絵封筒、届きました。
最近、島根県の白鳩会員さんから絵封筒をいただいた。収穫なった稲を丸太に掛けて乾燥させる「稲掛け」を近景とし、遠景には民家とその背後に広がる山々を全面に描いた 大胆な構図で、受け取った私は「へぇー」としばし見とれてしまった。この方(仮にHさんとする)は、姑の介護などで多忙な毎日を送っておられたが、私の妻が夕食後の短い時間に毎日絵手紙を描いていることを本で読み、また、島根教区の中内英生・教化部長も、実家の母上に絵手紙を送っている話を聞いて、一念発起して自分でも絵手紙を描くことを決意され、夕食後の短い時間にそれを始めたという。今年の6月から開始したと手紙に書いておられるが、なかなかの腕前である。
Hさんは絵手紙を描いているときの心境について、「絵筆をとっていると、いやな思いもいつしか消えてしまいますので不思議です」と書いている。また、私に送ってくださった絵封筒については、次のように述べている--
「今回、絵封筒は初めて描いてみました。『光のギャラリー』の本を参考に、絵の中に切手をどう取り込むか考えましたが、ちょっと時間がかかるのが難ですが、絵手紙とは又違ったおもしろさ楽しさがあると思いました」。
初めて描いたにしては、見事ではないだろうか。
私は、最近の生長の家講習会では、『太陽はいつも輝いている--私の日時計主義実験録』(生長の家刊)から引用しながら、我々の“右脳”が外界の情報を感じたまま受け取っていても、“左脳”がそれを無視したり、解釈によって抑圧したり、捻じ曲げることが多いから、たとえ現象世界であっても、我々はそこから正しいメッセージを受け取っていないことが多い--という話をする。Hさんが上で「絵筆をとっていると、いやな思いもいつしかきえてしまいます」と言っているのは、「いやな思い」というのが、我々の“左脳”の勝手な解釈から来ることを有力に示している。絵を描くことは、普通は“右脳”で行う作業であり、そこで美しいもの、面白いもの、楽しいもの等を感得したときに行われる。そして、そういう「明るいもの」に注意を集中しているときには、我々はその反対の「暗いもの」や「醜いもの」を心中から排除してしまう傾向があるのである。
そのことを、私は講習会で「我々は対極のものを同時同所に認められない」などと言って説明している。有名な諺の「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という性向を、少しむずかしく表現しているだけだ。「憎い」という一方の極端な評価が「坊主」にくだされている時には、その同じ場所にある「袈裟」も(どんなに愛すべき袈裟であっても)同種の極端な評価がくだされる--そういうことである。我々の“左脳”は、主として言語による世界の解釈に使われている。そして、言語情報のかなりの部分を、我々はマスメディアから受け取っている。そして、本欄でもしばしば指摘しているように、マスメディアから来る情報のほとんどは“暗く”“悪い”情報である。こうして、“右脳”を活性化して「明るいもの」に注意を振り向けることは、“左脳”がつくり出す過剰に暗い世界のイメージを打ち消す効果を生む、と言っていいだろう。
谷口 雅宣
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コメント
先生ありがとうございます。お聞きしたいのですが確か写真も右脳をはたらかせるのでしょう?飾っているプラモデルの絵を描くのも右脳を働かしているのでしょうか?(まだやっていませんが)僕はコレクションをよくながめます。写真を撮りたいと思うこともあります。これも右脳ですか?
投稿: 奥田健介 | 2008年11月 4日 09:25
奥田さん、
プラモデルの絵を描くことも、それを写真に撮ることも、いわゆる“右脳”の領域をよく使うことになると思います。多分、プラモデルの製作自体も右脳の活用を要求するものです。ですから、貴方の場合は、右脳を使う機会は普通の人より多いのではないでしょうか?(想像ですが……)
投稿: 谷口 | 2008年11月 4日 13:14
谷口雅宣先生
Hさん
私も見事な絵封筒だと思いました。
のどかで清々しい雰囲気が画面から伝わってきます。
しかも、どこに切手が使われているのかすぐに分からないほど、切手が絵にとけ込んでいますね~。
『光のギャラリー』を参考にしてくださったようで、うれしい限りです。
投稿: 小関(TK) | 2008年11月 4日 13:25
先生コメントありがとうございます。プラモデル作るの右脳を動かすって本当に本当ですか?それが真理ならまだ作っていないガンダムシリーズのプラモデル4つもあるので作ろうかと思いました。いつも気軽にコメントくださり本当にありがとうございます。今、僕多少悩みもありますがまたの機会にします。「趣味にかけるお金は無駄金ではないっ!」この言葉は真理ですか?だったら嬉しいのですが。僕はキリストの伝記3冊読んだことあるのですが先生は本当に心から僕たちの(表現が適当かわかりませんが)友達になってくださるのですね。僕たちの目線でものを考えてくださるのですね。僕今まで生きてきて何度も自殺しようと思ったけど先生と交流できて生きていてよかったとおもいます。先生はキリストですね!ありがとうございます。
投稿: 奥田健介 | 2008年11月 4日 15:13
奥田さん、
あなたは何歳ですか? コメントの文面から判断すると、まるで学生さんのようですが……。ものごとには何でも“程度”というのがあります。また、右脳と左脳の話は、両者のバランスが重要だということです。右脳ばかりを1日中使っていて、左脳の処理に適している言語や論理的なものの考え方を無視するのでは、これまた逆の意味でアンバランスな生き方になるのですよ。
私は、プラモデルをいくらでも作っていいと言っているのではありません。大のオトナが、1日中プラモデルを作っているのは普通でないと思いますよ。誤解のないように……。
投稿: 谷口 | 2008年11月 4日 18:07
先生ご忠告ありがとうございました。僕は37歳です。教えていただいて非常に導かれました。すみませんでした。どうも幼稚なところがあるようで。一日中プラモデルを作っていることは絶対にありません。父の仕事の手伝い、家事(主に食事後の皿洗い)、聖典拝読、先祖供養、精神病で入院して苦しんでいる友人と面会すること、青年会の活動などをしています。絶対一日中プラモデルを作っていることはありません!誤解があったらごめんなさい。
投稿: 奥田健介 | 2008年11月 4日 21:58
奥田さん、
よく分かりました。左右の脳をバランスよく使って、大いに進歩してください。
投稿: 谷口 | 2008年11月 4日 23:21
副総裁 谷口雅宣先生
合掌ありがとうございます。私の作品をブログに載せていただき、ただただ恐縮しております。絵手紙、絵封筒を描く楽しさ、おもしろさ、又その意義につきましても、改めて分かりやすく御指導いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。この誰にでも出来る小さな幸せな活動を、どんどん人にも伝えていきたいと思います。そして、誌友会を盛り上げて参りたいと存じます。ありがとうございました。合掌 再拝
投稿: 島根県の白鳩会員H | 2008年11月 5日 11:44
1、「いやな思い」というのが我々の"左脳"の勝手な解釈からくることを有力に示している。
2、絵を描くという「明るいもの」に注意を集中しているときには、我々はその反対の「暗いもの」や「醜いもの」を心中から排除してしまう傾向があるのである。
3、マスメディヤから来る情報のほとんどは"暗く""悪い"情報である、こうして右脳を活性化して「明るいもの」に注意を振り向けることは"左脳"がつくり出す過剰に暗い世界のイメージを打ち消す効果を生むと言っていいだろう。
とあります、
"左脳""右脳"のバランスが大切な事、確かに「そうだ!」と思います、只、現実問題としてマスメディヤからの情報は無視出来ませんし、ありの儘を直視することも必要ではないか?とも考えます、「いやな思い」「暗いもの」「醜いもの」を"右脳"の活性化によって一時的に打ち消したとしましても潜在意識や又再現することもあるのではないか?つまり、心底から打ち消すことにはならないのではないか?従いまして"右脳"を働かせると同時に"左脳"による論理的消去法があれば「いやな思い」「暗いもの」「醜いもの」が永久に打ち消せるのではないか?と考えるのですがどんなものなのでしょうか?
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年11月 5日 11:56
雅宣先生、
絵を描いていると、不思議と心がスッキリする--という体験を、私も実は昨日、体験しました。
自宅にある“ダルマ落とし”のダルマさんの顔を、5歳の娘のお絵かき帳にエンピツで、ちょっとした遊び心で描いてみたのでした。描いていた時間は、おそらく15分くらいだったでしょうか。
すると、いつの間にか心がスッキリしていました。実は風邪を引いていて、少し心がモヤモヤしていたところだったので、これには、我ながら本当に驚きました。絵には全く自信がなかったのですが、ただ素直によく見て絵を描いているだけで、こんなにも心がスッキリするとは思ってもみなかったので、とても嬉しかったです。
投稿: 山中優 | 2008年11月 7日 17:39