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2009年1月20日

英外相が“テロとの戦争”を批判

 1月8日の本欄で、まもなく始動するアメリカのオバマ新政権では、ブッシュ政権下で盛んに使われた「テロとの戦争」(war on terror)という用語が廃止されるのではないかとの期待を表明した。が、アメリカと共にこれを推進してきたイギリスでは、ミリバンド外相がすでにこの用語や考え方は「間違いだった」とはっきり言っているという。今日の『朝日新聞』が社説で取り上げている。
 
 それによると、同外相が「テロとの戦争」を批判したのは1回だけでなく、「先週、インド・ムンバイでの演説やBBC、英紙でそう明言した」のだそうだ。そこで、BBCのウェブサイトを調べてみると、1月15日付で「ミリバンド、“テロとの戦争”を批判」(Miliband criticises 'war on terror')というインタビューがあり、そこからさらに調べると、1月15日付の雑誌『ガーディアン』に外相本人が寄稿していることが分かった。その内容は、『朝日』の社説が簡潔にまとめている通りだ。
 
 ミリバンド外相が挙げる「テロとの戦争」の用語が間違っている理由は、3つある--①テロを政治手段とする集団は多様であるのに、それらを十把一絡げにすることで、テロ集団を相互に団結させる、②軍事手段を重んじるあまり「法の支配」を軽んじて民衆の支持を失う、③そもそも団結の基礎となるのは、何かに「反対する」ことではなく、共通の価値を「支持する」ことである。
 
 私は2005年6月1日の本欄で、「“テロに対する戦争”という言葉は、問題の立て方が間違っている」と書いた。なぜなら、「テロ(terror)」とは「恐怖」という意味であり、恐怖は、第一に恐怖する人の心の中にあるのだから、それと戦うのに実際の兵器はさほど役に立たないのだ。さらに続けてこう書いた--「恐怖は“外”にあるのではなく“内”にある。“外”をいくら叩いても“内”にあるものは壊れない。或る“敵”を外に見出しそれを倒しても、次なる“敵”が内部の(恐怖の)投影としてまた外に現れる。否、“テロとの戦争”という言葉を使う限り、自ら“敵”を外側に作り出さざるを得ないのだ。戦争には、具体的な“敵”が必要だからだ」

 この文章は、“テロとの戦争”を「する側」の心理を描いたものだが、これをテロとの戦争を「仕掛けられる側」の立場から描けば、上記のミリバンド外相の①の分析になる。つまり、“テロ集団”の側から見れば、アメリカのような超大国(イランでは“大悪魔”と呼ばれている)から宣戦布告されたのだから、イスラーム社会は「小異を捨てて大同につく」ことが至上命令になるのである。日本の諺に「窮鼠猫を噛む」というのがあるが、より多くの人々を「窮鼠」の心境に追いやることは暴力拡大の道なのである。
 
 私は2007年1月14日15日の本欄で、当時のイギリス首相、トニー・ブレアー氏(Tony Blair)の“テロとの戦争”を推進する考え方に反対した。同氏は、地球環境問題への取り組みの姿勢は称賛に値するが、戦争の問題については“ブッシュのプードル”などと揶揄されるほど、ブッシュ氏の考えに近かった。あれから2年たって、イギリスも外相が交代して「テロ」に対する考え方が変わってきた。大いに歓迎したい。あとは、アメリカの新大統領、オバマ氏の「テロ観」がどうであるかが重要になってくる。
 
 谷口 雅宣

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