百目鬼の伝説
2月3日の本欄でハズカシイ動画を公開してしまったが、予想外の反響で恐れ入っている。読者からのコメントの中に、私が被ったお面について「鬼なのか? 日本の鬼なのか?」との質問があったので、きちんと調べてみた。このお面は、妻の誕生祝いに栃木県の信徒の方が送ってくださったもの。これを前回、「カンピョウの実で作った」などといい加減なことを言ったが、「カンピョウ」という植物は存在せず、正しくはユウガオの実をテープ状に細長くむいて乾燥させたものをカンピョウと呼ぶのだそうだ。カンピョウは栃木県の名産で、全国の生産量の9割を占めているという。
鬼のお面は、このユウガオの実の外皮を乾燥させて作る。ちょうどヒョウタンを作るとき と同じように、果肉を取り除いて乾燥させたものを「ふくべ」と呼び、これを使った民芸品が「ふくべ細工」だ。ふくべ細工の歴史は古く、戦国時代には、茶道用の炭入れとして、また昭和30年頃まで一般庶民の間でも炭入れとして、日常的に使われていたという。現在は、宇都宮市内の職人により、炭入れ、花器、小物入れなどのほか、絵付けに凝った人形や魔除けの面が作られている。栃木県の伝統工芸品に指定されている。ふくべ細工のうち、宇都宮市に伝わる「百目鬼の伝説」をもとにして作られたお面を「百目鬼(どうめき)面」と呼び、魔除けとして使われたらしい。
「百目鬼の伝説」とは、「藤原秀郷の鬼退治」とも言われ、近江において大ムカデを退治したという藤原秀郷(ひでさと)の英雄譚の1つである。彼が下野国(現在の宇都宮市)を通りかかった時、身の丈3メートルを超し、手に百も目がついている「百目鬼」が現れたので、秀郷は弓を引いて鬼の心臓を射抜いたところ、百目鬼は断末魔の力を振り絞って体から火を吹き、あたり一面が火の海になったという。すると、そこへ本願寺の智徳也上人がやってきて呪文を唱えたところ、鬼から燃え広がっていた炎は消え、黒焦げとなった人の姿が残っていたそうだ。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……。そして、その地を人々は「百目鬼」と呼ぶようになったのである。
藤原秀郷は、平安中期の関東の武将で、平将門の乱(940年)で超人将門を討ったところから数々の英雄伝説が生まれた人物だ。大ムカデ退治の話も将門討伐と関係している。この大ムカデは三上山に巣くっていたが、秀郷はこれを退治したお礼に黄金の太刀と鎧をもらったうえ、これらを身につけて朝敵を討てば将軍になれると予言され、その予言通りに平将門軍を破ったという。
昨今は“韓流”など、美しい柳のような男に人気があり、秀郷のような勇猛な武将はテンデ人気がないためか、ふくべ細工の百目鬼面もあまり買う人がいないそうだ。“韓流”に魔除けの必要がなければ、その北側に位置する国にも“魔除け”はいらない--そんな錯覚を抱く人も多いのだろう。そんな状況下では、節分に“鬼”が大暴れして見せるのは、ひょっとしていいことなのかもしれない。だから、日本人はハローウィンよりも、この節分の“鬼”を盛り立てていくのはどうだろうか?
谷口 雅宣
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コメント
「ふくべ細工」の「百目鬼面」というのですね。
詳しくお調べいただき、ありがとうございます。
純子先生の勇ましい(?)豆まきのように
時には峻厳なる態度で鬼を追い払う時も必要であると、
我が家の次男も生長の家の御教えを学びながら
少しずつ正しく理解し、男らしく成長してくれることでしょう。
怖い鬼の顔も
雅宣先生の右脳を通過して表現されたものは
たいへん愛嬌があり、
これなら子供達も笑顔になりそうです(笑)。
ただ、やはり動画のほうは
演技力も加わって迫力ありますので
もう少し大きくなってから見せることにいたします(笑)。
ありがとうございました。
投稿: 菊池 光珂 | 2009年2月 6日 00:23
「百目鬼面」の伝説面白く読ませて頂き、有難う御座います(笑)、変わった面だな、、、とは思いましたが見過ごしてしましました、一つの面の縁起にも日本の歴史と当時の人々の思いが快く伝わって来ます、しかし、「魔除け」の面ならば「外~~」で追い出してはいけないのではないですかあ、、、(笑)。
投稿: 尾窪勝磨 | 2009年2月 6日 10:12