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2009年1月 9日

無神論を広告する

「悔い改めなさい」「神を信じなさい」--年末の渋谷や原宿の駅頭には例年、そんな声が響きわたる。昨年末にもそんな光景を私は何回も見た。彼らはどこからともなく姿を現し、プラカードにそんな言葉を掲げ、プラカードに付けたスピーカーから録音の声を響かせて、駅頭に立つ。これは言わば「神」を広告しているのだ。私にとっては一種の“同業者”だから、それはそれでいいのだが、広告の方法にもっと工夫があっていいと、いつも思う。今日の我々は、あらゆるものが広告物となり、また広告媒体になる時代に生きているから、こんな形での「神」の広告も許されて当然だ。が、「神はいない」という広告はどうだろう? 日本のように表現の自由が許されている社会では、もちろんそんな広告があってもいいはずだが、私はまだお目にかかったことがないし、聞いたこともなかった。が、イギリスで昨年、そんなキャンペーンが展開されたという。8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 同紙によると、この広告キャンペーンは、『ガーディアン』紙のウェブサイトから生まれたそうだ。ある日、コメディー作家のアリアン・シェリーン氏(Ariane Sherine)は、このサイトに短い評論を書いて、宗教の宣伝とは逆のことをしてもいいはずだ、と日頃の不満を漏らしたという。というのも、彼女がバスの側面に貼った広告を見て、ある宗教サイトにアクセスしたところ、「不信仰者は永遠の業火に焼かれる」などと書かれているのを見て、根拠も示さずにヒドイ言い草だ、とカチンと来たのである。すると、彼女の評論を読んだ人の間に共感者のグループが生まれ、「神はいない」というメッセージをバスに貼る「無神論キャンペーン」の計画ができ上がった。昨年10月にこの計画が発表された時、この有志グループは8千ドルほどの資金が集まればいいと考えていた。が、この計画には、『利己的遺伝子』で有名になった無神論科学者のリチャード・ドーキンス氏(Richard Dawkins)や、哲学者のA・C・グレーリング氏(A. C. Grayling)、英国ヒューマニスト協会(British Humanist Association)などが乗ったため、わずか4日間で15万ドルが集まり、すぐに20万ドル以上の資金になったという。

 そして昨年末、800台のバスを使って英国全土をめぐるキャンペーンが行われた。そこに使われたのは、こんな広告文だった--

「たぶん神はいない」
「だから安心して人生を楽しんで!」

 これはかなり直接的な表現だが、同様の趣旨で昨年11月にアメリカのワシントンで行われた広告キャンペーンでは、サンタクロース姿の男の写真の上にこんな文字をかぶせた、もう少し婉曲な表現が使われたという--

「なぜ神なんか信じるの?」
「ただ“善い”だけでいいじゃない」

 イギリスの広告を仕掛けたグループは「無神論者バスキャンペーン」(Atheist Bus Campaign)という名前で、来週には、ロンドンの地下鉄に1千枚の広告ビラを掲示する計画だという。

 上の広告文は、もちろん英語からの翻訳である。原文は、最初の2本が「There's probably no God.」と「Now stop worrying and enjoy your life.」。2番目の2本は「Why believe in a god?」と「Just be good for goodness's sake.」だ。2番目の2本目の英語は訳しにくいので、かなり自由訳にしたが、意味はそう変わらないと思う。

 イギリスの広告文の背後にある考え方は、興味深い。人々は「神がいて見ている」という意識のもとにビクビクとして生きているというのだろうか? 「神の存在」と「人生の享受」とが両立しないとの前提が透けて見える。これに対しアメリカの広告文は、アメリカ的な明るい楽観主義が感じられる。神など信じなくても、人間は善なる生活ができるという前提があるようだ。そこで、私がこの広告キャンペーンに反論を試みるなら、どんな文章を掲示するか考えてみた--
 
「人生は素晴らしい」
「だから神は無神論者も愛される」

「なぜ神を疑うの?」
「自分の“良心”は疑わないのに」

 読者も、反論広告を考えてみては?
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣 先生

「いて欲しくない神はいない」
「いて欲しい神のみいます。ご安心を」

これは本部講師の試験問題より難しいです。(汗)

山岡睦治 拝

投稿: 山岡睦治 | 2009年1月10日 12:46

反論広告ではないのですが
コメディ作家はクルアーンを読んだ事が無かったのでしょう、、(根拠はクルアーン)、「たぶん神はいない、だから安心して、、」は「たぶんサタンはいない、だから安心して、、」が本当だろう!と思います、
アメリカの場合「なぜ神なんか信じるの?ただ善だけでいいじゃない」には「その善が神ですよ」と言いたいです。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年1月10日 12:58

☆☆
「たぶん神はいない」
「あなたの心の中にいる」

☆☆
「なぜ神なんか信じるの」
「神は信じるとか信じないとかいうものではないのに」


☆若い女性向け☆
心配しないで
恐れないで
…ただ忘れないでいて

投稿: Y.S | 2009年1月11日 09:06

谷口雅宣 先生

☆☆
「神はいない」
「そういうあなたも神の御手の上」

☆☆
「神なんていない」
(ホント?、と神ほほえむ)

☆☆
「神がみつからない」
「私も見つけてもらえなかった」(良寛)

☆☆
「創造主(つくりぬし)は偉大で完全です」
「だから悪魔や罪人なんていないのです」
「そう、最後の審判もないんだよ・・・愛なる“神”より」

 今朝も、朝の光と有明の月がきれいでした。

 牧野尚一拝

投稿: 牧野尚一 | 2009年1月12日 07:21

意見広告

神を信じる人へ

人を殺すことを正当化する神は、何処にいるのですか?

神を愛するように、人間も愛してください。

投稿: 早勢正嗣 | 2009年1月12日 23:40

谷口雅宣先生
 千葉教区相愛会員の藤原宏之です。
 今朝の日経新聞の”春秋”欄にアポロに乗った宇宙飛行士ジーン・サーナン氏の宇宙から地球を見ての言葉を紹介しています。その言葉がなんとなくぴたっときました。
 『偶然の産物にしてはあまりに美しすぎる。人間の作った宗教を超越する、万物の創造主が存在するに違いない」(映画「ザ・ムーン」)』
 この中の万物の創造主をテーマに考えますと・・・
 「すべてを生命を生かしているもの、そしてあなたを生かしている大いなる力です。」
 愛をテーマに考えますと・・・
 「無我の愛である、両親の愛・他の人々を喜ばす愛・他を生かす愛、その愛こそ神様の愛です。」

 
 

投稿: 藤原 宏之 | 2009年1月13日 10:03

読者諸賢、

 なかなか力作がそろいましたね。ありがとうございます。しかし、広告コピーは難解では読まれません。私は個人的には、牧野さんの2番目のが好きです。(笑)

投稿: 谷口 | 2009年1月13日 12:51

谷口雅宣 先生

 ありがとうございました!

  牧野尚一拝

投稿: 牧野尚一 | 2009年1月13日 20:16

牧野さんの二番目、確かに暖かい感じでgoodですね!
「神なんていない」(ホント?と神ほほえむ)、、、勝手に変えて「神なんていない」(ホント?ほほえむ神)、、早勢さんの意見広告の反論広告
「人を殺すことを正当化する神は、何処にいるのですか?」(何処にもいません)
「神を愛するように、人間も愛して下さい」(神を愛せないようでは、人間も愛せませんよ、(笑)。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年1月15日 11:06

「人を殺すことを正当化する神は、何処にいるのですか?」(何処にもいません)
「神を愛するように、人間も愛して下さい」(神を愛せないようでは、人間も愛せませんよ、(笑)。

まっとうと思われることが、行われない現実があります。

宗教を口実にした戦争、聖戦という名称で人の生命を絶つこと。
人を殺すことを正当化する神は、何処にもいないのに、人は神の名称を利用し、人を殺すことを正当化する。

「神とは何か」を知ることの方が重要なのかもしれない。

私と尾窪さんでは見ているものが違うのだと思う。

投稿: 早勢正嗣 | 2009年1月16日 00:20

早勢さんへ
1、「見ているものが違うと思う」
それで良いのではないでしょうか?漫画家の赤塚氏曰く「それでよいのだ!」親鸞曰く「それで良いんだよ!唯円」全員一致は面白くありません(笑)小人同じて和せず、大人和して同ぜず!と言う言葉もあります(只、大人の場合、表現方法は違っても本質は同じなのではないでしょうか、、「薔薇の木に薔薇が花咲く!何事ぞ?不思議なけれど、、、」花も薔薇だけでは面白くありません!様々な種類、色の花が咲き乱れている(只、個々の個性有る花と言う理念は同じ)美しい世界の方が嬉しく有り難く享受させて頂けます、
2、「人は神の名を利用し、人を殺すことを正当化する」
正当化するのは神ではないですよね!ですからそんな神はいない!
3、「神とは何か?を知ることの方が重要なのかも知れない」
私も重要だ!と思います、早勢の神とは何ですか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年1月16日 17:02

「見ているものが違うと思う」に対する「良い悪い」ではなく、「見ているものが違うと思う」ので話がかみ合わないということです。
私の書いた意見広告の対象は、例えばハマスとイスラエルの紛争当事者だと考えてください。

投稿: 早勢正嗣 | 2009年1月17日 18:18

「話がかみ合わないということです」
意見広告(神を信じる人へ)ですから早勢さんは神を信じない人?かな?そんな事はないだろう!と思いながら反論広告をしてみたのです、ハマスとイスラエル紛争の当事者でしたら私も現時点では話がかみ合わないと思います、芥川龍之介の"蜘蛛の糸"に登場する釈尊を神に置き換えてきっと神は天国に上って来るハマスやイスラエルを悲しそうな目で見ながら又歩いて行かれるのかも知れません(泣)。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年1月19日 10:49

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