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2009年3月21日

なぜ今「地球環境工学」か?

 私は最近、「ジオエンジニアリング」(geoengineering)という言葉が気になっている。アメリカの外交専門誌『Foreign Affairs』(フォーリン・アフェアーズ)が3~4月号の表紙の見出しにこの言葉を使ったし、イギリスの科学誌『New Scientist』が2月28日号(vol.201, No.2697)の論説の見出しに、やはりこれを使っている。

 ジオ(geo)とは「地球の」とか「地理に関する」という意味の接頭語だ。従って、ジオグラフィー(geography)は「地理」であり、ジオロジー(geology)は「地質学」、ジオポリティックス(geopolitics)は「地政学」である。エンジニアリングはもちろん「工学」のことだから、「地球」や「地球環境」を工学の対象とするのが「ジオエンジニアリング」である。新しい言葉だから、私の使う英和辞典にも英英辞典にもまだ載ってない。
 
 ご存じのように、遺伝子工学(genetic engineering)は、人間が生物の遺伝子を操作することによって、生物を人間の目的に合わせて制御したり、改変する学問だから、ジオエンジニアリングは「地球や地球環境を人間の目的に合わせて制御し、改変する学問」ということになる。私はそれを「地球環境工学」とここでは訳した。
 
 賢明な読者はすでにお気づきと思うが、著書や本欄などを通して遺伝子工学に疑義をはさんできた私にとって、「地球環境工学」はさらに疑わしい考え方である。それは私が、宗教家であるからではない。多くの科学者が「地球環境を人間の力で操作するためには、遺伝子操作よりもさらに慎重な配慮が必要だ」ということをよく知っている。第一、「今日の深刻な地球温暖化の原因は、人間の活動による温室効果ガスの増大である」という事実が、地球環境工学の難しさを証明していると言えるからだ。産業革命によって、我々は当初まったく意図せずに、地球環境を悪い方向に変える技術と文明を創造した。そして今日、悪いと知りながらも、この方向を逆転できないでいる。自分の行動の過ちを正せない人間が、何を今さら「地球環境工学」か?
 
 私が「ジオエンジニアリング」という言葉を目にした最初の印象は、そういうものだった。ところが今日、生長の家講習会のために滋賀県大津市に向かう新幹線の中で上記の『New Scientist』誌を読んだ私は、この学問が今、科学者の間では“最後の手段”として論議の対象になっていることを知った。私が言っているのは、経済危機とか北朝鮮のミサイルのことではない。現在の人類の意識と世界の政治・経済制度では地球温暖化を止めることができないから、人類の犠牲を最小限に食い止めるために、科学技術を動員して地球環境の操作に、あるいは少なくともそういう技術の研究に着手すべしという議論が、環境学者や気象学者の間で行われているのである。
 
「4℃の上昇」というのが、ここでのキーワードである。つまり、地球の平均気温の上昇がこのレベルに達すると、地球環境の変化は後戻りできない状態になるらしい。そして、何年後にこの段階に達するかといえば、あるコンピューター・モデルは「2050年」にはなるという。が、それは悲観的予測で、多くの科学者は「2100年」までにはそうなると予測しているようだ。我々の子や孫の時代だ。これはもちろん、現在の京都議定書での取り決めが実現せず、さらなる政治的努力も効果がないという前提に立っているのだろう。つまり、“最悪の事態”の到来を予測して、今から準備を始めるべきだとの考え方である。
 
 科学者がそれほどの危機感を抱く理由は、「4℃の上昇」が起こった場合の地球環境のシミュレーションを知れば了解できる。が、そのことは、次回以降に譲ろう。

谷口 雅宣

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