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2008年12月21日

柿とハエ

 最近、自宅1階の北側のトイレの窓に、ハエが2匹いるのを見かける。正確に言うと、窓ガラスの内側に張った網戸にとまっているのだ。体長1センチほどで、イエバエやキンバエのように胴は丸くなく、全体がほっそりしているので、「スマートなハエだな」と何となく好感がもてる。冬のハエらしく、飛び回らないで静かにそこにいるだけである。トイレで見つける前に、実は居間にも数匹が飛んでいるのを妻が見つけ、「どうしてこんな所にいるの!」と言いながら追いかける姿を私は見ていた。だから、そのときのハエがトイレに避難してきたのだと解釈する。ハエは、「うるさい」という言葉の漢字表記に「五月蠅」を使うくらいだから、春は人間の迷惑になるが、静かにしていればどうということはない。それに、食堂や居間ではなく、トイレにいるのだから「所を得ている」ように思われ、そっと放置している。
 
 私がこの2匹のハエに妙な慈悲心を向けるのには、もう一つ理由がある。それは、わが家の軒先に下がっている干し柿と関係がある。この干し柿は、数カ月前、皮を剥いてまだ干してない“ナマ”の状態のものを信徒の人からいただき、それを干しているところだ。当初、美しい橙色をして丸かった実は、もうしぼんでシワも深くなり、黒っぽくなっている。つまり、干し柿は完成間近なのだ。が、送ってくださった人には申し訳ないのだが、吊るしている間にいくつかにカビが発生し、またハエが来てなめていた。それを見て私も妻も恐れをなしたが、まだ吊るしている。途中で投げ出したくないからだ。ハエが半ナマの柿にとまってしばらくたってから、家の中にハエがいくつか侵入したのである。わが家の窓にはすべて網戸がしてあるから、普通はハエは入らず、入っても1~2匹だから、すぐ追い出されるか退治される。が、侵入バエは少し小型で、なかなかつかまらない。私の想像は、侵入バエは柿から生まれた“柿太郎”ではないかというものだ。
 
 歌人の小池光さんが、今日の『日本経済新聞』に「蠅--立ち向かう世の悪意の象徴」という題で一文を書いている。その中で、ハエの“二面性”を鮮やかに対比しているのが面白い--①人間にとって撲滅するよりない運命を負わされている生き物の典型にして永遠の代表、②動物の遺骸をすみやかに処理、消滅せしめる……途方もない生命力、繁殖力そして飛行能力も、きわめて優秀な昆虫マシーン。私は、この中間の見方をすることもできると思うのだ。それは、一茶の「やれ打つな……」の句にあるような見方である。小池さんは歌人だから、もちろんそれを知っているのだが、あえて言葉にしないのだろう。
 
 8月11日の本欄でも触れたが、私は庭で生ゴミからコンポストを作っている関係から、ハエ(の幼虫)にはずいぶん世話になっている。そんなわけで、冬のハエからも静かに立ち去る気持になれるのかもしれない。因みに、「冬の蠅」は冬の季語である。
 
 少し動きおのれ確かむ冬の蠅 (川端麟太)
 冬の蠅網戸に映る柿黒し
 
 谷口 雅宣

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コメント

ありがとうございます。「やれ打つなー」は有名ですね。函館は雪が積もっていてちょっと蝿は見当たりません。家も親戚からお歳暮に干し柿頂きました。( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 奥田 健介 | 2008年12月22日 18:44

>吊るしている間にいくつかにカビが発生し、またハエが来てなめていた。それを見て私も妻も恐れをなしたが、

なぜ恐れをなすのかその理由が判りません。
カビであろうが、ハエがたかろうがどうとは思いませんが?
そのようなことが恐れになるのでしょうか。

偉大なお坊さんが、寺を出て、貧民の世話にあたっていた。その師を慕って追いかけてきた坊さんの前で、看病した乞食が死んだ際、その枕元にあった腐ったご飯を(無くなった者にはもう、もう無用 仏飯じゃお前も食べろ)といったら、(御師匠様ごめんと逃げ出した僧の話を思い出しました。


ゴマすりのハエの話はお聞き届けでしょうが、私には如何でしょう。

投稿: 谷 容子 | 2008年12月23日 20:53

腐ったご飯を慕って来ている弟子に「お前も食べろ」と言うお坊さんが偉大であるとはとても思えません(泣)。貧民の為に一生を捧げたマザーテレサも慕って来ている人達にそんな事を強いることは無い!と思います。

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年12月24日 11:01

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