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2009年1月14日

父と息子

 前回の本欄で、父が18歳の私を海外への講演旅行に誘った理由について触れた。これは、本人に直接訊いたことではないので断定はできないが、子供の教育や教団運営における父の「自由尊重」の精神を実地に体験している立場から考えると、「もっと広い世界を見せてやろう」という父の愛と子への期待が背後にあったと信じる。
 
 1970年の父母のブラジル講演旅行の翌年に発刊された父母の共著『通い合う愛』(日本教文社刊)の中に、父が自分の父(荒地清介)について書いている文章がある。私の父は、結核療養所に入っていた時に自分の父が亡くなったことを、次のように表現している--
 
「私が療養所に在所中、父が山口市で死没したという報を受けましたので、私は急いで帰郷致しましたが、父の死に目には会えませんでした。私の成育を楽しみとし、私の行動にたいして全面的に信頼して、私の自由を完全に許してくれた父が死ぬ迄に私は何一つ親孝行の行ないをせず、未だ社会に出て安心させることもなく、遂にあの世へ旅立たせてしまったかと思うと、私は涙が流れて仕方がありませんでした」。(p. 250)

「息子に自由を与える」という教育法は、だから父が荒地の祖父から学んだものであることが分かる。父の場合、それによって紆余曲折はあったものの結局、生長の家の信仰にたどりついき、そして「この生長の家の大真理を、全人類に向かって宣布する使命を戴いたことを、誠に幸せであると思うものであります」(谷口雅春大聖師追善供養祭での言葉)との実感を得たのである。だから、父には「自由を与える教育は正しい」との信念があったことは疑う余地がない。
 
 ところで、父は1970年の14前、36歳の時にもブラジル等へ講演旅行をしている。この際は足かけ5カ月間の長旅で、しかも初めての海外旅行である。そして、その印象を、後の著書『キリスト』の「はしがき」にこう記している--
 
「私がブラジル、ペルー、アメリカ等に講演旅行を続けていたとき、本書の出版計画が私に知らされたのであった。私はその頃、痛切にキリストの偉大な御教えとその業績に打たれていた。ブラジルの街々を訪問すると、先ず第一目につくのが、高くそそりたつキリスト教会であり、キリストの像であった。凡ての国民によって日曜日は教会へ行く日と定められ、カナダ等では酒類の一般販売も禁じられ、日曜日のスポーツ、娯楽等も制限せられて聖なる信仰の集いが護られている州も沢山あった。私はこれら新大陸に於て今もなおキリストが生きつづけているのを感じた」。
 
 このような強い印象を、息子にも味わわせてやりたいと思ったに違いない。当時の日本は政情不穏が続き、学生は勉強などせずデモや投石を繰り返しているばかりだ。そんな中で、狭量な右翼少年のまま大学生活に入ってほしくない。もっと広い世界を知れ!--私には、そんな父の声が今も聞こえるような気がするのである。

 父が最初に出した本は、谷口雅春先生との共著『世界光明思想全集』である。これは、小冊子ではあるが全40巻ある。この全集が完結した年に、私が生まれた。その一部は、後に谷口清超宗教論集第5巻『光明思想の先駆者』(1971年、日本教文社刊)に収録されるが、その本の「はしがき」に父はこう書いている--
 
「これは“光明思想”の源流をさぐり、それを要約・紹介したものであり、この仕事もまだ完成されているわけではないが、既刊の中からも、その全部をここに収録することは出来なかった。それ故、世界の光明思想家の中のごく一部の人々の紹介にとどまるけれども、これらの人々は非常にすばらしい“神の子・人間”の境地に達せられた人々であり、吾々の信仰ときわめて近似しているのである。そこで、この一篇をひもとくことによって、きっと広大な光明思想の霊的裾野の原野を眺望し、その頂上のいかに高きかを推察して頂けることを確信する」。

 この文章が書かれたのは、父が息子を連れて海外講演旅行を行った翌年の秋である。生長の家を、東洋の小国に生まれた狭量な右翼的信仰運動だと考える視点は、ここにはない。このような“広い視点”を息子にもたせたいという願いが、父の本心だったと私は思う。
 
 谷口 雅宣

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コメント

【生長の家を、東洋の小国に生まれた狭量な右翼的信仰運動だと考える視点】

もともと、そのような視点など、存在しないのだと思います。
私が生長の家から学んだこと。
私は【日本人】として生まれたました。そこに何か意味があると考えました。(たぶん、私自身が【日本人】になることを選択して生まれてきたのでしょう。)だからこそ、私は【日本人】として生まれたのだから、それを意識して生きて行きたいと思っています。その生き方は、“狭い視点”とか“広い視点”などという範疇には属していないのだと思います。

『百合がおのづから百合の花を開くように、
薔薇がおのづから薔薇の花が咲けるように』

これが、生長の家の生き方ではないのかと思う。

投稿: 早勢正嗣 | 2009年1月15日 22:29

 私も数年前に米国へ行った時に初めてFerragosta(フェラゴスタ)という言葉を知り、それが聖母被昇天の日(8月15日)と知りました。それから日本の世界に対する宗教的使命のようなのを深く感じ入った次第です。が、歳月の流れ往くのは早く日本にしばらく居ますと日々の生活に追われる毎日になっておりました。
3年近く前には、宇治別格本山のHPにある「E-VOICE」におきまして、生意気にも投稿などもしておりましたが、今日の先生の御文を拝読いたしまして、改めて“広い視点”を思い返す事が出来ました。ありがとうございます。

投稿: 黒木 康之 | 2009年1月15日 22:33

自由奔放な鳥の如く言葉ではなく行動、実践で示す父親、無言の言葉を正しく受け止め、聞く息子、、、(以心伝心)と言う感じです、親子関係がこの様になれば世の中から争いと言うものは消滅してしまうでしょう!今の日本に不足している(正しく伝え、正しく受け止める事)大事な部分だと思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2009年1月16日 11:40

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