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2009年2月20日

受精卵の声

 不妊治療で他人の受精卵を誤って移植され、妊娠が確認されてから9週目に人工中絶されるという医療ミスが発生した。過去にも、別の患者の受精卵の移植や夫以外の精子の注入などの事故はあったというが、妊娠にいたり、さらに中絶が発覚したのは初めてのケースらしい。今朝の新聞各紙が伝えている。『朝日新聞』によると、日本での体外受精は、2006年に約3万2千人の女性に実施され、それに顕微授精(約3万4千人)を加えると約6万6千人の女性が同様の治療を受けていることになる。決して少ない数ではない。

 体外受精の方法で受精卵を得るまでには、依頼主である夫婦にとって経済的にはもちろん、心身の負担も大きい。それでも「子がほしい」との強い願いからこれが行われる。今回の場合、受精卵の取り違えだから、4人の大人の意思が無に帰し、少なくとも2個の幼い生命が犠牲となった。誠に残念で、悲しいことである。この治療の担当医師(61)は、勤続約20年のベテランで、不妊治療では、これまでに体外受精を約1千例も手掛けてきた専門家だという。本来の受精卵と別の受精卵を同じ作業台に置いていたことから、取り違えが起こったらしい。ちょっとした気の緩みから、深刻な問題が発生してしまった。
 
 私はこの場合、どうしても妊娠中絶しか方法はなかったのかと考える。現在の状況では、多分そうだろう。が、「代理母」の制度が認められた後には、関係している母親2人が互いの代理母になることによって、せっかく得られた2つの受精卵を殺さずに、2人の子供を得る方法があるかもしれない、と想像する。もちろん私は、本欄などで代理母の制度には反対してきた。その大きな理由は、これは自分の「子を得る」という幸福目的のために、他人の心身を利用する制度だからだ。そして大抵、「子を得る」側は経済的に豊かであり、「子宮を提供する」側はそうでない。つまり、「経済的に豊かな人間がそうでない人間の心身を利用して子を得る」という構図になりがちだ。大げさに聞こえるかもしれないが、これは一種の“奴隷制度”のようだ。
 
 これに対して、今回のようなケースでは、2組のカップルは同じ病院で同じ治療を受けている人たちだから、経済的にはほぼ同等ではないか、と想像する。そして、自分の子をもうけるためには、心身の負担を喜んで受け入れるという決意をした人たちだ。そうして得た貴重な受精卵は、まぎれもなくカップルの命の結晶である。ただ問題なのは、本来移植すべき子宮にではなく、別の子宮に移植されたということである。しかし、その後、9~10カ月たてば、それぞれのカップルの遺伝子をきちんと引き継いだ子が産まれるはずである。もちろん、「別の人の腹から産まれる」というのが問題である。しかしこの場合は、代理母と違って、一方のカップルが他方のカップルを一方的に利用する関係ではなく、むしろ相互が対等の関係で、互いの子を子宮の中で育て合う。だから、双方の合意さえ成立すれば、受精卵を犠牲にせずに子をもつことは、少なくとも理論的には可能だと思う。
 
 この案は、「受精卵の命を最大限尊重する」という立場から考えたものだ。現在の法制度はそういう立場から作られていないから、この案の実施は実際には無理だろう。戸籍上の問題もある。が、今後、不妊治療への国の援助が増えるならば、体外受精の件数も増えるだろうから、今回のような事故が再び起こる可能性もある。そんな時、受精卵の声なき声として記憶に留めておいてもらえたら、幸いである。
 
 谷口 雅宣
 

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コメント

 自分の子を得ることを目的として治療をうけている方たちなので、人の子をおなかの中に置くことには耐えられなかったのですね。

 コワい話になりますが、自分の遺伝子的な子を中絶すれば、わが子を殺したことになりますが、この場合は人の子を殺したことになるのでしょうか。

 生長の家の練成会で中絶した子に懺悔して神様の愛に目覚める方(私の母もそうでした)が沢山いらっしゃいますが…。

 
 この事件の気の毒な方たちが幸せになるように、祈ります。

 受精卵の声なき声をしっかりと受け止めて、本当の愛を表現できる世界になりますように。

投稿: ゆきえ | 2009年2月21日 00:57

谷口雅宣先生

 僭越ながら、私も同様の事を考えました。別に間違えたからって中絶しなくても良かったのじゃないかと。

 他人の子を宿したなら、その親が分かっているなら、その子を出産して、その本来の親に返せば良かったのではないかと。
 
 やはり、先生の仰る通り、その受精卵が人間であるという事、その声を聞くべきであるという認識がまだ一般に知られていないという事が問題なのでしょうね。

投稿: 堀 浩二 | 2009年2月21日 22:29

谷口雅宣先生
合掌、ありがとうございます。
 相手のいることですから、難しい問題はあるとは思いますが、
私も、他人の子供だったとしても、中絶しないで生んで欲しかったと思います。

 今回の場合は法律上、妊娠した人が母親で、血のつながりのある親は、我が子を養子という形で受け入れるということいなると思いますが、過去には、病院内で赤ちゃんを間違えて、他人の子を自分の子供として育てることもあったと思います。
 肉体は違っていても、魂の親子には変わりはないと思うのす。
 血のつながりのない養子という関係の親子でも、実の親子以上に親子らしい親子もいます。
 他人の子供だったら、中絶するという考えは、私には、自分達の血のつながった子だけがかわいくて、他人の子はどうでも良いかしら?と、不思議に思うのですが、現代社会では、胎児に意思のある生命ということを知らない人が多いから、このような中絶という悲しい選択をしてしまったのでしょうか?
 このような複雑な問題でなくても、安易に中絶は行なわれているのが、現状のように思います。
 目に見えない魂とか、輪廻転生とかは、信仰のない人には、”受精卵の声なき声”など理解できないことだと思うので、信仰の大切さをつくづく思いました。
 とても、残念な結果になってしまいましたが、今回のことで、人工受精が出来るようになったリスクを、今後の問題として、皆考えていかないといけないということではないでしょうか?

投稿: k.k | 2009年2月22日 23:24

中絶された両親の受精卵はどうなっているのかが不明です、他人であって親がハッキリしていて、自分の受精卵をその他人である母親が同じ様に妊娠していたのならお互い話し合って中絶しないでも良かったかも知れません、、、如何に法律とは言え人間の生の感情を大切にした大岡裁きもあっても良いのではないか?と考えますが、、、。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年2月23日 12:23

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