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2009年2月 6日

八つ子の誕生が教えるもの

 バラク・オバマ氏が米大統領に就任した直後(1月24日)の本欄で、私は新大統領が生命倫理の分野でも、前任者のブッシュ氏から方針を転換し、ES細胞の研究に連邦政府の援助をひろげる決定を「来週にも表明する」らしいと書いた。これは、ABCニュースが「早ければ」という言葉を添えてそう伝えたからだ。しかし、あれから2週間たった今、まだその発表はない。恐らく、もっと緊急性のある経済対策の方に時間を取られているからだろう。しかし、オバマ政権下では、人の幹細胞を使った再生医療の研究が今後、加速度的に進むとの期待感が広がっていて、アメリカの時事週刊誌『TIME』は2月9日号で、幹細胞研究を特集として大きく取り上げている。
 
 それを読んで印象に残ったのは、現在の再生医療研究では、ES細胞(胚性幹細胞)の研究とiPS細胞(人工多能性細胞)の研究が併行して行われているということだ。ES細胞の万能性をiPS細胞で実現するためには、ES細胞を研究して、それが体の各組織や臓器に分化していく仕組みをよく理解する一方で、iPS細胞を使ってそれとの違いを確認することが重要だと考えているようだ。つまり、ES細胞は実際の受精卵から得た細胞だから、再生医療や発達医療に必要な“本当の”または“自然の”情報をもっているが、倫理的、技術的、社会的な問題を抱えているので、その代用として、人工的に得られるiPS細胞を使っていく--そんな意図が感じられるのである。
 
 しかし、技術というものは、人間の意図とは無関係に発達するという側面がある。だから、強力な技術の開発は、強力な“善”の効果を発揮し得ると同時に、その逆の効果も発揮し得ることを忘れてはいけない。特に、ES細胞のような(生物学的な意味での)「人間の発生」に深く関わる重大な技術は、誤用や悪用の道を開かないように、できるだけ早期から倫理規定を整えておく必要がある。が、その一方で、このような強力な技術は、正しく使えば人道的にも経済的にも大きな利益をもたらすから、早期に倫理規定を整えることに抵抗を感じる人も出る。特にアメリカのような自由と自己決定を重んじる社会では、このような倫理規定への抵抗が強い。両者のバランスをとることは容易でないから、技術の乱用から“犠牲者”が出ることで、初めて倫理的配慮の重大さを思い知るというパターンが繰り返される傾向がある。
 
 最近、報道されたアメリカにおける「八つ子」の誕生も、このパターンに一致している。これは今年の1月26日に、ロサンゼルス郊外で不妊治療によって八つ子が生れたという話だ。が、さらに世間を驚かせたのは、八つ子を生んだ母親にはすでに6人の子供がいて、その子らの誕生にも不妊治療が用いられたということだ。5日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えるところによると、この八つ子を生んだ女性は、33歳のナディア・スールマンさん(Nadya Suleman)で、すでに2~7歳の子6人(男4人、女2人)がいる。新たに生まれた八つ子は、男6人と女2人だ。ナディアさんの母親の話によると、ナディアさんの最初の6人の子は人工受精で生まれたといい、その時に作られた凍結受精卵から八つ子が生まれたらしい。

 この母親の言では、ナディアさんは十代の頃から子をもつことに執着していて、子育ては上手であるけれども、今回は「明らかにやりすぎた」(obviously she overdid herself)という。ナディアさんは昨年1月に離婚しているが、彼女の14人の子供はどれも前夫の子ではないというのだから、夫婦間には複雑な問題があったのだろう。ナディアさん自身は、カリフォルニア州立大学で青少年向けカウンセリングの学位をとり、昨年春までは大学院に通っていたという。最近はある病院で精神科の技師をしていたが、出産を控えて退職した。母親は100万ドルの負債を抱えて破産手続きを申請中というから、この家庭には14人の子供育てる経済力はないと考えていいだろう。
 
 そんな中で八つ子を生んだことが、社会的な批判を浴びているようだ。「八つ子」という珍しさから、いくつかのメディアから仕事の話が来ていて、そういう経済的報酬を目的に“子だくさん”を選んだという疑いがかけられているらしい。ペンシルバニア大学の生命倫理学者、アーサー・カプラン氏(Arthur Caplan)は、すでに6人の子がいるにもかかわらず、本人の経済力を考えても、そもそも医師が彼女に不妊治療をする必要があったかどうかなど、このケースは倫理的に大きな疑問があると指摘している。
 
『TIME』誌は上掲号に続く2月16日号でこれを取り上げ、アメリカでの生命倫理規定との関係を説明している。それによると、昨年の6月、ちょうどスールマンさんの胎内で受精卵が成長を始めたころ、アメリカ生殖医療協会(ASRM, American Society for Reproductive Medicine)は、不妊治療の目的で子宮に移植する受精卵の数に関するガイドラインを改訂した。そして、34歳以下の女性の場合は、1998年に定めた「3個以内」という数を「2個以内」に減らしたところだったという。もちろん、今回の「8個」の受精卵は、いずれの規定からも大きく外れている。が、この規定はあくまでも「ガイドライン」だから、法的拘束力も罰則もない。また、八つ子が生まれたのは、受精卵の移植数が8だったからか、あるいは8以下の受精卵から同一遺伝子情報をもつ受精卵が分離した結果、8になったのかは、現段階では不明である。
 
 私がこの八つ子の件をやや詳しく書いたのは、多様な価値観が認められる自由な社会においては、強力な技術の誕生は、当初まったく予想できなかった用途にも、その技術が使われる可能性があるという点を実例をもって示すためである。しかし、それでは法規制によって問題は解決するだろうか? 同誌の記事の中で、南カリフォルニア大学の不妊治療専門家、リチャード・ポールソン教授(Richard Paulson)は、こんな疑問を提示している:
 
 ①我々は、1家族のメンバーを(例えば)6人に限定する法律を制定するのか?
 ②我々は、多胎妊娠時に子を選択する義務を法律に規定すべきなのか?

 谷口 雅宣

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