芭蕉の作句
今日は岐阜市の岐阜メモリアルセンターで生長の家講習会が行われ、約6千名(5,930人)の受講者が岐阜県下を中心に参集してくださった。谷口清超先生のご昇天から5日しかたっていないということで、それを報じる生長の家の機関紙『聖使命』の号外も当地には未着だった。そんなわけで、開会の冒頭で司会者からご昇天の事実を簡単に述べていただき、続いて30秒の黙祷の時間をもった後に、講習会を始めた。私に先立って講話に立った妻(生長の家白鳩会副総裁)は、清超先生が3年8カ月の静養期間の後に静かに息を引き取られた様子を、簡単に説明した。私は、教団の最高指導者が死亡しても生長の家が運動を中断しないのは、我々の最大の使命は「人間・神の子」の真理を伝えることにあると考えているからだということを述べて、『聖使命』紙号外の記事のリード文だけを朗読して、いつもの講話に入った。
宗教家の講話は、一種の作品である。その作品の出来ばえがどうであるかは、受講者のその場での反応と、会を終えたあとの反応から推し量るほかはない。そういう意味では、ときどき講話の感想を教えてくださる受講者がいることは、とてもありがたい。私としては、いつの講話でも満足のいくことはないが、今日は特に、風邪のために喉を傷めていたこともあり、やや聞き苦しいものだったかと危惧している。
岐阜市へ向う新幹線で読んだ車内誌『ひととき』の11月号に、俳人の小澤實氏が芭蕉の作句態度の厳しさについて書いていた。ここで取り上げられている句は、有名である--
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る
この句は、元禄7年(1694年)10月に作られた芭蕉の生涯最後の発句だという。その頃、芭蕉はいさかいを続けている2人の弟子--酒堂と之道--の間に入って苦労していた。が、仲裁はうまくいかず、そのための心労も手伝って芭蕉は体調を崩して発熱、下痢などに見舞われる。10月5日、彼は現在の大阪中央区にある静かな家に居を移して静養することになるが、8日の夜になって弟子を呼び、墨をすらせて書き取らせたのが、この句だという。「旅」とは、だから文字通りの旅というよりは、「人生の旅」というニュアンスをもっているに違いない。弟子たちの仲違いを解消させようと努力することも人生の旅程の1段階だが、それがうまくいかずに病に倒れる。が、床に伏していても、弟子間の仲裁をうまくいかせる方法を“夢”にまで見て考えている師がここにいる--そういう解釈が成り立たないだろうか。
小澤氏によると、この句には同時にできた別の形のものもあったという。それは--
○○○○○なほかけめぐる夢ごころ
というもので、最初の5文字に季語を入れた形のものだが、欠字の部分に小澤氏は「枯草や」を仮に入れている。しかし、本当は何だったかは不明である。それで芭蕉は、死の3日前に、弟子の支考にこの2つの句のどちらがいいかを尋ねているのである。10月10日には高熱が出て容体が急変し、同じ支考に遺書3通を代筆させ、兄には自筆で遺書を残したという。芭蕉の逝去は、12日の午後4時ごろとされる。ということは、この句はほとんど辞世の句なのだが、それらしさはない。その理由として、小澤氏は芭蕉のことばに「平生則ち辞世なり」というのがあると指摘している。そして、弟子の路通が『芭蕉翁行状記』の中で、そのことを次のように解説していると紹介している--「先生はふだんの句がそのまま辞世の句ですと言っていました。そういう方にどうして臨終の折に辞世の句がありましょうか」。
自分の作品の1つ1つが、辞世の句になるような力の入れ方を、芭蕉はしていたのである。その真剣さに、私は頭が下がる。
谷口 雅宣
【参考文献】
○『ひととき』2008年11月号(株式会社ウェッジ)
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コメント
ありがとうございます。松尾芭蕉はとても真剣な刀のですね。僕はお父上が亡くなられても光明化運動を続ける雅宣先生に頭が下がります。僕達の間では先生が3代目の総裁になられた時、副総裁はどなたが就任されるのだろうともう話題になっています。去年の講習会の先生の講話は「自分の努力で運命を変えることができる」と生長の家らしく明るい人生哲学を聞けてよかったですよ。あの時、初めて友達を連れていきました。すごい熱心にきいていて僕のほうが驚きました。この方は経済の悩みで自殺したのですが運良く助かったのです。僕も何回か自殺しようとして不思議に助かってきました。そういう人も聴きに来るということも覚えていてください。暗い話でごめんなさい、先生、ファイトですよ!僕たちがいるじゃないですか!
投稿: 奥田健介 | 2008年11月 3日 11:43
生長の家副総裁谷口雅宣先生
合掌ありがとうございます。昨日は講習会において「日時計主義」について分かりやすくお説きくださりありがとうございます。最後の金華山の絵封筒がとても印象でした。昨日は私にとって生長の家の入信初日に戻った日に感じました。感謝します。ありがとうございます
生長の家岐阜教区青年会 高木康臣拝
投稿: 高木康臣 | 2008年11月 3日 16:42
何となく読んでいた有名な俳句ですがその背景のストーリーを知って読むと又違った感じを受けます、「平生則ち辞世なり」の姿勢、「先生のふだんの句がそのまま辞世の句です」の生き方は死は日常の真っ只中にあると言う事を常に自覚されながら一瞬一瞬を感謝しながら大切に真剣に生きておられたと思うのですが歌の内容も最期も寂びし過ぎます、、、もっとも明るく生き生きと生きておられたらこんな俳句は生まれなかったのでしょうが、、、(泣笑?)。
投稿: 尾窪勝磨 | 2008年11月 3日 19:52