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2008年12月29日

“明日への飛躍”を仕込む時

 今年は、ジェットコースターのような1年ではなかったか、と思う。年の初めは景気がよく、「まだまだよくなる」と思っていたところへ、アメリカ発の金融危機が到来して、あれよあれよという間に株安、円高となり、これが新たな株安と円高を生む……という悪循環が回転して、1ドルの価格が一時80円台をつけた。“史上最高”とも思われた石油の値段も、これまたアッというまに下降していった。円高によるだけでなく、欧米での消費が縮小し、生産も縮小したから、エネルギー需要が大幅に減退したのだ。

 円高になれば、日本では輸入がほとんどの原材料が安くなるから、石油も天然ガスも鉄鉱石も農産物も安くなり、消費者にとっては“万々歳”ということになりそうだ。が、現状はそういってない。アメリカでは金融機関の信用力が急速に失墜して、貸し借りがうまく動かなくなった。“貸し渋り”によって新規事業は困難となり、経済の停滞が始まった。無理な借金をして住宅を購入した人々が家を失い、路頭に迷う。家を失わなくとも、自動車などの高額製品をローンで買っていた人は、そちらを手放す。つまり、アメリカ市場が急激に縮小したのだ。このため、アメリカ人向けに製品やサービスを提供していたほとんどすべての企業が--日本や中国の企業を含めて--在庫を抱え、生産を縮小せざるを得なくなった。こうして、多くの企業は余剰人員を抱えることになったため、日本でも中国でも人員整理が容赦なく始まっている。

 こういう経済の状況を、かつて日本が経験した“昭和恐慌”に比べる人も現れている。昭和恐慌とは、1930年(昭和5年)から始まった“世界恐慌”と同時並行的に起こった国内の経済的大混乱で、物の値段が急激に下がり、巷には250万人もの失業者が溢れて、日本経済は3割ほど縮小した。そして、世界各国はやがて第二次世界大戦へ進んでいくのである。生長の家の運動は、しかしこの“昭和恐慌”のさなかに始まったのだ。このことは、拙著『信仰による平和の道--新世紀の宗教が目指すもの』(2003年、生長の家刊)にも書いたが、谷口雅春先生が輝子先生とともに『生長の家』誌を創刊されたのが昭和5年で、同誌の創刊号には「朗らかに笑って生きよ」という題で「日時計主義」が高らかに宣言されているのである。
 
 だから、こういう時代であるからこそ、生長の家は日時計主義を推進していく必要がある。すなわち、「下がっていくもの」に注目して落胆するのではなく、「上がっていくもの」を世の中に見つけ、見つからない場合は、「上がるべきもの」を新たに自分で創造するのである。これは、短期的な投資や投機に走れという意味ではなく、もっと長期的視点から「あるべきものをあらしめる」ために行動を起こすということだ。そういう理由で、私はすでに「上を向いて歩こう」という文章を10月7日11日の本欄に書いた。そこから2箇所を引用する--
 
「短期的には、今回の金融危機とその後に訪れる実体経済の縮小で、多くの企業が廃業に追い込まれるかもしれない。しかし、世界の人口は増え続けており、世界全体のエネルギー使用量が減ることは考えられない。ということは、自然エネルギーの開発を急げば、低炭素社会への切り換え--つまり、産業の新旧交替がこれによって加速化し、長期的には、社会の需要に正しく応えられる企業や産業が栄え、経済はやがて上昇していくに違いない。少しつらい時期があっても結局、上を向いて歩き続きける者が勝利するのである。」(10月7日)

「実際には生産されていない“価値”に値段をつけ、これをさらに『期待』や『希望』や『儲け心』で膨らませて売買するのが金融取引であり、株式売買である。その値段のつけ方は、おおむね人間至上主義的であり、化石燃料優先であり、自然破壊的であることは、本欄で何回も書いてきた通りである。このような誤謬と欲望で膨れ上がった地球大のバブル(風船)に、アメリカのどこかで穴が開いたのである。だから、日本発の誤謬や欲望も同時にしぼんでいくことは当然だろう。その誤謬や欲望に加担していた資金が消えていくことに、なぜ苦悶し、悲しむのか。『悪業は悪果として現れたとき消滅する』と考えれば、バブルがしぼんだ時こそ、新たに善業を積む機会の到来である」(10月11日)

 『ウェッブ進化論』を世に出した米ミュズ・アソシエイツ社長の梅田望夫氏も、今日の『産経新聞』紙上で“不況の効用”について、次のように書いている--
 
「不況期には投資が絞られる。投資基準も厳しくなる。でも逆にそれが、優秀な人材を分散させることなく、選り抜きの有望プロジェクトに才能を集中させる効果を生む。しかも、近視眼的な投資家が短期のリターンを求めようにも株式市場が低迷していて無理だから、ベンチャーは好況時よりもじっくりと技術開発に取り組むことができる。冬の時代にしっかりとした熟成期間があったほうが、春になったときにその営みが目を出し、いずれ大きく花開く可能性が高いのである」。

 企業経営も宗教運動も、“低迷している”と思われるこの時期に、不要なものは削り、有望なものに資源を集中させることで、“明日への飛躍”がしっかりと用意されるのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

(´・ω・`)ショボーン「悪業は悪果として現れたとき消滅する」そのとおりだと思います。でも僕は「これはいいこと」だと思っていてもなかなか実行できなかったりしています。生長の家の信徒はすごく立派な方々が多いですよね。僕は悩みもあり、「僕が生長の家の信徒でいいのかな?」と思ったりしています。清超先生は「どんな立派な人でもそれなりの悩みはもつものだ」と書かれていますね。僕は自分が意気地がない、よっわっちいのも悩みのひとつです。

投稿: 奥田 健介 | 2008年12月29日 18:46

゙明日への飛躍"を仕込む時…素晴らしいご文章に感銘致しました。
本物が現れる時代(あらゆる物の本質が暴かれる時代)なのだと思いました。
日時計主義の生活を日々の暮らしの中に顕し、当たり前の事を当たり前にして行く事の大切さを肝に命じました。
ありがとうございます。
又一つ歳を重ねられました事を心よりお慶び申し上げます。

投稿: Y.S | 2008年12月29日 21:22

大変難しい問題ですね、、、水は高い所から低い所へ流れるのが自然の法、逆流させると無理が生じ自然の猛威にさらされる事になる事が多々あります、人間は本当に現象的には浅はかな者、今回の問題も実体経済が主役ならば起きなかった思いますがこの警告、朗報を人類は又忘れ、同じ過ちをきっと繰り返すのでしょう(泣)、昭和恐慌の時に生長の家は生まれ、民衆が生き地獄の時代に法然の浄土宗が生まれた様に何か新しき良きものが生まれると言う諸行無常の働きに期待し、切なる生き方が出来れば幸いと言うものかも知れません。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年12月29日 21:28

いつも有難く拝見しております。4月より兵庫教区青年会委員長を拝命しております武内と申します。思い切ってはじめてコメントさせていただきます。

>「上がっていくもの」を世の中に見つけ、見つからない場合は、「上がるべきもの」を新たに自分で創造するのである。
>企業経営も宗教運動も、“低迷している”と思われるこの時期に、不要なものは削り、有望なものに資源を集中させることで、“明日への飛躍”がしっかりと用意されるのである。

高校時代から青年会活動に携わって20年になりました。青年会運動を進める上でも、“転機”を迎えているように感じていました。私はあれこれ拡がっていた青年会活動の中で、色々な整理を行っている最中でして、でもそれは一見縮小や撤退と見えるけれど、マイナス思考や、お手上げだと言ってそうしているのではないのだという思いをうまく言い表すことができませんでした。

「上るべきもの」を見出し、不要なものは削り、本当に必要なもの、有望なものに集中させていくことは、冬の時代を乗り越えて明日に向う用意なのだということをお聞きできて、とても勇気をいただきました。ありがとうございます。

投稿: 武内孝子 | 2008年12月31日 21:06

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