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2009年1月26日

生長の家ブッククラブ (2)

 前回引用した『創世記』第2章2~3節を読んだ読者は、この日本語訳(口語訳)に曖昧な部分があることに気づかれただろう。それは「神は第7日にその作業を終えられた」という表現で、この日本語だと、第7日目に入ったいつかの時点で「作業を終えられた」と解釈することもでき、その場合、神は第7日目にも少しだけ天地創造をされたことになる。しかし、英語訳の聖書ではその点、もう少し明確なものがある--
 
(A) And on the seventh day God ended his work which he had made; and he rested on the seventh day from all his work which he had made. And God blessed the seventh day, and sanctified it: because that in it he had rested from all his work which God created and made. (King James Version)
 
(B) By the seventh day God finished what he had been doing and stopped working. He blessed the seventh day and set it apart as a special day, because by that day he had completed his creation and stopped working. (Good News Bible, 2nd ed., 1994)

(C) By the seventh day God had finished the work he had been doing; so on the seventh day he rested from all his work. And God blessed the seventh day and made it holy, because on it he rested from all the work of creating that he had done. (New International Version, 1984)

 詳しい分析は省略するが、この3つの英語訳のうち(A)の“欽定約”と称される「King James Version」以外は、神の創造が第7日目にまで入ったかどうかの判断は明確である。他の2つの英語訳を和訳すると、「神は第7日までにその作業を終えられた」となるだろう。つまり、第7日目には、神は何もされずに休まれたという意味であり、神がその日を“聖別”された理由は、まさに天地は完成したからであり、もう何もする必要がなかったからだとの解釈が成立するのである。
 
 マレリー講師は、もちろんこのことを知らなかったわけではない。それどころか、むしろこれ以上のことを、私の少し意地悪な質問(前回参照)に対して答えてくれた。同講師は「神が7日間で天地を創造した」とは「実際に創造活動を行った日だけでなく、休んだ1日を入れたものだ」と言った。さらにそれに続き、同講師は「数字の7は完成を表す」ことを、ユダヤ教の伝統にもとづいて例示してくれた。例えば、旧約聖書(ユダヤ教の聖典)はヘブライ語で書かれているが、この言語で「7」に該当する「Sheh'bah」という語は、「完全」や「充満」を意味する原語から来ていることを指摘。したがって「安息日」という意味の「Sabbath」はここから来ていると述べてくれた。そのことは、『出エジプト記』第20章8~11節に記されている--
 
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。6日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである」。

 ところで、数字の「7」が「完全」や「完成」を意味することは、聖書のこの箇所だけに書かれているのではない。同じ『出エジプト記』の第25章31~32節と第37章17~24節には、燭台の主柱と支柱は合計7本でなければならないと書かれ、同23章10~13節には、7日目の安息日だけでなく、7年目の安息年も必ず守れと書いてある。また、ユダヤ人がエジプトを出てカナンの地に入ってから50年ごとに“聖なる年”が来るとされるが、そのことを定めた『レビ記』第25章8節には「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない」とある。新約でもこの考え方は継承されていて、有名なのは、自分に罪を犯したものをどれほど赦すべきかという問題で、ペテロが「七たびまでですか?」と訊いたとき、イエスは「七たびを七十倍するまでにしなさい」と答えている(『マタイ』18:21-22)。また、“主の祈り”として知られるキリスト教での模範的祈りでは「七つの願い」が唱えられる。このほか、「七つの徳」「七つの大罪」「七羽の鳩」などの概念の背後には、「7」を完全性の表象として見る考え方が明らかに存在する。
 
 この思想は、しかしユダヤ=キリスト教に特有なものではない。仏教においても「七」は、同じように「完全」や「全体」や「完成」を表現する数字である。菩薩の52の位階を7つに大別したものを「七科」と称し、完全な悟りを表す。また「七覚支」と言えば、悟りを得るための助けとなる7種類の修行項目を指す。「七観音」は、観世音菩薩が衆生救済のために身を変じた“すべて”を表し、「七大」と言えば、宇宙のすべてを「地」「水」「火」「風」「空」「見」「識」の7つに分けたものだ。「七堂」は、完全なる寺院に設置された7つのお堂であり、「七仏」は釈迦を含め、釈迦以前に出現したすべての仏をいう。

 こういう事実をしっかり押さえておくと、神が天地創造の際に「七日目は休んだ」ということの不思議さが浮き彫りになってくる。そこで私は、マレリー講師にこう尋ねたのだった--「しかし、なぜ神は休まなければならなかったのだろう。疲れたからか…退屈したからか…それとも、エネルギーが不足したからか……私にはナゾです」。
 
 谷口 雅宣

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