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2008年12月26日

古い記録 (5)

 前回の本欄では、私が高校時代の1969年に大学構内で撮った写真をご披露した。当時の私が学校の新聞を作るクラブに所属していたことはすでに書いたが、高校の新聞が大学の学生運動を記事にすることはないだろうから、私はクラブ活動とは離れた所で、自ら選んでそういう写真を撮っていたのである。しかも、自分が“谷口一派”の御曹司だと知られたら危険であろう環境の中で、高校生の身でありながら大学生の写真を撮っていた。こんな向こう見ずで好奇心の強い性格が、私には高校生の頃からあったのである。現場へ行って取材をし、帰って来て記事を書くというのは、ジャーナリストの仕事そのものである。だから、私は“ジャーナリストの卵”ではあったかもしれないが、その時点ではそんな仕事につきたいなどと思っていなかった。
 
 この頃、高校の新聞や生高連の機関誌以外にも、私の文章を掲載してもらえる媒体があった。それは、今は生長の家から分かれた財団法人「新教育者連盟」が発行していた『新教育者通信』という月刊小冊子だった。私はそこに高校2年の時から見開き2頁の文章を書くことを許された。教育者の立場からではなく、教育される側の立場からの“現場報告”といった感じの文章である。その雑誌の1969年3月号に、私は「大学紛争の背景」という題の文章を書いている。高校2年生のくせに、いかにも物知り顔のタイトルだ。だから、そこに書かれていることは、事実に即しているかどうかよりも、当時の私が大学紛争をどのように見ていたかを示す文章として、意味があるだろう。そこには、こうある--
 
「大学紛争が現在の大学制度、ひいては教育制度全体の矛盾を示していることは事実であり、その矛盾に反対するために学生が立ち上っているという見方は間違っていないが、この素朴な学生の感情を利用しているものがいるということも事実であり、戦後の価値感(ママ)の崩壊によって心の支えのなくなった学生が、共産主義によってもたらされるであろう理想社会を信じ、その実現のために戦っているという見方をしてはいけないだろうか。
 来年の七〇年を目当てに、左翼学生運動はいよいよその暴力革命的色彩を濃くしていくであろう。もはや傍観や利己主義的発言は許されない。各人は国家的視野に立って、真剣にこれらの問題を考えるべきである」。
 
 これは、全国の学校の教師が読む小冊子に高校2年生が書くべき言葉ではない。当時の私は、雑誌に文章を書くということの意味をよく分かっていなかったから、まるで高校生を相手にしたような文章を大人に向かって書いてしまっている。が、そういう知ったかぶりで未熟な点を黙認して読んでみれば、この文章の背後にある高校2年生の考え方の“大筋”が見えてくる。それは、当時の教育制度には問題があり、その解決に努力する学生運動には意味を認めるが、その反面、こういう学生の純粋でナイーブな感情を利用する政治勢力があり、左翼の学生運動はそれによって暴力革命の方向に誘導されている。この危機に際してもはや傍観できないから、もっと真剣に解決策を考えよう--そういうことを訴えている。

 つまり、左翼の暴力革命の可能性が高まっているという危機感が、当時の私の日常生活にも影を落としていたのである。「何を大袈裟な……」と思う読者がいるかもしれないが、各地の大学がヘルメット姿の学生に占拠され、授業は行われず、紺色の防護服を着た機動隊員と放水車が町角の風景となった異様に緊迫した社会状況は、今日の平穏な社会からは想像が難しい。そして、この緊迫感は安保改定の節目となる1970年に入ってからは、さらに募っていくのである。同年の2月号に書いた私の文章は、社会を“右側”から見た紋切型で矛盾に満ちたものでありながら、そんな緊迫感だけはよく伝えていると思う--
 
「ここで我々がはっきりと認識しなければならないのは、現在に於てもこの占領政策の遺恨が種々の定着した形で日本の精神を隠蔽しているということである。それは占領軍に与えられたままのこの現行教育体制とそれに便乗した日共・進歩的文化人の亡国教育であり、乱闘国会であり、日教組教育であり、青年層の祖国喪失であり、国防意識の消滅であり、性道徳の退廃である。実際、現代日本の精神的荒廃は極限に達した感がある。朝夕の新聞の三面記事はそのほんの一例であるが、三億円事件のようなサスペンスに富んだヒロイックな事件の不安定な周期の合間に、(…中略…)親殺し、小児殺し、祖父殺しなどの記事が濃縮されて掲載され、それが余りに頻繁であるが為に読者を道徳的不感症に陥れている。そしてこのような戦後的情況の集大成として押しつけられた日本国憲法と称する占領憲法が未だに温存され、一部の人々から平和憲法などとして崇められている現状を見るにつけ、私は日本の危機を叫ばずにはいられない」。

 社会の“悪”に注目して憤りの念に燃え、その原因を特定の政治体制に帰して危機を叫ぶ--典型的なデマゴギーの論理が、悲しいかな、高校3年の私の心中に忍び込んでいるのが分かる。

 谷口 雅宣

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