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2008年11月25日

生長の家大神の姿

 ある人から最近、「生長の家の大神の写真をウェブサイトで使いたい」という要望が寄せられた。私は、誰かが生長の家の大神の写真を撮ったという話を聞いたことがなかったので、何のことかと思って確かめてみると、東京・原宿の本部会館の円塔の外壁に据え付けられた“神像”の写真のことだった。この神像を生長の家の大神だと理解している人がいることを知って、私は少し驚いたのである。この像については、谷口雅春先生がいろいろのご著書の中で説明されているが、生長の家大神そのものではなく、1つの「イメージ」であり「象徴」であり「表現」である。この違いは重要なので、少し説明しよう。

 『生長の家』誌の昭和27年11月号の「明窓浄机」欄で、谷口雅春先生はこの像のことを「右手が天を指し、左手に聖経の軸を手にせる聖者の立像は本部会館円塔部の入口直上に安置せられる“七つの燈台の点燈者”を象徴せられる聖像」だと書かれている。注意してほしいのは、雅春先生はこれを「“七つの燈台の点燈者”の聖像」とは書かれずに「点燈者を象徴せられる聖像」と表現しておられる点である。つまり、「七つの燈台の点燈者」は過去に様々な形象として人間の前に現れてきたから、特定の姿に留めることはできない--そういう認識が、この表現の背後にはあるのである。もっとはっきり言えば、この神像は人間の創作ということである。

 具体的には、これは同年8月14日に彫刻家の服部仁郎氏が粘土で完成した像をもとに、拡大して製作された像である。昭和30年8月号の「明窓浄机」で、雅春先生は「あの像は誰も知る服部仁郎氏の彫刻になるところの、生長の家創始時代に神想観中に往々信者たちが見た神姿を表現したもの」だと書かれている。ここでも先生は「信者たちが見た神姿である」とは仰らずに「神姿を表現したもの」だと書かれている。この神姿は何人もの人々が見たと報告しており、それぞれが全く同一の姿を見たかどうかは分からない。が、共通しているのは「白い衣を裾まで垂れ、ヒゲを胸までたれた」ところらしい。実は、これを最初に見たのが、谷口輝子先生だったという。その時の様子は、『生命の實相』頭注版第2巻にこう描かれている--

 「『生長の家』誌の第一集第四号を執筆している頃『光明の国』というわたしの霊感的長詩を家内が校正してくれましたとき突然神憑りとなったのであります。わたしは審神者(さには)として、その時いろいろ神告を聞いたのでありますが、この神はわれわれの祖先の霊でも、われわれ家族個人の守護神でもなく、家のうちに祭祀してある神でもない、名はいうに及ばぬ、また祭祀するにも及ばぬ、光明輝く実相の世界に住む神である…(中略)…などという意味のことがあったのであります。ところが今まで家内には霊眼がひらけたということなどは全然なかったのでありましたが、その時突然天空高く白衣を裾まで垂れ、鬚髯(しゅぜん)を胸までたれた尊き神姿を拝したのでありました」。(p. 135)

 谷口雅春先生ご自身は、この神姿をはっきりとご覧にはなっていないようだ。『生命の實相』頭注版第20巻自傳篇で、雅春先生は“神の声”に導かれて悟りへ至った際の体験を、次のように描かれている--

 「わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま座っている自分をそこに見出したのであった」。(p. 136)

 私はここで、雅春先生のこの時のご体験を、モーセが燃える柴の中から神の声を聴いた時の体験と比較したいという誘惑に駆られる。聖書にはこうある--

「ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーセは言った、“行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう”。主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、“モーセよ、モーセよ”と言われた。彼は“ここにいます”と言った。神は言われた、“ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである”。また言われた、“わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である”。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した」。(『出エジプト記』第3章2-6節)

 谷口雅春先生は、数々の神示を霊感によって得られている。この際は、“声”--もちろん、耳で聴く普通の肉声ではない--が言葉を発するのを聴かれるのである。モーセも、燃えさかる炎の前で“声”によって神の声を聴く。神姿は恐らく見えていない。こういうように、神に“声”によって触れる人と、視覚的に--この場合も、もちろん肉眼の視覚ではない--“神姿”を拝する人の別があるのだ、と私は思う。

  谷口 雅宣

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コメント

o(*^▽^*)o(*≧m≦*)谷口雅春先生ご自身は生長の家の大神様のお姿を拝されたことはないのですね。余談ですがあの本部の像ですがお顔が俳優の森繁ひさやさんに似ていると思うのは僕だけでしょうか?僕はすんごく似ていると思うのです。不思議ですが。それから僕も神想観中、生長の大神様のお姿を拝したいと思ったことがありますが一度も見えていません。僕は雅春先生、輝子奥様にお会いしたことのない世代です。が、雅春先生が夢にでてきたことが3回あります。3度目は初めて一緒に輝子奥様も現れました。僕は奥様がマリア様のような気がしました。そして僕は雅春先生にこう質問したのです。「先生、僕は前世も生長の家の信徒だったのですか?」と。先生は「そうです。」とおっしゃいました。これは「そうあって欲しい」という僕の潜在意識の願望かもしれませんが。

投稿: 奥田健介 | 2008年11月26日 14:29

合掌,ありがとうございます。
本日の記事を拝読して,思い出したことことなのですが,谷口雅春先生が,「神示」の定義について明確に示された御文章をかつて拝読したのですが,どの御本に書かれていたのか恥ずかしながら忘れてしまいました。「生命の実相」ではない谷口雅春先生のご著書だったと記憶しているのですが・・・。
お教えいただければ幸いです。
                       再拝

投稿: 佐々木 勇治 | 2008年11月26日 22:16

25日の昼間になんとなくこの『翁』の話になり、「何て言ったらいいんだろうね…あの翁…翁としか言いようがないね」等と話していました。
するとある方が、雅春先生が『明窓浄机』の中で〈本部にある服部仁郎先生作の翁像と、生まれたばかりの孫(雅宣先生)の顔が似ている〉という様な事が書かれていたとお話下さいました。
去年の夏、私が主人と知り合う前に亡くなっていた義祖父の書庫から服部仁郎先生著『今を生きる』見つけてから『翁』の事をもっと知りたくなり、初めて原宿本部に行き、翁像を写真におさめて参りました。
そして、本部に恐る恐る入り右手の聖典頒布所にて『神示集』と『新版聖光録』を記念に買い求めました。
知りたかった事が三回に渡り配信されました事、深く感謝いたします。
特に『生長の家』誌の表紙に掲載された翁の姿が配信されました事は信じられぬ程の感激です。
私の一番知りたかった事でありました。
今は…雅春先生がご覧になった竜宮城の夢の話が気になっています。
機会が参りましたら、お願い致します。
ありがとうございます。

投稿: Y・S | 2008年11月30日 12:39

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