今では我々に“目”も与えてくれるし、“脳”も使わせてくれる。つまり我々は、自分の“分身”を懐やハンドバッグに入れて持ち歩くようになった。ケータイはもはや、“道具”の領域を超えたと言える。

 そんな時代に、古く良き道具である公衆電話を街角で見かけると、何かホッとした気分にならないだろうか。“彼ら”は、他人と共用される「道具」としての本質を持ちつづけているために、万人の心に「懐かしい」思いを起こさせてくれるのだろう。しかし、我々の持つケータイは誰とも共用できず、したがって他人の目には“異物”のように映るか、あるいは“悪用”の対象になる。

 公衆電話のガッシリとした体躯を見ていると、フワフワとしたケータイの軽さが、現代人の心の拠り所を象徴しているように感じられた。
 
 谷口 雅宣

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王様の顔

Blackking  昨日の本欄に続き、私が撮ったスナップ写真を掲げて、私がなぜシャッターを押したかなどの感想を読者に紹介しよう。ただし、今回は文章によるのではなく、私の“語り”を聞いてください。
 
 谷口 雅宣

「BlackKing.mp3」をダウンロード

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2009年4月 2日

休日のベンチ

 休日に妻とショッピングに出かけた。春休みであるうえ、サクラの満開が報じられているせいか、家族連れのほか男女のカップルも多く、街のにぎわいは普段の木曜日とは様変わりなのに驚いた。が、それと同時に何か懐かしさを感じた。私は、生長の家本部に勤める前は、長い間、大多数の人同様に日曜日が休日である生活をしていたから、その時代を思い出したのである。当時は、まだ小さかった子供を連れて、にぎやかな公園や混雑したデパートを歩いたり、ファミレスの入口にできた人の列にも並んだものだ。子供は、家族と一緒に行動するのが普通だし、それが当り前だった。
 
Playinggames  ところが今日、ショッピング・モールの片隅に並んだベンチを見て、「へぇ~」と思った。子供たちだけが座っているのはよしとしても、その彼らが全員、持参した小型ゲーム機に熱中しているのである。私の子供にもゲーム機に熱中する時代はあったが、友達と一緒に遊んでいるときに、各人がゲームをしているという光景はなかったと思う。最近のゲーム機では「対戦」ができるからか……とも考えてみたが、機械を通した友達関係とはいったい何だろう……と何となく納得できない。が、とにかく、その様子を記録した。
 
 谷口 雅宣

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