« ホンダの戦略転換を歓迎する | トップページ | 「破れ窓理論」は正しいか? »

2008年12月19日

3色サンドイッチ

 今日は午後1時半から東京の多磨霊園で納骨があるため、妻と私は早昼を食べることになった。諸準備が混むこんな日には、妻はよくサンドイッチを作ってくれる。朝食時に作ってしまい、タッパウェアに詰めて冷蔵庫に入れておく。あとは時間が許すかぎり2人とも仕事や準備をして、食べるときには皿に盛りつけるだけ。すこぶる簡単だ。食後も、洗いものは最小限ですむ。私は、料理は妻にまかせ、時間ぎりぎりまで机の前にすわっていたが、妻が中皿に盛りつけたサンドイッチを見て、その配色のよさに感心した。
 
 普通の白い食パンのほかに、カボチャを練り込んだ黄色い四角いパンと、ゴマやナッツ、穀類の入った黒っぽい楕円形のパンをそれぞれ薄切りにしたものの間に、いろいろの具が挟んである。レタス、マッシュポテト、トマト、キウリ、サーモン、コエビなどだ。パンも“耳”を切り落とさずに使ってあるので、その茶色がアクセントになっている。サンドイッチはもちろん食べるためにあるのだが、食べてしまえばせっかくの“配色”もなくなる。何かすごく惜しい気がしたので、3個を残しておいた。妻が「どうするの?」と訊くので、「いいことを思いついた」と答えた。これで多分、妻も察したと思う。
 
Mtimg081219s  納骨を終り帰宅した夕方、食べ残した3個のサンドイッチを絵に描いた。初号にも満たない小さい正方形のカンバスを使おうと思っていたので、妻が普及誌のために原稿を書いている間に、さっさと完成させるつもりだった。が、予想外に時間がかかった。暖房した部屋で描くから、サンドイッチはしだいに乾燥してパンが反り返ってくる。まあ、それでもいいと思いながら、夜の10時ごろに完成した。妙な趣味と思われるかもしれないが、見るためのサンドイッチがあってもいいと思うのだ。

 谷口 雅宣

|

« ホンダの戦略転換を歓迎する | トップページ | 「破れ窓理論」は正しいか? »

コメント

合掌有難うございます。美味しそうなサンドイッチ御馳走様でした。純子先生はとてもお料理が上手だと以前恵美子先生が何かのエッセイに書かれてあった事があります。12月号の白鳩誌 四季のエッセイにもご自身お料理がとてもおすきで又雅宣先生がとてもよく褒めてくださると書いていらっしゃいました。 何かいいなあ~ って思っていたところに 本物そっくりのおいしいパンチがきてしまいました。ノックアウトです。ごちそうさまでした。我が家では冬になると柚子を絞ったあとの皮とふわふわした中皮をスライスして茹でこぼし三温糖を加えて 柚子茶のもと をつくります。それを食パンにのせて食べたりします。再拝

投稿: 桝谷栄子 | 2008年12月20日 15:52

ありがとうございます。僕もサンドイッチ大好きです。とてもおいしそうですね!( ̄▽ ̄)

投稿: 奥田健介 | 2008年12月20日 17:53

谷口雅宣先生、

小さな画面でとても美味しそうでしたので、拡大してみたら、とてもリアルに見えました。バックの紫とメッシュの模様が印象的です。とりわけ黄色のカボチャのパンは絵の具がメッシュの模様を消すほど塗ってあって、カボチャのパンの柔らかい美味しそうな感じが伝わってきました。こんなに素敵な絵が描けるのは何と楽しいことでしょうか。歓びが増えますよね。見てる自分が嬉しくなってしまいました。ありがとうございました。また、素敵なサンドイッチを作って下さった純子先生に感謝申し上げます。

投稿: mario | 2008年12月21日 02:10

一枚の絵の中に「ありがとう」が溢れてるように見えます☆ 素敵な夫婦愛ですね。
純子先生の愛がサンドイッチに変身して雅宣先生の絵の中にいつまでも残る。
目には見えない愛が礼拝しあってるみたいです!
バックのパープルが主役達を浮き彫りにしていて素敵なARTですね。
絵を描くことの素晴らしさが伝わってきました。

投稿: 幸田有里子 | 2008年12月21日 13:39

合掌有難うございます。初めて投稿します。
59歳で講師拝命1年目の青年?実業家です。
どうぞよろしくお願いいたします。
気になることでお教え頂けたらと思い、書き込みました。それは『人間至上主義』という言葉でして、一般的には「人間が一番で人間だけが利益を得ればよいという考えのもと物事が進められていくこと」と思います。 
私は非常に抵抗を感じています。何故なら『人間至上主義』とはもっと崇高な意味があってよいと思うからです。現実は、あまりにもひどい人間の浅知恵により、善いことの反面がこの世に出現しています。どうせ『人間至上主義』ならもっと思慮深いものであって欲しいと思います。利己主義についても同様、思いの足らない不完全な言葉と思ってます。 言葉の定義の問題かもしれませんが、私はこだわっています。 
以前から、道路で車に引かれて死んでいく動物に対して、や、競争してるように走る車社会に対して、一種の憤りを感じております。
そんな中、皮肉にも私は自動車の部品を製造する会社を経営(20人ほど)しております。昨今の現象(環境・不景気)は人類に対する警鐘と誰もが受け取りながら、歯止めがかかりそうにないようにも思います。 
これから出講したり愛行を重ねていくうえで、もっと強烈にすばらしい御教えを広めたいと考えております。
よろしくご教授のほどをお願いいたします。再拝
 

投稿: 浦尾道夫 | 2008年12月21日 15:08

桝谷さん、奥田さん、marioさん、

 サンドイッチを“目で食べる”のに賛同していただき、ありがとうございます。(笑)今、見ても、何だからお腹がすいてきます。“パブロフの犬”のようです。

幸田さん、

>>純子先生の愛がサンドイッチに変身して雅宣先生の絵の中にいつまでも残る。<<

 ナント、大袈裟な!……でも、ありがとうございます。彼女の料理をすべて絵に描くわけにもいきませんネ。

浦尾さん、

>>何故なら『人間至上主義』とはもっと崇高な意味があってよいと思うからです。<<

 おっしゃっている意味は分かります。でも、これは言葉の定義の問題ですから……。そんなに抵抗を感じられるなら、「肉体人間至上主義」とか「欲望至上主義」のことだと理解されればいいのでは?


 

投稿: 谷口 | 2008年12月21日 16:59

お忙しい中、突然の書き込みにご対応、ありがとうございました。
お言葉を聞いて、自分の拘りが恥ずかしくなりました。
わが教区強化部長にも「もっと時間を割いて」と言われましたが、より一層、自己研鑽と愛行に邁進致します。             再拝

投稿: 浦尾道夫 | 2008年12月23日 03:51

偏屈な質問かもしれませんが、

見るだけのサンドウィッチとは、このサンドウィチを召し上がらなかったように解釈できますので如何なものかと思います。

納骨の間、サンドウィッチのことを頭に残すとは本当に奥様を大事ににしていらっしゃるのが良く判ります。

投稿: 谷容子 | 2008年12月23日 20:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ホンダの戦略転換を歓迎する | トップページ | 「破れ窓理論」は正しいか? »