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2009年3月16日

裁判員として“罪”をどうするか?

 昨日東京で行われた生長の家講習会で、裁判員制度との関連で興味ある質問が出た。川崎市高津区から来られた49歳の女性の、こういう質問である--
 
「午前の部のご講話より、ずっと心にひっかかっている問題がございます。“人間本来罪なし”と教えて下さる生長の家のみ教えにふれていますと、5月から始まる裁判員制度でもし(裁判員に)選ばれました時、罪なし、罪なしでみんな神の子さんに見えて、とても極悪犯でも裁くことがむずかしく、冷静に判断できません。本当は死刑にしたいと思えるのに、という場合もあります。どうしたらよいでしょうか?」

 私は、これに対して「実相と現象の区別」をポイントに置いて答えたが、言いたいことがどれだけ伝わったか定かでない。そこで、この場を借りて、少し補足させていただきたい。

 まず、「人間本来罪なし」という場合の宗教上・道徳上の罪と、裁判員制度を含む法律上の罪とは、若干意味が異なるのである。英語でも、前者を「sin」といい、後者を「crime」と呼んで区別している。宗教上・道徳上の罪は、一般的には創造主である完全なる神に比較して、人間は本質的に不完全であるという意味で使われる。これに対して法律上の罪は、単に法律に違反しているという意味だ。だから、前者は後者より広い意味をもつ。例えば、日本では大麻(マリファナ)を個人が栽培することは法律で禁じられているが、アメリカの一部の州では禁じられていない。この場合、大麻栽培者は、日本では法律上の罪人であるが、アメリカのその州ではまったく自由人だ。このように、法的な罪は国や州によって異なるが、宗教上の罪は、そのような地域的な差異は認められない。例えば、「他人の不幸や死を願う」ことは宗教的・道徳的罪とされることがあるが、そういう傾向のある人は、どこの国へ行っても同じような心を抱くだろうから、地域的な差異は生じない。
 
 以上は、2種類の罪の一般的な説明である。そして、5月から始まる裁判員制度では、我々は宗教上・道徳上の罪を裁くのではなく、もっぱら法律的罪を裁くのである。大麻栽培の例を使えば、ある人が日本国内で大麻を栽培したかしないかの事実認定にもとづき、法律に照らして罰則を適用する--それだけのことである。法律に「禁固1年」と書いてあったら、それ以下の罪になるのであり、決して「禁固2年」や「懲役刑」にすることはできない。また、ある人が国内で実際に大麻の栽培をしていたのであれば、生長の家でどんなに「罪はない」と説いていても、その人は「有罪」とならざるを得ない。ただし、量刑(罰則の適用)については、罪の程度が軽微であれば--例えば、大麻と知らずに、別の植物だと思って栽培していた場合、事実上は刑を免除する「執行猶予」となることもある。それでも、法律的にはあくまでも「有罪」だ。
 
 ところが、宗教上・道徳上の罪という観点では、生長の家では「人間本来罪なし」であるから、有罪判決を受けた人に対しても、「あなたは本当は罪人ではありません」と断言するのである。大麻栽培者に対してだけでなく、詐欺師にも、放火犯にも、殺人犯にも、そう言うのである。ここで重要なのは「本来」という2文字であり、これは「実相においては」という意味だ。「人間本来罪なし」をこの文脈の中で言い直せば、「現象的には殺人犯でも、実相においては神の分身として完全である」ということになる。裁判員になった生長の家信徒は、一方では法律的意味での罪の有無をきちんと判断すると同時に、宗教的な意味での罪は「本来ない」ということを信じるのだ。まるで“ダブル・スタンダード”のように聞こえるかもしれないが、「実相と現象を分けて考える」というのは結局、そういうことになるだろう。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生。合掌ありがとうございます。
先日は埼玉県より参加させていただきした。この質問に対する先生のお答えがとても明確で、私たち生長の家信徒が「どうふるまうか」を理解できたように思えます。

先生は質問された方に、
「その方が有罪となったら、できれば面会し、<人間本来罪なし>を伝えて下さい。」と仰せられました。
現象世界での法律を違反した「罪」を償うことと、一方で実相において「本来罪なし」であるということを面会して伝えるように促す先生の「ほんとうの優しさ」に感動いたしました。ありがとうございました。
再拝

投稿: 青木繁和 | 2009年3月17日 09:39

裁判員制度に対する対応は完璧だと思います、只、私が疑問に思いますのは法律には違反しないけれども宗教上、道徳上の罪についてです、例えばアメリカの一部の州における大麻栽培者や肉食者や趣味で釣りをして食べる人、狩で獣を食べる人、タバコを吸う人、売春を禁じられていない地域や一夫多妻の国の人々、etc等々に付いてはどう考え対応すれば良いのか?座禅や瞑想、神想観
等々キチンと実践出来ている人(少数ではないか)は自然に無くなって来るのでしょうが私をも含め他の多くの人達は肉食や趣味の釣り等々出家者や極少数の僧侶以外、完璧には出来ないのではないか?と考えるのです、この様な場合、法律的には罪は無いが宗教上、道徳上の罪が現象的には有る!と考えなくてならないのでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年3月17日 20:16

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