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2008年11月16日

人獣混合で問題は解決しない

 胚性幹細胞(ES細胞)と共に、人のあらゆる細胞や組織に変化する能力があるとされるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究の成果が最近、矢継ぎ早に報道されている。が、その中で、倫理的に問題があると思われる種類の胚の研究についても、規制のタガが緩みつつあるように見えるのが気になる。人のES細胞を使う研究について、政府の総合科学技術会議の生命倫理専門調査会は、先月末、規制緩和の方針を決めた。(10月31日『朝日新聞』)これまでは「作成」と「使用」の双方について研究機関と国とで二重の審査が義務づけられていたものを、使用については審査を簡略化するか、国の審査を廃止して報告だけにするなどが考えられている。
 
 また、10月22日にイギリスの下院を通過した法律は、2001年に制定された細胞の核移植に関する法律やその他の生殖補助医療についての規制を塗り替え、同国の胚研究許可庁(Human Fertilisation and Embryology Authority, HFEA)が監督する研究の種類を従来よりかなり拡大することになった。この法律は今後、上院の承認を得て成立する見込みだ。10月31日付のアメリカの科学誌『サイエンス』が伝えている。

 それによると、今回解禁となる研究の中には、動物の除核卵細胞にヒトの細胞を混ぜる異種間の核移植が含まれている。科学者の中には、これによって人のES細胞を動物から得ることができると考えている人がいて、HEFAはすでに3つのライセンスをこの種の研究に認めているらしい。しかし、反対派の人々は、同庁にはそれを認める法的権限がないとして裁判を起こしている。今回の法律が成立すれば、この問題は規制緩和の方向に決着する。この法律はまた、ヒトと動物の遺伝子をもつ胚や、ヒトと動物の細胞が混合した胚を作成するための研究も認めているという。反対派は、この種の研究はヒトとサルが混合した“ヒューマンジー”を作ると非難しているが、法律は、ヒトと動物が混じった胚を2週間を超えて成長させることと、ヒトや動物の子宮に移植することを禁じているから、“ヒューマンジー”は生まれない、と賛成派は言う。

 この種の研究のメリットについて、専門家はこう語る--例えば、ヒトの精子とヒトの遺伝子をもつマウスの卵子を混合させれば、受精の過程を詳しく知ることができる。また、ヒトの精子の保存法や避妊薬の研究にも役立つという。が、法改正の主要な目的の1つは、どうやらES細胞の量産にあるようだ。
 
 私は本欄などを通じて、ES細胞の研究には一貫して反対してきた。理由は、それがヒトの受精卵を破壊して作るからである。宗教的には、受精卵の段階から人間の霊が関与して肉体の形成が始まっていると考えられる。それを他人の一存で、本来の目的である肉体の形成以外の用途に強引に利用しようとするのは倫理的でない。これに対して、未受精卵の核を除いたものに、体細胞の核を挿入することで受精卵と同等のもの(クローン胚)を作り出す方法がある。が、この場合も、胚が自律的に細胞分裂を行いながら肉体の形成を開始した時点で、霊魂の関与が始まったと考えられるから、それを他の目的に利用することは正しくない。今回“解禁”される研究では、動物の卵子の核を除いたものの中に人間の細胞の核移植を行うことで、人間の卵子を扱う際の様々な倫理的、社会的問題を回避しようとしているのだが、逆に動物と人間の遺伝子が混合する危険性を生んでいる。

 最近の分子生物学などの研究学で、人間と他の生物の遺伝子情報はよく似ていることが明らかになっている。が、どんなに似ているからといって、両者を混じり合わせることで何かの問題が解決するという発想に私は与しない。これは、遺伝子組み換え作物の問題でも言えることだ。人間を含めた生物は、「個体」として在る前に、現象的には何十万年もの進化の過程を経た生態系の一部として--つまり「種」として--存在する。それぞれの生物種は、生態系の中では別々の系として進化し、機能してきたものであり、他の系と混合することはあり得なかった。それを人間が強引に行うことで、自然界を“改善”したり“改良”することができると考えるのは、人間の思い上がりだろう。人間だけが、自然界から離れて生きていけると考える科学者が多いことを、私は不思議に思うのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

恐ろしい実験ですね。ぞっとします。神様は何ゆえそこまでの人間の自由を与えたのでしょう。最悪の場合、ホラー映画みたいに恐ろしい結果になると思います。みんなで反対しないと。先生のご意見に賛同します。

投稿: 奥田健介 | 2008年11月17日 18:33

副総裁が憂慮され、危惧されている様な方向に科学技術、政策決定は進んでいる様ですねえ、、、
只、私は人間に幾ら自由を与えたからと言って人間が究明し得る事は神仏の許したもう範囲を出ないのではないか?と考えるのですが余りにも楽観的過ぎるでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年11月21日 17:08

自然界を改善したり、改良する事になるのか?どうか?は不明ですが自然界を大きく変化させる事が出来るのはあらゆる生物の中で人間だけだと思います、科学者が「人間だけが自然界から離れて生きていける」と考えているか?どうか?も不明ですが人間は西遊記の孫悟空の様なものではないか?幾ら自惚れ、思い上がり、高慢になっても神仏の御手の中!許せられる範囲を超えると額の輪が締まり、それ以上は進めないのではないか?と考えますがいかがなものでしょうか?

投稿: 尾窪勝磨 | 2008年11月23日 15:01

我々が暮らしている豊かな時代では、もう生物が進化する可能性はゼロに近いといわれていますが、どうでしょうか。人間が生まれる前まではもっと多くの生物が暮らしていました。しかし、我々人間のせいでその存在が失われつつあるのです。もし私たちが存在しなかったら、遺伝子を組み替えなくても進化していく動物たちは確かにいたはずなのです。つまり、私たちが生物の進化の妨げになってしまったと考えても良いのです。そんなこと今さら言われてもという人もいると思います。ですが、今私たちが研究を使ってできることは、動物たちがこれからどのように進化していかなければならないのかということなのではないかと思います。だから、彼らはまた新たな新種の生物を生みだそうとしていたのではないのでしょうか。人間が滅びても未来に人間の血が受け継がれるようにしようと思ったのではないのでしょうか。ですから、もうこれ以上、今の動物たちか進化する見込みはないと分かっていたのではないかと思います。後に「猿の惑星」のような怪物を生みだすことに繋がると思っている人達がいるようですが、そのマイナスな発言が生物の進化の妨げになってしまうのではないのでしょうか。ここは人間だけの世界ではありません。もちろん、研究の度が過ぎても危険です。人間界+自然界でも生きていけるような生物を今後も研究することに賛成しますが、皆さんはどうでしょうか。

投稿: 杏厨 | 2011年12月11日 17:55

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