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2009年2月18日

ブラジルの子供たち

 かつて私が学んだコロンビア大学の『SIPA NEWS』の今年1月号がラテン・アメリカ特集を組んでいたので、興味深く読んだ。生長の家では今夏、ブラジルで「世界平和のための国際教修会」が予定されていて、そこにはラテン・アメリカ諸国から大勢の人が集まる予定になっているからだ。また昨今は、ブラジルを筆頭としたラテン・アメリカ諸国の経済発展が話題になっているからでもある。そんな中で、私はこの出版物を読んで、自分が日本とも関係の深いこの新興大国に何回か行っているにもかかわらず、その実情をあまり知らないことに気がついた。
 
 この出版物は、同大学の国際公共学校(School of International and Public Affairs)が年2回出す、ニュースレターのようなものだ。その中のマッシモ・アルピアン氏(Massimo Alpian)の記事には、リオ・デジャネイロの貧民街の子供たちの様子が描かれている。そこでは、11歳そこそこの男の子が、首からAK-47型ライフル銃を下げて歩いているのに出会うそうだ。彼の表現によると、リオは今、世界で最も暴力が多く、かつ最も自然が美しい街の1つである。その理由は、風光明媚の自然の中で貧困が蔓延しているかららしい。ブラジルは、急速な経済成長にもかかわらず、社会的不平等が世界で最も顕著な国の1つという。具体的には、全人口の10%を占める富裕層が国の富の50%を稼ぎ出す一方で、約34%の国民が貧困層に属するという。「ファヴェーラ」という貧民街に住む人の数は、正確には不明だが、政府の概算によると全人口の20%にも及ぶらしい。
 
 貧民街の生活は、麻薬と暴力から自分を守る日々だという。そして、頼みの綱であるはずの警察官の行動は、人権侵害も起こるほど無秩序で、予測困難なのだという。最近、イギリスの人類学者、ルーク・ドウドニー氏(Luke Dowdney)が行った研究によると、18歳未満の少年少女が1年間に銃によって殺される数は、世界で正式に“戦闘地域”に指定されているどの場所よりも、リオの街が多いそうだ。貧民街は、麻薬密売組織によって運営され、子供たちはそういう組織の縄張りを守るために武装させられるのである。そのため、1988年から2002年までの14年間で、リオ市内で銃によって殺された若者の数は、ほとんど4千人に達するという。現在、武装した子供は、リオ市内だけで5千人から6千人もいるというから驚きだ。
 
 そんな中で、「ヴィヴァ、リオ!」などのNGOが行っている対策は“平和教育”と呼ばれている。これは、子供が暴力にさらされている地域で、教育や紛争の仲裁活動を行うことで、子供たちのものの見方を変える活動らしい。また、上記のドウドニー氏が始めたプロジェクトでは、教育に加えて、子供たちの生活スタイルの転換をねらっている。これは、子供たちにスポーツをさせたり、職業訓練、指導者になる訓練、紛争仲裁のための訓練をするものだ。そのために、F1レーサーやスポーツ界の有名人を招いたりもする。それをメディアが報道することで、貧民街の子供たちは、ギャングの世界とは別に、もっと目標にすべき生き方があることを知って、ライフルの代りに本を取るようになるというのだ。
 
 リオ・デジャネイロは、世界の都市の中でも相当大きな大都市だ。だから、この街の子供たちが置かれた状況が、ブラジル全土に当てはまるわけではあるまい。もっと静かで、麻薬や暴力のない地域も多いに違いない。また、生長の家のような宗教の活動が、子供たちの教育の向上に大きく貢献しているはずだ。しかし、今回知った上記の数字を見ると、ブラジル社会の発展のために我々のやるべき仕事は、まだ数多くあることが分かるのである。
 
 生長の家は、雑誌や本で教えを伝える“文書伝道”で発展してきた。これは、「文章が読める人」を中心に教えが広まったことを意味する。だから時々、生長の家のことを“インテリ宗教”と呼ぶ人もいる。日本のように識字率が高い社会では、“文書伝道”は必ずしもインテリだけを教化しない。しかし、そうでない社会では、多くの人々に教えを伝えるためには、文書伝道の方法が必ずしも有効でないこともあるだろう。ブラジルの場合はどうか? ブラジルの識字率はラテン・アメリカの中でも高い方だ、と私は思っていた。が、そうでもないらしいことを今回の出版物で初めて知った。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌 ありがとうございます。
ブラジルでは思ったより識字率が低くて文書伝道の方法が必ずしも有効ではないのでは・・・という内容でしたが、日本でも今頃は活字離れが進んでいるようで、25年くらい文書伝道をしてきましたが、普及誌を受け取ってもどれだけの人が読んでくれているのでしょうか?せっかく編集の人達が全国取材に歩いて作られている本だから1ページでも読んでくださいよと願うばかりです。
識字率は高くても本は読まないというのが日本の特に若者の現状ではないでしょうか。テレビ社会(?)になったからでしょうか。
今度普及誌が見直されるということですが、分厚いしっかりしたものより、ページ数の少ない薄いもの(記事を減らして内容は充実)がよいのではと、いろいろ愛行に歩いている信徒仲間では話しています。
私の「写俳日記」ブログはただ見るだけという気軽さからか日に130件という予想外の盛況のようで、先生の「右脳を使った神性表現をしましょう」というご指導のおかげだと思います。少しでも光明化運動のお役に立てば幸いに思います。
                  再拝

投稿: 持田正悦 | 2009年2月19日 06:05

持田さん、

>>識字率は高くても本は読まないというのが日本の特に若者の現状ではないでしょうか<<

 確かにそうかもしれませんね。しかし、ケータイに熱中しているのですから、「文書」の役割はまだまだ捨てられません。電子データと連動した文書伝道が、これからの方向ではないでしょうか。そういう意味でも、ブログは有効と思います。

投稿: 谷口 | 2009年2月19日 10:10

合掌 ありがとうございます。
いつも楽しいご指導を感謝申し上げます。
福岡教区白鳩会で壮年層誌友会を開き始めた、
会場リーダーです。
2回目の投稿をさせていただきます。

ちょっと考えただけですけど・・・・
例えば、こころ癒されるポスターとかいかがでしょうか・・

我が母校は大阪の樟葉にありますが、午後5時になると
カリオンベルの音が流れます。曲目は、よくわかりませんが
~遠き山に日が落ちて・・・で はじまる曲です。
一昨年訪れた際、その時刻に用事が終わって帰途に
着きました。まいにち聞き慣れている人にとっては日常の
ことかもわかりませんが、夕刻の暮れてゆく情景とあいまって、思わず、涙がこぼれました。

ユーミンの〔Face's〕を聞きながら考えました。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

再拝

投稿: 四元 尚子 | 2009年2月20日 19:29

四元さん、

 勇気ある発言、ありがとうございます。

>>例えば、こころ癒されるポスターとかいかがでしょうか・・・<<

 つまり、文書伝道以外にも、ポスターなどのグラフィックを使った伝道もある、という意味ですか?

 それは、確かに1つの方法ではありますね。それと似たものでは、テレビコマーシャルもあるし、インターネット広告もありますね。でも、これらは「伝道」のレベルまで訴求力があるかどうか……

投稿: 谷口 | 2009年2月20日 23:35

合掌 ありがとうございます。
ブラジルにおいての生長の家伝道の方向性に興味ありますため、少し遅れながらもコメントさせて頂きます。

DIEESEといいますブラジルの統計的データを把握する機関によりますと、ブラジルの文盲率(読み書きできない者)は約12%で、中南米の中で2番目となります恥ずかしいデータがあります。それに、約30%の人口は読み書きができても、文書の内容を理解できる能力がないとみられます。
先生が仰っています通り、ブラジルの中でも地域により、非常に大きな差があります。ですが、リオはブラジルの南東にあり、同じくDIEESEは、南と南東はブラジルの50%の高校レベルの学校数の割合を占め、ブラジル全体の60%の高校レベルの生徒が登録されていると指摘しています。その反面、北と東北は10%にも満たさない高校レベルの生徒が登録されています。また、MEC(教育・文化省)によりますと、リオ・で・ジャネイロ州のニテロイ市はブラジルで最も高い学歴レベルを示しています(平均9年半)。一方、国内の文盲人口の約50%は東北地方に在住しています。東北地方では人口の60%以上が文盲である町や人口の平均学歴が1年半である町もあります(いずれも田舎町ですが)。
つまり、リオは、学歴レベルに関してはどちらかといいますと好ましい方です。ですが、他の地域とは違いまして、あいにくリオにはマフィアが広がっていますため、ブラジルの一番治安の悪い都市である評判もあります。

このような状況の中、生長の家の運動に触れた人々にとってはこの御教えは大きな意味があります。が、確かに”文書伝道”だけに頼っていますと、最もこの御教えを必要としている人々には届きにくいです。

私はブラジル南の出身者でありますが、生長の家伝道のために東北へ派遣させて頂きました家族の一員であります。生まれた南の市と育った東北の市と、日常的に触れる人々の生活実態で格差がはっきりと身に染みます。ですが、このような経験をしています中で、いくら学歴が低いと不便であることがよく分かります一方、人間に大事なのは学歴やお金ではないことを日々に学ばせて頂きます。

古い情報になりますが、人類学者の前山隆氏によりますと、生長の家が非日系ブラジル人の間で普及したのは、ほとんど学歴の高いものに限ると言いました。前山氏のご著書は生長の家がブラジル東北に伝道スタートを切った時点のことを述べています(1970~80年代)。その研究後、ブラジル東北において生長の家の伝道は大きな成果を出しているかと思いますが、まだまだ前山氏が述べられた状況は変わっていないのではないかと思います。
幸いに、読み書きが出来ないまたは苦手な人でも、誌友会に参加して真理を学ぶことはできます。実際にはそうしまして信仰を深めていますが、三正行の一つの聖典や聖経読誦はもちろん不可能なことです。それらの人々は信仰心があっても生長の家の運動には居場所がないことを感じるのではないかと、私は疑問に思う時もあります。その人たちのためにも真理が伝わることを願いますところです。
再拝
長々となりまして申し訳ありません。

投稿: 平峰 恵利花 | 2009年2月24日 16:11

平峰さん、

 書き込み、ありがとうございます。
 実情をよくご存じの方から情報をいただき、感謝いたします。

>>三正行の一つの聖典や聖経読誦はもちろん不可能なことです。それらの人々は信仰心があっても生長の家の運動には居場所がないことを感じるのではないかと、私は疑問に思う時もあります。<<

 これは重要なことですね。音楽を使った伝道など、効果的でしょうか?

投稿: 谷口 | 2009年2月24日 17:55

合掌 ありがとうございます。

 お返事頂きまして、恐縮です。

>> 音楽を使った伝道など、効果的でしょうか? <<

 一言で言いますと、効果的でしょう。
 御存じかと思いますが、ブラジル国民のセンサスによりますと、1970年代は、国民の91,8% がカトリックでありましたが、2000年にはその人口は73,9%に減っていました。ブラジル国内のVeja月刊誌は、カトリック信徒の逃走について、国内を移動する貧困層が通いなれていたカトリック教会から離れ、新しい地域でエヴァンジェリスト教による優れたオーディオ媒体で迎えられたことを一つの大きなの理由として指摘したことがあります。
 カトリック教も危機感を実感し、歌手のようにスターとなるカトリック教の神父が次々に登場し、離れた信徒を取り戻そうとする運動が始まりました。その中で、一番有名なのがPadre (神父)Marcelo Rossiです。
 ブラジルにあるペルナンブッコ州国立大学のLuciana Paula Carvalho de Souza Leão氏(2008年)は神父歌手現象の研究をし、そのような現象については教会内外で批判は大きいですが、成果も著しいと言います。Luciana氏は、神父になるための研修に以前5名ほど参加していたが、Padre Marcelo Rossi登場の10年後は150名参加となった例もあげています。また、青年や貧困層も教会に足を運び始めた一方、かなりのカトリック教信徒の逃走を抑えることが出来たとも言っています。 

 私は、去年、ご講習会で体験談を発表させて頂きましてからは、よく教化部で信徒さんから声をかけられ、それぞれの信徒さんが経験されました聖歌による信仰的体験を聞かされるようになりました。私もそうでしたが、聖歌は人々の心の中に響き、イザといった時には、一瞬忘れていた信仰心が、聖歌により引き出されてきた経験をしている人が多いと感じています。聖歌や神の御心をたたえる歌は人々にとってすばらしい信仰的役割を果たしていると思います。聖典や聖経等を日々に読んでいらっしゃる人々もそのような経験をされていますなら、オーディオ媒体に頼るしかない読書の出来ない人々にとっては、歌は非常に大きな役割を果たすでしょう。
 そう言いましても、明るさと浅薄さがブラジル国民の特徴として、社会学者が共通してあげるくらいですから、歌を伝道運動の一部として大きく取り上げる場合は、歌詞や普及方法などを慎重に考える必要があると思います。歌詞の楽しいリズムやそれに合わせたダンスなどの単なる表面的な喜びを与えることになりますと、運動を誤った方向に導く恐れもあると思います。
 再拝

投稿: 平峰 恵利花 | 2009年2月25日 15:07

合掌 ありがとうございます。

同じテーマに沿って、コメントを再度書かせていただき、失礼いたします。
前のコメントでは音楽を使った伝道について意見を述べさせていただきましたが、今回は先生が述べられた「ヴィヴァ、リオ!」が行っているような活動について少し、私の意見を話させていただきます。

実際、スラムに入って、そこの皆さんと触れ合う経験がある人ならよくわかりますが、文盲や失業者の集まりであります。一つの大家族の中でもほとんどの大人は失業者であります。
人間には長い間失業していますと、自然と自信を失っていく傾向があります。大人たちが自信を持てない家族で生まれ育った子供たちには希望がないことも当たり前になります。あいにく、将来に希望を持てない子供達が、大人になる前に親になってしまうケースが多いです。
幸いにブラジルの法律は中絶を認めませんが、教育を受けていない子供が、自信も希望も無い大人達に囲まれて、赤ちゃんを育てていくことになります。このように、スラムはだんだんと広がっていき、スラムを超えた町全体の治安が悪化して行っています。
政府側はそれを分かっており、不妊治療などにも力を入れていますが、問題は子供を産むか産まないかだけではないですね。
先生が述べられたNGOのような活動はいくつか、東北のスラムでも見られます。そのようなNGOはほとんどカトリック教やエヴァンジェリスト教やエスピリツアル教と関係あります。彼らは、スラム内で一軒家一軒家訪ねて、生活内の簡単な指導や手助けをしてあげています。“普通の人”から見ては大したことをしていないに見えますが、彼らはそれらの訪ねた家族に愛と希望を与えています。それに救われ、以前希望の無かった子供が大人になって同じような福祉活動を行っているケースも少なくありません。そのせいか、ペルナンブッコ州の国立大学の福祉学部の生徒はほぼ100%スラム出身者または在住者であります。
上記の理由からしますと、嬉しいデータですが、その反面を考えますと、“普通の人”はそちらに目を向かない悲しい理由もあります。それは、「公立の無料学校もあるのに彼ら(スラム人)が勉強しないのが悪い」「努力が足りない」「私にはより良い将来が待っている」「自分たちで蒔いた種だ」などと、”普通の人”は批判したり背を向けたりことが多いのではないかと思います。

因果関係は拒否できませんが、迷っている人間が罪を
犯し続けるのは当たり前なことです。そこに、生長の家がいう「愛」が必要だと思います。「もう自分の人生はしょうがないから」と思い希望を全く持たない人達は宗教に対しても失望しているはずですから、自分からは宗教を求めようとはしません。宗教側が、もっと積極的に愛と希望を与える努力をするべきではないでしょうか。

歌などは”普通”の若者達や生長の家に触れることのできた人に効果が大きいではないかと思います。社会層の一番低い所にいる人達には及ばないかもしれません。彼らは、厳しい運命の電車に乗っていることを体感し、そこから抜け出ようとする力も失っていますから、力がある人がそこに行って、その運命の電車から引っ張り出すことが愛だと思います。


生長の家の優れた教育法、繁栄の真理、人生の価値観を、それをより分かりやすい言葉で、直接スラムなどに行って一人一人に話してあげたるすることができますと、どれだけ幸福を配ることができるでしょう。

再拝

投稿: 平峰 恵利花 | 2009年2月26日 10:23

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