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2008年12月25日

古い記録(4)

 跳び石の休日のおかげで、自宅に保管されていた昔の写真を整理する時間がもてたため、私の高校時代の記録を“発掘”した。本題でこの欄を書くのは、今年の8月以来(7月31日8月1日同4日)だが、読者にもこの発掘作業の続編をお届けする。8月までに書いたのは、私の高校時代のことだった。その頃私は青山学院高等部の出版部に所属していて、「日本国憲法無効論」などで論陣を張っていた。私は当時、生高連(生長の家高校生連盟)にも参加していて、そこの東京の機関誌に文章を書いたりもした。その内容については、前回までにお伝えした通りである。当時の日本社会の状況は今とはまったく異なり、警察の機動隊と学生を中心とした若者との対立が全国で常態化しており、一部では“革命前夜”の様相を呈していたのである。

 当時の若者の多くは、ベトナム戦争をアメリカの帝国主義侵略戦争と考え、その国と安全保障条約を結んで基地を提供している日本は、侵略戦争の片棒をかつぐ“悪政”を敷いているとして、1970年に改定の節目を迎える日米安保条約を“粉砕”すると息まき、警察と激しく衝突していた。私の通っていた青山学院のある青山通りでは、歩道の敷石がほとんどはがされ、機動隊との対立に備えて学校内に持ち込まれた。これを砕いて投石に使うのである。清涼飲料の瓶は“火炎瓶”に使われ、工事現場からは鉄パイプが盗まれて“槍”に加工された。これらの武器は学生会館のどこかに隠され、会館周囲には、教室から持ち込んだ机や椅子やべニア板でバリケードが組み上げられた。つまり、「戦争反対」を叫びながら、彼らは国の治安機関との間では戦争に近い暴力的対立を深めていた。
 
 生長の家はこの中で、「生長の家学生会全国総連合」(生学連)という組織をつくって、各大学の学生会を単位とした伝道と啓蒙活動を行っていたが、日本の大学では上のような“左翼”の側からの言論が大勢を占めることに危機感を覚え、反共、反暴力、安保擁護の立場を鮮明にして“民族派”の運動に参加したのだった。私が高校の新聞紙上に書いた政治的な論説は、この“右側”からの言論の受け売りと焼き直しにすぎない。別の言い方をすれば、大学や社会での“左右の対立”が、高校の新聞紙上にも反映していたということだ。
 
Bw001s  青山学院に限って言えば、ここでは神学部の学生を中心とした反安保の“左側”の運動が盛んだったが、そこへ生長の家の学生による“民族派”の反対運動が起こったことで、厳しい学内対立になったようである。「ようである」と推量して書いたのは、当時高校生だった私には、その様子が詳しく分からないからだ。が、姉2人が青山学院に籍を置いていた関係もあり、高校と同じ敷地内にある大学には出入りすることも多く、私は実際にそこへ行って写真を何枚も撮っている。その写真のうち2枚をここに掲げる。1枚は、青学大構内で集会をする安保反対の学生運動参加者たちだ。ヘルメットをかぶった学生のアジ演説を聴いている。

Bw004s  もう1枚は、大学の建物の柱に書かれた落書きの写真だ。「落書き」ではあるが、内容はかなり“脅し”に近い。文字が一部光っていて読みにくいが、「青学大に巣食う 右翼肉体派 ○○○○ 谷口一家(生長の家天皇万才派 谷口雅春の孫)」と書いてある。実際には固有名詞がきちんと書かれているが、ご本人の名誉のために写真ではボカした。このほかにも「天皇万才派 ○○○○の早セ田大学右翼と結びついた暴力を許さないぞ」「右翼 ○○○○ 谷口(生長の家)一派を殺せ」などという物騒なものもあった。これらの伏せ字の所には、当時の青学大の生長の家学生会の代表者の名前が入っていた。いずれの写真も1969年に撮った。3枚目のBw010s 写真は、これより1年後のもの。生長の家青年会の街頭行進の様子である。日本の国論が二分して対立していた時代には、使われる言葉もずいぶん大変なものだ。それにしても、「右翼肉体派」とか「天皇万才派」というような呼称はオカシナ見当違いである。

 私は、こういう騒然とした雰囲気の中で高校から大学へ進学したのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

 谷口雅宣先生

 大変でございましたね。「谷口一派(生長の家)を殺せ。」なんて自分の通う学園に貼り紙で書かれるなんて。よくご無事でした。

 私は立教大学ですが、私が入った頃はもう学園紛争は殆ど無くて、中核派が一部残って、学園内をちょっとうろうろしていた程度です。でも、一回、私が所属していた美術部のアトリエに泊まった時、中核派の学生が入ってきて、あれこれ質問された事がありましたが、ちょっと恐かったです。
 先生はそんな次元より遙かに危険な状態だったのですよね。

投稿: 堀 浩二 | 2008年12月26日 16:40

 3枚目は懐かしい写真ですね。拡大して見ると、先頭に立っておられるのは、今の東京第一教区の良本教化部長の若かりし姿のようです。赤坂の生長の学生道場の道場長でした。この時期、青学で瀕死の重傷を負った先輩を病院に見舞った記憶があります。
 今年の夏、仕事で都内の大学図書館を巡りましたが、青学は緑溢れる憩いの学園という印象でした。

投稿: 久保田裕己 | 2008年12月27日 01:32

ありがとうございます。先生にお姉様がお二人いらっしゃるのは初めて知りました。だから先生は優しいのでしょうか。僕の友人にもお姉さんがお二人いらっしゃる方がいますが優しいです。僕は長男、上の兄弟はなく(よくお姉さんが欲しいと言ってましたが)弟と妹がいます。ありがとうございます。( ̄▽ ̄)

投稿: 奥田 健介 | 2008年12月27日 11:41

谷口雅宣先生
明けましておめでとうございます。
 今日元旦、本部にての新年祝賀式に参列させていただき先生のお話を拝聴致しました。中国の古語のご解説に感動し、人類の現況の打開のための吾々の運動の心を深く学ばせて頂きました。本当にありがとうございました。
 本欄には私が青年会で愛国運動に没頭している頃のなつかしい写真を掲載していただきまして、ありがとうございます。
 新年、私も益々若返りまして、先生の御道に学び、御教えの発展に尽くしたいと決意致しました。今年は東京第一教区の講習会の年でございます。3月15日です。
全力で信徒の皆様と共に推進活動を行っております。
御指導を宜しく御願い申し上げます。
感謝を籠めまして。合掌再拝。良本峯夫拝

投稿: 良本峯夫 | 2009年1月 1日 15:14

合掌ありがとうございます。
初めてコメントさせて頂きます。
 私も大阪の大学生時代に大学で普及誌(昔は神誌)と自作の生長の家学生会のビラを配っていたら明くる日に「右翼天皇主義者=生長の家殺せ!!」と書いた立て看板が置いてあった事を思い出しました。
 この頃は目には目をの運動をしていた様な気がします。
 平和と調和の「日時計主義」をこの頃は忘れていたのだと思いました。
 今後は「日時計主義」で人生を歩んでいきます。
 今後ともご指導を宜しくお願い申し上げます。
                       再拝

投稿: 山内 彰 | 2009年2月10日 10:07

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