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2009年1月17日

父と息子 (2)

 14日の本欄で、18歳の息子を海外講演旅行に連れ出した父の意図について考えたが、その時、「本人に直接訊いたことではないので断定はできない」と書いた。が、その後、古い資料に当たっているうちに、「ほぼ断定できる」と思われる父の文章を見つけた。それは、『理想世界』誌の昭和45(1970)年8月号に載った「窓」の冒頭の一文である。当時、原稿が雑誌になるには2カ月はかかったろうから、5~6月ごろに書かれた文章であろう。講演旅行への出発はその年の7月20日である。だから、父はこの文章を書いてから講演旅行に出発したのである。以下、少し長いが全文を引用する--
 
「○数多くの動物心理学者の研究によると、全ての動物は、その幼少期に巣や箱や柵の中に閉じ込められていると、成長してからの能力に重大な欠陥が生じて来るのである。幼少期に数多くの体験をつみ、自由に飛びまわることの出来た動物は、非常に力がつき、能力があらわれる。それ故、動物は幼少期の“教育”が如何に大切かということが分る訳である。これは人間についても勿論当てはまるのであって、幼少年期に“間違った教育”をされ、“型”にはめられてしまうと、折角の才能が圧殺され、使いものにならなくなってしまうのである。それ故青年諸君は、自分で自分を限定して、自分を小さな“心の柵”の中に閉じこめるような愚かなことをしてはならない。我々は“自由”の天地で、のびのびと才能をのばそう。それは人間を“神の子・無限力”と認めることであり、思い切って新しい行動に踏み出すことである。やっても見ないうちから、“私には出来ません”といって尻込みしてしまうようなことでは駄目だ。未知の世界に勇敢にとび出して行ってこそ、そこにあなたの才能がひらける道がある。断じて自己限定するな。自己を卑小なるものと思いちがうな。“神の子・人間”を認めることだ。そしてその如く行動することが、何よりも大切である」。(p.76)

 父は私を、型にはめて育てたくないと思い、新しい体験を通して能力を磨き出したいと思ったのである。また、少々大変なことでもやってみるべきだ、と考えたに違いない。では、私は旅行先で、写真撮影以外に何をやったのだろうか?
 
 私のこの頃の記憶はまことに頼りないので、上掲誌の記録をたどってみた。すると同誌11月号の「窓」の欄外にこんな記述があった--
 
「☆7月31~8月2日迄開催された、第16回全伯青年大会は、見事目標の1万名結集を達成! 遂にブラジル青年会は、世界一の動員数を得ました。例年通り、イビランガの独立記念塔の前で、今年は青年会総裁谷口清超先生による世界平和の祈りが行なわれ、又、雅宣様もブラジルの青年会員に約40分間の講話をされ、大変な人気を呼んだということです」。(同誌、p.79)

 これを読むと、私はどうやらこの全伯青年大会で講話をすることが、ブラジル旅行での公的任務だったと推測できる。それ以外に何をしたかは同誌の文章には書いていないが、掲載されている写真には、父母が現地の高官等を表敬訪問する際に同席していたり、現地の子供に表彰状のようなものを授与していたり、戸外で人々と共に起立し、父母と並んで祈る姿が写っている。また、帰国後には、10月4日、東京・調布市の生長の家本部練成道場で「約50分にわたって、南米各地での体験をもとに、生々とした講演をされ」たという記事もそこにあった。

 私がこの2回の講演で何を話したかという記録は、残念ながら手もとには残っていない。が、父母にただついて行っただけではないことは、確かなようだ。
 
 谷口 雅宣

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コメント

“啐啄同機(さいたくどうき)”という言葉を想いました。
雅春先生の御著書の何処かにあったのを以前メモに書いて置いたのですが、どの御著書にあったのかは色々探したのですが分かりませんでした。
 しかし、それを探している課程で、「平成18年8月15日AM7:32 東京渋谷の東郷神社にて」と書いたメモが出てまいりました。
  ①薩摩藩出身の平八郎
   中略
  ⑮昭和9年(1934)東郷元帥は88才の長寿を保って逝去した。
神社内の絵の説明で感銘したのを書いた筈です。
 私事になるのですが、父は鹿児島県出身(生まれは満州か中国)で昭和9年(4月3日)生まれでした。(著作集第1巻『光明法語〈道の巻〉』の帯の裏側の抜粋文が“4月3日の法語”で吃驚しました)
 時の海軍大将と偶々共通している所があっただけのことですが、当時大変感激し、メモに走り書きしたのを思い出しました。
 その日はそこから多分青山あたりを通って赤坂の乃木神社や日枝神社、皇居を参拝し《勿論東郷神社の前に明治神宮にお参りし、本部の生長の家の大神様にも挨拶(手を合わす程度・・・スイマセン)はした筈です》、それから首相が参拝された後の靖国神社へお参りに行ったと思います。どうやって行ったかは全く忘れました・・・。

 その時つくづく感じたのですが乃木神社のまん前にも日本教文社の建物があり、あくまでも田舎者の感覚的な印象ですが、明治神宮、皇居、靖国神社、日枝神社、乃木神社、東郷神社のライン上(一直線上)に重なるように生長の家があるのではないかと思いました。(地図上ではなく歩いた感覚です)

 神イコール父、父イコール神(もちろん母も)と致しますれば、父は一体何を言わんとされているのか耳(こころ)を澄まして聴いている、今日この頃です。

 これが“功徳”と言えるか全く分からないのですが、“枡の下に置かずに”と雅春先生も書かれているので(『新版 希望を叶える365章』308~309頁)、取り留めもないことではありますが、“灯台の上に”灯火(ともしび)を私なりに精一杯高く掲げさせていただきました。

 お読み下さり、ありがとうございました。

投稿: 黒木 康之 | 2009年1月18日 23:20

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