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2009年2月 8日

2つの新聞記事

 静岡市での生長の家講習会を終え、東京へ向う新幹線の中でこれを書き始めた。今日の静岡県地方は、快晴の空に富士山の全貌がきれいに浮き上がる穏やかな天気で、講習会には5千人を超える受講者が集まってくださったことは誠にありがたい。会場の「ツインメッセ静岡」は、ほぼ正方形の形をした展示場で、1箇所に多くの人々を収容できる点はいいが、演壇と受講席との間にやや距離があって、講演者の側からは受講者の“反応”がやや受け取りにくかった。とはいっても、演壇が広いことにはメリットもあり、聖歌隊の合唱の時間には、大勢の子供が壇上に上がって歌を歌うことができ、会場の雰囲気を和やかに盛り立ててくれた。
 
 今日の『朝日新聞』の社会面に東京・日野市にある多摩テックの閉鎖が報じられていた。この遊園地は、私の子供がまだ小さい頃、当時の住居から近かったこともあって、何回も遊びに行ったことがある。そこが9月30日で閉鎖されるという知らせには、寂しさを感じずにいられない。「時代の変遷」を強く感じさせる出来事である。ご存じの読者も多いと思うが、ここは自動車メーカーのホンダが100%出資する経営体によって1961年に開園した。乗り物ファン--特に、自動車の運転が好きな親が、子連れで来て一緒に遊べる場所として、当時は珍しかった子供用のゴーカートなどが人気だった。ブルンブルンとエンジン音を立て、車体を震わせて走るゴーカートは、レーサーのようなスタイルをしていて、大人の私も心が躍ったことを覚えている。そんな施設でも近年は、少子化と自動車を運転しない若い世代の増加で入場者が減少したため、「時代が変化する中、役割を終えたと判断した」のだそうだ。国内の自動車の登録台数の減少や親会社のホンダが、F1レースから撤退したことと合わせて考えると、「自動車」というものに対する人々の考え方に変化が起こりつつあることを示しているように思う。

 都会では、自動車は必需品でなく、費用のかかる生活オプションになりつつある。そのこと自体は、CO2排出削減や渋滞緩和という側面からは好ましいかもしれない。しかし、この変化をもたらしたものが、複雑な地下鉄網や鉄道の整備であり、それにともなう商業ビル、巨大モール、地下街などの増設だから、大都市・東京全体から排出されるCO2の総量が減ることにはならないだろう。こうして利便性が増していく大都会ではあるが、整備されたインフラや社会資本が、人口減少時代にどのような状態になるのか、私は気になっている。多くの地方都市では、昔からあった商店街が“シャッター通り”化していることが問題になっているが、それを大規模化したような“シャッター・ビル街”や“シャッター・モール群”が出現する可能性はないだろうか。
 
 上に書いた「多摩テック閉鎖」の記事の隣には、JR東海が進めているリニア中央新幹線建設に反対して市民団体が結成されたことが報じられていた。全国自然保護連合の呼びかけで、東京、神奈川、山梨、長野などの沿線市民や地方議員など約20人が山梨県内に集まり、「リニア問題を考えるネットワーク」という市民団体を結成したというのだ。私はこれを複雑な気持で読んだ。というのは、生長の家が考えている“森の中のオフィス”を設置する候補地の1つが山梨県内にあり、そこへの交通アクセスが他の候補地より不便であることが指摘されていたからだ。リニア新幹線が開通すれば、この問題は一気に解消する。が、こうして「自然保護」を掲げる団体の主導で反対運動が始まることになれば、生長の家の“森の中のオフィス”構想が微妙な立場に置かれる可能性が生まれるかもしれない……などと考えたのである。

 この構想を実現する場所としては、山梨県だけでなく、静岡県内でも2カ所の候補地が検討された。こちらは近くまで東海道新幹線が走っているから、交通アクセスは山梨県より上である。が、その代り、海岸沿いの観光地にオフィスを置くことになる。それが“森の中のオフィス”の考え方に合致するかどうかも検討課題だった。とにかく、現代人にとって“便利な生活”と自然環境保護の要請とは、基本的に矛盾することは否めない。その中にあっても、双方の要請をある程度満たし、ある程度犠牲にする“中間点”を見出すことの難しさを、私は2つの記事を読みながら感じたのだった。
 
 谷口 雅宣

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コメント

いつもブログを大変楽しみにさせて頂いております。
私も子供のころ大正生まれの両親に連れられて、何度か多摩テックに行きました。
ゴーカートからさっそうと?降りてくる私を両親が目を細めていた事が今になっても鮮やかに思い出されます。
昭和28年生まれの私なので、昭和61年開園とは?私の知っていた多摩テックとは違うのか?と思い調べてみましたところ1961年開園でございました。
尊敬する雅宣先生にお伝えできる事のしあわせを感じつつ。

投稿: 中村千恵子 | 2009年2月 9日 19:30

中村さん、

 失礼しました! 「昭和61年」は「1961年」の誤りでした。謹んで訂正しました。どうもありがとう!

投稿: 谷口 | 2009年2月 9日 22:04

 多摩テックは、私も子どもの頃両親に連れられて兄弟と一緒に行った記憶があります。
無くなるのは寂しい気がしますが、次にもっと良いものが現れてくるための変化と信じます。
変化を恐れてはいけないと思いますが、変化は何となく寂しいと思うことがあります。例えば、かかりつけの病院の○○科の医師が、何かの理由で替わられることが時々あります。診察そのものは何も変化は無いのですけれどもお医者さんそれぞれ患者に接する接し方がそれぞれ微妙に違う場合があります。いつものあの先生(医師)に見てもらえばイイナと思って病院に行ったら既にその先生(医師)はいなかった、という時、何となくガクッとするというか寂しい思いになることもありますが、そう思うのは肉体心なのかも知れません。マンネリ化の防止とか、新鮮な雰囲気を維持する等のためには適当な時期に交替されるのは当然なことなのでありますが、突然、その状態が現れると極端にいいますと世の中が変ったのでは?と思うこともあると思います。そして、一言、あの先生(医師)に“ありがとうございました”と言っておけばよかった。という場合もあると思います。
多くの人々に影響をあたえる人(医師の場合を書きましたが)がある日突然(転勤等で)交替された場合、その人に関係している人々の中には、なんともやりきれない
複雑な心境になる人もでてくるのではないかと思います。

投稿: 志村 宗春 | 2009年2月10日 20:30

都会では地下鉄網の発達などで便利になって、車が金のかかる道具として不要になってきたということですが、単純にCO2削減に結びつくわけではないのですね。若者の減少から様々な問題がおこってくるのかと思うと暗い気持ちになってきます。
こちら島根の田舎では車は移動手段として必需品です。とくに高齢化にともなって体が不自由になってきますとなおさらで、若者が都会へ働きに出ていて家に車を運転する者がいないと、遠くのスーパーマーケットまでお年寄りが運転していかなければいけません。都会と田舎のギャップをすごく感じてしまいます。でも田舎は不便ですが自然が豊かで美しいところがありがたいです。私はそんな田舎の暮らしや風景を写真と俳句(写俳日記)で表現するブログを作りました。私はやっぱり田舎万歳です。

投稿: 持田 正悦 | 2009年2月11日 04:46

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