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2009年1月27日

生長の家ブッククラブ (3)

『創世紀』の記述で、神が6日間で天地を創造され、7日目に休んだとあるのはなぜか?--この疑問に最初に答えてくれたのは、ブラジルのサンパウロ市に住む女性信徒、ギゼラ・アパレシーダ・アマラル・デルガードさん(Gisela Aparacida Amaral Delgado)だった。デルガードさんは、「それは、文章の最後につける“点”とか、人生の最後に来る“死”のように、1つのサイクルが終ったことを示すものだと思う」と言った。「それは、ある意味で1つの状況に属していないにもかかわらず、やはりその状況の一部である何かを示すのだと思う」と彼女は言うのである。そして、『生命の實相』第11巻万教帰一篇上から次の箇所を引用した--

「七日ということが、鳴り鳴り続く創造の神業の無限進展をあらわしているとしますと、七日に安息(やす)むということは決して、創造の神業(かみわざ)が終わったときに、“ア疲れた! やれやれ”と思って休むということではないはずであります。創造神は“無限生命”でありますから、生命を出し尽くし精力を出し尽くして、ああくたびれた! 今日一日は休息しようなどという時はないのであります」。(p.52)

 これに対してマレリー講師は、この引用文の次にある谷口雅春先生の文章に注目する。それは--「天地創造の大音楽は、その一音符から次の音符にいたる間の旋律(リズム)の変化に、いうにいわれぬ平和と安息と調和とがある」という箇所で、これについて同講師は、「一つの楽譜の中には休符を入れることができ、この無音の時があることによって、音を一定の時間味わえ、クレッシェンドの効果を際立たせることができる」と述べた。
 
 私はそこで、「鳴り鳴り続く創造の神業の無限進展」という言葉の意味を明らかにしようと思い、こんな質問をしたのだった--
 
 ①もし神の創造が「無限の進展」であるならば、神の創造はまだ完結していないのだろうか?
 ②もし何かが永遠に創造され続けるのならば、創造主はすべてのものを数限りなく複製しているのか、それとも、以前とは違う何かを永遠に創造し続けているのだろうか?

 これに対するマレリー講師の答えは、再び『生命の實相』第11巻からの引用であった--
 
「すでに天地および衆群(すべてのもの)の真創造の神業(みわざ)は竣(お)え給うた。竣(お)えるといっても無限の継続でありますが、その無限に続く創造の業は、霊の世界における天地万物の創造であって、地(物質世界)に発生する以前(まで)の御創造の聖業であると明記されている以上は、霊の世界における無限創造以外に神の真創造はありえないのであります」。(p.62)

 この文章だけをいきなり読んでも、意味はなかなか理解できないだろう。『創世記』の天地創造の意味を知るためには、本当は上の引用文の元である『生命の實相』第11巻をしっかり読むべきだが、ここであえて簡単に解説しよう。

 実は『創世記』には、天地創造の話が「2つ」あるのだ。1つは、第1章から第2章の初めにかけてで、2つめは、第2章4節からその章の最後(24節)までである。神が天地創造の7日目に休んだという話は、第2章の初めの部分に書いてある。この“神の安息”を記述する前に、『創世記』には「こうして天と地と、その万象とが完成した」(口語訳)とはっきり書いてあるのだ。谷口雅春先生が持っておられた文語体の聖書では、それは「かく天地および衆群(すべてのもの)ことごとく成りぬ」と表現されていたようである。このあとに、2番目の天地創造の話が出てくるのである。

 上の引用文で、雅春先生が「地(物質世界)に発生する以前(まで)の御創造の聖業であると明記されている」と書かれているのは、先生の手元にあった“英文聖書”にはそういう意味の文章が第2章4節にあるかららしい。私は、先生の手元にどんな“英文聖書”があったか知らないので、今は確認することができない。しかし、先生ご自身の翻訳によると、そこにはこう書かれていたらしい--
 
「これエホバ神、天地創造の日に、天地と、地に発生する以前の野の植物と、地に発生する以前(まで)の野の草蔬(くさ)とを創造り給いし由来なり」。(p.57)
 
 こうして、先生は、第1番目の天地創造の話は“霊の世界”における真実の天地創造であり、2番目の話は“物質世界”における偽りの天地創造だという解釈に到達されている。言い直すと、最初の天地創造は“実相世界”の創造を描き、2番目の天地創造は“現象世界”の成り立ちを描いていると考えるのである。これは、生長の家独特の『創世記』解釈であるが、同じ書の中に「互いに矛盾する天地創造の話が2つある」という“謎”を見事に解決している。
 
 谷口 雅宣

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コメント

”生長の家ブッククラブ”について
詳しくお知らせくださりありがとうございます。
「生命の実相」を熟読すれば、もっと深い真理の言葉が書いてあることを知りました。
うわべをさらっとしか読んでいないことも良く分かりました。
「生命の実相」は、分かったような分からないような個所がいっぱいあります。
”生長の家ブッククラブ”は、“『生命の實相』輪読会”のオンライン版と聞き,
うらやましく思います。
日本語版“『生命の實相』輪読会”のオンライン版もぜひよろしくお願いします。

投稿: k.k | 2009年1月29日 22:00

 先週、今年初めて飛田給道場にで練成(セミナー)を受講させて頂き、身も心も引き締まり、リフレッシュさせていただきました。
 真理を正しく“行ずる”事の大切さを身に沁みて学ばせて頂きました。
雅宣先生はじめ生長の家の先生・職員・研修生の皆様、ありがとうございます。
 
 そして、心機一転、新たに『新版 生活の智慧365章』を今年も最初から読ませていただこうと決意し、雅春先生の“はしがきに代えて”を読ませていただきました。その御文章の中に、当時のブラジルでの雅春先生の御講演活動のご様子が書かれていました。その最後の先生のお名前の横に“ブラジル国サンパウロ市にて”と書かれてあり、今日の雅宣先生のブログに登場されるギゼラ・アパレシーダ・アマラル・デルガードさんの住まわれているところであったので驚いた次第です。
 そして、これは何か感じるところがありましたので、365章シリーズの雅春先生の“はしがき”などを色々調べてみました。
 多少こじ付けに近いところもあるかもしれませんが、雅宣先生が「生長の家ブッククラブ (2)」で述べられていました“7”をキーワードにしますと、なんと雅宣先生が御歳18歳でブラジルへ渡られた年の“7”年前にあたる1963年8月11日に『新版 生活の智慧365章』の“はしがきに代えて”を御執筆されていました。さらに雅宣先生ブラジル講演旅行の御年には『人生の秘訣365章』の“はしがき”を昭和45年9月25日付で“鹿児島行の飛行機上にて”識されています。そして、「恐らく365章ものの最後のもっとも圧巻とも称すべきもの」と“はしがき”でお書きくださっていた『如意自在の生活365章』が、その“7”年後の昭和52年9月10日付であります。この『如意自在の生活365章』は先生御自身が「激しく霊感的状態になり、天界からのインスピレーションを最も受け易い状態になり、………」と書かれています。更に更に“7”年後にあの谷口雅春著作集第1巻として出版された『光明法語〈道の巻〉』が、“はしがき「谷口雅春著作集」刊行に懐う”として昭和59年8月1日にお識しになられております。

 足掛け21年にわたり、7、7、7と区切れましたので思わず紹介させていただきました。

 世の中には確かに“ラッキー7(セブン)”という幸運を予感させる言葉もありますし、また“七生報国”という非常に高貴な言葉もありますので、“7”は万国共通に深い意味のある数字だと思います。

投稿: 黒木 康之 | 2009年1月30日 01:57

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