« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月31日

ネットで祈り懺悔する

 ネット社会の発展は、宗教の世界にも影響を与えずにはおかない。生長の家でも昨年の12月、谷口清超先生の追善供養祭の模様をリアルタイムで全国にネット配信したが、そういう情報の“一方通行”だけでなく、“双方向”で、しかも心の深部に関わる情報さえ、ネットを経由させようとする試みが始まっているようだ。1月28日付の『ヘラルド・トリビューン』紙によると、先日、旧暦の正月にあたる「春節」を迎えた中国では、香港の黄大仙(Wong Tai Sin)寺院に初詣に参拝する人が数多くあるが、今年はパソコンの画面を通した“ネット参拝”ができるようにしたところ、2万人を超える人々がログインして参拝したという。この寺院は、香港で最大の道教寺院で年間に約300万人の参拝客が訪れるという。

 “ネット参拝”の試みは、院内の神殿修復のために参拝スペースが狭くなったため、その不足分を補う目的もあって昨年12月から始まったという。が、それだけでなく、伝統とネット技術をうまく組み合わせることで、現代人の参拝をより便利にすることも考えたらしい。ネット参拝のためには、参拝者はサイトにログインし、名前とメールアドレスを登録後、何を祈るかを「健康」「繁栄」「家庭調和」などのオプションから選択する。これが終ると、画面には神殿の前で線香を備える手がアニメーションで現れ、「あなたの願いを黄大仙にお祈り申し上げます」という意味の文字が出てくるという。そして、実際に祈願が行われている様子が、毎週、サイトでは放映されているらしい。
 
 このネット参拝設置により、同寺院のサイトに海外や中国本土からアクセスする人が増え、寺院への寄付金も増加しているという。ちなみに、12月のサービス開始以来、7万人以上の“ネット参拝者”がサイトを訪れたというから、この試みは今のところ成功しているといえるだろう。
 
 アメリカには、カリフォルニアを本拠地とする「ゴッドチューブ」(GodTube)という動画登録サイトがあり、ここには毎月300万人のユーザーが訪れるという。この名前は、もちろん「ユーチューブ」(YouTube)を意識したもので、サイトの構成もユーチューブとよく似ている。ただし、ここでは「自分のメッセージ」を発信するのではなく、「神のメッセージ」を動画として発信する点で違うのだろう。
 
 アメリカの時事週刊誌『TIME』の2月9日号には、“匿名告白サイト”とも“懺悔サイト”とも呼べそうなネットサービスが取り上げられている。これらは 「DailyConfession.com」(日ごとの告白)や 「GroupHug.us」(仲間と抱き合おう)などで、特定の宗教色のないものとして発足したが、人気を博したため、そのアイディアを教会が一部採用して自分たちのサイトに導入したものもあるらしい。この種のサイトの特徴は、匿名で書き込む代りに、書き込んだ内容はすべて公開されるから、世界中のネット利用者が読むことができる点だ。これは従来、教会の密室で牧師や神父にだけ“罪”を告白するのとは大いに違う。教会での告白は、聖職者が仲介となって「神」に向かって告白し、罪の赦しを乞うのだが、告白サイトでは、「一般大衆」に向かって自分の恥部をさらけ出すのだから、宗教的な意味はあまりない。それよりも、「真実を隠してきた」という自分の“罪の意識”が多少なりとも軽くなるという心理的な効果があるだろう。しかし、同記事も指摘しているが、告白は完全な匿名だから、その内容が真実であるかどうかは全く不明だ。だから、露出狂的な傾向のある人が針小棒大な告白をしたり、まったくデタラメの告白も排除できないだろう。
 
 これに対して、「PostSecret.com」(秘密の掲示)というサイトは少しヒネリを入れ、オフラインとオンラインを連動させている。ここでは、メールによる告白に加え、サイトの住所と宛名を印刷した葉書をオフラインで人々に配布して、その葉書に告白を書いて送り返してもらう方式を採る。そして、返ってきた葉書をスキャンしてサイトに掲げてある。それを見ると、絵や写真を使ったデザイン的で、多様な葉書が多く、書かれた告白の深刻さよりも、絵柄や文字の組み合わせなどの創造性が表面に出ていて面白い。
 
 これらのサイトを眺めてみると、生長の家で運営している「ウェブ版日時計日記」や「絵手紙」のサイトとの共通点が感じられるとともに、そこからさらに発展させたネット利用が考えられるような気がするのである。
 
谷口 雅宣

| | コメント (0)

2009年1月30日

“テロとの戦争”は終った

 私がかねてから願っていたように、アメリカが主導してきた“テロとの戦争”は終ったようだ。快哉を叫びたい。私は今年に入って1月8日、20日、21日の本欄で、アメリカの新しいオバマ政権は、前任のブッシュ政権が始めた“テロとの戦争”をやめるのではないかと期待を込めて予測してきたが、その通りになった。26日、ホワイトハウスから送られたアラビア語テレビ局「アル・アラビア」(Al Arabiya)とのインタビュー番組で、オバマ大統領は、「私の仕事は、イスラーム世界には、自分の人生を生き、子供らに自分以上の人生を送らせたいと願うだけの素晴らしい人々が満ちていることを、アメリカ国民に知らせることだ」と述べたという。28日付の『ワシントンポスト』紙などが伝えている。同大統領は、このインタビューで「イスラーム世界に対する私の仕事は、アメリカ人はあなたがたの敵ではないと伝えることだ。我々はときに間違いを犯すし、我々は完全ではなかった」とも発言したから、前政権のイスラーム世界に対する政策に誤りがあったことを認めたとも言える。
 
 このインタビューでの詳しいやりとりの記録をネットで捜したが、見つからなかった。しかし、29日付の『ヘラルド朝日』紙にロジャー・コーエン氏(Roger Cohen)が書いている論説の中に、結構詳しい引用がある。それによると、大統領は「我々の使う言葉は重要だ」と“言葉の力”の大切さを指摘したうえで、「私は、アルカイーダのような暴力を使い、テロを行う組織と、我々の政権やその行動に単に反対する人々、あるいは自国がどう進むべきかという点で特定の視点をもっている人々とを明確に分ける。我々には意見の不一致があって当然だし、その場合も互いに敬意を払うことはできる」と述べたという。コーエン氏はこれらの発言を聞いて、「9・11後のブッシュ・ドクトリンを新大統領がひっくり返したことは、重大な進展である」と評価している。そして、イスラーム社会に対するブッシュ政権の態度が、ぶっきらぼうで、攻撃的で、尊大で、イスラエル一辺倒だったのに対し、オバマ氏の態度に配慮があり、敬意が込められ、自己に厳しく、バランスがとれているとして、「驚くべき変化」(a startling departure)だと誉めている。
 
 同氏は、もちろん「言葉だけでは問題は解決しない」と言っているが、言葉を大切にする生長の家の立場からすれば、アメリカ大統領からイスラーム世界への“好意”や“尊敬”の念がテレビ画像を通して示されることで、今後の世界の動きに大きな変化が訪れる“種”が確実に植え付けられた、と評価できる。これからは、多少時間がかかっても、対立する双方でこの“種”を大切に育てていってほしい。

 日本のメディアがこのことをほとんど伝えていないのは残念だが、28日付の『日本経済新聞』は、これがオバマ氏の大統領として最初の外国メディアとの単独会見であったと述べ、「オバマ政権は発足から1週間で中東重視の外交姿勢を具体的に明示し、アラブ・中東の親米国にも協力を促す格好となっている」などと書いている。「格好となっている」というのは妙な表現だが、恐らく「そういう解釈もできる」という意味だろう。つまり、深刻な情勢となっているガザ紛争を解決するための手段として、アラビア語のメディアを使ったという、何となく懐疑的な視点である。しかし、この件に対するホワイトハウスの発表は、「アメリカとイスラーム世界との関係に大胆な変化を提供した」というものだから、オバマ氏自身にはそういう意図があると考えていいだろう。
 
 オバマ政権は、地球環境問題への本格的な取り組み姿勢を示していることに加え、今回のイスラーム社会への態度の変化、特に実質的に“ブッシュ・ドクトリン”の廃止宣言を行ったことは、大いに評価したい。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (5)

2009年1月28日

生長の家ブッククラブ (4)

 さて、ここまでの説明で、読者は『創世記』第1章と第2章には2つの異なる天地創造の話が書いてあること、そして、第2章の冒頭には「神が天地創造の7日目に休んだ」と書いてあることを理解されたと思う。また生長の家では、第1章の話を“実相世界の創造”、第2章の話を“現象世界の成立”だと解釈することも、前回書いた。そういう解釈ができたとしても、しかし「神が7日目に休んだ」のはなぜかという理由は、判然としていない。マレリー講師の説明でも、その点は明確でない。
 
 そこで私は、私自身の解釈をまとめてみようと考えた。そのためには、マレリー講師も引用した『生命の實相』第11巻52ページの記述--「天地創造の大音楽は、その一音符から次の音符にいたる間の旋律(リズム)の変化に、いうにいわれぬ平和と安息と調和とがある」--と、同講師のこれについての解釈--「一つの楽譜の中には休符を入れることができ、この無音の時があることによって、音を一定の時間味わえ、クレッシェンドの効果を際立たせることができる」--とが有効だと思った。これらに書いてあることは、「音楽は“休み”がなければ音楽にならない」ということである。言い換えると、音楽を楽譜に表せば、最初の音符がずっと長く続くことはなく、第1音符、第2音符、第3音符……というように、次々に異なる音が続いて表記されることになる。そうすることで、リズムが刻まれ、メロディーが生まれるのだ。このためには、第1音符が休み、次に第2音符に移ったあと、第2音符が休み、その次に第3音符に移る……というように、時間軸に沿って「発音」と「無音(休み)」とが繰り返されなければならない。つまり、無音(休み)は、それに先立つ発音を受け止めて、味わうために、なくてはならないものなのである。

 これをさらに言い換えれば、こうなる。音を使って表現するためには、音をあえて止める時間が必要である。ということは、音を発する表現は、無音が伴って初めて可能となるということだ。これはデルガードさんが指摘したように、文章は句点(。)を打って終ることで表現され、人間の生は死によって表現されるのと似ている。逆説的で、複雑な言い方かもしれない。が、マレリー講師も、このことを『真理の吟唱』の中にある「有限そのままに無限を悟る祈り」の一部を引用することで指摘していた。それは、次のような箇所である--
 
「画家は方尺の画布の上に無限をあらわす。無限そのままに無限になるときには、何ものも表現されないのである。無限がみずからを局限して有限ならしめることによって表現は行なわれる。完全なる自由を享受して何らの抵抗もなき空中には絵を描くこともできないのである。画家が、自己の絵筆の自由なる運行に摩擦して抵抗し、絵筆の無限の自由を制限するところに、美しき絵が描かれるのである」。(p.184)

 「有限によって無限が表現される」--これは音楽や絵画に限らず、表現芸術すべてに共通する原則である。しかし、この原則は“現象世界”におけるものであることを忘れてはいけない。現象の表現は、すべて時間と空間によって限定された不自由の中で展開されなければならない。が、それは神によって行われるのではなく、人間の頭の中で起こることである。つまり、神は現象を創造されたのではなく、初めから完全で自由な実相を創造されているのである。それは、表現される前の音楽にも似ている。例えば、モーツァルトの『春』という楽曲は、演奏家が演奏をしなくても、楽譜上に完全な形で存在する。いや、楽譜が存在しなくても、作曲家、モーツァルトの心中に完全な形で存在するのである。が、作曲家の心の中にあるだけでは、彼/彼女には聞こえていても、その他の大勢の人々には聞こえない。聞こえない音楽など、存在しないに等しいのだ。だから、作曲家はそれを楽譜に表し、演奏家は実際に演奏しなければならない。それによって初めて、作曲家も演奏家も音楽と一体となり、聴衆もそれを味わうことができる。聴衆の感動は演奏家に伝わり、さらに作曲家に満足を与える。
 
 この関係が、『創世記』の第1章と第2章の関係にもある。第1章において、神は完全な世界(実相)を創り給うたが、それだけでは、実相の素晴らしさを自ら体現するものも、それを体験する(味わう)ものもいない。そこで、自分のイメージに即して創造した人間に、神の創造を現象として再現し、また味わう役割を与えられたのである。神を作曲家に喩えれば、人間は演奏家であり、かつ聴衆である。作曲家が満足するためには、完璧な音楽ができ上がるだけでは不十分だ。それを誰かが演奏し、誰かが味わうことで作曲家の喜びは本物となる。『創世記』では、神が“6日間”で天地を創造され、完成されたことと、「7日目に休まれた」(創造が止まった)こととは切り離すことができない。神の創造を味わうためには、神の創造が止まらなければならないからだ。そして、この“休止”期間は、人間が神の創造を体験し、味わうための時間と空間(認識の形式)だと解釈できるのである。そうすると、人類の歴史全体が、神の創造を体験し、理解し、その素晴らしさを味わう過程だという結論に達することになる。

 --こんな意味のことを、私はブッククラブのディスカッションに書き込んだのである。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (7)

2009年1月27日

生長の家ブッククラブ (3)

『創世紀』の記述で、神が6日間で天地を創造され、7日目に休んだとあるのはなぜか?--この疑問に最初に答えてくれたのは、ブラジルのサンパウロ市に住む女性信徒、ギゼラ・アパレシーダ・アマラル・デルガードさん(Gisela Aparacida Amaral Delgado)だった。デルガードさんは、「それは、文章の最後につける“点”とか、人生の最後に来る“死”のように、1つのサイクルが終ったことを示すものだと思う」と言った。「それは、ある意味で1つの状況に属していないにもかかわらず、やはりその状況の一部である何かを示すのだと思う」と彼女は言うのである。そして、『生命の實相』第11巻万教帰一篇上から次の箇所を引用した--

「七日ということが、鳴り鳴り続く創造の神業の無限進展をあらわしているとしますと、七日に安息(やす)むということは決して、創造の神業(かみわざ)が終わったときに、“ア疲れた! やれやれ”と思って休むということではないはずであります。創造神は“無限生命”でありますから、生命を出し尽くし精力を出し尽くして、ああくたびれた! 今日一日は休息しようなどという時はないのであります」。(p.52)

 これに対してマレリー講師は、この引用文の次にある谷口雅春先生の文章に注目する。それは--「天地創造の大音楽は、その一音符から次の音符にいたる間の旋律(リズム)の変化に、いうにいわれぬ平和と安息と調和とがある」という箇所で、これについて同講師は、「一つの楽譜の中には休符を入れることができ、この無音の時があることによって、音を一定の時間味わえ、クレッシェンドの効果を際立たせることができる」と述べた。
 
 私はそこで、「鳴り鳴り続く創造の神業の無限進展」という言葉の意味を明らかにしようと思い、こんな質問をしたのだった--
 
 ①もし神の創造が「無限の進展」であるならば、神の創造はまだ完結していないのだろうか?
 ②もし何かが永遠に創造され続けるのならば、創造主はすべてのものを数限りなく複製しているのか、それとも、以前とは違う何かを永遠に創造し続けているのだろうか?

 これに対するマレリー講師の答えは、再び『生命の實相』第11巻からの引用であった--
 
「すでに天地および衆群(すべてのもの)の真創造の神業(みわざ)は竣(お)え給うた。竣(お)えるといっても無限の継続でありますが、その無限に続く創造の業は、霊の世界における天地万物の創造であって、地(物質世界)に発生する以前(まで)の御創造の聖業であると明記されている以上は、霊の世界における無限創造以外に神の真創造はありえないのであります」。(p.62)

 この文章だけをいきなり読んでも、意味はなかなか理解できないだろう。『創世記』の天地創造の意味を知るためには、本当は上の引用文の元である『生命の實相』第11巻をしっかり読むべきだが、ここであえて簡単に解説しよう。

 実は『創世記』には、天地創造の話が「2つ」あるのだ。1つは、第1章から第2章の初めにかけてで、2つめは、第2章4節からその章の最後(24節)までである。神が天地創造の7日目に休んだという話は、第2章の初めの部分に書いてある。この“神の安息”を記述する前に、『創世記』には「こうして天と地と、その万象とが完成した」(口語訳)とはっきり書いてあるのだ。谷口雅春先生が持っておられた文語体の聖書では、それは「かく天地および衆群(すべてのもの)ことごとく成りぬ」と表現されていたようである。このあとに、2番目の天地創造の話が出てくるのである。

 上の引用文で、雅春先生が「地(物質世界)に発生する以前(まで)の御創造の聖業であると明記されている」と書かれているのは、先生の手元にあった“英文聖書”にはそういう意味の文章が第2章4節にあるかららしい。私は、先生の手元にどんな“英文聖書”があったか知らないので、今は確認することができない。しかし、先生ご自身の翻訳によると、そこにはこう書かれていたらしい--
 
「これエホバ神、天地創造の日に、天地と、地に発生する以前の野の植物と、地に発生する以前(まで)の野の草蔬(くさ)とを創造り給いし由来なり」。(p.57)
 
 こうして、先生は、第1番目の天地創造の話は“霊の世界”における真実の天地創造であり、2番目の話は“物質世界”における偽りの天地創造だという解釈に到達されている。言い直すと、最初の天地創造は“実相世界”の創造を描き、2番目の天地創造は“現象世界”の成り立ちを描いていると考えるのである。これは、生長の家独特の『創世記』解釈であるが、同じ書の中に「互いに矛盾する天地創造の話が2つある」という“謎”を見事に解決している。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月26日

生長の家ブッククラブ (2)

 前回引用した『創世記』第2章2~3節を読んだ読者は、この日本語訳(口語訳)に曖昧な部分があることに気づかれただろう。それは「神は第7日にその作業を終えられた」という表現で、この日本語だと、第7日目に入ったいつかの時点で「作業を終えられた」と解釈することもでき、その場合、神は第7日目にも少しだけ天地創造をされたことになる。しかし、英語訳の聖書ではその点、もう少し明確なものがある--
 
(A) And on the seventh day God ended his work which he had made; and he rested on the seventh day from all his work which he had made. And God blessed the seventh day, and sanctified it: because that in it he had rested from all his work which God created and made. (King James Version)
 
(B) By the seventh day God finished what he had been doing and stopped working. He blessed the seventh day and set it apart as a special day, because by that day he had completed his creation and stopped working. (Good News Bible, 2nd ed., 1994)

(C) By the seventh day God had finished the work he had been doing; so on the seventh day he rested from all his work. And God blessed the seventh day and made it holy, because on it he rested from all the work of creating that he had done. (New International Version, 1984)

 詳しい分析は省略するが、この3つの英語訳のうち(A)の“欽定約”と称される「King James Version」以外は、神の創造が第7日目にまで入ったかどうかの判断は明確である。他の2つの英語訳を和訳すると、「神は第7日までにその作業を終えられた」となるだろう。つまり、第7日目には、神は何もされずに休まれたという意味であり、神がその日を“聖別”された理由は、まさに天地は完成したからであり、もう何もする必要がなかったからだとの解釈が成立するのである。
 
 マレリー講師は、もちろんこのことを知らなかったわけではない。それどころか、むしろこれ以上のことを、私の少し意地悪な質問(前回参照)に対して答えてくれた。同講師は「神が7日間で天地を創造した」とは「実際に創造活動を行った日だけでなく、休んだ1日を入れたものだ」と言った。さらにそれに続き、同講師は「数字の7は完成を表す」ことを、ユダヤ教の伝統にもとづいて例示してくれた。例えば、旧約聖書(ユダヤ教の聖典)はヘブライ語で書かれているが、この言語で「7」に該当する「Sheh'bah」という語は、「完全」や「充満」を意味する原語から来ていることを指摘。したがって「安息日」という意味の「Sabbath」はここから来ていると述べてくれた。そのことは、『出エジプト記』第20章8~11節に記されている--
 
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。6日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである」。

 ところで、数字の「7」が「完全」や「完成」を意味することは、聖書のこの箇所だけに書かれているのではない。同じ『出エジプト記』の第25章31~32節と第37章17~24節には、燭台の主柱と支柱は合計7本でなければならないと書かれ、同23章10~13節には、7日目の安息日だけでなく、7年目の安息年も必ず守れと書いてある。また、ユダヤ人がエジプトを出てカナンの地に入ってから50年ごとに“聖なる年”が来るとされるが、そのことを定めた『レビ記』第25章8節には「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない」とある。新約でもこの考え方は継承されていて、有名なのは、自分に罪を犯したものをどれほど赦すべきかという問題で、ペテロが「七たびまでですか?」と訊いたとき、イエスは「七たびを七十倍するまでにしなさい」と答えている(『マタイ』18:21-22)。また、“主の祈り”として知られるキリスト教での模範的祈りでは「七つの願い」が唱えられる。このほか、「七つの徳」「七つの大罪」「七羽の鳩」などの概念の背後には、「7」を完全性の表象として見る考え方が明らかに存在する。
 
 この思想は、しかしユダヤ=キリスト教に特有なものではない。仏教においても「七」は、同じように「完全」や「全体」や「完成」を表現する数字である。菩薩の52の位階を7つに大別したものを「七科」と称し、完全な悟りを表す。また「七覚支」と言えば、悟りを得るための助けとなる7種類の修行項目を指す。「七観音」は、観世音菩薩が衆生救済のために身を変じた“すべて”を表し、「七大」と言えば、宇宙のすべてを「地」「水」「火」「風」「空」「見」「識」の7つに分けたものだ。「七堂」は、完全なる寺院に設置された7つのお堂であり、「七仏」は釈迦を含め、釈迦以前に出現したすべての仏をいう。

 こういう事実をしっかり押さえておくと、神が天地創造の際に「七日目は休んだ」ということの不思議さが浮き彫りになってくる。そこで私は、マレリー講師にこう尋ねたのだった--「しかし、なぜ神は休まなければならなかったのだろう。疲れたからか…退屈したからか…それとも、エネルギーが不足したからか……私にはナゾです」。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2009年1月25日

生長の家ブッククラブ

 本欄の読者ならSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のことをご存じだろう。昨年10月末に谷口清超先生へ感謝の言葉を書くためにアメリカの大手SNS「フェースブック」(Facebook)に生長の家のグループを開設したところ、日本からも多くの人々に参加していただいた。その後、この日本のグループの動きに目立ったものはないが、同時に開設した英語のグループのメンバーの間からは、新しい動きが始まっている。それは、「Seicho-No-Ie Book Club」(生長の家ブッククラブ)の発足であり、その中で『生命の實相』第1巻を使ったディスカッションが行われていることは、注目に値する。

 これは言わば“『生命の實相』輪読会”のオンライン版で、メンバーは今日現在で37人いる。人数は決して多くはないが、メンバーの住んでいる国を見ると、日本、ブラジル、コロンビア、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、スイス、となかなか多彩である。ブッククラブのリーダーは、アメリカのニューヨーク教区教化部長、ブルース・マレリー本部講師(Bruce G. Mallery)で、国際本部の国際部北米課長、メイ利子本部講師がシスオペを務めている。
 
 この種のオンライン・ディスカッションは、フェースブックなどのSNS内では国境を越えて盛んに行われているが、その場合の問題の1つは使用言語である。生長の家ブッククラブでは「英語」を使用言語に定めているため、英語の読解力がある程度のレベルに達していないと、何が議論されているかよく分からない。また、このグループは、今のところ“入会制限”を設けているので、誰でも加入できるわけではない。そこで、日本の読者のうち英語が苦手な人のために、この場を使って同クラブでのやりとりの一部を紹介しよう。
 
 『生命の實相』第1巻は、聖書の『ヨハネの黙示録』第1章12節から20節の引用によって始まる。これに関連して、いろいろな疑問が生まれる。1つは、「生長の家大神」と呼ばれる神が、聖書のこの箇所に出てくる神であるかどうか。また、そうであった場合は、その神はどんな姿形をしているかなどである。私は、このことは重要だと感じたので、昨年の11月25日から3回にわたって本欄に「生長の家大神の姿」と題して書いたのだった。ブッククラブでのディスカッションが、本欄の内容に大いに関係していたのである。
 
 その後、ディスカッションは『生命の實相』第1巻のページの順番に沿って進められ、やがて「七つの光明宣言」の解説に入った。それぞれの項目での細かい議論については省略するが、その過程でマレリー講師は、同巻の冒頭には聖書の『ヨハネの黙示録』が引用され、そこには「七つの燭台の点火者」が出てくることを指摘し、それらの燭台は「七つの信仰」を象徴していると述べた。そして、この「七」は「完成」を意味するから、「七つの信仰」とは「すべての信仰」のことだと解釈した。実際の聖書の記述は、そこまではっきりとは書いてない:
 
「そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である」。(『ヨハネの黙示録』第1章19~20節)
 
 ここにある「教会」を「信仰/宗教」を意味すると拡大して解釈すれば、それぞれの「信仰/宗教」に伝えられたメッセージは「一つの神」から発せられたものであるから、『黙示録』のこの箇所には「万教帰一」の考え方が示されている、と解釈できる。また、「七」が「完成」を意味することは、聖書の『創世記』において神が7日間で天地を創造したとされていることからも分かる--というのが、同講師のその時の説明だった。
 
 そこで、私は1つの疑問を提示したのだった。それは、『創世記』には、厳密には「神が7日間で天地を創造した」とは書いてないからである。書いてあるのは、神は「6日間」で天地を創造され、7日目には「休まれた」ということだ。聖書の実際の記述はこうである--
 
「神は第7日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第7日に休まれた。神はその第7日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」。(『創世記』第2章2~3節)

 私は、マレリー講師に「神は“7日間”ではなく“6日間”で天地創造をされたのだと思ってましたが……」と質問し、ここから、ディスカッションは思わぬ方向へ展開していくのである。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2009年1月24日

オバマ政権と生命倫理

 「アメリカ初の黒人大統領」という鳴り物入りで発足したオバマ政権の動きに今、世界が注目している。アメリカにも責任がある現下の深刻な経済問題に、緊急に対処しはじめたことは当然ながら、それ以外にも矢継ぎ早に新しい政策を打ち出している。その中で、宗教とも関係が深い生命倫理に触れる重要な決定が早期になされたことを、私は驚いている。その決定とは、次の2つである--①人工妊娠中絶への制限措置の撤廃、②人のES細胞の利用規制の緩和。これらは、共和党のブッシュ政権下では“宗教的理由”による反対派の声を考慮して、抑制されてきたものだ。私は、ブッシュ氏の地球温暖化対策の軽視や“テロとの戦争”など多くの政策に反対してきたが、「中絶反対」と「ES細胞の利用規制」については大いに評価していただけに、オバマ氏の今回の決定は残念に思う。

 今日の新聞各紙によると、オバマ大統領は23日、人工妊娠中絶を支援する団体などへの資金援助の規制を撤回する大統領令に署名した。これによって、ブッシュ政権下で中止されていた国連人口基金への予算拠出も再開される見通しだ。これに先立ち、オバマ氏は「私は女性の選択する権利を擁護する」という声明を出す一方、「我々は立場は違っても、中絶の削減に向けて結束する」とも述べた。中絶を容認しつつ、避妊の拡大などで中絶数の削減を目指す考えらしい。また、オバマ氏は23日の声明では、アメリカの国論を二分しているこの問題について、「政治問題化に終始符を打つ時だ」とし、「家族計画に関する新鮮な議論をして、世界の女性のためになる一致点を見出す」考えを示したという。
 
 ES細胞の利用促進に関しては、オバマ氏の直接の声明の形ではなく、政府の食品医薬品局(FDA)の判断として政策が実行された。23日の『朝日新聞』夕刊によると、FDAは、カリフォルニア州のバイオベンチャー「ジェロン」が申請していた、ES細胞を使った臨床試験を認可した。この試験を受けるのは、脊髄損傷で歩けなくなった患者8~10人で、神経細胞を保護する機能をもつ細胞を人のES細胞から分化させて、損傷部分に注入する治療を行うという。同社は昨年、この試験実施の申請を出したが、FDAは実施の留保を指示していた。実施されれば、世界初のES細胞の人への医療応用になるらしい。
 
 今朝放映されたABCニュースによると、オバマ大統領は来週にもES細胞の研究を促進する意図を表明し、ブッシュ政権下で禁止されていたES細胞研究に対する連邦政府の資金援助を開始するという。このニュースの中でインタビューを受けていたハーバード大学の幹細胞研究所(Harvard Stem Cell Institute)のデビッド・スキャデン博士(David Scadden)は、「これによって、人々には将来の仕事の方向性が見えてくるので、大いなる変化が訪れるでしょう」と言っていた。
 
 これらの件についての私の考えは、本欄をはじめ『神を演じる前に』や『今こそ自然から学ぼう』などの著書で繰り返し表明してきたが、ブッシュ氏の考えに近い。その理由をここで詳しく述べないが、簡単に言うと、妊娠中絶への反対は、この世での人間生命の開始を受精後まもなくだと考えるからであり、ES細胞の利用に反対する理由は、まさにその「受精後まもなく」の時期に破壊された受精卵から、ES細胞は作られるからである。今の医学の主流では、人間が苦痛を感じるのは神経細胞によると考えるから、その神経細胞が未発達の段階である受精卵は、破壊しても苦痛はないという結論になる。しかし、そのようにして、未来世代の人間である受精卵や胎児を、現世代の人間の幸福増進の手段にしたり、また研究材料に使うこと自体が、世代間倫理の観点から間違っている、と私は思う。別の言葉を使えば、我々は、未来の人間になるはずの生命を自己目的に利用しようとしているのである。自己実現の障害になるとして幼い命を抹殺するのが人工妊娠中絶であり、自己実現や延命のためにそれを利用するのがES細胞の医療応用である。

 私は、オバマ氏の大統領就任演説を聞いて感動した一人だが、その演説の最後に、子孫の自由と幸福のために今の困難を耐え抜こうと呼びかける言葉があった。それは、次のようなくだりである--
 
「子々孫々が今を振り返った時に、我々が試練の時に旅を続ける意志を貫き、引き返すことも、たじろぐこともなかったということを語り継がせようではないか。地平線に視線を定め、神の慈悲を身に浴びて、我々は自由という偉大な贈り物を運び、将来の世代に安全に送り届けたということを」。

 成長過程にある幼い生命の発生過程を中断することは、その生命の「自由」を最も根源的に奪い去る。だから、彼の今回の決定は、就任演説の最後のこの決意に反する結果になることを、オバマ氏は気がついていない。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月22日

中国のネット規制

 インターネット人口を国別で比較すると、今や中国が1位だと聞いた。しかし、この電子媒体は“自由な発言”(free speech)がその特徴である。これは善い方向にも悪い方向にも働くことは、ネットを使っている読者はすでによくご存じだろう。中国は社会主義を奉じており、政治的には共産党の独裁が国是である。このことも読者はよくご存じのとおりだ。では、政治的自由が許されていない国で、ネットにおける“自由な発言”が可能だろうか? 答えは「否」である。それならば、中国でのネット上の発言の不自由さはどの程度だろう? 
 
 本欄では2006年2月17日5月11日付で、中国国内のネット規制について書いたが、実際のところ、その様子は私にはよく分からなかった。ところが、今回のアメリカ大統領就任に際して、具体的な規制の様子が一部判明した。中国国営の新華社通信のウェッブサイトでは、オバマ氏の演説の一部が削除されていたのだ。22日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。
 
 それによると、オバマ氏は就任演説の中で、かつてアメリカがファシズムにも共産主義にも勝利したことについて、それは単に武力によるだけでなく、強固な同盟関係と強い信念があったからだと言っている。原文を示そう--
 
 Recall that earlier generations faced down fascism and communism not just with missiles and tanks, but with sturdy alliances and enduring convictions.
(先人たちがファシズムと共産主義に対峙して勝利したのは、ミサイルや戦車によるだけではなく、断乎とした同盟関係と強固な信念にもよることを思い出してほしい)
 
 中国の公式な英字紙『China Daily』にもこの英文はほとんどそのまま載っているが、唯一「communism」(共産主義)という言葉が省かれていて、その中国語訳にも「共産主義」の文字はないという。つまり、中国国内では、アメリカは「ファシズム」には勝利していても「共産主義」にはまだ勝利していないということだ。
 
 また、昨日の本欄で引用している、「イスラーム世界」に向かってオバマ氏が考えを述べた部分は、その段落が全部削られているらしい。その理由は、中国にイスラーム教徒がいないからではなく(かなりの人数がいる)、その段落に「腐敗と謀略によって、また反対者を抑圧することで権力にしがみついている人々には、こう言おう。あなた方は歴史の誤った側にいるのだ」という文章があるからだと思われる。つまり、「反対者を抑圧する」ことは、中国政府がずっとやってきたことで、それがアメリカ新大統領によって批判されているとなると、難しい問題が出てくる可能性があるからだ。
 
 これらのことは、一体何を意味しているのだろうか? それは、中国政府が国内で流れる情報だけでなく、海外から入ってくる情報にもいちいち“検閲”を加えているということだ。また、同国政府が、米中関係に相当気を遣っていることも窺える。彗星のように登場したアメリカの若き大統領が、中国国内の“反対勢力”を支援していると受け取られた場合、その人気ゆえに、中国国内での反米感情が増幅するか、または同国内での反政府運動が盛り上がる。いずれの場合も、米中関係をむずかしくする可能性がある--そんなことをいろいろ考えながら、中国政府の当局は、海外メディアの情報にいちいち手を加えているのである。何ともご苦労なことである。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (8)

2009年1月21日

オバマ演説を聴く

 アメリカ合衆国第44代大統領になったバラク・オバマ氏の就任演説を聞いた。アメリカと世界の深刻な政治・経済状況をしっかりと捉えたうえで、建国の理想を前面に打ち出して、それを実現するために、未来世代のために、共に汗を流そう--という内容の、格調高い演説だった。ヤフーのニュースサイトに動画があり、別のニュースサイトに演説のテキスト全文が載っていた。動画では、大統領本人の表情や仕草が克明にわかり、聴衆のどよめきや拍手が聞こえる。それを首都ワシントンでの演説から12時間後には、地球の反対側の東京で、1人の個人が自由な時間に、テレビも新聞も利用せずに入手できる。「地球は狭い」との感慨を深くした。

 私が最も関心をもっていた“テロとの戦争”(war on terror)という言葉は、演説中ついに1回も使われなかった。このことで、オバマ新政権の外交政策の基本姿勢がはっきりしたように思う。“テロとの戦争”はやっと終息したのだ。私はこれを歓迎する。しかし、“テロリスト”との個別具体的な戦いは終っていない。この違いは微妙なので、少し説明しよう。
 
 私がここでいう“テロとの戦争”とは、第1にその用語のことであり、第2に、この用語の背後にあるものの見方である。用語の問題点は、すでに何回も述べたが、テロとは「恐怖」のことだから、恐怖と闘うのに武器や軍隊をもってするのは間違いである。テロの意味を「テロリズム」という手段だと考えた場合も、問題がある。何かの目的を遂行するための「手段」を相手にして、それと武器をもって戦うというのでは、問題は解決しない。問題なのは、テロによって遂行しようとする「目的」の方である。それを解決すれば、テロという手段はもちろん、その他の手段も使われなくなる。

 “テロとの戦争”という言葉の背後にある考え方は、前回の本欄でも触れたように、様々な個別具体的目的をもったテロリストたちを十把一絡げにして“敵”と見立てるのである。これでは、敵でないものを敵に回し、これまで関係がなかった敵と敵とを団結させる--換言すれば「認めたものが現れる」という唯心所現の法則が発動するから、敵はどんどん増えるのである。そんな戦略は破綻する以外なく、現にブッシュ時代の“テロとの戦争”はテロリストを増やすという逆効果を生んだのだ。
 
 しかし、“テロとの戦争”という架空の敵との戦争は終っても、個別具体的にテロを手段として向かってくるグループや国家に対しては、戦い続けねばならない。そのことを、オバマ演説は明言している。それは、次のような箇所である--
 
 For those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will defeat you.
 (自分たちの目的遂行のために恐怖心を起こさせ、罪のない人々を切り殺そうとする者に、今私たちは言おう。私たちの戦う意志はより強固になった。これを崩すことはできない。君たちは先に倒れるのだ。私たちは必ず君たちを打ち負かすだろう)
 
 この部分には、従来だったら“テロとの戦争”という言葉が使われたはずである。それを今回は、「目的(aim)」と「手段(by ....ing)」とを注意深く分けて述べている。しかも、イスラーム(Islam)や原理主義(fundamentalism, extremism, radicalism)という言葉は一切使われていない。ということは、目的が変わらなくても、テロリズムという手段さえ使わなければ、アメリカは交渉のテーブルにつく用意がある--というメッセージにも読めるのである。しかし、テロリズムを放棄しなければ、アメリカは全力を挙げてテロリストを負かすまで戦うだろう--そういう強い決意が示されている。

 こことは全く別の箇所に「イスラーム教徒」に対する呼びかけが出てくる。そのこと自体が、前政権とは決定的に違う。つまり、オバマ演説は、「テロリスト」と「イスラーム」とを、意識的に全く別に扱っているのである。そして、イスラームについてはこう言う--
 
 To the Muslim world, we seek a new way forward, based on mutual interest and mutual respect. To those leaders around the globe who seek to sow conflict, or blame their society's ills on the West, know that your people will judge you on what you can build, not what you destroy. To those who cling to power through corruption and deceit and the silencing of dissent, know that you are on the wrong side of history; but that we will extend a hand if you are willing to unclench your fist.
(イスラーム世界にはこう言おう。私たちは、共通の利益と相互への尊敬に基づいて新たな前進の道を追求する。紛争の種をまき、あるいは自らの社会が抱える問題を西洋社会のせいにする国々の指導者に対しては、こう言おう。あなた方の国民は、何を破壊するかでなく、何を築き上げられるかによってあなた方を判断すると知るべきだ。腐敗と謀略によって、また反対者を抑圧することで権力にしがみついている人々には、こう言おう。あなた方は歴史の誤った側にいるのだ。しかし、あなた方が握りしめた拳を開くつもりなら、私たちは支援の手を差し延べるだろう)

 ここには、イスラーム世界の中で民主主義の動きを抑圧している国に対する姿勢が表明されている。具体的な国名が出ていないが、それは恐らく、アメリカの同盟国であるサウジアラビアなどが含まれているからだ。その一方で、イランのようにかつて“悪の枢軸”を構成していた国に対しても、相手の出方によっては「支援の手を差し延べる」可能性を明確に打ち出している。
 
 このように見ていくと、オバマ新政権の外交政策では、従来の「2項対立的」で「軍事力主体」のものから、交渉を重視した、より柔軟な外交が模索されると推測できるのである。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月20日

英外相が“テロとの戦争”を批判

 1月8日の本欄で、まもなく始動するアメリカのオバマ新政権では、ブッシュ政権下で盛んに使われた「テロとの戦争」(war on terror)という用語が廃止されるのではないかとの期待を表明した。が、アメリカと共にこれを推進してきたイギリスでは、ミリバンド外相がすでにこの用語や考え方は「間違いだった」とはっきり言っているという。今日の『朝日新聞』が社説で取り上げている。
 
 それによると、同外相が「テロとの戦争」を批判したのは1回だけでなく、「先週、インド・ムンバイでの演説やBBC、英紙でそう明言した」のだそうだ。そこで、BBCのウェブサイトを調べてみると、1月15日付で「ミリバンド、“テロとの戦争”を批判」(Miliband criticises 'war on terror')というインタビューがあり、そこからさらに調べると、1月15日付の雑誌『ガーディアン』に外相本人が寄稿していることが分かった。その内容は、『朝日』の社説が簡潔にまとめている通りだ。
 
 ミリバンド外相が挙げる「テロとの戦争」の用語が間違っている理由は、3つある--①テロを政治手段とする集団は多様であるのに、それらを十把一絡げにすることで、テロ集団を相互に団結させる、②軍事手段を重んじるあまり「法の支配」を軽んじて民衆の支持を失う、③そもそも団結の基礎となるのは、何かに「反対する」ことではなく、共通の価値を「支持する」ことである。
 
 私は2005年6月1日の本欄で、「“テロに対する戦争”という言葉は、問題の立て方が間違っている」と書いた。なぜなら、「テロ(terror)」とは「恐怖」という意味であり、恐怖は、第一に恐怖する人の心の中にあるのだから、それと戦うのに実際の兵器はさほど役に立たないのだ。さらに続けてこう書いた--「恐怖は“外”にあるのではなく“内”にある。“外”をいくら叩いても“内”にあるものは壊れない。或る“敵”を外に見出しそれを倒しても、次なる“敵”が内部の(恐怖の)投影としてまた外に現れる。否、“テロとの戦争”という言葉を使う限り、自ら“敵”を外側に作り出さざるを得ないのだ。戦争には、具体的な“敵”が必要だからだ」

 この文章は、“テロとの戦争”を「する側」の心理を描いたものだが、これをテロとの戦争を「仕掛けられる側」の立場から描けば、上記のミリバンド外相の①の分析になる。つまり、“テロ集団”の側から見れば、アメリカのような超大国(イランでは“大悪魔”と呼ばれている)から宣戦布告されたのだから、イスラーム社会は「小異を捨てて大同につく」ことが至上命令になるのである。日本の諺に「窮鼠猫を噛む」というのがあるが、より多くの人々を「窮鼠」の心境に追いやることは暴力拡大の道なのである。
 
 私は2007年1月14日15日の本欄で、当時のイギリス首相、トニー・ブレアー氏(Tony Blair)の“テロとの戦争”を推進する考え方に反対した。同氏は、地球環境問題への取り組みの姿勢は称賛に値するが、戦争の問題については“ブッシュのプードル”などと揶揄されるほど、ブッシュ氏の考えに近かった。あれから2年たって、イギリスも外相が交代して「テロ」に対する考え方が変わってきた。大いに歓迎したい。あとは、アメリカの新大統領、オバマ氏の「テロ観」がどうであるかが重要になってくる。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (0)

2009年1月19日

古い記録 (8)

 本シリーズでは、私が少年のころに書いた文章や、撮った写真をもとにして、当時の私がどんな少年で、それがどう成長していったかを辿ろうとしている。前回(1月13日)は、1970年の夏、私が18歳で初めての海外旅行をした時点まで来た。1カ月半の旅行で36枚撮りフィルムを22本分を写したが、それ以降も、私は大学生が享受する特殊な“自由”を生かして、モノクロ写真を撮り続けたようだ。
 
 撮影の対象は、別に決まっていない。近いものでは自分で作ったプラモデルのスポーツカーをだったり、庭の犬、植物、家族はもちろん、大学のある青山から、渋谷や原宿へカメラを持って歩き、町並みや人などを写した。また当時、青山学院高等部から慶応大学へ進んだ友人がいて、その友人とともに車で鎌倉や横浜などに撮影に出かけることもあった。そのころ父は『アサヒカメラ』や『日本カメラ』などの写真雑誌を購読していて、私はそれらを時々借りて、木村伊兵衛や秋山庄太郎などのプロの写真や、その他アマチュアの入選作品を見て刺激されていたのを憶えている。また、2007年10月28日の本欄にも書いたが、森山大道の型破りの写真にも魅力を感じていた。
 
 71~72年には、モデルを使った人物写真を撮っている。ポートレートのスナップは、ブラジルでも結構撮っているが、そうではなく、1人の人物を様々な角度から、また様々な恰好をさせて撮るのだ。貧乏学生だから、もちろんプロのモデルを使うのではなく、同じ大学の女友達に頼んで、モデルになってもらうのである。そんな“にわかモデル”を子供の国や横浜などへ連れて行き、写真に撮っている。
 
 こんなことを書くと、大学では授業にもロクに出ず遊んでいたように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。私は法学部の公法学科に在籍していて、専攻は国際法と国際関係論だった。私は学問が嫌いではなかったから、出るべき授業には出て、必要な単位は取得し、さらに成績も悪くなかった。だから、アメリカの大学院にも入れたのだと思う。アメリカの大学は、入学の条件として日本での成績を重視するからだ。ただ、第二外国語としてフランス語を履修したが、これはなかなか難しく、辛うじて及第点だったと記憶している。何しろ、名詞のすべてを男か女に分けて考えるというのが、どうも不合理に思え、しかも煩雑なので閉口した。大学の授業で印象に残っているのは「スピーチ・クリニック」というので、英語の発音やイントネーションに絞り込んで教えてくれる。当時の青山学院ならではの科目で、そこの先生が「Did you eat?」という英語は、「ディヂューイート?」などと言わないで「ジーート?」でいいんだ、と教えてくれたのを憶えている。
 
 こんなことは、しかし記録には残っていない。残っているのは、大学の課外で文学サークルに所属していたことだ。これは「轍の会」という名前の同好会で、『轍』という同人雑誌を発行していた。こんな書き方をすると、何かきちんとした印刷物のように思えるが、ワラ半紙にガリ版刷りのごく“原始的”な印刷物である。しかも、数回発行しただけで、ほどなく廃刊になってしまった。そんな雑誌に、私は詩や、小説のようなものを発表して、同人と合評会をしていたのである。

 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月18日

聞こえない“名演奏”

 15日の本欄に私が新宿駅の雑踏を好きでないことを書いたら、久保田裕己氏から興味ある情報をいただいた。駅の雑踏の中では、名演奏家による名曲の演奏も、ほとんどの人には分からない--そういう事実を示す実験が行われたというのだ。これは、「認めないものは存在しない」という唯心所現の教えにも通じるし、また「光を見る者に光は訪れる」という日時計主義の生き方の効果を実証している。なかなか面白い実験である。
 
 この実験は『ワシントンポスト』紙が2007年1月12日に行ったもので、同年4月8日の同紙に掲載された。それによると、この実験は同日の朝、7時51分から43分間にわたって首都ワシントンの地下鉄の駅「ランファン・プラザ」で行われた。この日は金曜日で、駅周辺は東京では「霞が関」のような連邦政府の役所が建ち並ぶ官庁街だ。ちょうどラッシュアワー時で、駅からは勤め先に急ぐ人々が毎時千人以上吐き出される。そんな所で、ジーンズにTシャツを着、野球帽を被った若づくりの男がバイオリンを弾く。その様子を、ビデオカメラが見えないところから撮影する。曲目はすべてクラッシクで、腕前はなかなかいい。このような音楽に、いったいどれほどの人が気づき、また耳を傾けるだろうか? また、この男の前に置かれたバイオリン・ケースには、どれだけの寄付が投げ込まれるか?--そういう実験である。

 結論から言ってしまうと、立ち止まって一瞬でも音楽に耳を傾けた人は7人、金を投げ入れたのは--ほとんどが立ち止まりもせずに--27人。そして、43分間で若者が稼いだ金額は、約32ドルだったという。「なんだ、そんな当り前の結果か……」と読者はガッカリしないでほしい。問題は、この“若づくりの男”が誰であり、その演奏はどの程度のものかということなのだ。
 
 同紙の記事では、この演奏家はアメリカで人気のバイオリニスト、ジョシュア・ベル氏(Joshua Bell)で、弾いていた楽器は350万ドル(3億5千万円)もしたという世界的な名器「ストラディバリウス」だそうだ。私は、ベル氏のことはよく知らないが、記事によると、この実験の2日前にボストンで開催されたコンサートはすべて売り切れており、入場料は平均100ドルだったそうだ。ウィキペディアによると、彼は当年41歳で、「インディアナ州ブルーミントンに生まれ、12歳の頃から地元インディアナ大学の名教師として知られるジョーゼフ・ギンゴールドの薫陶を受ける。14歳で、リッカルド・ムーティ指揮するフィラデルフィア管弦楽団と共演し、1985年にセントルイス交響楽団と共演してカーネギーホールにデビューを果たした。それからは世界中の主要なオーケストラや指揮者と共演している」そうだ。
 
 一流の演奏家が名器を使って弾く音楽も、「心そこに非ず」の状態の千人の人々にとっては「存在しなかった」のである。そういう意味では、私は新宿駅の雑踏が好きでなくても、モーニングサービスやノートパソコン以外にも、駅頭でもっと周囲に注目し、耳をそばだてるべきだったのか?
 
 ところで、この実験のダイジェスト版は、ユーチューブの『ワシントンポスト』のぺージで見れるから、興味のある読者はぜひ一見されたい。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (7)

2009年1月17日

父と息子 (2)

 14日の本欄で、18歳の息子を海外講演旅行に連れ出した父の意図について考えたが、その時、「本人に直接訊いたことではないので断定はできない」と書いた。が、その後、古い資料に当たっているうちに、「ほぼ断定できる」と思われる父の文章を見つけた。それは、『理想世界』誌の昭和45(1970)年8月号に載った「窓」の冒頭の一文である。当時、原稿が雑誌になるには2カ月はかかったろうから、5~6月ごろに書かれた文章であろう。講演旅行への出発はその年の7月20日である。だから、父はこの文章を書いてから講演旅行に出発したのである。以下、少し長いが全文を引用する--
 
「○数多くの動物心理学者の研究によると、全ての動物は、その幼少期に巣や箱や柵の中に閉じ込められていると、成長してからの能力に重大な欠陥が生じて来るのである。幼少期に数多くの体験をつみ、自由に飛びまわることの出来た動物は、非常に力がつき、能力があらわれる。それ故、動物は幼少期の“教育”が如何に大切かということが分る訳である。これは人間についても勿論当てはまるのであって、幼少年期に“間違った教育”をされ、“型”にはめられてしまうと、折角の才能が圧殺され、使いものにならなくなってしまうのである。それ故青年諸君は、自分で自分を限定して、自分を小さな“心の柵”の中に閉じこめるような愚かなことをしてはならない。我々は“自由”の天地で、のびのびと才能をのばそう。それは人間を“神の子・無限力”と認めることであり、思い切って新しい行動に踏み出すことである。やっても見ないうちから、“私には出来ません”といって尻込みしてしまうようなことでは駄目だ。未知の世界に勇敢にとび出して行ってこそ、そこにあなたの才能がひらける道がある。断じて自己限定するな。自己を卑小なるものと思いちがうな。“神の子・人間”を認めることだ。そしてその如く行動することが、何よりも大切である」。(p.76)

 父は私を、型にはめて育てたくないと思い、新しい体験を通して能力を磨き出したいと思ったのである。また、少々大変なことでもやってみるべきだ、と考えたに違いない。では、私は旅行先で、写真撮影以外に何をやったのだろうか?
 
 私のこの頃の記憶はまことに頼りないので、上掲誌の記録をたどってみた。すると同誌11月号の「窓」の欄外にこんな記述があった--
 
「☆7月31~8月2日迄開催された、第16回全伯青年大会は、見事目標の1万名結集を達成! 遂にブラジル青年会は、世界一の動員数を得ました。例年通り、イビランガの独立記念塔の前で、今年は青年会総裁谷口清超先生による世界平和の祈りが行なわれ、又、雅宣様もブラジルの青年会員に約40分間の講話をされ、大変な人気を呼んだということです」。(同誌、p.79)

 これを読むと、私はどうやらこの全伯青年大会で講話をすることが、ブラジル旅行での公的任務だったと推測できる。それ以外に何をしたかは同誌の文章には書いていないが、掲載されている写真には、父母が現地の高官等を表敬訪問する際に同席していたり、現地の子供に表彰状のようなものを授与していたり、戸外で人々と共に起立し、父母と並んで祈る姿が写っている。また、帰国後には、10月4日、東京・調布市の生長の家本部練成道場で「約50分にわたって、南米各地での体験をもとに、生々とした講演をされ」たという記事もそこにあった。

 私がこの2回の講演で何を話したかという記録は、残念ながら手もとには残っていない。が、父母にただついて行っただけではないことは、確かなようだ。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (1)

2009年1月16日

上を向いて歩こう (3)

 これまで本題でこのブログを書くとき、私は“大不況”とか“経済危機”などと呼ばれる今日の困難な経済状況にも「良い面」があるから、それを認めて明るく前進することを訴えてきた。例えば、昨年10月11日の本欄にはこう書いた--
 
「株価の下落は消費マインドを減退させるというが、それはそのままCO2の排出削減になるし、自然破壊の速度が鈍ることを意味する。人間の諸活動の“過剰”な部分が削り取られて、もっと自然と共存できる技術や生き方、諸制度が新たに工夫できる素地が整えられるかもしれないのである。いや、まさに今、そちらの方向に人類は大きく舵を切るべきだ。枯渇する資源を争奪して富を増やすことから、枯渇しない自然エネルギーの利用と、他国や自然との共存に向かって産業構造を切り替える時期に来ているのだ」

 また、私の生活と仕事の場である東京・原宿のきらびやかな“繁栄”については、「ヴァニティー・ストリート」(虚栄通り)と呼んで批判したり、作家の工藤美代子さんが命名した「欲望の街」という表現に賛同したりした。私がブログでいくら批判しても、世界の高級ブランド・ショップにとっては痛くもかゆくもない。が、世界的経済不況がやってくると、さすがにダメージが大きい。贅沢品や装飾品は、消費者の購入リストから真っ先に削られるからだ。その証拠に、ルイ・ヴィトンは最近、豪華な大型店の東京への出店を取りやめた。シャネルも、200人の臨時雇用者の自宅待機を決定した。が、仕事が減るだけでは必ずしも“良い面”とは言えない。仕事の内容そのものが“自然共存型”や人間の“精神向上型”に変化していくべきである。

 ところが、そうした贅沢品や装飾品の“発祥地”のように言われるフランスで、「これから精神性の向上を重視した生き方が始まる」として不況を歓迎する声が上がっているという。16日の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、『ル・フィガロ』誌は最近号の12ページを割いて、慎ましい生活のための手引を特集し、人々は今年、仕事を減らして家族との時間を大切にするだろうと予測している。専門家に言わせると、これはフランスでの“価値観の革命”だという。また、世界5大宝飾店に挙げられるモーブッサン(Mauboussin)の会長は、今回の不況からフランスの贅沢品産業を救うためには、価格の大幅引き下げをしなければならないと主張し、自ら「愛の機会」(Chance of Live)という名の1カラットのダイヤの指輪の値段を、通常より3分の1安くしたという。
 
 フランス言論界ではもっと厳しい反省が行われ、贅沢品産業が死滅することが国家の浄化に必要だという意見さえ出ているらしい。また、アメリカ式資本主義の信奉者で、就任時には、より多く稼ぐためにより多く働こうと訴えたサルコジ大統領も、考え方を変えたようだ。同大統領は先週、世界経済に道徳的価値を導入することをねらった政治家・経済人の会合で演説し、古い金融秩序は「非道徳的で制約のない資本主義によって悪用された」ため、「富の象徴が富自体より尊重されることになった」と現状を批判した。そして、国家には資本主義の過剰を規制する役割があると述べたという。

 あるインタビューの中で、シャネルのデザイナーであるカール・ラゲルフェルド氏(Karl Lagerfeld)などは、「今のような劇的な変化がなければ、創造的な進化というものは起こらない。華美や虚飾の時代は終わった。人造ダイヤを散りばめた赤い絨毯は、もういらない。私はこれを“新しい節度”と呼びたい」と言う。が、シャネルの人員整理は騒がれ過ぎた、と同氏は言い、先週同社がパリとモスクワで行ったオートクチュールのショーでは、2007年のパリとロンドンのショーより17%も売り上げが伸びたことを強調したそうだ。
 
 原宿の表参道に象徴される世界の贅沢品業界が今後、どうなるか私には分からない。しかし、虚飾や過剰な消費を反省する動きは現に世界中で起こっているのだから、この流れを生かした“自然共存”“精神向上”の産業が育っていくことを、私は心から願っている。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月15日

休日のモーニングサービス

 休日を利用して、自動車運転免許証の更新をした。更新場所は、家からいちばん近い「新宿センター」という所へ行くことにした。公安委員会から来た案内葉書によると、都庁の第二本庁舎2階にあるという。5年前も確かそこで更新したはずだが、記憶が定かでない。ただ、大勢の人が列をつくっていて、手続きに時間がかかったという印象があったから、朝一番で行って午前中にすませられれば幸いと思った。受付は午前8時半から始まるというので、それなら朝食を新宿駅周辺でとり、その足で更新場所へ行くのが効率的だと考えた。同行してくれるという妻に「待ち時間は長いかもしれないよ」と警告すると、「読みたい本を持っていくから大丈夫」という答えだった。
 
 平日の朝の新宿駅は大混雑だと覚悟して行ったが、まだ7時半すぎだったので、案外楽に歩けた。妻は月2回、西口の住友ビルへ古典文学の講義を聞きにいっているので、土地勘がある。それにひきかえ私は、新宿駅の混雑が苦手で、特に迷路のような地下街は敬遠してきた。そこで、朝食場所探しを彼女に任せると、妻はすぐにコーヒーショップやレストランのある場所へ私を連れて行ってくれた。
 
Mtimg090115  喫茶店でモーニングサービスを食べるなど、何年ぶりかと思う。前回、モーニングサービスを食べた時の記憶はまったくない。ひょっとしたら記者時代以来かもしれない。何かわくわくした気持で妻の見つけた店に入り、それをメニューから注文する。出てきたのは、側面が波を打った楕円形のグラタン皿のようなものの中に、サラダとオムレツとトーストを盛り上げた“豪華版”だった。名古屋の喫茶店のモーニングサービスはスゴイと聞いているが、それほどではなくても、私には十分な量だった。

「時間がかかる」と思っていた免許証更新は、流れ作業のような手続きによってテキパキと進み、9時半すぎには終ってしまった。交付された新しい免許証にはICチップが埋め込まれていて、そこに個人データが記録されているという。その代り、免許証の表面にある「本籍地」の欄が空欄である。説明によると、本籍地の情報はICチップには記録されていても、表示されないのだという。今回は本籍地が空欄だが、次回以降の更新で「住所」も「氏名」も順次表示されなくなるとか。個人情報保護のための措置だというが、何となく奇妙な感じだ。最終的には、「普通」とか「中型」などという免許の種類と、顔写真だけが表示されるようになるらしい。

 都庁から新宿駅へもどる途中で、発売されたばかりの小型ノートパソコンのデモをやっていた。ソニーのVAIO「タイプP」という製品で、“ポケットスタイルPC”と銘打ち、「ズボンのポケットに突っ込んで持ち運べる」という触れ込みだ。私はこの類の小型パソコンを待望していたから、さっそくキーボードのテストをしてみた。ソフトなタッチで打ちやすいことは打ちやすい。が、使いなれている現有のレノボ製品のような“指応え”がなくて、頼りないといえばいえる。また、小型化しているだけあって、キーの配置がやや不自然だ。特に、頻繁に使う[Enter]キーの位置が現有のものと若干ズレているのが気になった。が、これらは慣れの問題かもしれない。気に入ったのは、重さが「640g」と軽い点。ただ、問題はその価格が「約10万円」と高いことだ。他社の動きを見てから、また考えようと思った。

谷口 雅宣

| | コメント (6)

2009年1月14日

父と息子

 前回の本欄で、父が18歳の私を海外への講演旅行に誘った理由について触れた。これは、本人に直接訊いたことではないので断定はできないが、子供の教育や教団運営における父の「自由尊重」の精神を実地に体験している立場から考えると、「もっと広い世界を見せてやろう」という父の愛と子への期待が背後にあったと信じる。
 
 1970年の父母のブラジル講演旅行の翌年に発刊された父母の共著『通い合う愛』(日本教文社刊)の中に、父が自分の父(荒地清介)について書いている文章がある。私の父は、結核療養所に入っていた時に自分の父が亡くなったことを、次のように表現している--
 
「私が療養所に在所中、父が山口市で死没したという報を受けましたので、私は急いで帰郷致しましたが、父の死に目には会えませんでした。私の成育を楽しみとし、私の行動にたいして全面的に信頼して、私の自由を完全に許してくれた父が死ぬ迄に私は何一つ親孝行の行ないをせず、未だ社会に出て安心させることもなく、遂にあの世へ旅立たせてしまったかと思うと、私は涙が流れて仕方がありませんでした」。(p. 250)

「息子に自由を与える」という教育法は、だから父が荒地の祖父から学んだものであることが分かる。父の場合、それによって紆余曲折はあったものの結局、生長の家の信仰にたどりついき、そして「この生長の家の大真理を、全人類に向かって宣布する使命を戴いたことを、誠に幸せであると思うものであります」(谷口雅春大聖師追善供養祭での言葉)との実感を得たのである。だから、父には「自由を与える教育は正しい」との信念があったことは疑う余地がない。
 
 ところで、父は1970年の14前、36歳の時にもブラジル等へ講演旅行をしている。この際は足かけ5カ月間の長旅で、しかも初めての海外旅行である。そして、その印象を、後の著書『キリスト』の「はしがき」にこう記している--
 
「私がブラジル、ペルー、アメリカ等に講演旅行を続けていたとき、本書の出版計画が私に知らされたのであった。私はその頃、痛切にキリストの偉大な御教えとその業績に打たれていた。ブラジルの街々を訪問すると、先ず第一目につくのが、高くそそりたつキリスト教会であり、キリストの像であった。凡ての国民によって日曜日は教会へ行く日と定められ、カナダ等では酒類の一般販売も禁じられ、日曜日のスポーツ、娯楽等も制限せられて聖なる信仰の集いが護られている州も沢山あった。私はこれら新大陸に於て今もなおキリストが生きつづけているのを感じた」。
 
 このような強い印象を、息子にも味わわせてやりたいと思ったに違いない。当時の日本は政情不穏が続き、学生は勉強などせずデモや投石を繰り返しているばかりだ。そんな中で、狭量な右翼少年のまま大学生活に入ってほしくない。もっと広い世界を知れ!--私には、そんな父の声が今も聞こえるような気がするのである。

 父が最初に出した本は、谷口雅春先生との共著『世界光明思想全集』である。これは、小冊子ではあるが全40巻ある。この全集が完結した年に、私が生まれた。その一部は、後に谷口清超宗教論集第5巻『光明思想の先駆者』(1971年、日本教文社刊)に収録されるが、その本の「はしがき」に父はこう書いている--
 
「これは“光明思想”の源流をさぐり、それを要約・紹介したものであり、この仕事もまだ完成されているわけではないが、既刊の中からも、その全部をここに収録することは出来なかった。それ故、世界の光明思想家の中のごく一部の人々の紹介にとどまるけれども、これらの人々は非常にすばらしい“神の子・人間”の境地に達せられた人々であり、吾々の信仰ときわめて近似しているのである。そこで、この一篇をひもとくことによって、きっと広大な光明思想の霊的裾野の原野を眺望し、その頂上のいかに高きかを推察して頂けることを確信する」。

 この文章が書かれたのは、父が息子を連れて海外講演旅行を行った翌年の秋である。生長の家を、東洋の小国に生まれた狭量な右翼的信仰運動だと考える視点は、ここにはない。このような“広い視点”を息子にもたせたいという願いが、父の本心だったと私は思う。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (3)

2009年1月13日

古い記録 (7)

    ブラジル旅行で撮った22本のフィルムには何が写っているのか?--その答えは「何でも」と言ってしまっていいだろう。機上から雲や地上を撮ったもの、空港、道路、家並み、街角、海岸、山、瀑布、家畜、鳥、そして人、人、人……。初めて外国を見た少年は、見慣れない、珍しいものを見るたびにレンズを向け、シャッターを押した--そんな様子が残されたフィルムから推測できる。が、その中で「人」が写っている写真が案外多いことに気づく。当時はまだ、日本で外国人を見かけることが少なかったから、“日本人的でない顔”が珍しいのは分かる。しかし、フィルムには日系人の顔も多く写っているから、私が人間一般とその(海外での)生き方に興味をもって写真を撮っていたことは確かだろう。

 カメラを通して、また当地の人々との約1カ月半の接触を通して、私は日本にいた頃の“狭い世界”の外には、実に広大な地球があり、そこには多様な人々と、それらの人々の営みが織りなす複雑で豊かな世界があることを感じて、旅行から帰ってきたに違いない。これによって、“尊大な右翼少年”の世界にヒビが入ったとしても、それは成長の一過程にすぎず、誰の責任でもない。いや、私をこの旅へ誘った父は、むしろ息子が狭い心の殻を破ることを期待していたのではないかと、今にして思うのである。

 さて、この旅行で撮った写真から数枚を下に掲げる。いずれ、まとまった形でご覧に入れることができるかもしれない。

A2801s A2809sA2921sA3603s

 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月12日

古い記録 (6)

 今日は「成人の日」の休日であったが、わが家の子供たちはみな“成人済み”であるので、1日静かに過ごした。こういう日には昔の記録の整理をすることにしているので、ちょうど私が成人した頃の写真をネガ専用のアルバムに収納する作業をした。それらの写真が今から37年も前のことだと思うと、自分も年をとったものだと、苦いような、懐かしいような、複雑な感慨が湧いてくる。

 昨年12月26日に、18歳のころの私の様子を少し書いたが、写真の整理をしながら思い出したその続きの話をしよう。私が青山学院高等部を卒業して、同学院の大学に入学したのは1970(昭和45)年の4月である。この直前に書いた私の文章を前回に少しご披露したが、相当カタブツで尊大な“右翼少年”であったことが窺われる。当時の騒然とした世相の危機を感じ、学生運動を初めとした左翼の動きを亡国的革命運動としてとらえ、その原因はすべて“占領憲法”にあるとの単純な論理に心酔していた感がある。そんな高校3年生が大学に入れば、当然、反左翼の学生運動--当時は“民族派”と呼んでいた--に身を投じるはずである。が、私の場合はそうならなかった。その理由の詳しいことは、いずれ書く機会もあるだろうから、その時に譲ろう。

 今回は、私と写真との関わりについて書く。それは、あれから35年以上たった今、何日もかけて整理しなければならないほどの写真が、そもそもなぜあるのかという理由になるだろう。父の追善供養祭の時には、故人の「自由を愛する」信条について述べ、それがなければ今の私はないという話をした。これは、父の精神的遺産であるが、これに対して“技術的な遺産”とも呼べるものが写真である。父が写真を数多く撮ったことは、本欄の読者はご存じと思う。父のほとんどの著書の表紙カバーには、自分で撮った写真が使われており、毎年の日めくり型“日訓”の表紙にも、父の写真が使われてきた。父はこれらの写真を、何台ものカメラと交換レンズを組み合わせて撮ってきただけでなく、フィルムの現像を--モノクロだけでなく、カラーも--自分で行った。そのための暗室が家にあるが、この場所は父の手作りである。私は、高校生の頃から、父に誘われてカメラをいじり、大学入学後は暗室作業もするようになった。

 だから、私が高校時代、新聞を発行する出版部に所属することになったのは、父の影響があると言える。写真を撮ることは新聞記者の仕事の一部だからだ。自宅に保存されている写真のネガで、私が撮った一番古いものは、1967年のものだ。私が高校1年の夏、青山学院高等部の生徒会の研修会が高峯高原であり、その様子を35ミリのハーフサイズのカメラで撮っている。その後、前に本欄でも紹介した大学での学生運動の写真、修学旅行で九州へ行った時の写真、生長の家の青年会全国大会、学校の文化祭、クラブ活動、教室のスナップ写真などが、20本ほどのネガの中に収められている。3年間で20本というのは、大した数ではない。だから、高校時代の私の写真の趣味は、それほどのものではなかったといえる。
 
 しかし大学に入ると、その数はいきなり幾何級数的に増えるのである。その契機になったのは、初めての海外旅行だ。これは、18歳の私にとっては“海外旅行”だったが、生長の家の運動ではその年のきわめて大きな行事であった。『生長の家五十年史』(1980年、日本教文社刊)によると、この騒然とした“70年安保”の年の7月20日から9月4日までの47日間、当時、生長の家副総裁だった父は、白鳩会副総裁だった母とともにブラジルへ講演旅行を行った。私は、その両親について行ったにすぎない。一大学生であった私には、生長の家の公式の役職は何もない。なぜついて行ったか私は憶えていないが、そのとき51歳だった父の方からアクションがなければ、私の同行はあり得なかったに違いない。この時、私は使っていた「アサヒペンタックスSP」という一眼レフ式カメラと交換レンズを数本もって、旅先でスナップ写真を撮りまくった。その時の写真はすべてモノクロだが、36枚撮りフィルムで22本が残っている。平均すると、1日当たり18枚ほど撮ったことになる。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (1)

2009年1月11日

ジャガイモ2色

Mtimg090110  妻の実家からジャガイモが送られてきていたのを見て、その形と色に惹かれた。特に赤皮のジャガイモはあまり見たことがなかったので、「サツマイモみたいだなぁ~」などと思いながら絵に描いた。

 ものの本を調べてみると、ジャガイモは日本には明治以降、もっぱら欧米から導入されたものの、最初の栽培は西暦500年ころの中央アンデス中南部の高地だったという。ジャガイモの名称は、「ジャカトラ(現在のジャカルタ)港からオランダ船によって来たイモ」という説があり、これによるとわが国への伝来は江戸初期になるが、その頃の著作には名前が出て来ないらしい。栽培記録として最古のものは、宝永3(1706)年に北海道の瀬棚で植えたというものがあり、本州では明和年間(1764~72年)に甲斐(山梨県)の代官が栽培を奨励したというのがあるらしい。とにかく、寒冷地でもよく育つので、昔から食糧として世界中の人々から愛されてきたものだ。

 どこかにも書いたと思うが、妻はサツマイモ党であるのに対し、私はどちらかというとジャガイモ党だ。別にサツマイモが嫌いというのではないが、子供の頃から煮っ転がしやポテトサラダを食べていたからかもしれない。
 
 ところで、この赤皮の品種を特定しようと思ってネットで調べたが、写真を見てもなかなか分からない。赤い皮のジャガイモは珍しいと思っていたが、「ジャガイモ品種解説」のサイトを覗いたら、紅丸、ベニアカリ、花標津、スタールビー、レッドムーン、アイノアカなど、結構たくさんあることを知った。家にあるのは赤皮で黄肉だから「スタールビー」ではないかと思うが、自信がない。博学の読者からの御教示を待つ。
 
谷口 雅宣

| | コメント (3)

2009年1月10日

無神論を広告する (2)

 前回本欄で紹介した「無神論者バスキャンペーン」(Atheist Bus Campaign、ABC)の動きは、欧米で大きな論争に発展しつつあるようだ。キリスト教信者が多いこれらの国々では、無神論者であることは、ひと昔前のゲイの人々がそうであったように、何か“肩身の狭い”思いがともなってきたようだ。しかし、イギリスを起点としたこのキャンペーンを契機にして、無神論者の“カミングアウト”が始まったとの見方もある。
 
 ネット上には、すでに無神論者バスのオフィシャル・ウェブサイトが作られていて、大手SNSのフェースブック上でもそのグループが活動している。10日夜の時点で、そのグループの会員数は1万5千人を超えている。さらに、各地にバス広告を走らせるための資金カンパ用のグループもできている。これに対して、同じフェースブックに「無神論者が進めるバス広告に反対する」(Against Atheist Promoting Bus Adverts)というグループも作られている。

 1月7日付のイギリス紙『ガーディアン』によると、ABCの活動は、伝統的にカトリック信者の多いスペインにも広がっている。今週、同国で初めてのキャンペーンがバルセロナ市で行われるという。バスに掲げる広告文は、イギリスでのものの忠実な翻訳らしい。そして、その後、マドリッドやヴァレンシアでもキャンペーンが行われる予定だ。
 
 これに対し、バルセロナのカトリック大司教は、「神への信仰は心配のもとにはならないし、人生の楽しみの障害にもならない」と反論している。また、教会関係者の中には、この広告キャンペーンを「すべての宗教に対する攻撃だ」と非難し、それに許可を出した政府に対して怒りを振り向ける人もいる。
 
 同紙は、スペインのカトリック教会側のこういう動きに関連して、教会がしだいに政治問題に関わるようになってきたことを指摘している。同教会は、サパテーロ首相の社会党政府が同性婚を認め、離婚手続きを簡略化し、学校の授業から宗教教育の時間を減らそうしていることに一貫して反対してきたし、妊娠中絶法の改正の動きにも反対しているという。同国では国と教会は形の上では分離しているが、教会は政府の資金援助を受けている。だから、スペインにおけるABCの活動は、イギリスにおけるよりも物議をかもし出す可能性がある。

 谷口 雅宣

| | コメント (1)

2009年1月 9日

無神論を広告する

「悔い改めなさい」「神を信じなさい」--年末の渋谷や原宿の駅頭には例年、そんな声が響きわたる。昨年末にもそんな光景を私は何回も見た。彼らはどこからともなく姿を現し、プラカードにそんな言葉を掲げ、プラカードに付けたスピーカーから録音の声を響かせて、駅頭に立つ。これは言わば「神」を広告しているのだ。私にとっては一種の“同業者”だから、それはそれでいいのだが、広告の方法にもっと工夫があっていいと、いつも思う。今日の我々は、あらゆるものが広告物となり、また広告媒体になる時代に生きているから、こんな形での「神」の広告も許されて当然だ。が、「神はいない」という広告はどうだろう? 日本のように表現の自由が許されている社会では、もちろんそんな広告があってもいいはずだが、私はまだお目にかかったことがないし、聞いたこともなかった。が、イギリスで昨年、そんなキャンペーンが展開されたという。8日付の『ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。

 同紙によると、この広告キャンペーンは、『ガーディアン』紙のウェブサイトから生まれたそうだ。ある日、コメディー作家のアリアン・シェリーン氏(Ariane Sherine)は、このサイトに短い評論を書いて、宗教の宣伝とは逆のことをしてもいいはずだ、と日頃の不満を漏らしたという。というのも、彼女がバスの側面に貼った広告を見て、ある宗教サイトにアクセスしたところ、「不信仰者は永遠の業火に焼かれる」などと書かれているのを見て、根拠も示さずにヒドイ言い草だ、とカチンと来たのである。すると、彼女の評論を読んだ人の間に共感者のグループが生まれ、「神はいない」というメッセージをバスに貼る「無神論キャンペーン」の計画ができ上がった。昨年10月にこの計画が発表された時、この有志グループは8千ドルほどの資金が集まればいいと考えていた。が、この計画には、『利己的遺伝子』で有名になった無神論科学者のリチャード・ドーキンス氏(Richard Dawkins)や、哲学者のA・C・グレーリング氏(A. C. Grayling)、英国ヒューマニスト協会(British Humanist Association)などが乗ったため、わずか4日間で15万ドルが集まり、すぐに20万ドル以上の資金になったという。

 そして昨年末、800台のバスを使って英国全土をめぐるキャンペーンが行われた。そこに使われたのは、こんな広告文だった--

「たぶん神はいない」
「だから安心して人生を楽しんで!」

 これはかなり直接的な表現だが、同様の趣旨で昨年11月にアメリカのワシントンで行われた広告キャンペーンでは、サンタクロース姿の男の写真の上にこんな文字をかぶせた、もう少し婉曲な表現が使われたという--

「なぜ神なんか信じるの?」
「ただ“善い”だけでいいじゃない」

 イギリスの広告を仕掛けたグループは「無神論者バスキャンペーン」(Atheist Bus Campaign)という名前で、来週には、ロンドンの地下鉄に1千枚の広告ビラを掲示する計画だという。

 上の広告文は、もちろん英語からの翻訳である。原文は、最初の2本が「There's probably no God.」と「Now stop worrying and enjoy your life.」。2番目の2本は「Why believe in a god?」と「Just be good for goodness's sake.」だ。2番目の2本目の英語は訳しにくいので、かなり自由訳にしたが、意味はそう変わらないと思う。

 イギリスの広告文の背後にある考え方は、興味深い。人々は「神がいて見ている」という意識のもとにビクビクとして生きているというのだろうか? 「神の存在」と「人生の享受」とが両立しないとの前提が透けて見える。これに対しアメリカの広告文は、アメリカ的な明るい楽観主義が感じられる。神など信じなくても、人間は善なる生活ができるという前提があるようだ。そこで、私がこの広告キャンペーンに反論を試みるなら、どんな文章を掲示するか考えてみた--
 
「人生は素晴らしい」
「だから神は無神論者も愛される」

「なぜ神を疑うの?」
「自分の“良心”は疑わないのに」

 読者も、反論広告を考えてみては?
 
 谷口 雅宣

| | コメント (13)

2009年1月 8日

「テロとの戦争」をやめよう (2)

 まもなく始動するオバマ新政権下の駐日大使に、ハーバード大学教授、ジョセフ・S・ナイ氏(Joseph S. Nye, Jr.)が起用されるらしい。今日の『朝日新聞』夕刊が1面トップで伝えている。政権発足前に駐日大使が決まるのはきわめて異例であるだけでなく、すでに名前が上がっている国家安全保障会議(NSC)のアジア上級部長、国務省の東アジア・太平洋担当次官補、ペンタゴン(国防総省)のアジア・太平洋担当次官補などの顔ぶれと合せて見ると、「日本に厚い配慮をした布陣」であり、オバマ政権の東アジアにおける“日本重視”の姿勢が明らかになったというのが『朝日』の分析である。これまで『産経新聞』などは、オバマ政権は日本よりも“中国重視”だとの予測をしていたようだが、そういうわけでもなさそうである。
 
 日米は長い同盟関係にある一方、米中の間に同盟関係はないから、アメリカの“日本重視”は当り前といえば当り前である。しかし、一国の影響力という点では、人口や経済力、軍事力の面で中国が日本に勝ることも自明だから、アメリカが“中国軽視”をすることもないだろう。中国は核兵器をもち、アメリカの国債を大量に保有しているから、軽視などできるはずがない。外交や国際関係は、“重視”とか“軽視”などという単純な言葉で表すことはできないものである。
 
 そんなことよりも、ナイ氏の起用によって、アメリカが唱導してきた“テロとの戦争”が終わるのではないか、と私は期待している。というのは、『朝日』も指摘しているが、同氏は外交に軍事力などの“ハードパワー”を多用するよりも、価値観や文化などの“ソフトパワー”を活用することを唱えてきた人だからだ。ブッシュ氏は、ご存じのように、国際関係の中に“善”と“悪”の二項対立の考え方を持ち込み、かつてはイラク、イラン、北朝鮮などを“悪の枢軸”と決めつけて、それらとは交渉も拒否し、軍事力をもって対峙する外交政策を展開した。理由は、それらの国が「テロを支援している」というのである。そして、9・11以降は、それら“支援国家”を含めた“テロとの戦争”を唱導して、圧倒的な軍事力によってアフガニスタンのタリバン政権を倒し、イラクのフセイン政権を転覆した。が、この“ハードパワー”優先の政策が何をもたらしたかは、今の我々はよく知っている。“悪”を認めて、それに大量のミサイルを撃ち込んでも、“悪”は破壊されなかったのである。
 
 これに対して、ナイ氏は、文化の違いや考え方の差、心理的な行き違いなどからも紛争が生じることがあるから、そういう“ソフトパワー”の活用によっても紛争の処理や仲裁は可能だとするのである。私は、同氏の論文を数多く調べたわけではないが、2007年2月10日の本欄で紹介した論文には、そういう考え方がよく表れている。この論文でナイ氏は、2005年7月のロンドンでのテロ事件に関連して、“テロとの戦争”という言葉の使い方に大きな問題があることを指摘している。当時の本欄の文章から引用すると--
 
「ナイ教授によると、イギリスの情報機関であるMI5がテロリストを取り調べたところ、彼らの心の軌跡には共通したパターンがあることに気がついたという。それぞれのテロリストは、過激思想や、様々な社会的・政治的不満をもっていることは確かだが、そういう若者に宗教的使命感にも似た精神の高揚や、より大きな目的意識をもたせて行動に至らせるものは、“戦争”という言葉や、“戦い”をめぐる物語なのだという。アルカイーダは、そういう単純だが強力なメッセージをメディアやインターネットを通じて伝達する能力に優れているらしい。テロ行動に出た人々の間には、<イスラーム社会は今、西側諸国から一斉攻撃を受けている。だから、イスラーム信者は世界中で、イスラーム共同体を敵の攻撃から護るのが信仰者個人としての義務だ>という考え方が浸透しているというのだ。そんな中で、西側諸国が“戦争”や“”戦い”という言葉を使えば、彼らの信念をより強固にし、テロ活動への参加者を増やすことになる」。

 もう2年も前の分析だが、このようなイスラーム社会内部の「心の問題」に注意を払いながら外交を展開していくことが重要だと考える人は、きっと日本社会内部の「心の問題」にも留意して日米関係を考えてくれるものと私は期待する。とにかく、「テロとの戦争」という“悪”の存在を前提とした看板は、早急に下してもらえるとありがたい。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (2)

2009年1月 7日

バイオ燃料で日米協力を

 日本における環境対策について、2回ほど“夢のような話”を書いた。そこで今回は、もう少し現実的なことを書こう。とは言っても、“夢”の代りに相当“期待”が混じっていることは否めない。そして、今度はアメリカの話だ。日本が不況下に“経済優先”で環境問題への取り組みを遅らせているあいだに、オバマ政権率いる“新しいアメリカ”は、環境対策で日本を追い抜くかもしれないのだ。

 京都議定書を取りまとめた日本政府だが、「温暖化は存在しない」などとうそぶいていたブッシュ氏の消極姿勢に気がねして、温暖化対策にはこれまで積極策を採らなかった。このため、今や同議定書で表明した国際公約を守れない可能性が現実化している。そんな中で、オバマ次期大統領に任命されたアメリカの新しいエネルギー相は、温暖化抑制のためにかなり積極的な対策を講じそうだ。この人はスティーヴン・チュー氏(Steven Chu)という人で、カリフォルニア州バークレー市にあるローレンス・バークレー国立研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)の所長。永年、「自動車や火力発電所や産業から排出される二酸化炭素が、地球温暖化の直接の原因だ」と明確に述べ、早急な排出削減を求めてきた科学者であるという。だから、アメリカのエネルギー政策が大きく転換する可能性があるのだ。1日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。
 
 それによると、チュー氏はまだエネルギー政策について公式に発言していないが、これまでの彼の行動を見れば今後の予想ができる。チュー氏は、2004年にバークレーの国立研究所の所長になり、生物エネルギー合同研究所(The Joint BioEnergy Institute, JBEI)を傘下に作った。このJBEI(ジェイベイと読む)は今、エネルギー省から5年間で1億3500万ドルの予算を得て、合成生物学の技術を使って植物繊維を燃料に換える研究を進めている。しかし、チュー氏が所長になった当時、国立研究所ではこの分野の研究がほとんど行われていなかったという。研究員は、それぞれがバラバラのテーマの研究をしていたところへ、チュー氏が来て、研究の方向性を「燃料」に絞り込んで研究者を集めたという。これには、チュー氏のネームバリューが役に立ったようだ。というのは、彼は1997年のノーベル物理学賞の受賞者の1人だったからだ。

 今、トウモロコシやサトウキビから作られているバイオエタノールは、食糧との競合の問題が指摘されていることは、本欄で何回も書いてきた。この“第1世代”のバイオ燃料の後には、食糧と競合しない雑草などから燃料を作る“第2世代”の開発が求められており、その分野の研究に早い時期から取り組んできたのがチュー氏である。だから今後、アメリカが第2世代のバイオ燃料の開発を加速させることが十分予測できる。日本でも、本欄で触れてきたように、食糧と競合しない竹、籾殻、木材などを原料とする第2世代のバイオエタノールの研究は進んでいる。

 また、北海道との関連で言えば、昨年9月1日の本欄で紹介したススキの一種「ジャイアント・ミスカンサス」(GM)は、トウモロコシよりも有望のようだ。GMは現在、北海道大学と米イリノイ大学が共同研究しているところだから、この分野での日米協力を両国政府が本格的に支援してくれることを、私は大いに期待している。
 
 谷口 雅宣
 

| | コメント (1)

2009年1月 5日

北海道“夢の国”計画 (2)

 私の“初夢”的構想から生まれた「自然資本産業省」(自産省)は、北海道にあって何をするのか? それを述べる前に、この機関の設立の前提となっている「自然資本」(natural capital)の考え方を簡単におさらいしておこう。

 自然との一体感を重んじる我々日本人にとっては、この概念はむしろ“当り前”であって不思議なところは何もない。ごくごく簡単に言えば、「手つかずの自然には価値がある」ということだ。しかし、今日の政治経済制度では、この当り前の考え方が「ものの値段」に反映されていない。最も分かりやすい例は、土地の値段である。賃貸アパートや戸建て住宅を探した経験のある人はよくご存じだが、土地の値段は「駅から○分」「バス停から○分」「○○空港から何分」というように、「人工物からの距離」で評価される。もちろん、距離が短い方に“価値がある”とされるのである。これに対して、手つかずの自然がある土地は“価値がない”とされているから、「大雪山頂から○分」「富士山頂から○分」「阿蘇内輪山から○分」などという不動産表示はない。誰もそんな土地をほしがらないと思われているのだろう。

 が、しかし、我々は「手つかずの自然には価値がある」ということを学んできた。神道や仏教、修験道が信仰の対象や施設をわざわざ山奥に設置してきたのはそういう理由だろうが、現代においてもエコロジー(生態学)を学んだ人間には、そのことは自明である。にもかかわらず、現在のほとんどの国の経済制度では、「手つかずの自然」の価値はものの値段に反映されていないか、反映されていても、その評価は最小限だ。これをきちんと貨幣価値に置き換えて評価しようというのが自然資本の考え方である。

 私は2002年8月の本欄で、地球全体での自然資本を貨幣価値で表した研究を紹介した。この研究者は手つかずの自然に、①気候調整、②土壌形成、③栄養素の循環、④野生種の動植物提供、⑤燃料・繊維類・薬草の供給、⑥自然美の提供などの価値を認めて、それを具体的な数値(ドル表記)で表したのである。それによると未開発の地球の自然の価値は「年間平均38兆ドル」という。これが、開発による環境破壊で「毎年2500億ドル」の損失を生んでいるというのだ。詳しくは、上記の本欄や拙著『足元から平和を』(2004年、生長の家刊)を参照してほしい。
 
 この考え方を経済に導入する1つの方法は、健全な生態系を維持している自然環境を管理している人には、その生態系サービスの価値に該当する対価を支払う、ということである。森林の間伐や下草刈り、養蜂、食害を防ぐための狩猟、田圃の維持などに「生態系サービス」補完の意味を認め、正当な対価を払うのが理にかなっている。これに対して、海外からの輸入品や地元産以外の物品に対しては「カーボンフットプリント」の概念を導入して、環境への負荷(生態系サービスに対するマイナスの価値)を値段に反映させるのがいい。同じことは、森林を伐採して農地や商業地に転換すること、道路を建設して森林を分断し、あるいは地下水脈に損害を与えること、工場や動力源から有毒物質や有毒ガス、温室効果ガスを排出することにもいえる。これらの行為は、生態系へのマイナスの価値としてきちんと円貨で評価して、製品やサービスの値段に反映させる。これをいきなり日本全国に導入するには、かなりハードルが高いだろうから、食糧の自給が可能である北海道にまず導入する。食費の変動を最小限に止めるためである。

 北海道でのもう1つの問題は、長い冬場のエネルギー消費と広大な土地を往き来するための燃料コストである。これは、自然エネルギーの全面的導入と、自動車の全面電化によって対応する。そのためには、「炭素税」の施行が必要だ。これは、CO2の排出量に応じた税金であるから、航空機やガソリン車、ディーゼル車による人と物の移動が、電気自動車より高くつくようになり、買い替えが進む。また、これによる税収は、各種の環境対策に使われる。具体的には、私はこれを、①自然エネルギーの振興と、②電気自動車のインフラ整備に使うのがいいと思う。自然エネルギーでは、道ではすでに風力、太陽光、バイオマスなどが利用されているが、これをもっと大々的に導入するための補助金とする。そして、作られた電力を配電網に供給して全道で共有する。ここで、「農業」と「産業」と「エネルギー」と「環境」という4つの政策の調和が必要になるが、そのすべてを管轄する自産省においては、問題は比較的少ないだろう。
 
 自動車の電化計画について、少し補足しよう。すでに昨年12月8日の本欄に書いたが、電気自動車(EV)の本格的導入は北海道のような広さの土地がやりやすいようだ。実際、これをポルトガルやイスラエル、デンマークなど北海道サイズの小国で積極的に展開しているベンチャー企業がある。日本のEVとそれに使うリチウムイオン電池の技術は、インフラさえ整備できれば、連続走行距離は実質的に無限大に延長できる段階まで来ている。このインフラとは、高速給電と電池交換ができる給電所網である。この給電所が提供する電気を風力や太陽光、バイオマス発電から得られれば、EVの利用は限りなく“炭素ゼロ”に近づいていく。そして幸いなことに、北海道では風は多く、日照時間は長く、バイオマスは豊かである。
 
 こうして“炭素ゼロ”と食糧自給、自然と産業との調和が実現する土地には、やる気のある起業家や若者が先を争って移住するに違いない。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (3)

2009年1月 4日

北海道“夢の国”計画

 「夢」という言葉にはいくつかの意味がある。「夢を描け」とか「夢のある話」などという場合は、「理想」とか「未来への展望」などという肯定的な意味合いが含まれる。その一方、常識を欠いた荒唐無稽な話は「夢のような話」とか「夢物語」と呼ばれて、否定的にとらえられる。これから書こうとしているのは、恐らくこの2つの中間的な意味での夢の話だ。まぁ正月に見る“初夢”のようなものとして聞いていただければ幸いである。
 
 私は、北海道を“半独立国家”としたい。それを今年に行われる総選挙の公約とし、「日本大改革党」という政党を旗揚げしよう。英語名は「Revolution-in-Japan Party (RIJ)」--通称「リッジ党」だ。なぜ北海道かと言えば、そこは日本列島最大の島であり、最大の地方公共団体であり、本州とは国際海峡によって分離され、広大な大陸的地形と自然環境を有し、また歴史的にも進取の開拓精神に富んだ人々が「Boys be ambitious!」の声に共鳴して、それこそ“夢”を描きながら愛情をもってつくり上げてきた土地であるからだ。日本を改革するのであれば、このように地理的な独自色と自由度を有し、進取の改革精神が存在するところから始めるのが、最も合理的である。

 私は、北海道が好きだ。上に挙げた理由以外にも、そこに住む人々の物事に捉われず、しかも親身になって相互協力し合う平等精神が好きだ。これらは、「男女×歳にして席を同じうせず」などという旧い文化が通用しない厳しい自然環境の中で育まれてきたもので、アメリカの開拓精神とも通じるところがある。人間はこのような中から、豪壮で斬新で、新時代を切り拓くような力に満ちたアイディアを生み出すものである。オバマ政権の“後追い”をするわけではないが、今人類が直面している文明的変化(1月1日本欄参照)に正しく早急に対応するには、日本においては「北海道」の自然と人間の活力を動員することが最も有効だと考える。

 リッジ党が政権を取った暁には、首都機能の一部を札幌に移転する。これに先立って、行政機構の大幅再編を行う。省庁では環境、農林水産、経済産業の3省を合併して、「自然資本産業省」(自産省)を設立する。国土交通省は廃止し、同省内にあった観光庁と北海道開発局は自然資本産業省に組み入れ、残る気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁は総務省へ編入する。これにより、自然そのものの価値を認める「自然資本」の考え方にもとづいた産業育成の考え方が、初めて行政に反映されることになる。環境行政は1本化し、不要な道路建設は極力避けられるだろう。この新しい自然資本産業省を札幌に設置するのである。
 
 自産省の構想は、イギリスの環境食糧地域省(Department for Environment, Food and Rural Affairs, Defra)の考え方に倣ったものである。この新しい行政機構は、2001年6月、旧農業水産食糧省(Ministry of Agriculture, Fisheries and Food, MAFF)、旧環境交通地域局(Department of Environment, Transport and the Regions, DETR)、それに内務省(Home Office)の一部が合併して設立された。理由は、MAFFが口蹄疫の蔓延に十分対処できなかったとの反省からである。Defra の主な政策目標は「持続可能の開発」(sustainable development)である。それは、「世界の全ての人々が基本的な必要を満たしたうえ、未来世代の生活の質を犠牲にすることなく、より豊かな生活の質を享受できる種類の開発」と定義される。1国の行政機関が、「世界のすべての人々」を対象にするという、このような広大な目標のもとに組織されたことは、まさに画期的と言うべきだろう。同省が管轄する範囲は、農業と環境、持続的開発、気候変動・大気汚染への対応、自然環境保護、動植物・農業地域の保護育成など、かなり広い。

 私が注目しているのは、Defraが、農業や水産業に環境保護の役割を認め、保護育成していくことで持続的開発を実現しようとしている点だ。また、環境保護と両立した農水産業の育成を行うことで、イギリスの食糧自給率を第二次大戦前の3割台から7割へと大幅に改善してきた実績があることだ。その手段として補助金が使われてきたが、日本のように「コメを作らないこと」に対して出すのではなく、「自然環境を維持・管理すること」に対して出すという自然資本の考え方が明確に導入されていて、合理性がある。わが国のように、環境と農水産業を管轄する役所が分離している状況では、このような政策の実行は難しいだろう。

 私の自産省の構想では、これにさらに農水産業以外の産業を加えた全産業を1つの省に管轄させるのである。というのは、北海道の場合、自然エネルギーによるエネルギー自給の可能性があると考えるからである。これをスムーズに行うためには、資源エネルギー庁を経産省の傘下に置いておくのでは農水産業との連携プレーが難しい。また、自然エネルギー開発に伴う環境問題に有効に対処するためにも、環境、農水産業、資源・エネルギー供給の三者を統括する官庁が必要だと考えた。確かに、1つの役所だけが肥大化することは好ましくない結果を招く恐れはある。それが心配の場合は、経産省から資源エネルギー庁だけをはがして自産省に組み入れる選択肢があるかもしれない。
 
 さて、こうしてでき上がった自然資本産業省だが、北海道の地に設置されて一体何をするのか--そのことは、次回以降に語ろう。
 
 谷口 雅宣

| | コメント (5)

2009年1月 1日

新年のごあいさつ

 読者の皆さん、新年明けましておめでとうございます。

Newyear2009  旧年中は、本欄を通じて多くのご支援、ご鞭撻をいただいたことを心から感謝申し上げるとともに、本年も従来にも増してご愛顧くださりますようお願い申し上げます。また、昨年の父の昇天に際しては多くの方々から暖かい励ましのお言葉を賜りましたこと、感謝にたえません。さらに12月の追善供養祭には、多くの皆さまがインターネットを介してご出席くださり、法恩と故人の生前の御徳を共に偲び感謝する機会がもてましたことを、心から御礼申し上げます。生長の家では人間の生命は永遠であると信じますが、世の中の習慣に従い、賀状でのご挨拶は控えさせていただきました。

 今年は「丑年」ということで、張子の赤ベコを登場させました。ちょっとブタのようにも見えますが、“本人”はあくまでも牛のつもりで張り切っています。今日は、穏やかな晴天の下、午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで新年祝賀式が挙行され、私は概略、次のような挨拶をさせていただきました--
 
---------------------------------------------------------
 皆さん、平成21年、2009年の新年が明けまして、誠におめでとうございます。
 昨年1年は、実に変化の大きい年でありました。これは世界経済が大きく変動しただけでなく、国際政治にも大きな変化が起こっていて、これが早晩、日本の政治や経済にも大きく影響すると思われます。現在、私たちが経験してる変化には、次の3つの大きな流れがあると思います--
 
 ①文明の移行期にある
 (化石燃料を基礎とした地下資源文明から自然エネルギーなどの地上資源文明への移行)
 ②アメリカの一極支配から多極化の時代への移行
 ③世界のキリスト教からイスラームへの移行、

 しかし、これらの変化はすべて“人間社会”でのことです。このような大きな変化がある中でも、1年は365日で終り、また新たな年の元旦が来るという暦の繰り返しは変わらないのであります。これは、地球と太陽との関係に変化がないからです。春夏秋冬は相変わらず繰り返され、それに伴って自然界は一定のリズムを保ち、人間も自然の一部として、肉体の機能の中にこの不変のリズムが刻みこまれています。これは地球温暖化が進行しても、大きくは変わらないと思われます。ですから、この現象世界では“不変のリズム”の中で変化が起こりつつあるということが分かるのであります。

 このような環境の中では、変化に適切に対応しなければならないことはもちろんですが、その「適切な対応」とは、変化の背後にある“不変のリズム”を正しく把握して行わなければ難しい。これは、揺れているブランコの上でお手玉をするようなものです。自分の乗っているブランコの揺れ方をしっかりと把握しておかねば、お手玉は下に落ちてしまうのです。そういう意味で、この21世紀初頭の変化の時代でも、古人の知恵に不変のものを見出してそこから学ぶことは非常に重要だと思います。
 
 今年は「丑年」ということなので、動物の牛に因んだ諺を、今日は2つ引用したいと思います。

 ①黒牛(こくぎゅう)白犢(はくとく)を生む
 ②牛の歩みも千里
 
 最初の諺は、「塞翁が馬」というのと似た意味です。この世のめぐり合わせ、吉凶禍福はどう変わるか分からない。吉が必ずしも吉でなく、凶も必ずしも凶ではないということ。黒い牛が白い子牛を産むこともある。2番目の諺は、「牛の歩み」というのは「牛歩戦術」などとも使われますが、「ゆっくりとした歩み」ということです。そういうスローペースであっても、何事も怠らずに努力を続ければ、結局「千里」を行くことができる--つまり、大きな成果を挙げられるという意味です。

 「牛の歩み」の方は分かりやすいのですが、「黒牛白犢」の方は多少複雑なので説明が必要でしょう。これは『列子』という中国の古典にあるものです。こんな話です--

 宋の国に三代にわたって徳行を積んでいる人がいた。その家の黒い牛が白い子牛を産んだというので、孔子様に尋ねたところ「めでたい」と言ったので、子牛を天帝に寄贈した。ところが1年後、その家の主人が失明してしまった。このあとまた、飼っていた黒牛が白い子牛を産んだので、主人は再び孔子に吉凶を尋ねたところ、「めでたい」という答えだったので、また生まれた子牛を天子様に贈呈した。すると1年後、今度は息子の方が失明してしまった。その後、楚の国が宋を攻めて城を取り囲んだため、健康な男のほとんどは兵に取られて戦士した。しかし、この親子は目が見えなかったために戦争に加わらず、生き残った。そして、楚が引き揚げると、親子の目が見えるようになったという。

 このように、人生に起こる吉凶禍福は、何が本当の吉で何が本当の凶かは、軽々に判断できないということです。逆に言えば、我々が普通に考える“不幸”も“幸福”も、結局我々の心の影であるということです。このことは今、世界の自動車産業が直面している変化を見るとよく分かります。

 “ビッグ3”の経営危機が問題になっていますが、これは地球温暖化と石油資源の枯渇という2つの大きな流れを読むことができなかった、アメリカの自動車産業の対応の誤りであると言えます。しかし、これは今だから言えるのであって、10年ぐらい前は、大型で燃費の悪い、しかし馬力のあるアメリカの自動車はどんどん売れていたのです。また、アメリカではガソリンへの税金が少ないので、燃費の悪さも家計への負担にならなかった。それに比べて日本では、ガソリンへの税負担が大きく、そのために燃費の良い自動車を開発しなければ消費者が買ってくれないという、メーカーにとっては“不利”な条件が課されていたのです。

 しかし、この一見“不利な条件”が課されていたために、日本のメーカーは必死になって小型化や軽量化などをして燃費の改善に取り組み、優秀なロータリー・エンジンとかガソリンと電気を使う“ハイブリッド動力”などの画期的な技術を開発した。そして、今の産業全体の流れを生み出し、“ビッグ3”を追い越してしまったのです。一見“不幸”と見えた条件が“幸福”を生み出しているのです。しかし、この“幸福”は一朝一夕で実現したのではなく、諺の言葉を借りれば「牛の歩みも千里」に達するという信念のもと、コツコツと努力を積み上げていくことで本当に“千里”(大きな成果)に達したわけです。

 このように考えれば、我々の目の前にある“不幸”や“不運”などは、実は次の時代の“幸福”や“幸運”につながっていることが分かります。別の言葉で言えば、本当の意味での“不幸”や“不運”などは存在しないのです。それは、我々の適切な対応を引き出すための“呼び水”であり、“招待状”である。我々はその招待状に書かれた言葉を正しく理解し、正しい方向に舵を切り、そして「牛歩千里」の信念のもとに努力を積み重ねていくことで“幸福”をつかむことができるのです。
 
 谷口雅春先生の『真理の吟唱』には、このことを力強く宣言するお祈りの言葉がたくさん書かれています。特に、この中の「人生の苦難を克服する祈り」「困難を克服して伸びる祈り」「無限の富者となる祈り」などをお読みになれば、私たちは困難の中にあっても、大いに伸びる「黒牛白犢」の知恵を得られると思います。時間の制約もあるので、ここでは3つの祈りを全部ご紹介できませんので、3番目の「無限の富者となる祈り」だけを朗読いたします--

 (「無限の富者となる祈り」を朗読)
 
 それでは皆さま、今年も神想観をしっかり実修して神様のアイディアを受信して“正しい方向”を目指しながら、実相顕現の運動と神性表現の生活を明るく、コツコツと続けてまいりましょう。これをもって新年のご挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

| | コメント (3)

« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »