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2009年2月11日

“建国の理想”を虚心で読む

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「建国記念の日祝賀式」が開催され、国歌斉唱、伊勢皇大神宮・橿原神宮遥拝などの後、私は概略次のようなスピーチを行った:

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 皆さん、本日は日本国の誕生日を祝う建国記念の日です。誠におめでとうございます。
 すでにご存じの通り、この日は、日本の古典である『日本書紀』などにこの国の始まりとして記されている日を、太陽暦になおして定めたものであります。日本の場合は、世界でも珍しく、国の始まりが“神話の世界”にまで遡らねばならないほど、永い歴史をもっています。このため一時期には、この2月11日を“日本の誕生日”として祝うことに、「歴史的事実でない」などという理由で反対する人々もいたのですが、最近ではそういうことを言う人は大部少なくなっています。この日が“日本の誕生日”である理由は、『日本書紀』などに、初代の天皇である神武天皇が、橿原の地に都を定めたのがこの日だと書いてあるからです。何千年も前のことは、そのことが正確な歴史的事実であるかどうかよりも、それが象徴する意味の方が重要なのであります。
 
 これは、日本だけに当てはまることではない。例えば、イエス・キリストが誕生した日がいつであるかは、歴史学的には特定できていません。もちろん、12月25日がその日だと考える人は世界中に多いのでありますが、そんなことは聖書にも書いてないし、歴史家の間では否定されています。さらに言えば、その日は、古代ローマで崇められていた太陽神のお祭りの日に合わせて、当時のローマ教皇が作為的に定めた日だという説さえあります。しかし、現代を生きる我々は、キリスト教徒はもちろん、そうでない多くの日本人も、クリスマスには“愛の教え”を説いたイエスという聖人がかつてこの世に誕生したということに思いを馳せ、我々の愛する人々と会ったり、プレゼントの交換をしたり、また知らない人にも愛を与えたりして、人間のもつ愛の素晴らしさ、ひいては神の愛のありがたさを実感する時をもとうとするのです。イエスの誕生日が考古学的にも、歴史学的にも定まっていなかったとしても、多くの人類は12月25日にクリスマスを祝うのです。それで何も問題はない。
 
 イエスは約2000年前に活躍した人です。古典に記された日本の建国は紀元前662年になっていますから、神武天皇はイエスより昔の“神話の世界”に生きた人です。だから、日本の建国の日が歴史学や考古学によって特定できなくても、それを祝う行事を日本人が古典に記された日にもつことに何も不思議はないし、クリスマスを祝うよりもっと自然であり、本当は何もやましいところはないのであります。
 
 しかし、日本の誕生日の場合は、一つ不幸な特殊事情があり、それが「建国記念の日」を全国民がこぞって祝うに至っていない理由になっています。それは、かつて行われた日中戦争と大東亜戦争において--この日は当時「紀元節」と呼ばれていましたが--この2月11日の国の誕生日が、隣国である朝鮮や中国を武力で支配しようとする試みに、大いに利用されたということです。もっと具体的に言えば、『日本書紀』巻第三に書かれている神武天皇の「橿原奠(けん)都の詔」の中に書かれた「六合を兼ねて都を開き、八紘をおおいて宇(いえ)となさん」という言葉が、日本による異民族支配の口実に使われたのであります。これも皆さんがよくご存じの通りです。だから戦後は、このことを嫌う大勢の人が、神武天皇のこの詔勅に、あるいは神武天皇という人物そのものに拒否感を抱きつづけてきました。これは、誠に不幸なことだと言わねばなりません。なぜなら、古典に記された自国の誕生の意義を否定することは、自分を否定することにつながるからです。
 
 生長の家はもちろん、そのような立場ではありません。生長の家は、いわゆる「八紘一宇」や「八紘為宇」という言葉が、政治的スローガンとして戦前の日本の侵略行為に利用されたことは認めますが、神武天皇の詔勅そのものは少しも侵略的でないと考えます。これは、詔勅の文章をよく読んでみれば分かります。また、神武建国を記した古典の内容をきちんと読めば分かります。この2つのことの違いを、もうはっきりと言うべきときに来ていると私は思います。かつての政治スローガンは、古典が記していることとは意味が違うのです。当時の軍部と政治家が、古典の記述を拡大解釈し、さらには曲解して政治目的に利用したということです。
 
 しかし、もうそういう時代は半世紀以上も昔に過ぎ去りました。だから、この21世紀初頭の我々は、偏見や先入観のないスッキリとした頭で古典の文章を読んで、そこから建国の理想や理念を汲み取るべきなのです。どのような理想を汲み取るかということについては、私は数年前からこの建国記念日で申し上げている通りです。これはすでに3年前の『小閑雑感』(Part 6)に書きましたが、思い出していただくために繰り返して申し上げましょう:
 
 (2006年2月11日の文章から引用する。同書、pp.246-247)
 
 このように、「背に日の神の御心を負いたてまつる」ということと「刃に血ぬらずして」というのが日本建国の理想であると、ここには書いてあります。また、「八紘為宇」という言葉に関しては、『日本書紀』巻の第三にこうあります。これは神武天皇の「橿原奠都の詔」の中にある文言です:
 
「上は乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(みうつくしび)に答え、下は皇孫(すめみま)の正しき道を養いたまいし御心を弘めむ。しかうして後に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)にせんこと、また可(よ)からずや」

 この文章は、明らかに2つの部分に分かれています。つまり、「まずAをして、その後にBをすることが良い」と書いてあります。そして、Aとは、「我々の先祖や神々が日本という国を徳によって打ち立てたことを確認して感謝し、我々の子孫には、その御先祖からいただいた正しい道を実現していくという精神を、しっかりと人々に弘め伝える」ということです。そして、その後に初めてBをする--すなわち「国の天地と四方を統合して都を開き、八紘--国の隅々までを覆って家にする」のです。AとBとの間に「しかうして後に」という接続詞がきちんと入っていることを見落としてはいけません。Aとは、「神の御心に聴いて、その徳を人々に広める」ことです。これは建国の理想の周知徹底であり、一種の道徳教育と言えるかもしれない。それをした後に、初めて周囲を統合して都をつくり、統一的な政治を国内のすみずみまで及ぼす--それが理想であると書かれている。この順序を間違ってはいけないのに、かつての日本はAもBも同時にやろうとし、しかも天皇の意志を軽視して、刃に血を塗ることを先行させて中国大陸で泥沼の戦争をしたわけです。

 我々はその間違いを再び犯してはいけない。日本建国の理想とは、あくまでも平和裡に諸民族の共存を進めることです。そして、それに当たっては「背に日の神の御心を負いたてまつる」--つまり「神の御心に沿う」ということが絶対条件なのです。そういう高邁な理想が日本の古典に書いてあるということを、私たちは忘れてはいけない。生長の家は、この「神の御心に従う」生き方を推し進めていく運動です。だから、日本建国の理想を実現する運動でもあるのです。軍隊や政治が先行するのではいけない。神の御心が先行して初めて「刃に血ぬらずして」物事が決着する。そういう意味で、今日の建国記念の日に当って、あらためて生長の家の国際平和運動の重要性と、その使命の大きさを感じるしだいであります。
 
 ご清聴、ありがとうございました。
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 谷口 雅宣

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コメント

 今日は昼より橿原神宮に参拝致しました。例年の午前中の混雑ぶりと比べ、ひっそりとしておりまして感動いたしました。ただ2月とは思えない暖かさは地球温暖化の進行を肌で感じさせられるものでした。 しかし全体的には、宣伝カーなどもなく(仕事終え、すでに帰られた後と思います)、又これに対抗する物々しい警備の方々もなく、日本建国の都の神々しさが漂う雰囲気を(あくまでも主観ですが)感じました。 橿原神宮前駅は混雑していると思い、畝傍御陵前駅で降りたのが幸いで人は少なく、更に畝傍山の後方には薄雲に霞みがかかりながらもまん丸い太陽が照り輝き、夕方ならではの橿原の風景に心(魂)を癒された気分でした。 また帰り途、夜の晴れ上がった東の空に月が煌々と輝き、神秘的な瞬間瞬間の美しさに宇宙の壮大さを呼び覚まされました。 つくづくまだまだこの地球ひいては日本国も捨てたものではないと感じ入った次第でした。
 合掌ありがとうございます。

投稿: 黒木 康之 | 2009年2月12日 02:16

谷口雅宣先生

 日本の建国の理念をきちんと分かりやすく説いて頂いて誠に有り難うございます。近頃は生長の家は国の事を言わないで環境の事ばかり言うとか言う人もいますが、そういう人たちにこの先生の御文章を読んでもらいたいです。
 生長の家が否定しているのは間違った軍国日本であって、本来の実相日本ではないのですね。

 改めて思いますのは生長の家は日本の本来の建国の理念の素晴らしさをきちんと説き、それを実践しているのが生長の家の運動であるとは本当に素晴らしいし、有り難い事です。正に生長の家の運動は日本精神、大和精神の現成なのですね。

投稿: 堀 浩二 | 2009年2月12日 10:02

ここは素晴らしい未来の日本及び世界の為に、是非全国の学校の先生に読んで頂きたい所だと思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年2月12日 12:18

合掌 ありがとうございます。
私の義兄が小学校の校長ですが、「生長の家は右翼だ」と以前言ってました。たぶん昔の生政連のイメージで言ったと思いますが、この先生のご文章を見せてあげたいと思います。また、昔、生政連の活動をやっていて、今の生長の家は変わったからやめたって言う人にも見せてあげたいと思います。私はこれを読ませていただき本当にすっきりしました。日本の国の建国の理想をぜひ皆さんに知っていただきたいと思った次第です。 再拝

投稿: 持田正悦 | 2009年2月12日 23:23

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